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 インターハイも終わった初秋の日。 「明日、須賀くんに告白しようと思います」  そう友人に告げられた。  部活の終了後、話があるから残って欲しいと頼まれて従った結果がこれだった。  このとき、私は少しだけ不思議に感じたことを覚えている。 「うん、お似合いだよ。多分、京ちゃんも和ちゃんのことが好きだからきっと上手くいくよ」  どうして、彼女はわざわざ私に伝えたのか、その真意が分からなかったのだ。そして、私の発言を訝しんでいるのもおかしかった。 「……応援、してくれるんですか?」 「もちろん。友達の恋が実ってくれれば嬉しいし、幼馴染みが幸せなのは良いことだよ」 「咲さんは須賀くんのことが好きだと思っていましたが、私の勘違いだったんですね……」  和ちゃんは深い安堵のため息を吐いた。  その日、彼女の背中を押すように激励し、私は和ちゃんと別れた。  帰りの道すがら、家についてからも思考が巡る。  彼女が告げた言葉を幾度も反芻する。  私が京ちゃんを好き?  京ちゃんは幼馴染み。  一番中の良い、最も距離の近い肉親以外の異性だとは思う。だけれど、恋人になろうなんて考えたことは一度もない。  彼の良い所はいっぱい知っている。  同時に短所も嫌と言う程に詳しく理解している。  彼の側にいる自分は簡単に想像できる。  それこそ、十、二十年、ヨボヨボのお婆さんになっても私は京ちゃんと変わらずに接している姿が思い浮かぶ。  だけど、彼の隣を共に歩く自分はこれっぽっちも考えられない。  私は彼に恋していない。  私は彼を大切に思っている。  その思いは愛情ではあるけれど、親愛や友愛に近いものなのだと、この時の私はそう沙汰を下した。  翌日。  宣言通り和ちゃんは京ちゃんに想いを告げ、二人は交際をスタートさせた。  美男美女のカップルであり、私は祝福の言葉を送った。だけれど、誰もが素直に祝えたわけじゃない。  憧れならば相手を見れば諦められる。  和ちゃんが才色兼備であることは既に知れ渡っていた。学年一の美少女と評され、勉強と麻雀では目に見える結果を出している。  一方、京ちゃんの麻雀の腕は初級と中級の間をたゆたう微妙な所。一学期のテスト成績は中位。だけど、彼は運動の方ではとても非凡で有名だった。  体育ではいつも大活躍。  運動部の方から直々に声が掛かる水準なのだから。  まあ、考えてみればそれは当然なのかもしれない。麻雀部にいながらもその片鱗を窺い知る機会は何度もあった。  体躯の良さ、全自動の麻雀卓を一人で運んでしまえるパワー、大荷物を抱えて歩き続けられる持久力。  明らかに並じゃない。  成人男性ですらどれだけの人がそんなことが可能だろうか。少なくとも私のお父さんじゃあ、ぎっくり腰になると思う。  彼はメンタルも強い。  自分よりも圧倒的に強い人しかいない環境、女所帯の中でも平然と過ごせ、ちょっと理不尽なことも笑って済ませてしまう。  自分に置き換えて考えてみると、どこの聖人君子様だろうかと思ってしまった。  それに私では考えられないほど彼には友人が多い。  そもそも、人見知りの気がある私と長年幼馴染みとして仲良く過ごせている時点で凄いのだ。  自虐的になるけれど、私は本当に友達がいない。そんなコミュ症の女の子に付き合えることが彼のコミュ力の高さを示している。  そんな彼の人となりを知ってしまえば、大概は納得し諦める。  同じように、密かに彼に憧れていた女の子も相手が和ちゃんじゃあ諦めざるを負えない。  だけど、本気で心の底から好いている人は簡単には恋心を諦めきれないものなのだと本の知識ではなく、実際に目の当たりした。  部活が休みのとある休日。 「何で、よりによって京太郎が選んだのがのどちゃんなんだじぇ!? まだ、咲ちゃんならこんなに心は痛まなかったはずなのに……」  私の家に来た優希ちゃんはそう愚痴を零す。  彼女もまた京ちゃんに好意を寄せていた女の子の一人だ。そして、親友に想い人を奪われてしまった状況が心情を複雑にさせていた。 「諦めきれないの?」 「……分かってるんだ。告白する勇気もなくて、いつも冗談みたいに戯れていた私がのどちゃんに文句を言うのは間違っているって……だけど、やっぱり悔しくて、悲しくて、苦しいよ……」  耐えきれなくなったのか、堰を切ったように涙を流しながらそう言った。  