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.No Title 宮永咲が高校を卒業し、プロ雀士になってから一年がたった。 夏の大会、東日本選手権で優勝した日の暑い夜。ひとりで祝賀会を抜け、ホテル近くの自然公園をほっつき歩いていた。 ぼけた外灯が洋式でデザインされたベンチを照らす。なかなか不気味な光景にも臆せず、遠慮なしに座った。 携帯電話を開く。たくさんの受信メールと着信。高校の部活仲間、大会で知り合った友達、そして、 須賀京太郎の文字はなかった。 「そうだよね」 ぽつりとつぶやく。期待してなかったと言えば嘘になる。卒業まで付き合っていた元恋人の電話を待つ、未練がましい自分が心底気持ち悪かった。 ふったのは自分なのに。 なにが『これからは一緒にいられないから別れよう』だ。臆病だったあの時の自分を絞め殺してやりたい。 京太郎は教育学部のある大学を受けた。東京の有名なところ。彼はそれなりに頭がよかった。 今では彼女も――いるだろうか。もしそうだとしたらこんな暑い日の夜だ、よろしくやってるかもしれない。 空を見上げると、星がまばゆいていた。東京の空でも、星が十分に見えるのはちょっとびっくりだった。 夏の大三角形を眺めていると、アルタイルが陰に隠れた。 「こんなとこにいたんだ」 「あ、お姉ちゃん」 宮永照は咲のとなりに座り込むと、同じように空に顔を向ける。 外灯の光に晒された照の顔はタコのようにできあがっていた。 「お、あれがデネブ?大三角形完成」 「すごい顔の色……。飲みすぎだよ」 「いーんだ、大人だから。無駄に高い日本酒がいっぱいあったからな」 「お姉ちゃん、強くていいな」 「そっか咲は弱いから飲んでないのか。もう、二十歳すぎたんだから飲む練習しないと」 「練習て……」 「宮永の血は代々下戸だから、咲も強くなるよ」 たいそう上機嫌な姉を見るのは耐えがたかった。自分はなぜこんな暗い気分なのだろうと、考えれば考えるほど京太郎という三文字が頭に浮かぶ。 「元気ないね」 「ん」 「東日本一はそんなにくだらない?」 「そ、そんなことないよ!」 今の自分のテンションを他人から見れば、まぁそうなるだろうとは思う。だけど、照は自分が絶対にそんなこと思ってないとわかってるのに、なぜこんないじわるなことを言うのだろう。咲は無性に腹がたった。 「京ちゃん、でしょ?」 「え!?」 「そう咲が呼ぶから」 「そうじゃなくて、えっと」 「別に考えてることわかるわけじゃないから。咲って自分で思っている以上に表情でやすいし、あ、」 流れ星だー 「えと、なんだっけ。ああ、表情に出やすいって話だったね。それで、うん、それだけ」 「その後なんか言おうとしてなかった?」 「んー?なんだっけ。照わかんない」 「素面じゃないのね」 ああそっか京ちゃんだ。 なぜ照は京太郎を知っていたのか。彼のことは照には一度も話した覚えはないのだ。 知らないところで接点をもたないはずの肉親と元彼が仲良くしているという疎外感。というより悪い予感しかしない。そこにつっかかろうものなら、仰天する事実がでてくるかも、という恐怖が咲の唇を閉ざした。 少し間を置いて、照が口をあける。 「咲、聞きたいことがある」 「何?そんなにかしこまって」 「京ちゃ――須賀君てかっこよかった?」 質問の意図が読みとれない。 「は?」 「かっこいい、かっこいくない、どっち」 「い、いいよ」 「じゃあ好き?」 後頭部をぶん殴られたような気がした。自分を欺いてまで隠していたかった感情を、豪快に掘り返されたような気分だった。 「す」 「す?」 「別に今はもう」 「今、『す』っていったじゃん。そしたら好きか好きじゃないかの二択だよ」 「……好き」 「じゃあ電話すればいいと思う」 「お姉ちゃん、完全に酔っ払ってるよね……」 「かけてみて」 「なんで?」 