広末涼子早大入学騒動

浪人で社学や・二文に落ちて仕方なく明治辺りにいった奴はさぞかし辛かっただろうなwwww


1-あらまし


① 1998年 前史;早稲田大学教育学部に内定か?


5月頃、早稲田大学で「広末涼子が来年教育学部に入学するぞ」という情報が漏れる

7月に週刊誌に掲載。その後、模試の成績表を入手したという記事が週刊誌に掲載され、大学外でも騒然となる

11月25日、広末は早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格。入試が行われる以前から「某教授」が入学を明言していた事や、高校時代の成績が雑誌にさらされたことで「これで推薦はおかしい?不正入学では?」とみなされ、ワイドショーや週刊誌など大騒動に発展、さらには祝電ブッチホン(当時の首相故小渕恵三氏の電話)まで頂く始末。それに伴い男関係の報道も。


② 1999年 祝入学


4月1日 野次馬・早大生、そして明治・青学・立教・中央・法政大生(これらは早稲田に落ちたらいく学校)や浪人生らが注目する中、早稲田大学に入学するこの日を迎えた。しかし、本人は入学式などすべて欠席。さらに授業に一度たりとも出席しなかった。

6月26日 ついに広末が大学に「初登校」する。大勢の学生やファンやマスコミが集まり騒然となった。この件について広末本人がラジオで登校宣言し、所属事務所が各マスコミに登校予定時刻を知らせるファックスを送付、登校当日に雑誌インタビューという完全な演出であった。さらに「初登校シーン」はうまく撮れなかったためやり直しをする。『広末入学実行委員会』と称して、得意そうに広末をガードし、群衆をかき分けていた学生たち。教室間の移動中に「体に触れたり頭をたたいて髪を引っ張ったりした学生がいた」というのも実は井上公造だったという・・・・・・(by掲示板上の書き込み)。さらに、事務所が意図的に騒がせたくせに、この時大騒ぎを後の不登校の理由にしたのだ。

この世紀末を飾るに相応しい茶番劇+週刊誌における広末自身の舐めたようなインタビュー記事により、朴訥・清純とされていた(意味不明な)好感度は失墜する。


③ 映画「WASABI」 号泣会見 2001年5月1日


 2001年5月1日(火)、帝国ホテルにおいて「WASABI」の製作発表記者会見が行われた。主演のジョン・レノ涼子、ジェラール・クラヴジック監督、製作・脚本のリュック・ベッソン、共演のミシェル・ミューラーの5名が出席。
広末は「ジャン・レノさんはパパみたいです。同じ芸術を作る素晴らしい方々と巡り合えて、とても幸せです。これまでと違う涼子が見られると思います。」と語り、他の共演者の印象を聞かれ「みなさん見ての通りの方たちで、すごく優しくて、楽しくて、作品に対して情熱的で、私はとにかく幸せですね。」と答えた。しかし、広末は今回の映画のためにフランス語を猛特訓、フランスで1ヶ月のホーム・ステイを行ったほどで、記者会見の途中、その努力をジョン・レノに認められて涙する中、感極まってか以下の言葉を発して騒ぎに。

「最初は夢をかなえるのと、自分を守ってくれる人たちのためと、なんとなく負けん気でした。でも、こういうことは勝ち負けじゃないし・・・。(4月のパリロケについては)エピソードはないです。すべては結果が過程を導いてくれるものです」

「今こういう風に敬語をきれいに使えてるのは両親のお陰だと思うし学校のお陰だと思うし、でも友達と話す時は汚い言葉だし、汚くないんですけど(笑)、それもナチュラルで正しいし間違ってないと思うし、このカメラがたまに怖いと思うことがあったり、嫌いだと思うことがあったり、大好きなのに・・・でも、どっちも正当なんだよと教えてくれたのはこのみんなでした」


ジャン・レノ(グフフフ、ナタリータソとどっちがいいかな~)

その後、奇行が度々週刊誌等で取り上げられる。

バーニング云々とは関係なく、当時のドラマ「できちゃった結婚」(今から考えると凄いタイトルだな^^)での枯れた声は異常でしたな。


④ そして早稲田を退学へ 2003/10/07


 2003年(平成15年)10月7日 早稲田大教育学部を自主退学することをホームページで明らかにした。既に大学側へ退学届を提出しており、所属事務所は「学業と仕事を両立すべくスケジュールをやり繰りしたが、中途半端な結果を双方に残したくない」と理由を説明している。早大広報課によると、自主退学は学部教授会で協議されるが、本人の意向が尊重される。広末本人は「女優としてお芝居を続けていきたいという思いと夢を大切にしていきたい。『大学生活』に感謝します」とコメントした。