私は慰めるように胸を貸してあげることしかできない。彼女の心に同情はできても同調はできないのだから。  二人っきりの部屋に彼女の泣き声や鼻水を啜る音がいつまでも響いた。 「うぅぅ、泣いてスッキリした。お腹減ったじぇ……咲ちゃん、タコスが食べたいじょ」 「はいはい、後で一緒にタコス作ろうね」  無理に作った笑顔がとても痛々しい。  私には分からない。  恋心を知識としてしか理解していないのだから、本当の意味では知りようがない。 「咲ちゃんは泣かなくても平気か?」  だから、そう優希ちゃんに尋ねられても困ってしまう。  彼女もまた和ちゃんと同様に、私が京ちゃんのことを好きなのだと信じていた。 「私は京ちゃんに恋はしていないよ」  私の答えに優希ちゃんは納得しかねるように眉を寄せる。けれど、それ以上は深く尋ねることはなかった。  その後、自作した大量のタコスによるやけ食いパーティーが開かれ、食べ過ぎで動けなくなった優希ちゃんは私の家にお泊まりした。  二人の友達がどうして勘違いしていたのか分からない。  優希ちゃんの幸せな寝言を聞きながら、疑問は解決することなくいつしか夢の中へと落ちていった。  恋は人を育ませる。  愛は人を狂わせる。  事が明るみになったのは年明け直ぐのことだった。 「欲しかったのよ、仲間の信頼や信用、絆を失っても彼をこの手にしたかったの。咲なら分かるんじゃない?」  悪びれた様子もはなく、反省など全くしていない。  元部長は嘲るようにそう語る。  彼女は二人が交際を始めてからも諦めることなく策動していた。  京ちゃんと和ちゃんの間に亀裂が入るような噂を流し、破局するように散々嫌がらせを行っていたのだ。  しかし、何時まで経っても動かない状況に痺れを切らしたのか、それだけ追い詰められていたのか、暴走した。  京ちゃんに身体を使って迫り、強引にことを運んだ。  薬まで使うとか信じられない。  写真や動画で脅そうとしたことも最低だ。  そこまで落ち、愛に狂え、常軌を逸する狂気に染まるとはどのような心持ちなのだろうか。  元部長の起こした騒動は清澄の麻雀部に影を落とした。  むしろ、だからこそ、京ちゃんと和ちゃんの仲は強固なものになった。恋は障害があるほど燃えるのかもしれない。  出会いの春を、猛熱の夏を、別れの秋を、静かな冬を、四季は巡る。  幾度も巡る。  高校卒業から七年の時が経った。 「先輩、今更になって私は私の心を知りました」 「そうかぁ……後悔しとるんか?」 「……少しだけ」  私と京ちゃんの関係は変わらない。  仲の良い幼馴染みから何一つ変化はない。  変わってしまったのは環境と状況なのだ。  二十五才の私は麻雀界の頂点に立った。  富も、名声も、この手の中にある。  されど、愛と恋はどこにもない。  相方のアナウンサーにアラサーと弄られる度に心が曇る。私はどこかで道を間違えたのではないかと思えてしまう。  満たされているのに、どこか空虚で寂しさを感じている。麻雀を通じて知り合った友人はたくさんいるけれど、心の穴を埋めてはくれない。 「優希ちゃんや元部長の想いが今になって本当の意味で分かりました。こんなに苦しくて、悔しくて、悲しくて、狂いそうな程に心が張り裂けそうで痛いんですね……」  結婚式の案内書が届いた。  それは決定的に交わることのない現実を突き付ける。  だから、私は漸く気付いた。  --隣にいるのが当たり前  --最も近しいのは自分だと盲信し  --失って本心を悟る愚か者 「私は京ちゃんを好きだったんです。近過ぎて気づきもしなかった……笑っちゃいますよね、まこ先輩」 「わしは笑わんよ。そもそも、わしらは知っておったし、言うたじゃろう? 咲は京太郎が好きじゃないんかとな」  私よりも皆の方が私を理解していた。  喜ぶべきなのか、忠告を真に耳を傾けるべきだったのか、それで何かが変わったのかは今になってはもう分からない。  今日はいっぱいお酒を飲もう。  弱音も、愚痴も、酒のせいにして吐露してしまおう。全てを出し尽くさなきゃ、今度は笑顔で二人を祝えないのだから。 カンッ!

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