「いいから」 「やだ」 「かけろ。選手団長命令」 「っ、」 不安とストレスは反応を起こし、怒りが沸き立った。 「別れて一年以上たつんだよ!?もう、全然連絡もとってないし、それにお姉ちゃんに関係ないじゃん!」 照に負けないぐらい顔を真っ赤にして怒鳴った。近くで野犬が鳴きながら逃げていった。 「~~~~~~っ、帰るっ!」 「あ、咲!」 「ついてこないで!顔見たくない!」 外灯を背にずんずん突き進んでいく咲はすぐに見えなくなった。 「……、ミスった」 「なんで京ちゃんが出てくるのっ!なんで京ちゃんの事知ってるのっ!!なんで電話しなくちゃいけないのっ!!!」 途中すれ違ったカップルにも気付かなかった。だから、目の前で通せんぼする男のことなんてわかんないし、そいつの発する音なんて耳から入って口から出て行った。 「――!咲!」 「うわっ」 正面からぶつかった。反作用はやけに大きくて、高校時代からろくに育たない体は笑えるほどふっとんだ。 運動神経のなさが災いし、とっさに片足がでなかった。両手を藁をも掴む勢いで振り回し、ようやくつかんだそれは男の手首だった。もちろんバランスなどとれず、そのままそいつを巻き込んで尻もちをついた。 「いった……、あ!すいません!大丈夫ですか?怪我とか、」 「お、おう」 そいつが持っていた携帯の画面の光がそいつの顔の片側を映した。 「京、ちゃん」 「久しぶり」 次の言葉が思いつかなかった。 「ぐ、偶然だね」 なわけねぇだろ、と心の中で自分にツッコミを入れる。 「立てるか?」 「あ、うん」 「ここ、暗いから、もうちょっと明るいところいこう」 自然と手を握られた。付き合ってたころはたいしたことじゃなかったのに、いざ意識すると気が狂うほど心拍数が跳ね上がった。あの、夏の大会の日の夜、初めて手をつないだときを思い出した。 自然公園を抜け、夜空を塗りつぶさんとする街灯が姿を現し、少し歩いたところで自販機を見つけた。そのとなりにはベンチとゴミ箱。設置した人間のご厚意に沿う形で並んで座った。 「あ、お茶、ありがと」 「ん」 京太郎はコカコーラの口を開け、少しだけ喉に流した。 「咲」 「うん」 「ごめんっ」 「えっ、え?」 「お姉さん使ってお前を探ったのは、全部俺がお願いしたことだったんだ」 「……ふーん」 「本当ごめん!だからお姉さんの事を悪く思わないでくれ」 「……」 物言わぬ咲に京太郎の顔色はどんどん青ざめていった。 「私、」 間。 「私ね、京ちゃんが大学行くって決めたときすごく怖かったんだ」 どこか遠くでセミの合唱が始まった。 「遠距離恋愛なんて初めてだったし、それに大学で他の女の子にとられちゃうのが怖かったんだ」 「俺って、そんな軽そうか?」 「あんだけ好きだった人を信じられない自分が嫌になったんだよ」 「それで、別れようって?」 「ごめん、怒った?」 「いや、全然」 合唱は終わる。 「好きな人ができたとかめんどくさくなったとか、いやな事ばかり思いついて、取り返しがつかない状況になっちまったと思った」 「うん」 「だから、連絡をとりたくても、」 「そっか」 すっごいバカなんだと思った。自分も京太郎も。素直になっていれば、こんなことにはならなかったのだ。 「遅れたけど、おめでとう咲」 「ありがとう京ちゃん」 「次は全日本か」 「うん、がんばるよ」 「団体戦のオーラスでまくったときかっこよかったぞ」 「うん」 「白の大明槓から、ツモ切りしたあとの一位直撃のダブル役満、録画して何回も見直したよ」 いつからだろう。 「京ちゃんは」 いつからだろうか、自分がヒーローとして皆の注目を集めだしたのは。 姉の照は飄々とマスコミ連中に気の利いた一言を繰り出せる。けど、自分は未だそうではない。