12月13日 岡沢高宏氏と交際中で妊娠しているじゃね?と報道
12月15日 モデル兼デザイナーの岡沢高宏氏と交際中で妊娠していることを会見で本人が認めた

結局、芸能人推薦枠により「機会の均等」を歪めてまで入った大学を勉強できずに、しかも妊娠のために辞めた。この後結婚して長男を産んだが、やはり離婚!


広末さんが早大退学へ 両立あきらめ、女優専念
広末涼子さんが報告会見へ 「結婚、妊娠」について
広末涼子さんに男児誕生

2008年3月13日 子ともに健康広末涼子さんが離婚 ホームページで発表


⑤ そして再婚、あろうことか再びデキ婚!


2010年10月8日 - キャンドルアーティストのCandle JUNEと再婚。
2011年3月22日、公式サイトにて次男の出産を発表。





2-雑誌の流れ


漏れが概要を書いとく。ゴシップは話半分で読みましょう  ※()はお相手


『週刊新潮』1998/07/16 学生が反発するアイドル広末涼子「早大内定」情報


 きっかけは、98年(6月!)にさる教授が「広末が入ってくるぞ」と漏らしたという。「もし名前を出して受験者が増えれば私は落ちるかもしれない。だから志望校はナイショです」と本人は言うが、早稲田の男子学生は「教育学部に特別推薦枠での合格が内定していた。この職員から漏れたと言う情報で、学内は騒然としている」という。「一般受験者を愚弄すると怒る学生も多い」(同)。事務局は「たとえ彼女が何らかの推薦を受けたとしても、他の受験者と同様の審査があるので不公正ではないと思います」

純粋一般受験生からすれば、芸能人推薦であるヒロスエは論外だが、推薦・帰国枠・内部進学も合法的だが不公正な感じがしますね。あと、英語圏で暮らした奴が慶應SFC(英語+論文)を一般受験というのもセコイなと・・・。


『フォーカス』1998/08/19 彼のアパートでお着替「広末涼子」マジで恋する8時間(MITSUU)


 7月下旬の某日世田谷区、忙しい彼女が手土産に寿司を持ち、 貴重な時間を割いて尋ねてきたのは古い木造アパートの一室であった。そしてそのまま部屋にこもること8時間。彼女がアパートを出た時間は午後10時をまわっていた。が、ここでもう一度彼女の2枚の写真を見比べてみる。われわれは彼女がTシャツを着替えていたことを発見するのだ!「二人が知り合ったのは四月、広末のプロモーションビデオの現場。その恋人役としがMITSUU。海辺で二人がじゃれあうシーンがあって、なかなかいい雰囲気。彼は広末を仕事場を明るくする女の子だと凄くほめている」(事情通)。

広末:なんで手土産がお寿司になっていたのかってこと。ふつうこの年代でお寿司なんてかわないと思いません!?。(Tシャツについてはコメントなし)


『週刊現代』1998/09/26 広末涼子 模試データ流出!?「ホントの偏差値」

英語は40台前半、国語、日本史ともに50台ギリギリで、総合は40台半ばとなっている。
全文


『噂の真相』1999/02 広末涼子 不正入学疑惑の真相!


 広末サイドにはかなり早い段階で「早稲田に決まった」とはっきり口にしていた人物がいる。現在、叔父の家に居候している広末の家庭教師である従兄である。従兄が友人に「涼子は早稲田に決まったよ」と話をしていたというのだ。週刊誌記者がこう話す。「この従兄はMクン(=カズくん)といって、今春、通産省キャリアに就職内定している東大生なんです。やはり6月くらいかな。Mクンの東大の友人から彼がそう喋っているというのを聞いて、本人を取材したんです。案外いろいろと喋ってくれましたよ。もっともその後は、噂になったためか、彼も一切取材に応じてくれなくなりましたけどね」

