日朝首脳会談(第一次小泉訪朝)


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日朝首脳会談(第一次小泉訪朝)


遺体を確認するまで「死亡」などと言わないはずだが 

 帰り道の駅の新聞に「4人生存、8人死亡」の見出しが出ているではないか!誰とは書いてない。帰宅して見ると家族の方が泣いて記者会見をしていて、亡くなったとのアナウンスがある。テレビはどこでもこの衝撃的な「8人死亡」の結果について取り上げていた。待ってくれ、一体時期や理由はなんなのか?19日になると、実は8人が死亡したというのも北朝鮮側が伝えた話であって、日本側で調べたり、裏付けが取れたわけではない。
こんな「20歳」がいるわけないだろう・・・・・・・。 その後、調査団が北朝鮮で死亡した理由を問いただしたが…、こんな話は信じちゃいかんのだ。それと拉致被害者の不在を意識しないサヨクどもが、平和や人道を語る資格が在るはずがない。

1-あらまし



 2002年(平成14年)9月17日、小泉純一郎首相は日本の首相として初めて北朝鮮を訪問し、平壌市内の「百花園招待所」(迎賓館)で金正日総書記と会談した。会談で、首相は〈1〉拉致事件が解決に向けて進展しないと、国交正常化交渉には入れない〈2〉過去の問題、核・ミサイル疑惑などを包括的に議論したい〈3〉北朝鮮が国際社会の責任ある一員になることが北朝鮮の利益になる――などの基本的な考え方を説明し、その際、(1)に基づき政府が認定した8件11人の拉致被害者全員の安否確認を求めた。しかし北朝鮮側は、会談の前に、この会談実現の立役者である田中均外務省アジア大洋州局長に「4人生存、8人死亡、2人未入国+政府が把握していないもう1人生存」であると通達し、金正日総書は「一部の妄動主義者が勝手にやったが処分した」と小泉首相に口頭で謝罪したが、独裁国家においてこの言い分はでたらめである この後、生存者5名が10月15日に帰国し、2004年には5人の家族も日本に帰国(来日)している。しかし、これ以降「ちゃんと調査しろ」と要求する日本と、「拉致問題は解決済み」と主張する北朝鮮で平行線をたどっている。
 北朝鮮によると、生存者帰国の際に「一時帰国で返す約束」だったことになっており、一方日本側は「そのような約束はしていない」というが、何らかの事実上の合意があったと見られている。

 当初「8人死亡」は確定的な事実だと思われたが、9月19日に日本側で裏付けが取れてないことが判明した。また拉致の文言を盛り込まない形での調印、外務省や福田官房長官の心ない対応などから拉致被害者家族やその支援者である救う会、右寄りの知識人から轟々たる非難を浴び世論もそれを後押した。そのため、日本政府は9月28日に調査団を派遣し、北朝鮮に8人の死亡状況などを問いただしたが、その内容はことごとく洪水で墓が消失、「遺骨」を鑑定したら別人という信憑性の乏しいものだった(04年11月の実務者協議で公的に捏造だったと認めている)。このことにより拉致被害者は「むしろ生きているのでは?」見なされるようになり、現在被害者家族、政府も救う会も全員の生存を前提とするものになっている。また救う会や政府が全く把握していなかった曽我さんの存在が明らかになったことから、特定失踪者問題調査会が発足する。


 小泉訪朝以前、拉致問題に対して北朝鮮は「捏造」と主張しており、その出先機関である朝鮮総連や日弁連、現社民党など左寄りの団体や人物(一部自民党)なども同様の主張していた。拉致問題を追及すると、総連から猛烈な嫌がらせ&圧力をかけられる状況が当然のようにあったという。しかしこの訪朝以降、彼らは「拉致は許されない」と謝罪しなければならなくなった。 だがその言葉の後ろに必ず「北朝鮮バッシングで右傾化する」、「5人は向こうに返すべき」、「植民地支配のせいでこうなった」などと付け足したことが、インターネット住民から「反省していない」と底知れぬ怒りを買い、後の嫌韓などの後のネット上の世論を決定付けたと言える。

① 宣言調印の問題点


  • 宣言の中に「拉致」が盛り込まれてなかったのに署名した、また(北朝鮮は戦後建国したのに)植民地支配の補償が盛り込まれている
  • 8人が原因不明のまま死亡とされた
  • 100人以上存在するとされる拉致被害者が、13人しかいないことになってしまった
  • 金正日の命令・意向で拉致したはずなのに、部下が勝手にやった(=金正日カンケイナイ)になっている
  • 当初日本が把握してなかった曽我ひとみさんの存在が判明→一体何人拉致したのか?