容姿、雀力ともに似てはいるが、性格の面で彼女になりきることはできなかった。 自分は大木によりそう数多の子木のひとつでしかない。そう思っていたし、そう望んでいた。肩書きの最年少タイ東日本一制覇だなんて、重すぎるにもほどがある。なんだか本当の宮永咲と麻雀を打つ宮永咲が剥離していくような気がした。 「京ちゃんは最近どう?」 「え?あ、俺?」 「勉強とか大学生活とか」 「んー、最近ねぇ……、俺、小学校の先生目指す事にしたんだ」 「ほんと?すごい!」 「いやー、そこまで驚くような事じゃないけど」 「それ、昔の私の夢だったんだよ」 「へー」 「……小学校の先生かー」 お嫁さん、学校の先生、お花屋さん。 咲がなりたかった職業ベスト3である。 麻雀のトッププロではないのだ。このことを口にすれば、なりたくてもなれなかった者に、末代までの恨みを買うだろう。いくら咲とも言えど、流石にその辺りはわきまえている。 「うん……、さっきから気になってたんだけど」 「ん?」 「右のポケットに入ってるそれ、なに?」 京太郎がギクリとした。目の焦りから触れてはいけないものだとわかった。 「お前……、変なとこビンカンだな。これだよ」 でてきたのは6センチメートル四方の箱。角は丸く濃紫で光沢がない。 「咲、今から俺すごいこと言うからちゃんと聞いとけ」 「え?うん」 京太郎の頬がふくらんだ。何を言い出すのかわかった。 「結婚を前提にお付き合いしてください」 「うん、いいよ」 「軽っ!てか早いよ!もうちょっと驚いたりとか」 「なんとなくきそうだなーって。流れ的に」 「流れ的にかぁ。流石文学少女」 緊張が抜けて、ベンチにへたり込む京太郎に罪悪感が沸く。一生に一度するかしないかの告白をさらりと受けてしまったのだ。それでも、自分のはずかしさを隠すための攻撃は続く。 「もしかして、これ言うのに練習とかした?」 京太郎が笑う。 「お前、きついこと言うなー。そうだよ、すっごい練習したんだからなこれ。本当は電話でお前のこと呼び出して、もっと星が見えるところでこいつを渡すはずだったんだよなー」 橋をつなぐ人物に照を選ぶと言うセンスが間違っているのだろう。あの人はいろいろとヘタクソなのだ。 「開けていい?」 「もちろん」 止め具はなく、摩擦だけで封がされていた。 金色のリング。プラチナ色の装飾が流れるように交わったシンプルな作りだった。 「きれい」 「よろこんでくれてなによりです」 「明日の会見、これつけてでていい?」 「べ、別にいいけど、なんかつっこまれたらどうするの?」 「『婚約者からの優勝プレゼントです』って堂々いうよ」 「咲、お前が元気でよかった」 ふいな一言に言葉がつまった。 「やっぱり麻雀続けてよかったと思うよ。俺はそういう明るい咲が好きだ」 目頭が熱くなる。これ以上冷静でいるのは不可能だった。 「京ちゃん……キスして」 「ん、目つぶって」 セミがまたどこかで鳴きだした。 ◆◇◆◇◆◇ 「あ、なんだここにいたのか」 「!!っ、……菫か」 「びびりすぎだろ。私までびっくりしたぞ。というかなんだそのカメラ」 「しーっ!静かに!一緒に隠れて」 「お、おう。あれ、咲じゃないか。それともう一人は誰?男?やけに近いな。あ、」 「おし、そこでちゅーだ!ちゅーするんだ。ハァハァ」 「お、おおおおお……」 「フヒヒ、咲の成長日誌にまた新たな1ページ……」 「……」 「なんで引いてる」 「妹の情事を記録つけるのは気持ち悪いぞ」 「うるさいなー。姉として大切な事なのだ」 「どこの世界の人間だよ」 「それにキスは普通だよ。菫はどうせそういう経験ないんだろ」 「な、私は、い、一応経験あるぞ。そういう照こそないだろ」 「んだと万年処女」 「試してみるか?ああ!?」 「いったな後悔すんなよ」 「は?マジ?いや、冗談だからな。う、酒くさ!お前よっぱらっt」 アッー 槓!