『フライデー』が前述の恋人・MITUUとのデート現場を撮ったときのエピソードだ。なんとこの時、広末の事務所のチーフマネージャーIが編集部に記事の差し止めを懇願する電話をかけてきて、こう持ちかけたというのである。「かわりに(広末が)入る大学の名前を流しますから。実はもう決まってるんですよ」『フライデー』記者がこう証言する。「その話は事実ですよ。担当のSデスクが編集部で『冗談じゃねえ!ヒロスエがどこに入るかなんて関係ねえ!』と怒鳴っていましたからね(笑)。よく覚えています」


 渡辺重範教授のゼミ「社会科学基礎研究Ⅱ」の受講生がこんな証言をしてくれたのである。「97 年の終わりぐらいからかな。教授は授業でよく『(教育学部に)もうすぐ歌手が来ますよ』と発言していたんです。それで、6月くらいに一人の学生が『広末が来るんですか?』と質問したんですね。すると教授が『来ますよ』とハッキリ答えた。ええ、『受けますよ』でなく『来ますよ』と。直接、聞いたんだから間違いないですよ」

 「おそらく漆さんが話をつけたんでしょう。1年くらい前に渡辺学部長にある会合で会って、依頼したと言われていますね」。「漆さん」とは、広末が通う品川女子学院の理事長兼校長である漆邦臣のことである。品川女子学院の創設者一族である漆家の娘婿にあたり、ヤリ手学校経営者としてつとに知られる人物だ。何しろ、86年に同校の理事長に就任するや、校名変更、校舎の建て替え、制服のモデルチェンジなどといった露骨なまでの志望者獲得の施策を次々と打ち出し、それまで無名だった品川女子を都内でも有数の人気校に仕立て上げてしまったのである。しかしだとしても、一高校の理事長になぜ、早稲田と「話をつける」力があったのか。ここにその漆理事長が編著者を務めた本がある。タイトルは『今、中学・高校教師に望むこと』。
この本をめくっていくと、ある人物が巻末に論文を掲載していた。他でもない、前学部長の渡辺教授である。ようするに広末の通う高校のオーナーは早大教育学部の学部長と論文を寄稿してもらうほど懇意な関係だったのである。いや、学部長だけではない。漆理事長は教育学部全体に太いパイプを持っていた。早稲田大学には教育学部の卒業生だけで組織される「稲門教育会」という組織がある。この「稲門教育会」、卒業生の進路の修繕や寄付金を集める会として76年に発足したいわゆる OB会なのだが、今も教育学部に絶大な影響力を持っているという。そして漆理事長自身も早大教育学部の卒業生で、この「稲門教育会」の常任理事を務めているのだつまり、今回の広末入学は漆理事長がこうした力を背景に、教育学部にねじ込んだのではないか。



『フライデー』1999/03/19 広末涼子と「新恋人」の熱烈バイク二人乗りデート現場(伊勢谷友介)


2月上旬のお昼過ぎハマっ子が親しんでいた伊勢崎本町モールを、満面の笑み を浮かべながら”イセブラ”するおしゃれな美男美女3人組。ランチタイムの後は映画『ユーガットメール』そして250ccのオフロードバイク後ろに乗り、ママに「バイバイ」と手を振って走り出す。「普通の友達。知り合ったのはだいぶ前、仕事で一緒だったんだ」と話す伊勢谷。「あれはあの時必要以上にかかれたでしょ、今度は変に書かれたくないから。お母さんが一緒にいてくれることで」(同)。

横浜市民だったが、”イセブラ”なんて聞いたことないな

広末:撮られたことが大変だったって言うよりも、映画館がどこかわかんなくて大変だった


 99年4月3日 早稲田大学入学式欠席、学科ガイダンス、クラス会、5日の科目登録もすべて欠席


『週刊ポスト』1999/05/28 広末涼子 新たに発覚した「学籍問題」で早大当局が重大発言!


一部には「そもそも自己推薦入試が陰謀だった」という怪情報まで流れている。英語と日本史のテストはいつも平均点以下だった彼女が4.5というのはちょっと疑問が残る。



『週刊女性』1999/06/29 大学よりカレに夢中、気分は新婚生活 新居で同棲する男(伊勢谷友介)


 広末は大学入学後のゴールデンウィークに、横浜市内の叔母の家から都内の高級マンションへ引っ越し、そこで伊勢谷と同棲しているという。引っ越し先は都内の高級住宅街にある4階建てマンションの3階で、広さ100平方メートルもありそうな超高級マンションという。
http://www.zakzak.co.jp/geino/n_June99/nws3885.html