② 北朝鮮からもたらされた拉致被害者の安否(敬称略)


生存―5人 地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子、曽我ひとみ
死亡―8人 横田めぐみ、田口八重子、市川修一、増元るみ子、原敕晁、松木薫、石岡亨、有本恵子
入国していない―2人 久米裕、曽我ミヨシ

曽我ひとみさんについて安否確認の対象でなかったが、その後の調べで母・ミヨシさんと共に1978年に拉致されたと判明

③ 基本スタンス


相当乱暴で例外や異論も多いとは思うが、本当に初歩的な理解にとどめていただきたい

  • 日本―拉致問題の解決なくして国交正常化はない、対話と圧力(圧力はあまり使いたくないな~)
  民主主義国家 日本、アメリカ、韓国(立場は一応こっち)
  • 北朝鮮―拉致問題は9月17日で解決したこと→解決したんだから経済援助
  社会・共産主義国家 北朝鮮、中国、ロシア
  • 強硬派―北朝鮮から本人及びその家族全員をただちに奪還→金正日政権打倒以外に解決なし
  安倍晋三、中山恭子、谷内正太郎、斎木昭隆ら、被害者の家族・救う会、拉致議連ら 多くのネット住民 
  • 融和派―まずは北朝鮮に戦後補償をし、国交正常化する→交渉で自由往来させ、生きている人が何人か戻ればよい
  福田康夫、田中均、川口順子ら外務省の連中 山拓、加藤紘一ら、小沢一郎、朝日、TBS、旧社会・共産党ら



2-日朝平壌宣言


 日本と北朝鮮には国交がないので、そういう関係は正常じゃないから、関係を改善して、北朝鮮は核はやめよう、ミサイルもやめよう、そうしたら日本が経済援助をするよという内容。この中の遺憾な問題として拉致問題があり、金正日は拉致をしたことを口頭で認め、謝罪した。当初は拉致に関して、「国交正常化の取引材料」として8件11人の安否確認をすることだったと思われている。しかし「拉致」の文言を入れないでサインしたことから、各所から非難が殺到した。今回の訪朝は8月30日に決定したことで、この文章も9月の頭には出来ていたもの。



3-田中均アジア太平洋州局長からの回答

こちら
 この交渉に当たったのは田中均・アジア太平洋州局長だが、2001年から水面下で「ミスターX」との交渉により、今回の会談実現に至った。それだけならまだしも、その手法が問題だった。田中局長は北朝鮮側から17日午前10時、事前の事務レベル協議で、「拉致被害者8人死亡&死亡日時」という非公式リストを受け取っていながら、「それほど悲惨だったと知らなかったので動転した」ので首脳会談が終わった後に小泉首相らに翻訳を届けたが、そのリストは数十分あれば翻訳できる量だった。しかし、小泉首相が会談前に非公式リストを見ていたら平壌宣言に署名しなかった可能性もあり、それを恐れて報告を遅らせたと見なされ、手柄欲しさからの独善的判断+外交上の重大な過失として拉致被害者家族や世論の轟々たる非難を浴びることとなった。

 17日に東京で待機している拉致被害者家族へ「死亡した」と通達したのは福田康夫官房長官だが、家族からの「いつ・なぜ死んだか?」には何も答えていない。それどころか「あなたたちは生きているんだから静かにしなさい!」と声を荒げた。19日にやっと家族へ「死亡日時」を伝えた(報道機関に一部漏れたからでもあるが)。20日、こうした事態に拉致被害者家族・救う会は田中局長あてに公開質問状を出し、それに対しての答えが↓である。


4-事件経過 小泉訪朝 拉致被害者5人&家族帰国まで


小泉首相訪朝


 あまりあてにしないように!ここを読んだらちゃんと関連本を読みましょう。

① 日本政府のようす


 会談に先立つ田中均、馬哲スによる局長級協議の際、田中均アジア太平洋州局長は「5人生存8人死亡、1人未入国」と聞かされ、それを知って金正日総書記との会談に臨んだ。日本側は一様に大変なショックを受けており、安倍晋三官房副長官は「厳しく抗議してください」と総理に言った。すでにこの時点で、金正日による謀略のくさびが打ち込まれていたのだろう。
 会談に際して金正日からは「近くて遠い国から近くて近い国にしたい」などと言われたが、小泉は「8人死亡は大変ショック、強く抗議する」と被害者の早期帰国と再発防止を訴え、「拉致を含む人道上の問題や安全保障の諸懸案に誠意をもって対応してほしい。両国関係を大きく進めるには政治的意思が必要だ。金総書記が勇気ある行動を望む」と言ったが、謝罪の言葉は得られなかった。
 昼休み、日本側は部屋に盗聴器が仕掛けられているのを恐れ、テレビの雑音を大きくした中で作戦を練り直していた。小泉総理は持参した弁当に手を着けられなかった。安倍官房副長官は「金正日が拉致を認めること、謝罪すること、責任者の処罰、それなしにはこの会談を続けることはできない」と主張、高野紀元外務審議官らも同調した。これは盗聴されたと見られている。
 一方、梅本和義公使は平壌市内の高層アパートで蓮池・地村夫妻とめぐみさんの娘とされるキム・ヘギョンさんが家族ごとに3部屋に分かれて待機しており、各々30分ずつ面会した。公使がキム・ヘギョンさんに「お母さんは日本人ですよ」と語りかけると、彼女は「えっ・・・」と驚き、「昔遊んだ覚えがある」「母の墓の場所は知らないし、行ったこともない」などとどこまで本当なのか分からない話をした。内容が儒教的にありえないとの指摘が多い。
一方、日本に帰りたいかと梅本公使に聞かれた生存者4人は「両親には会いたいが子供の学校があるので」と、一様に慎重な態度を取った。面会の前に北朝鮮の当局者が4人のもとに現われて「私らは外すから」と空調のスイッチを切ったのを見て,、4人は「これは盗聴されている」と察して本心を語れなかった。