宮永咲が高校を卒業し、プロ雀士になってから一年がたった。 夏の大会、東日本選手権で優勝した日の暑い夜。ひとりで祝賀会を抜け、ホテル近くの自然公園をほっつき歩いていた。 ぼけた外灯が洋式でデザインされたベンチを照らす。なかなか不気味な光景にも臆せず、遠慮なしに座った。 携帯電話を開く。たくさんの受信メールと着信。高校の部活仲間、大会で知り合った友達、そして、 須賀京太郎の文字はなかった。 「そうだよね」 ぽつりとつぶやく。期待してなかったと言えば嘘になる。卒業まで付き合っていた元恋人の電話を待つ、未練がましい自分が心底気持ち悪かった。 ふったのは自分なのに。 なにが『これからは一緒にいられないから別れよう』だ。臆病だったあの時の自分を絞め殺してやりたい。 京太郎は教育学部のある大学を受けた。東京の有名なところ。彼はそれなりに頭がよかった。 今では彼女も――いるだろうか。もしそうだとしたらこんな暑い日の夜だ、よろしくやってるかもしれない。 空を見上げると、星がまばゆいていた。東京の空でも、星が十分に見えるのはちょっとびっくりだった。 夏の大三角形を眺めていると、アルタイルが陰に隠れた。 「こんなとこにいたんだ」 「あ、お姉ちゃん」 宮永照は咲のとなりに座り込むと、同じように空に顔を向ける。 外灯の光に晒された照の顔はタコのようにできあがっていた。 「お、あれがデネブ?大三角形完成」 「すごい顔の色……。飲みすぎだよ」 「いーんだ、大人だから。無駄に高い日本酒がいっぱいあったからな」 「お姉ちゃん、強くていいな」 「そっか咲は弱いから飲んでないのか。もう、二十歳すぎたんだから飲む練習しないと」 「練習て……」 「宮永の血は代々下戸だから、咲も強くなるよ」 たいそう上機嫌な姉を見るのは耐えがたかった。自分はなぜこんな暗い気分なのだろうと、考えれば考えるほど京太郎という三文字が頭に浮かぶ。 「元気ないね」 「ん」 「東日本一はそんなにくだらない?」 「そ、そんなことないよ!」 今の自分のテンションを他人から見れば、まぁそうなるだろうとは思う。だけど、照は自分が絶対にそんなこと思ってないとわかってるのに、なぜこんないじわるなことを言うのだろう。咲は無性に腹がたった。 「京ちゃん、でしょ?」 「え!?」 「そう咲が呼ぶから」 「そうじゃなくて、えっと」 「別に考えてることわかるわけじゃないから。咲って自分で思っている以上に表情でやすいし、あ、」 流れ星だー 「えと、なんだっけ。ああ、表情に出やすいって話だったね。それで、うん、それだけ」 「その後なんか言おうとしてなかった?」 「んー?なんだっけ。照わかんない」 「素面じゃないのね」 ああそっか京ちゃんだ。 なぜ照は京太郎を知っていたのか。彼のことは照には一度も話した覚えはないのだ。 知らないところで接点をもたないはずの肉親と元彼が仲良くしているという疎外感。というより悪い予感しかしない。そこにつっかかろうものなら、仰天する事実がでてくるかも、という恐怖が咲の唇を閉ざした。 少し間を置いて、照が口をあける。 「咲、聞きたいことがある」 「何?そんなにかしこまって」 「京ちゃ――須賀君てかっこよかった?」 質問の意図が読みとれない。 「は?」 「かっこいい、かっこいくない、どっち」 「い、いいよ」 「じゃあ好き?」 後頭部をぶん殴られたような気がした。自分を欺いてまで隠していたかった感情を、豪快に掘り返されたような気分だった。 「す」 「す?」 「別に今はもう」 「今、『す』っていったじゃん。そしたら好きか好きじゃないかの二択だよ」 「……好き」 「じゃあ電話すればいいと思う」 「お姉ちゃん、完全に酔っ払ってるよね……」 「かけてみて」 「なんで?」 「いいから」 「やだ」 「かけろ。