 99年6月26日 「初登校」


『宝島』1999/07/21 広末涼子“部屋”デート決定的瞬間撮った!!(伊勢谷友介)


 夜の闇に浮かぶ家。カーテンの隙間から見える堀の深い男性こと伊勢谷。なんと彼はパンツ一丁。おまけに、右側のショートカットは華奢な体下着まで丸見えな広末様じゃないですか?撮った新人カメラマンA「この日はドラマの撮影が大詰を迎えた6月中旬。深夜に及ぶ仕事を終え、彼の待つ都内某所のマンションへ帰宅したのが深夜2時半。その後1時間ほどで部屋の電気は消え、ろうそくの明かりだけになったんですけど・・・」イマドキの女子大生なら当たり前。だけど「同棲→大学中退→できちゃった結婚」なんて道は歩まないでくださいね。

 わっはははは。これリアルタイムで立ち読みしたけど、写真は米粒みたいなもんです。で何が面白いのかというと、もうこの記事から何故にこれだけヒロスエが叩かれたのか、そしてその後の展開が予見していたとおりだったということ。


『週刊ポスト』1999/10/22 芸大学園祭で見られちゃった 未成年広末涼子の喫煙現場(伊勢谷友介)


工事中


 01年5月1日 号泣会見


『週刊現代』2001/05/26 ヒロスエ号泣の原因はあの超大物監督 世界デビューエサに口説かれ


 ヒロスエが記者会見で号泣した原因は伊勢谷でもない、クラウジョウ監督でもない、リュック・ベッソンから熱心に口説かれたわけだ。映画雑誌記者「フランスのロケもヒロスエはベッソンから度々口説かれていたようなんです。そもそも二人の出会いは昨年の10月『ジャンヌ・ダルク』の上演記者会見パーティーのステージで、彼女から花束をもらったベッソンがいきなり彼女にキスして『僕の映画に出て欲しい』と口説いたのです。起用が決まってからも、打ち合わせで来日した際、『キミみたいな輝く女優に出会ったのは初めてだ』『2人きりになりたい』とツーショットを楽しむこともあったよう」。映画配給会社の関係者「恋人のことも思いながらも、ベッソンの思いも無碍に出来ないと板ばさみになった故の涙。女優として少々壁にぶち当たっているのも事実。国際的女優に羽ばたいていくためには、ベッソンの求愛に答えるのも必要。そうしていくうちに大人の女を演じられるようになっていく」


『フォーカス』2001/05/30 号泣の次は「連泊愛」広末涼子の制服審査 今度はマスコミ締め出し(専門学校生)


工事中


『週刊ポスト』2001/07/06 号泣の次はカーチェイス騒動!広末涼子は「新プッツン女優」!?(金子賢)


工事中


フライデー』2001/07/20 広末涼子は朝帰り→タクシーただ乗り150km プッツン大奇行(金子賢)


6月下旬

金曜午後11時過ぎ港区のクラブ「M」から出てくる

2時金子賢が迎えに来る
4時 金子のマンションへ
5時 タクシーで渋谷の自宅に帰宅後5分でタクシー、アクアライン・国道127号走る
8時ごろ 白浜フラワーパーク到着、ところが所持金ゼロ→ドライブインの食堂の、その場にいた夫婦に借りる→ファンと食堂で大声で歌う携帯の電波探しで動き回る
10時 一行にスタッフ来ない、実は撮影予定が中止になったことを忘れていた

という煽りは一級だがたわいもない話


『週刊現代』2001/07/21 早大3年広末涼子「出席ゼロ」のふざけた行状!


広末涼子が早稲田に入学して、もう3年。だがいまや全く大学に姿を見せていない。彼女の場合は早稲田というステイタスだけが欲しくて入学したとしか思えないですよ。



『週刊朝日』2001/07/27 広末涼子 肌荒れ 声がれ 髪抜け プッツン真相




『フラッシュ』2001/07/31 麻布スキップ


いつものクラブ「M」店内のブランコにまたがりひとしきりおおはしゃぎ、その後モデル風の男と外出し、彼の帽子をクルクルしてあさぶをスキップ


『フォーカス』2001/07/25 強制入院?広末涼子と二人の男 舐める座る着替える泣く(金子賢、村上淳)