 午後になると金正日総書記は、あっさりと「特殊機関の一部が妄動主義に走り、勝手に拉致した」と口頭で謝罪した。01年の不審船事件も「私は知らなかった」と言いつつも認めたので調印することにした。しかし、外務省が作成した総理の記者会見の冒頭発言要綱に、拉致被害者家族への文言が一言もなかったことを岡田秀一首相秘書官が発見した。小泉総理は「これはまずいな・・・」と言うと、安倍副長官は「痛恨の極みでありますと入れたらどうだ」と進言した。さらに有本さん・石岡さんの死亡日時が同じ日であることに気づいた飯島勲秘書官が「どうやって説明するんだ?」と指摘するなど、後になって混乱を招いた。このような形になったのも、田中均氏以外がほとんど関われなかったという、所謂秘密主義に起因すると見られる。

9:30 平壌到着

10:00 局長級協議 田中均アジア太平洋州局長、北朝鮮に呼び出され「4人生存+1人発見、8人死亡」の情報(非公式文書)を与えられる 

11:00  迎賓館で握手~会談午前の部

12:05 昼休み 安倍晋三官房副長官「金正日が拉致を認めること、謝罪すること、責任者の処罰、それなしにはこの会談を続けることはできない」

14:30~16:30 会談午後の部

梅本和義駐英公使、平壌市内の高層アパートで生存者4人(蓮池・地村夫妻)とキム・ヘギョンさんと2家族+1人各30分面会

16:00 田中均局長、「4人生存+1人発見、8人死亡」と同じ内容の書類を入手(総理には意図的に見せなかった?)

17:32 調印 (日本側はなぜ8人が死亡したのか知らない)

17:33 調印文書交換

17:35 握手

18:30 小泉首相、平壌のホテルで記者会見


② 拉致被害者家族側のようす


 9月17日 午前中、福田康夫官房長官のもとに情報が入り、平沢勝栄議員を呼びだし「全員の安否情報があるから飯倉公館にへ来て。ただし自民党議員だけよ(=自由党の西村真悟議員は来るな)」と言った。午後3時過ぎに拉致被害者家族は板倉公館へ向かったが、救う会では西岡力幹事がマスコミ対応で残り、佐藤勝巳会長、荒木和博事務局長が板倉公館に同行した。

 午後4時過ぎ、事前に「9人生存」の誤報が流れていたのもあり楽観的だったというが、ここでまず植竹繁雄外務省副大臣に横田夫妻が呼び出され「亡くなった」と確定的に言われた。いつ死んだのか聞こうとすると植竹副大臣は「結婚して娘さんが生まれた。でもそれしかわかってない」である。その後死亡したとされる8人の家族が1家族ずつ呼び出された。有本夫妻は「(88年の、恵子さん・石岡さん・松木さんの手紙のせい)で殺されたのか?」と理由を問い詰めたが、福田官房長官は何も答えていない(=未確認情報とは言っていない点に注意)。その後、「生存」の4家族が同時に呼び出された。こうしたようすに不信感を示した蓮池さん家族に、福田官房長官は「あなたたちは生きているんだから静かにしなさい!」と言い放ったという。
 「生存」と言われた家族が号泣し、「死亡」と言われた家族がそれを慰めるという状態で、救う会などの協力者達も「救出運動をやった97年以降に亡くなったのなら自分たちのせいだ・・・」という絶望的な気分になりながら、バスに乗ってマスコミの待つ第一衆院議員会館で記者会見をしなければならなかった。


 9月18日 前日の気分を引きずりながら彼らが目を覚ますと、安倍晋三官房副長官が訪れてきた。「批判は甘んじて受ける」と言いつつも、8人の「死因」について「外務省から情報が上がってこない・・・」と言う。その後、平壌にいるとばかり思われていた梅本和義公使が東京にいることが判明。横田・蓮池さん家族と荒木氏が会いに行くと梅本公使は「新宿で買い物をしていた」と弁解。さらに問い詰めると「死亡が事実か確認できていない」、「生存者が本人かどうか、めぐみさんの娘というキム・ヘギョンさんも本当に娘かどうか確認できてない」と言う。めぐみさんの20歳ごろの写真を見せられて「似ているなー」、ラケットのカバーを見せられて「横田の田の字があるなー」という状態だった。つまり北朝鮮が主張しているが未確認なことなのである。

 9月19日 ここではじめて拉致被害者家族が17日に伝えられた8人の「死亡日時」を知ることになる。そこで、その日時が元工作員安明進・金賢姫らの証言を徹底的に打ち消す意図を持つことに気付き、金正日の「一部の部下が勝手にやった」とする言い分や、救う会が持つ生存情報も踏まえて最終的に「8人は生存している可能性が高く、帰したら金正日とその工作活動がばれるのを恐れて死んだことにした」と結論づける。