選手団長命令」 「っ、」 不安とストレスは反応を起こし、怒りが沸き立った。 「別れて一年以上たつんだよ!?もう、全然連絡もとってないし、それにお姉ちゃんに関係ないじゃん!」 照に負けないぐらい顔を真っ赤にして怒鳴った。近くで野犬が鳴きながら逃げていった。 「~~~~~~っ、帰るっ!」 「あ、咲!」 「ついてこないで!顔見たくない!」 外灯を背にずんずん突き進んでいく咲はすぐに見えなくなった。 「……、ミスった」 「なんで京ちゃんが出てくるのっ!なんで京ちゃんの事知ってるのっ!!なんで電話しなくちゃいけないのっ!!!」 途中すれ違ったカップルにも気付かなかった。だから、目の前で通せんぼする男のことなんてわかんないし、そいつの発する音なんて耳から入って口から出て行った。 「――!咲!」 「うわっ」 正面からぶつかった。反作用はやけに大きくて、高校時代からろくに育たない体は笑えるほどふっとんだ。 運動神経のなさが災いし、とっさに片足がでなかった。両手を藁をも掴む勢いで振り回し、ようやくつかんだそれは男の手首だった。もちろんバランスなどとれず、そのままそいつを巻き込んで尻もちをついた。 「いった……、あ!すいません!大丈夫ですか?怪我とか、」 「お、おう」 そいつが持っていた携帯の画面の光がそいつの顔の片側を映した。 「京、ちゃん」 「久しぶり」 次の言葉が思いつかなかった。 「ぐ、偶然だね」 なわけねぇだろ、と心の中で自分にツッコミを入れる。 「立てるか?」 「あ、うん」 「ここ、暗いから、もうちょっと明るいところいこう」 自然と手を握られた。付き合ってたころはたいしたことじゃなかったのに、いざ意識すると気が狂うほど心拍数が跳ね上がった。あの、夏の大会の日の夜、初めて手をつないだときを思い出した。 自然公園を抜け、夜空を塗りつぶさんとする街灯が姿を現し、少し歩いたところで自販機を見つけた。そのとなりにはベンチとゴミ箱。設置した人間のご厚意に沿う形で並んで座った。 「あ、お茶、ありがと」 「ん」 京太郎はコカコーラの口を開け、少しだけ喉に流した。 「咲」 「うん」 「ごめんっ」 「えっ、え?」 「お姉さん使ってお前を探ったのは、全部俺がお願いしたことだったんだ」 「……ふーん」 「本当ごめん!だからお姉さんの事を悪く思わないでくれ」 「……」 物言わぬ咲に京太郎の顔色はどんどん青ざめていった。 「私、」 間。 「私ね、京ちゃんが大学行くって決めたときすごく怖かったんだ」 どこか遠くでセミの合唱が始まった。 「遠距離恋愛なんて初めてだったし、それに大学で他の女の子にとられちゃうのが怖かったんだ」 「俺って、そんな軽そうか?」 「あんだけ好きだった人を信じられない自分が嫌になったんだよ」 「それで、別れようって?」 「ごめん、怒った?」 「いや、全然」 合唱は終わる。 「好きな人ができたとかめんどくさくなったとか、いやな事ばかり思いついて、取り返しがつかない状況になっちまったと思った」 「うん」 「だから、連絡をとりたくても、」 「そっか」 すっごいバカなんだと思った。自分も京太郎も。素直になっていれば、こんなことにはならなかったのだ。 「遅れたけど、おめでとう咲」 「ありがとう京ちゃん」 「次は全日本か」 「うん、がんばるよ」 「団体戦のオーラスでまくったときかっこよかったぞ」 「うん」 「白の大明槓から、ツモ切りしたあとの一位直撃のダブル役満、録画して何回も見直したよ」 いつからだろう。 「京ちゃんは」 いつからだろうか、自分がヒーローとして皆の注目を集めだしたのは。 姉の照は飄々とマスコミ連中に気の利いた一言を繰り出せる。けど、自分は未だそうではない。容姿、雀力ともに似てはいるが、性格の面で彼女になりきることはできなかった。 自分は大木によりそう数多の子木のひとつでしかない。