角田和男

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**角田和男とは -角田 和男(つのだ かずお)大日本帝国海軍の軍人、戦闘機操縦士。 -最終階級は海軍中尉。 -1918年(大正7年)10月11日生まれ。 **経歴 ***少年時代・海軍入隊 -1918年(大正7年)10月11日、千葉県安房郡豊田村で農家の次男として生まれた。 -高等小学校2年時に海軍予科練習生を受験したが不合格。農業を手伝いながら浪人生活を送り、翌年に合格。 -1934年(昭和9年)6月に予科練5期生として横須賀空に入隊。 -1937年(昭和12年)8月予科練を卒業し、霞ヶ浦空で飛練を、佐伯空で戦闘機操縦訓練を受けた。 -1938年(昭和13年)実戦部隊である大村空、11月には空母「蒼龍」乗組みとなった。 ***日中戦争 -初陣は1939年(昭和14年)11月。「蒼龍」は南支方面に進出、角田らは洋上から南寧攻撃に参加した。 -1939年12月、開設したばかりの百里原空で教員勤務。 -1940年(昭和15年)2月、12空に転属となり漢口に赴任し、零戦の訓練に当たった。 -10月26日成都攻撃に向かう途中、中国軍機の編隊と空戦になり、角田もフリート練習機1機を撃墜したのが初撃墜。 -11月には内地に帰還し、筑波空の教員となった。 ***太平洋戦争 -1942年(昭和17年)4月1日、海軍飛行兵曹長に昇任し、横須賀海兵団で准士官学生教育を受けた。 -5月31日、開隊したばかりの2空配属。 -1943年(昭和18年)6月、角田には内地帰還命令が出て厚木空練成教官となった。 -1944年(昭和19年)3月、252空に転勤、戦闘302飛行隊分隊士として館山・三沢で隊の練成に当たった。 -5月に海軍少尉任官。 -11月6日エンジン故障で不時着したニコルス基地で急遽、特攻隊に編入された。 -15日、特攻配置として201空に編入。 -1945年(昭和20年)2月5日、戦闘317飛行隊に配属された。 -5月には海軍中尉に任官。 ***戦後 -1946年(昭和21年)元旦実家に帰宅した。 -11月、茨城県開拓隊に入り火山性土壌の山林開墾に従事。 -1964年(昭和39年)暮れに人の住家らしきものに入居。生活に余裕のできたこの頃から各種戦友会に入会した。 -1974年(昭和49年)、農閑期には遺族探し・訪問を行うようになった。 -戦友会世話人として、南方各地の戦地に遺族を案内し現地慰霊祭を行った。 **外部リンク [[戦争体験者インタビュー動画・角田和男さん>http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100784_00000]](NHK戦争証言アーカイブス)

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