9月17日

9:05 東京・芝の三田会館で待機していた拉致被害者家族がタクシーで衆院第一議員会館に向かう

9:55~10:27 外務省佐藤重和アジア太平洋州局審議官と拉致被害者家族で共同会見

午前中のうちに福田康夫官房長官に情報が入る

15:00 拉致被害者家族、救う会の方々ら飯倉公館へ到着(1時間待たされる)

16:00 福田康夫官房長官、植竹繁雄外務省副大臣に安否情報が伝えられる

?   第一衆院議員会館に戻って記者会見

9月18日

9:00 安倍晋三官房副長官が拉致被害者家族・救う会の方達のもとへ訪れ「批判は甘んじて受ける」と言うが、同時に「外務省から情報が上がってこない」と伝えて去る

?  平沢議員から電話「総理のアポは取れてないが、安倍官房副長官に電話して」

   安倍官房副長官から電話「15歳のキム・ヘギョンさんがいる。彼女が5歳の時にめぐみさんは死んだという。あとは情報待って」

その後、平沢議員から緊急の電話「梅本公使が東京にいる、早く捕まえて説明を聞こう」

13:00 平沢議員、蓮池透さんが外務省に電話

17:30 梅本公使にアポを取ることに成功し面会するが、「北朝鮮が主張したが日本では確認できていない」

9月19日

「死亡年月日」が一部新聞に漏れる。そのためか?正気に家族へ通達。午前中に情報分析、これはデタラメだと結論

17:00 ホテル三田会館で記者会見 「これは北の謀略で、8人は死んでない」(翌日緊急声明を出す)

c 北朝鮮からもたらされた拉致被害者の安否 9月17日時点(敬称略)

生存―地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子、ソガヒトミ(→20日に曽我ひとみさんと判明)
死亡―横田めぐみ、田口八重子、市川修一、増元るみ子、原敕晁、松木薫、石岡亨、有本恵子
入国していない―久米裕


③ 横田めぐみさんについて北朝鮮からもたらされた情報


 ・キム・ヘギョンという娘がいる
 ・キム・チョルジュンという夫がいる
 ・ラケット、20歳頃とされるめぐみさんの写真

 拉致被害者の代表的存在である横田めぐみさんに関してのみ、拉致当時の所持品であるバドミントンのラケットや娘キム・ヘギョンさんの公表、北朝鮮は他の被害者と違ってなぜか詳細な情報を提示した。北朝鮮側は当初からめぐみさんの両親の訪朝を重点的に画策し、「ヘギョンさんを合わせてやる代わりに拉致被害者本人の追及はするなよ、終わり」と拉致問題の幕引きを図ろうとしたと見られる。その後、06年この夫は韓国の拉致被害者金英男さんと判明。また朝日新聞によるとヘギョンさんも実は「ウンギョン」というのが本名であると判明。


④ 外務省を中心とするまずい対応まとめ



  • 8人に関して北朝鮮から「死んだ」と伝えられたが、肝心な死亡理由が伝えられてないこと。しかもこの状態で調印している
  • 外務省は当初、北朝鮮の「8人死亡」に関して、死亡したことは伝えたくせに、死亡日時のリストは「非公式だから」と家族に伝えなかった(しかもあろうことかマスコミにすっぱ抜かれてはじめて被害者家族が知る始末)
  • 梅本行使が生存者及びキム・ヘギョンさんについてきちんと確認が取れてないこと
  • 田中均への批判や疑惑(拉致の文言を抜いた、「8人死亡」の詳細伝えずetc)
  • 福田康夫官房長官、飯倉公館の説明で蓮池さん家族に「黙って聞きなさい、あなた方は生きているんだから!」

被害者家族を中心に怒りと疑念が噴出し、「全員生存を前提にしろ、これは金正日の謀略」と会見。世論も含め、もう一度きちんと調べなおして来いゴルァ!ということになり調査団を派遣


政府調査団派遣、8人の死亡理由を発表 02年10月2日


 その後、9月28日に日本政府の調査団が北朝鮮で死亡した理由を問いただしたが、その調書がこれまた杜撰だったため、このことが北朝鮮の8人死亡という報告は信用できんという方向を決定付けさせた。死亡とされた拉致被害者のほとんどの墓が洪水で「流出」、具体的証言を聞ける指導員や運転手も実に絶妙なタイミングで全員「死亡」とされた。「生存」とされた5人は本人だと確認できたものの、皆帰国には消極的だという。

① 北朝鮮の発表概要 要旨 02年10月


  • 横田めぐみさん
 入国経緯は「1977年11月15日、新潟市内で工作員が学校から帰宅途中のめぐみさんに会った。工作員は身辺の露出の危険性を感じ、露出を防ぐために同女を拉致した。77年11月から86年7月まで招待所で朝鮮語・現実研究及び、現実体験をし、86年8月13日に結婚。入国直後曽我さんと一緒に招待所で生活。93年1月29日、鬱病のために夫に連れられ平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院に入院。3月13日午前、同病院内で散歩中、南寿岩主治医が目を離した間に、着物を裂いて松にかけ首を吊って自殺した。墓は死亡した病院の裏手にあったが、数年前に夫キム・チョルジュが移した。88年から91年にかけて金日成政治軍事大学で目撃証言があるという話は事実無根の虚偽(※1)。また18歳頃から精神が不安定だったという所見はない(※2)。現在の墓の場所は不明。