 『出来ちゃった結婚』の撮影現場で遅刻が多すぎる上「反省の色もなくリハーサルでも携帯を切らず、『今仕事だよ~』なんて調子で平気で電話に出る様子。目下現場は「このドラマを最後まで撮影できるのか」(スタッフ)が深刻な問題となっている。「何が理由なのかは分かりませんが、あまりにも行動がおかしい。金子さんにしても、恋人というよりは保護者役を引き受けていると言う感じです。もはや現場では強制入院させるしかない。それが本人のためになるという声まで出ている」(同)。


『フライデー』2001/08/03 またまた広末涼子「真っ昼間の路上でスカート開けっ広げ」(金子賢)


 午後2時、二人の友人らしき男に迎えられて現場入り。助手席から降りたらスカートの腰のボタンが外れている。それに気づいた彼女はそれに気づいた彼女は、おもむろにボタンを緩め、さらに今度は人目もはばからずスカートの中に手を突っ込む。ずれた下着を直しているようだ。


『フライデー』2001/08/10 広末涼子「深夜の渋谷ラブホ街を徘徊2時間」次々に別のオトコと (???)


タンクトップにブーツカットのパンツ、ウェスタン帽をかぶったワイルドな男とラブホ街を散策する話


『噂の真相 』2001/09 広末涼子プッツン奇行癖の”真相”


 広末のあの異常にハイな状態、意味不明な言動、異常な体力……。あの様子をみたら誰でもまず〝クスリ〟を思い浮かべるはず。そして何よりも決定的なのは、広末が現在つき合っている男、金子賢の存在です。実は金子賢はもっとも〝クスリ疑惑〟が絶えないひとりで、金子賢と広末の奇行がまったく無関係だとはとても思えないんですよ」「以前はそういった〝クスリ〟で女を酩酊させ、六本木交差点に素っ裸で放り出したというエピソードまである。現在でも当時の遊び仲間とつるんでは悪さをしているし、たぶんクラブの遊び仲間は誰も金子賢を芸能人とは思ってないんじゃないかな。相も変わらず酒・女・クスリに夢中の、ただの不良という認識だと思う」「金子は広末に『いいダイエット薬があるから』と言って近づいたらしいんです。『アメリカの合法モノだから心配ないよ』と――。広末が金子にベッタリとくっつくようになったのはそれからで、以降、奇行ぶりまで目立つようになった。
 実際3年前、あらゆる関係者を巻き込んでまで早稲田大学教育学部入学にこだわったのも、東京芸大出の伊勢谷に「学のない女とは付き合いたくねえよ」と言われたのがもっとも大きな理由だという。ところが今年2月から3月に別れ話が浮上するのだ。映画『WASABI』の撮影直前、フランス語を急ピッチで覚えなければならないというのに。この後金子賢との付き合いが・・・・・・。



『週刊現代』 2001/09/08 いしだ壱成「逮捕」であのプッツン人気女優の名が!


工事中


『週刊ポスト』2001/11/16 広末涼子撮った!「新しいオトコ」に通い妻(岡沢高宏)


01年10月25日午後2時前、新宿区内にあるマンションの一室から、一人の男性と。この日午前11時過ぎ、渋谷区内の自宅マンションを出たヒロスエのには、弁当箱の入った小さな手さげかばんが握られていた。そして11時30分。7・8号のユニットバスつき家賃一月8万6千円のワンルームマンション。借主はこの男A氏26歳。181cm。広末は『wASABI』の公演に合わせてこの直前まで渡仏、15にも上る取材をこなして帰国したばかり。舞台稽古が始まる前の休日をA氏と過ごしたのだ。マンション付近のコンビニ店員「3週間前の深夜0時過ぎ、2人でいらっしゃいました。ベージュのロングコートにキャップを目深にかぶる。店内で腕を組んだまま客を気にせず酒を買いました」。広末宅近所の住人「よく一緒に出てくる。広末が後ろにしがみつくように腕を組んで歩く」。広末の親しい友人「A氏はかつて熱を上げた金子賢の友人、金子に振られた後紹介される」