そう思っていたし、そう望んでいた。肩書きの最年少タイ東日本一制覇だなんて、重すぎるにもほどがある。なんだか本当の宮永咲と麻雀を打つ宮永咲が剥離していくような気がした。 「京ちゃんは最近どう?」 「え?あ、俺?」 「勉強とか大学生活とか」 「んー、最近ねぇ……、俺、小学校の先生目指す事にしたんだ」 「ほんと?すごい!」 「いやー、そこまで驚くような事じゃないけど」 「それ、昔の私の夢だったんだよ」 「へー」 「……小学校の先生かー」 お嫁さん、学校の先生、お花屋さん。 咲がなりたかった職業ベスト3である。 麻雀のトッププロではないのだ。このことを口にすれば、なりたくてもなれなかった者に、末代までの恨みを買うだろう。いくら咲とも言えど、流石にその辺りはわきまえている。 「うん……、さっきから気になってたんだけど」 「ん?」 「右のポケットに入ってるそれ、なに?」 京太郎がギクリとした。目の焦りから触れてはいけないものだとわかった。 「お前……、変なとこビンカンだな。これだよ」 でてきたのは6センチメートル四方の箱。角は丸く濃紫で光沢がない。 「咲、今から俺すごいこと言うからちゃんと聞いとけ」 「え?うん」 京太郎の頬がふくらんだ。何を言い出すのかわかった。 「結婚を前提にお付き合いしてください」 「うん、いいよ」 「軽っ!てか早いよ!もうちょっと驚いたりとか」 「なんとなくきそうだなーって。流れ的に」 「流れ的にかぁ。流石文学少女」 緊張が抜けて、ベンチにへたり込む京太郎に罪悪感が沸く。一生に一度するかしないかの告白をさらりと受けてしまったのだ。それでも、自分のはずかしさを隠すための攻撃は続く。 「もしかして、これ言うのに練習とかした?」 京太郎が笑う。 「お前、きついこと言うなー。そうだよ、すっごい練習したんだからなこれ。本当は電話でお前のこと呼び出して、もっと星が見えるところでこいつを渡すはずだったんだよなー」 橋をつなぐ人物に照を選ぶと言うセンスが間違っているのだろう。あの人はいろいろとヘタクソなのだ。 「開けていい?」 「もちろん」 止め具はなく、摩擦だけで封がされていた。 金色のリング。プラチナ色の装飾が流れるように交わったシンプルな作りだった。 「きれい」 「よろこんでくれてなによりです」 「明日の会見、これつけてでていい?」 「べ、別にいいけど、なんかつっこまれたらどうするの?」 「『婚約者からの優勝プレゼントです』って堂々いうよ」 「咲、お前が元気でよかった」 ふいな一言に言葉がつまった。 「やっぱり麻雀続けてよかったと思うよ。俺はそういう明るい咲が好きだ」 目頭が熱くなる。これ以上冷静でいるのは不可能だった。 「京ちゃん……キスして」 「ん、目つぶって」 セミがまたどこかで鳴きだした。 ◆◇◆◇◆◇ 「あ、なんだここにいたのか」 「!!っ、……菫か」 「びびりすぎだろ。私までびっくりしたぞ。というかなんだそのカメラ」 「しーっ!静かに!一緒に隠れて」 「お、おう。あれ、咲じゃないか。それともう一人は誰?男?やけに近いな。あ、」 「おし、そこでちゅーだ!ちゅーするんだ。ハァハァ」 「お、おおおおお……」 「フヒヒ、咲の成長日誌にまた新たな1ページ……」 「……」 「なんで引いてる」 「妹の情事を記録つけるのは気持ち悪いぞ」 「うるさいなー。姉として大切な事なのだ」 「どこの世界の人間だよ」 「それにキスは普通だよ。菫はどうせそういう経験ないんだろ」 「な、私は、い、一応経験あるぞ。そういう照こそないだろ」 「んだと万年処女」 「試してみるか?ああ!?」 「いったな後悔すんなよ」 「は?マジ?いや、冗談だからな。う、酒くさ!お前よっぱらっt」 アッー 槓!

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