  • 田口八重子さん
 調査の結果、李恩恵なる人物はいない(※3)。朝鮮名は「コ・ヘオク」。入国経緯は「1978年6月29日宮崎市青島海岸で工作員が接触した際に『3日程度なら観光がてら北朝鮮に行ってみたい』という意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するために連れてきた」。78年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語を勉強していた。84年年10月19日、原敕晁さんと結婚。86年7月30日、帰宅する途中ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。墓は、リンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失した。

  • 原敕晁さん
 入国経緯は「原さん自身が金もうけと歯科治療のために海外行きを希望していたので、工作員が原さんの戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した」。これにより1980年6月17日、宮崎市青島海岸から連れてきた80年6月から1984年10月まで招待所で暮らし、84年10月19日、田口八重子さんと結婚。86年7月19日ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡で肝硬変で死亡。田口さんとの間に子供はいない。墓は、リンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失した。

  • 有本恵子さん
 入国経緯は「特殊機関メンバーが接触し、北朝鮮行きを誘うと同意したことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で1983年7月15日に平壌へ連れて行った」という。85年12月27日に石岡亨さんと結婚し、翌年娘が生まれた。88年11月4日夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所で就寝中、暖房用の石炭ガス中毒で石岡さん、娘リ・ヨンファと共に死亡。一家はヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで遺骨が流出した。

  • 石岡亨さん
 入国経緯は「スペインのマドリードで松木薫さんとともに、特殊機関工作員の一人との接触過程で北朝鮮訪問を勧められて同意し、日本語教育に引き入れる目的で1980年6月7日に平壌に連れてきた」という。85年年12月27日、有本恵子さんと結婚。翌年娘が誕生。88年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて就寝中、暖房用の石炭ガス中毒で有本さん、娘と共に死亡。一家はヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで遺骨が流出した。

  • 増本るみ子さん
 入国経緯は、「鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため拉致した」。79年4月20日、同時に拉致された市川修一さんと結婚し、同じ招待所に住むようになる。それまで市川さんとは別々だった。81年8月17日、心臓病によりファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡にて死亡。市川さん死亡後もそのまま同じ招待所に住んでいた。

  • 市川修一さん
 入国経緯は、「鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため拉致した」。79年年4月20日、同時に拉致された増元るみ子さんと結婚。79年9月4日、ウォンサン(元山)海水浴場で心臓麻痺のため溺死。金日成総合大学、金正日政治軍事大学で目撃したという証言は事実無根(※4)。墓は、リンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失した。

  • 松木薫さん
 入国経緯は、「石岡亨さんとともに、特殊機関工作員と接触するうちに松木さん自身が北朝鮮訪問の勧めに応じ、語学教育の目的で1980年6月7日に北朝鮮に連れてきた」と発表。特殊期間内の学校で日本語を教える仕事を誠実にしていた。96年8月23日、リャンガン(両江)道の革命史跡の参観に行く途中、ハムギョンナムド(咸鏡南道)コウォン(高原)郡と北西郡の境界にあるトチョル嶺という峠道を自動車乗車中、運転手の不注意による事故により運転手と共に死亡した。100%の保証はないが松木さんのものと思われる遺骨が発見され、再火葬されたの後、2002年8月30日に平壌市ランナン(楽浪)区域オボンサン共同墓地に安置されたものを政府は持ち帰った。

※1,4は安明進、※3は金賢姫、※2は安明進と別人

② 北朝鮮発表に対する代表的な疑問・批判


  • 墓がことごとく洪水で流失している。目上を大切にする儒教文化において不自然すぎる。
  • 皆一様に年齢が20~30代(拉致して日本人化教育に使うのなら若すぎるよねということ)
  • 本人が知らないはずの情報、横田めぐみさんの本籍地、増本さんや松木さんの拉致後の住所が記載
  • 生年月日のミス・写し間違い・・・・・・・・
  • 死亡した場所がバラバラなのに7人の診断書が同一の病院から発行されている
  • 市川さんは泳げなかった。また、なぜ9月なのか?
  • 増本さんの心臓病というのは、普通50代に発症。家族にこの疾患の人はいない
  • 北朝鮮では労働党の高級幹部が使う、交通事故は合うほうが難しい
  • 幼児2人を育てていた田口さんが子供を置いて「3日ぐらいの観光がてら北朝鮮に行ってみたい」はずがない
  • 元工作員の証言を徹底の否定、証言の時期よりはやく「死亡」
  • 有本さん、石岡さん石炭中毒死は金策・軍総司令官ガス中毒死事件(1950年代)の応用 by恵谷治
  • 招待所の暖房に石炭は使用しない by地村富貴恵
  • 洪水があった場所を埋葬地として、それに合わせて死亡理由を創作したと考えれば腑に落ちるby恵谷治
  • 田口さん、有本さん、石岡さん、原さん、松木さんは拉致ではないということなのかby西岡力

北朝鮮は大韓航空機爆破も金賢姫も李恩恵も一切認めず、「よど号」犯グループ関与についてやはり一切認めず。有本さん、石岡さんの子供は2人の「娘」。3人で石炭中毒死したこと以外は言及なし。金正日が明言した拉致事件関係者の特殊機関の具体名は一切明らかにせず。早い話日本側が納得できるものではない。