『週刊新潮』2003/05/08 ワセダを4年で卒業できなかった「広末涼子」の成績



もう特別視する必要がないので一般学生なみに扱い、卒業させなかったのは当然だった


 03年10月 ついに退学へ


『週刊文春』2003/10/09 ついに休学 広末涼子 同級生が告発する呆れた授業態度


休学で在学期間を延ばしに延ばし、『結婚』など差しさわりのない理由で自主退学する……という戦略ではないでしょうか。



『週刊新潮』2003/10/30 早大退学の原因は「男遊び」だった広末涼子


先に提出した長期休学願が大学当局に却下され、進退窮まっての結論だったが、女優業が多忙のためとは、おこがましい。



3-夕刊紙


概要紹介

『夕刊フジ』 99/4/15 幽霊広末に大ブーイング 「ブランド欲しかっただけ」


人気アイドル、広末涼子(18)が入学した早稲田大学教育学部の授業が15日からスタートしたが、広末はCM撮影のため欠席した。広末は入学以来、未だキャンパスに姿を見せておらず、学生たちからは「忙しいのはわかるが、初日くらい出席するのが礼儀。勉強する気があるのか」と、ブーイングの声が大きくなり始めている。
 一部学生の間からは「はじめから出席するはずはないと思っていた。真剣に通学するつもりならいいが、その気がないなら人騒がせなだけなのでさっさとお引き取り願いたい」と厳しい意見も。また、同学部の女子学生は、「広末は早大生というブランドが欲しかっただけじゃないの。売名行為みたいなもの。推薦入学なんだから、大学側も広末が授業に出れるかどうか、確認してから合格させるべきだったのではないか。これでもし単位が取れるんだったら、みんな怒り出すでしょう」などと怒りをあらわにしていた。


『夕刊フジ』 99/6/15 広末同際発覚で清純派イメージ崩壊


 清純派イメージ崩壊の危機-。早稲田大学に入学以来、一度も授業に出席せずに「なんちゃって大学生」と化している人気タレントの広末涼子(18)に15日、同棲スキャンダルが発覚した。相手は以前からウワサされていたモデルの伊勢谷友介(22)。熱愛報道は以前もあったが同棲は初めて。欠席続きの大学生活と合わせて完全にイメージダウンとの声もあり、好感度は急落している。
 同研究所の関根建男代表は、同棲発覚に「学校も行かないで男と同棲していたというのは最悪の状況。広告業界が清純派として期待しているのを裏切った。いくらタブーが少なくなっている今の日本でも、これでは業界の評価は厳しい」と言う。同研究所がまとめているCMタレント好感度調査では、新年度向けに大量にCFが流れた3月の調査では全タレント総合で7位につけた好感度が、5月調査で授業欠席が響いたようで59位に急落。


『夕刊フジ』 2000/10/24 早大生ヒロスエが倉木麻衣に一言


 また広末は、先ごろ立命館大学産業社会学部に合格した歌手の倉木麻衣(17)について聞かれ、「(仕事と勉強を)好きになることが大事。好きなものに関してはがんばれると思います」と“大学生芸能人”の先輩として温かいアドバイスを送っていた。

失笑モノだな。勉強も卒業も、そして「言葉」も好きになれなかったんだろうか?それで倉木麻衣は変な親父に悩まされながらもちゃんと卒業しますた。なんというかさ~ヒロスエには言われたくはねーよ! 



4-広末書籍


 うん、意外とおっさん臭い人だと思いましたが、これは本人の地なのか、ゴーストライターの個性が出ているのかはよくわからなかった。しかし、こんな特別扱いで入った奴が「受験のなんたるか」を語るくだりは最高に不愉快なものだw

『HIATARI RYO~KO~』 99年8月 ワニブックス


  • さらに、私のクラスってめちゃめちゃ頭がよくって、なんと平均点が85点。もうダブルパ~ンチで。ちなみに広末は何点だったかというと平均点ぐらいでした。 P11「試験はうっかりミス続き!でも広末、天才かもしれない!!」

  • 「何で大学に行きたいの?」とかきかれるんですけど、「とにかく行きたいんです!」みたいな。私がなぜ大学に進みたいかって言うのは、「大学という空間にいたいな」と思って。勉強はキライだけど、でも勉強をしてる自分はスキでし、結果よりも過程がスキなんです。それにやっぱり、仕事だけじゃダメだと思う。学校と仕事、どっちもあるからがんばれると思うんですよ。(中略)どんな大学がいいかは、今考え中です。わたしは別に女子大でもいいなって思ってるんですよ。なのにマネージャーさんが「共学で『あすなろ白書』みたいなことしたくないの?」とか言ってて。マネージャーなのにそんなこと言ってていいの!?って感じで(笑)。でも、みんなにあんまり受験受験って言われるから、正直「もうたくさん~!」て感じもあるんですよ。だから初詣に行ったとき、「毎日楽しく、大学合格!」って願掛けしてきました。  P139 「いよいよ受験生モードに。広末が大学に進みたい理由」


『広末』 99年10月


  • 例えばこの間、『週刊文春』で大学に行った日の騒動を「ふざけるなって思った」といったら、その「ふざけるな」にすごい反応が返ってきたみたいで。それはすごくビックリ。でも、ふざけんなっておもうでしょ?19歳の女の子があんなことされたら普通そう思うってことを、そういう気持ちは伝えたかったんだ、絶対。(中略)私はあの発言、悪かったとは思ってないのね。私は実際にそういう言葉を使ってるんだし、そんないい子じゃないんだから、これからは少しずつそんなイメージを自分から崩していかなくてはと思ってる。 P7「広末涼子は”いい子”じゃない」

  • 私が大学に行きたかったのは、仕事以外の場所を持ちたかったから。仕事と学校の二つを持つことでどっちかが辛いときは、どっちかが助けてくれて、いいバランスを保っていた。だから大学という新しい出会いを大切にしたいなあと思ったの。 P60「受験生にとって勝負の夏来る」

  • 遊ぶことだって大切なことだと思う。大いに遊ぼう、大学生! P102「新生活スタート。大いに遊ぼう、大学生!」

 オイオイ、みんなはこの「初登校」騒動が事務所側の自演だから、ケツ触られるほど混乱したので「広末ふざけんな」と言っているんだけどね。遊ぶことの正当性をひたすら訴えたいようですが、大学は一応勉強するところですよ。


『SKETCH』 04年3月 小学館


中退後のフォト&エッセイ。引用したのはこの騒動に対する述懐と思しき部分

  • 大学受験のときだった。早稲田の推薦入試に踏み切るかどうかを迷っていた高校3年の秋、思いがけないほどマスコミに騒がれることになった。切羽詰って、いっぱいいっぱいになっていた私を自由にしてくれたのも母の言葉だった。「今からこんなに大変だから、女子大にしようかな。そのほうが、入学してからも、いろいろな意味で安全で、いいんじゃじゃないか」と、弱気になっている私に「行きたい大学に行かないぐらいだったら、やめたほうがいい」と言ったのだ。(中略)「馬鹿にしないで。パパやママは涼子が大学に行こうが行くまいが関係ないわよ。涼子は、就職のために大学に行くわけじゃないんだから、進学するということに意味があるわけじゃない。早稲田だから行きたいと思ったんでしょ。それをやめるなら、進学をやめてもいいと思うよ」。その言葉が、当時の私には、耐え切れないようなプレッシャーの中で、リスクを侵してでも、自分のやりたいことをやってみようと決心するべく、背中を押してくれたのだと思う。 「ママの言葉」より

  • 誤解を恐れずに告白すれば、私、願いというものが悉くかなってしまうのだ。小さい頃から「こうなったらいいな」と思ったことは、本当に順調すぎるぐらい実現している。
 こんなことを言ったらしかられるかもしれないけど、数年前、仕事をすること自体がいやになったことがあった。今思えば、許容量を超えた仕事を抱え込んでしまっていたのだと思う。自分自身を束縛されてしまっているように感じてしまっていた。それなりに責任も感じているから、そこから逃げることもできない。「見られる立場なんだから」それまで励ましの言葉だった言葉だったものが、気がついたら重荷に変わっていた。自分が繋がっていることから、手を離してしまいたかった。「一時でも仕事が少なくなればいいのに」ある意味、傲慢かもしれないけど、そのときの私には悲願だった。そうしたら、本当に自分が望むメインの映画やドラマなどにだけ、仕事が絞られてくるようになったのだ。その目的のために、何か特別なことをしたわけでは、もちろんない。マスコミには、色々書かれたりもした。確かに周りから見れば、”落ちた時期”と受け取られたのもしかたないのかもしれない。でも、仕事を別にすれば、本当の私が、いい状態か悪い状態か、というのは本当に近くにいる人にしかわからないもの。
 ただ、仕事に関しては、ただ願っていただけ。表面的に見ればマイナスになることを”願えばかなう”と表現するのは顰蹙かもしれません。ただ、こうした結果になったことも、本当によかったと思えるのだ。 「願う力」 より