③ 松木さんの「遺骨」


 松木薫さんの墓は、「洪水被害で流された」とする一方「最近の調査委員会による調査で遺骸(いがい)が発見」されたと明記。しかし、火葬の習慣自体がないのにもかかわらず、見つかった遺骨は「よく燃えていなかった」との理由で再び火葬されており、調査団に随行した専門家は「遺骨は2回も火葬されており、DNA鑑定はほぼ不可能」と判断した。東京歯科大の橋本正次講師(法人類学)により、上あごの骨の一部を独自に調べるという骨の形から鑑定する方法を用いた結果、60歳以上の高齢の女性のものと推測され、松木さんの遺骨とは考えられないと結論づけた。

④ 生存者5人のビデオ


帰国直前の昨年十月、政府調査団が北朝鮮で撮影したビデオで「北朝鮮に来てほしい」と日本の家族に向けて話していた

地村保さん:向こう(北朝鮮)では帰国したいとは絶対に言えない。質問するのは酷だと思う。『会いたい』と話す保志と富貴ちゃんの寂しそうな表情が、私には『日本に帰りたい』と訴えているように見えた

浜本幸雄さん:(富貴恵は)涙をぼろぼろとこぼすんですよ。早く帰りたいという一言が言えないんですよ。異常ですよ。悲しいですね。十五日まで時間はある。家族全員の帰国を粘り強く求めていく。ほかの人たちも、このまま片づけられてはいけない。国交正常化交渉再開なんてもってのほかだ

5人を返すべきだと言っている人達はこうしたご家族の気持ちや発言内容がわかっているのだろうか?こういう人たちは、間違いなく、北朝鮮の異常性を告発した書籍を読んでいない。

10月9日、交渉で5人の「一時帰国」が決定


蓮池薫さん、奥土祐木子さん、地村保志さん、浜本富貴恵さん、曽我ひとみさん帰国 10月15日


 1978年、北朝鮮に拉致された福井県小浜市の地村保志さん、浜本富貴恵さん夫婦と、新潟県柏崎市の蓮池薫さん、奥土祐木子さん夫婦、同県真野町の曽我ひとみさんの計五人が15日日午後、羽田空港に到着した政府チャーター機で帰国、24年ぶりに家族と感激の再会をした。
 5人とも子供や夫を北朝鮮に残しての一時帰国。中山恭子内閣官房参与は平壌空港で、キム・ヘギョンさんや曽我さんの夫のジェンキンスさんとも会った。ジェンキンスさんは「日本に行くのは難しい」と話した。キム・ヘギョンさんは「私も早く祖父母に会いたい」と朝鮮語で話した。5人は15、16の両日、東京都内のホテルに泊まり、被害者の家族が肉親の消息を尋ねる機会も設けられた。帰国直後、家族を残してきたという事情を配慮し、報道陣からの質問は行われず、5人は一言ずつ述べた後、約5分間で退席した。

曽我ひとみさん:とても会いたかったです

浜本富貴恵さん:皆さんに会えてうれしいです。本当にありがとうございます

地村保志さん:本当に長い間皆さんに心配かけました。本当にありがとうございました

蓮池薫さん:皆さまに本当にご心配かけました。両親の元気な姿を見て本当にうれしい限りです

奥土祐木子さん:長い間本当にご心配かけてすみませんでした。本当にありがとうございます

 5人はやっと日本に帰国できたが、今度は次の問題が待っていた。今回の滞在中に北朝鮮の子供も帰国させ、永住帰国の実現を家族は求めていたが、当の5人は「自由往来」を望んでいた。家族は、5人を北朝鮮に戻さないよう求めるとともに、今回の日本滞在中に子どもら家族全員の帰国を求める申し入れ書を提出した。「子供を北朝鮮に残したままでは、5人は意思を示せない」家族はそう考えていたからだ。
 政府は24日、福田康夫官房長官が「5人の拉致被害者が家族を含めて自由な意思決定を行うための環境設定、特に家族全員の日本への帰国が不可欠かつ急務」と緊急記者会見で発表し、5人家族も日本で永住帰国を前提で滞在を延長させた。
 日本と北朝鮮との国交正常化交渉が29日、クアラルンプールの日本大使館で再開した。日本側は帰国した拉致被害者五人の永住決定を受けて北朝鮮に残る被害者家族全員の安全確保、早期帰国の日程確定を求めたが、北朝鮮側は「五人を戻す約束を破った」と非難し、五人を戻して家族と相談させるべきだと主張した。
 11月5日、5人は自ら「日本で子供を待つ」と表明した。帰国当初5人が付けていた金日成バッチは、既に外されていた。

① どこの国民かわからない中年じゃなくて、20歳の薫を返してくれ!


「我々は朝鮮から国交正常化のために来た使節団だ。正常化すれば、自由に行き来できる」
「俺がここに来たのは朝鮮公民としてだ」
「俺は無効で日本が過去にやってきたことを肌で感じた。自分でも勉強したし、招待所でもたくさん話を聞いた」

 10月16日夜、薫さんは兄透さんに次々と衝撃的な言葉をぶつけてきた。「薫は朝鮮人そのものになっているのかな。これは大変だ」透さんはそう思った。他の拉致被害者のことは語りたくないが、横田さん夫妻には会いたいと言っていた。「薫は北朝鮮から特別な使命を帯びているのか?」そう思った透さんは、それを記者会見で言った。「何であんなことを言うんだ!」このことで薫さんが突っかかり透さんと口論になった。それから、「俺は朝鮮公民である」という薫さんと透さんは毎日ぶつかり合った。その有様を見た母ハツイさんは「死んでやる」とまで叫んだ。
 21日夜、新潟県柏崎市の蓮池薫さんの実家に幼なじみ4人が集まった。透さんも加わった席で「今日はおまえを帰さないために来た」と宣言、説得を始めた。「とにかく一度子供を連れて帰ってこい。24年前に戻って判断しろ。それでも北朝鮮に行くのなら仕方がない」。友人らは薫さんを囲み懇々と説いた。説得は22日午前2時まで続いた。23日、引き続き説得は赤倉温泉で行われた。
 頑なに「朝鮮公民」だった薫さんが変わったのは、薫さんの親友、丸田光四郎さんの必死の説得によるものだった。「これでもう会えないっていうのかよ」。「いいか、北朝鮮に戻っちゃダメだぞ。・・・・・・・俺は30年間泣いた事がなかった。いいか、絶対に戻っちゃダメだ」
 「俺、腹を決めたよ。もう戻らないから。俺らは日本で子供の帰りを待つから」24日、帰国して10日めのことだった。

② 政府ではどうだったか?



 「私たち夫婦も日本に残ります。残って子供たちを待ちます」

  10月24日午前9時半過ぎ、首相官邸の官房副長官室。中山恭子参与の周りには、安倍晋三官房副長官、田中均外務省アジア大洋州局長らがいた。その時北朝鮮による拉致被害者の対応にあたる中山参与の耳に携帯電話が鳴った。声の主は蓮池薫さんだった。電話の内容を聞いた安倍官房副長官は、「責任は政府が負いましょう。政府の意思で5人を北朝鮮に返さないと決めましょう」と宣言した。

 10月23日午前10時。その日の早朝、被害者家族らから5人を北朝鮮に戻さぬよう求められた安倍官房副長官は、首相官邸の自室に鈴木勝也日朝国交正常化交渉担当大使、田中アジア大洋州局長、斎木昭隆参事官、平松賢司北東アジア課長、谷内正太郎官房副長官補、中山参与を集めた。

安倍:5人を返さないという選択肢も考えたい。
中山:本人の意思はまだ申し上げられませんが、安倍さんの言う通りです。
田中:北朝鮮はキレやすい相手だ。そこを考えて欲しい。

議論は平行線だった。同日これ以外のやり取り

安倍:5人を北朝鮮に戻したあと、日本に再帰国する保証はあるのか。
田中:・・・・・・・
安倍:5人を北朝鮮に戻し、もし二度と日本へ戻って来なかったら世論を抑えることができない。そもそも拉致は国家主権の侵害だ。北朝鮮へ5人を戻すことを論理的にどう君は説明するのか。
田中:外交には段取りがある。5人が残ることを前提に交渉してきていない
田中:5人を戻さなければ、私の交渉のパイプが維持できない。

翌10月24日午前9時半。安倍の執務室に田中、斎木、平松、谷内、中山が顔をそろえた。

田中:一つ一つ信頼を積み上げてきた。ここで5人を戻さないとすべて崩れる。

中山参与は、すでに安倍官房副長官らには伝えていたが、ここで初めて地村保志・富貴恵夫妻、曽我ひとみさんの日本残留の意思を田中アジア太平洋局長に明かした。

田中:それは困ると言っている。私と先方の信頼関係はどうなるのか。何とかしてもらえないか。
安倍:本人がとどまると言っている以上、日本は自由な国だから強制的に送り返せるわけがない。彼らが自由に意思を表明できる環境を作る責任が我々にはある。
中山:今は被害者の意思を表に出すべきじゃない。国の意思として5人を日本に残すと言いましょう。批判は我々が受けましょう
谷内:私もそう思う。
平松:いやあ、困りましたねえ。
安倍:田中さん、5人の帰国はあなたの『信頼関係』のおかげかも知れないが、もはやソフトランディングは成立しない。まさか、外務省が勝手に連れ出すわけにはいかないでしょう。

 田中アジア太平洋州局長は顔を真っ赤にし口を結んだ。その時蓮池薫さんからの携帯電話が鳴った。水面下で北朝鮮との「信頼関係」を重視する交渉をしていた田中局長は「北朝鮮政府は5人に『家族も連れて帰ったらどうか』と聞いたが、5人が『子供に日本人であることを話していない』と断った経緯もある」「すべて合意ずくで進めなければいけない」と強調し、小泉純一郎首相も当初はこの方針だったとされる。しかし谷内官房副長官補の報告を受けて小泉首相は「よし、それで行こう!」と田中均路線をあっさり捨てたという。そういうことで5人には日本に留まり、家族を日本へ戻すという方向で話がまとまった。