つまり、大学中退も、引っ込みがつかなくなって周辺の人間に後始末を丸投げしたということなのだろう。中退することも願っていたということである。しかし、この時代の平均的な凡夫にとって、もはや私立文系の大学は70年代のように左翼ごっこのような道楽のためでなく、就職条件を有利にするためという「生きるためにレッテルを貼ってもらうところ」であり、その受験費用は大抵親から捻出しているので、「早稲田(or慶応)に行けないなら進学を止める」というわけにもいかず、落ちたら明治・青学・立教・中央・法政が待っているわけである。


さて、いよいよまとめに入るか~

まとめ

 「試験はうっかりミス続き!でも広末、天才かもしれない!!」 このタイトルに、この騒動の原点、ヒロスエという人物がよく滲み出ているように思う。つまり陸上やった、学校楽しい、芸能活動してます、それで勉強も努力しなくてもできるんだという「他の凡夫どもとは違って自分は特別である」という万能感である。まあ、これは15~17程度の年齢において別に特別なことではないのだが、多くの凡夫は20歳前後で努力だけでは手に入らないものを知る経験=挫折をして、大人になっていく過程で万能感が消滅してゆくのである。早稲田のご学友にしても、99年当時、試験組の半分以上は浪人であり、国立併願者の大半は旧帝(ほとんど東大)・一橋・東工大落ちという挫折を味わっているのである。この他にも就職であったり、国家資格関連であったり挫折の種は色々あるはずだ。ところが、ヒロスエはこの万能感を伴うノリが大学以降も続いてしまった。その辺りは後年「願いが悉くかなってしまう」と述懐しているわけだが、この万能感と、大人としての現実のバランスが崩れかかったのが2001年なのだろう。

 この大学中退が本人にとって挫折になっているとは思えない。日本では「早稲田中退」がステータスとして成り立っているし、こうなることを願っていたとうそぶいてさえいるのだから。こういう構想を最初に考え付いたのはヒロスエ本人ではなく、むしろまわりの大人なのだろう。それに乗ったのはヒロスエ自身の意思だろうが。しかし、現時点で挫折になってなくても、芸能界での成功とは別の、まともな世界での非常に重要な「信用」を喪失してしまったことについて本人は気づいているだろうか?
 ところで「中学3年生時に、両親から芸能界入りの条件=学校のテストで成績が学年で1番になること、中部統一テストで5位以内に入ること、第一志望の高校の試験に合格することを提示されたが、寸暇を惜しんで猛勉強し、全ての条件をクリアした」という岡田有希子と比べると、この騒動がいかに情けなくひどいものであるかと思わざるを得ない(余談だが生前岡田有希子は大学に行かないと明言してた、確かその映像がつべにあるはず・・・)。また、芸能界に時間を割かれながらも自力で成城に入学したえなりかずきとは比べるまでもない。結局漏れが広末の本を読んで強く感じるのは「学歴に対する渇望」である。自分は高卒のくせに学歴話が好きなババアのノリである。もし広末に学力があれば、恐らく伝説作りのために岡田有希子のようにしたはずで、学年(いや、40人クラスで)10位程度であっても十分美談の一つになっていただろう。そしてその場合、大学には100%行かずに、この騒動自体なかったと断言できる。普通は嘘でも「文学を勉強するため」と言うものだが、広末の場合はそれすらうまく言い表せないほど学問に対する関心がないのだから、笑えすらしない。

 ではなぜそんな人間が早稲田大学に行きたかったのだろうか?この騒動で誰が得するのか、漏れにはよくわからない。色々な人の様々な憶測・推察があるし、ヒロスエ自身がこれに正確に答えられない可能性すらあるが、漏れはこう考えている。恐らく、中学時代の学業に対する不満があり、色々な要素があっても究極的には「悉く願いがかなった中でも唯一叶わなかった勉強に対する劣等感の払拭それだけのため」だったと。こう考えるとなぜ早稲田なのかというのも分かる気がするのである。
 話を総合すると、ヒロスエは最初から完全に役者稼業しかビジョンのない状態で大学に入ったのだろう。しかし、そういう奴が本来行くべきところは日大芸術学部演劇学科であるはずだ。そのくせ大学に入る学力が無のに、日芸じゃ不満だから早稲田の特別推薦に飛びついたのだろう。漏れは彼女の30代以降を、別な意味で心配してますよ。。

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最終更新:2012年06月07日 22:01
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