北朝鮮の揺さぶり~キム・ヘギョンさん、曽我さん家族のインタビュー


曽我ひとみさん:めぐみさんと同じ招待所で生活していた。
地村夫妻:子供が同じ幼稚園に通っていた。
蓮池夫妻:乳母車に赤ちゃんを乗せ、夫と散歩しているのを何回も見た

 五人の被害者が、帰国直後に語った「93年に死亡した」ことを補強するための情報だが、この一件以降北朝鮮に詳しくなった人達は「死んだと思わせるために指示されているのだろう」と思っていた。案の定、北朝鮮側から横田めぐみさんの両親を早期に訪朝させるよう指示を受けていたことが03年2月に分かった。5人は帰国直前の昨年十月、政府調査団が北朝鮮で撮影したビデオで「北朝鮮に来てほしい」と日本の家族に向けて話していたが、これも北朝鮮側の指示だったことがすでに明らかになっている。そのよう中、DNA鑑定でキム・ヘギョンさんがめぐみさんの娘であると判明するが、その直後の25日、北朝鮮が指定した条件でフジテレビ・朝日新聞・毎日新聞により、悪名高いキム・ヘギョンさんへのインタビューが行われた。

こちら>http://www34.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/44.html
さらに、11月にはJNNによる、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんへの単独インタビュー、その後週刊金曜日によるジェンキンスさん+娘2人によるインタビューが行われた。
こちら>http://www34.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/45.html


5人の家族帰国&来日


① 第二次小泉訪朝と蓮池・地村夫妻の子供達の帰国 04年5月22日


 5人の帰国後の「帰す返さない」の件で、日朝間は膠着したかに見えた。しかし、水面下では田中均の政府間ルート以外に、ジャーナリスト若宮清氏を仲介として平沢勝栄議員との極秘接触(これは超党派からなる「拉致議連」の事務局長の立場で・・・とか売名行為とか批判された)発展した山崎拓ルートが誕生、さらに飯島秘書官と朝鮮総連のさる人物との間での飯島ルートによる3元外交になっていた。04年4月28日夕方、首相執務室に福田・田中均を呼び、飯島ルートの採用を伝えた。

 小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記の首脳会談は2004年5月22日、平壌市郊外の大同江迎賓館で約1時間半行われ、拉致被害者家族8人のうち、5人の帰国が決定した。拉致被害者家族5人は22日夜、政府専用機予備機で羽田空港に到着、1年7カ月ぶりに両親と再会を果たした。小泉首相は首脳会談で、拉致被害者家族の帰国など一定の進展が図られたと判断。人道的見地から国際機関を通じ、25万トンの食糧支援、1000万ドル相当の医薬品支援を今後1、2カ月をめどに実施する方針を表明した。両首脳は国交正常化交渉再開で基本的に合意、事務当局間で協議することで一致した。

 小泉首相としては5人の家族8名の帰国を最重視したようだが、国内で待つ家族らを満足させるものではなかった。しかし、「マスコミに全面オープンにしろ、俺はは最後に1回だけ質問に答えるから」と、午後10時赤坂プリンスホテルでの説明会(会見?)に臨んだ。そして拉致被害者家族から「予想した中で最悪の結果、平壌宣言の履行に重点が置かれている」、「子供の使い」、「金正日に2度も騙されて、総理はプライドがあるのか?」と厳しい批判が飛ぶ中、小さな声をかすらせながら「私はプライドよりも、1日も早く家族が一緒に暮らせるようにすることが私の責任だ」と耐える小泉首相の姿が何度もテレビで流れた。そのため一時的に家族側へ凄まじい批判が寄せられた。


② 曽我さんの子供達の帰国、ジェンキンスさん来日 04年7月18日


  曽我ひとみさんの夫で元米兵のジェンキンスさんは来日に難色を示した。それは自身が脱走兵で、アメリカの処遇を恐れていたのもあるが、日本政府こそが曽我さんを引き離したと思わされていたからだった。小泉総理が直に説得したものの、脅されていたので来日の意思を示せなかったとジェンキンスさんは著書に記している。北朝鮮側は「曽我さんを北朝鮮に連れ戻すため」ジェンキンスさんが第三国で面会することを認めたのだが、当初の候補地だった北京では自由意志で話せないだろうから曽我さん自身の希望でインドネシアに変更した。
 2004年7月9日午後5時(現地時間)、全日空チャーター機がインドネシアのジャカルタ空港に到着。曽我ひとみさんは、手すりに手をかけて降りてきた夫ジェンキンスさんを迎え入れ、激しく抱き合い口づけをした。右手でジェンキンスさんの顔に手を当てたまましばらく離れなかった。美花さんはグレーのハンカチで顔を押さえ、最後に降りてきた二女ブリンダさんを曽我さんは軽く抱き寄せた。インドネシアでの滞在中、一家は『日本昔話』や『ハリーポッター』を鑑賞し、ラーメンなどを食べた。
 一家は18日夕、日本政府のチャーター機で羽田空港に帰国・来日した。夫ジェンキンスさんは病気治療のため東京都内の病院に直ちに入院。

 5月の第二次訪朝の際、死亡とされた8人+入国不明の2人ついて北朝鮮に再調査をさせているが、未だに母ミヨシさんに関しては何もわかっていない。



5-政府間交渉



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