拉致被害者関連情報―横田めぐみさん


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拉致被害者関連情報―横田めぐみさん



注意:可能な限り修正しますが、後でガセだったと判明する可能性のある情報も含まれてしまっていることをご了承ください。

1.拉致後の足取り

1977.11.15夕 バドミントン部の部活動を終え、帰宅途中に拉致

1978.8~1979.11 曽我ひとみさんと同一招待所に暮らす.
      平壌の招待所に曽我ひとみさんと同居。辛光洙から朝鮮語や歴史、物理や数学などを習う(曽我証言)
     cf 新潟では「めぐみさんは北朝鮮にいる」というウワサが流れる


1979~1986 蓮池薫・祐木子夫妻、地村保志・富貴恵夫妻、田口八重子さんと忠龍里(チョンリョンリ)で日本語教官

1982~83 18歳ごろ朝鮮語をマスターしても帰れないことがわかり精神を病む
      
 工作員カン・ヨンイルの教育係に
       cf 新潟では「めぐみさんは北朝鮮から帰って入院している」というデマが流れる

1983末か84~86夏 田口八重子さんと同居
   ~85? 工作員金淑姫(キム・スクヒ)の教育係
↓   
1986.08.13 移り住んできた工作員の教え子キム・チョルジュン=英男と結婚

1987 工作員金賢姫、妊娠中のめぐみさんに会う会ったのは84年

1987.09.13 娘キム・ヘギョンさん出産

1988~1991 金正日政治軍事大学の日本語教官 

1990年代 日本にかえりたいとしきりに訴える(蓮池証言;日本人同士だとわかっていたことに注意)

1993春 夫、子供を連れて家を出て別居 (蓮池証言)

1994 逃亡(二度目)

1994.03 精神病院に監禁措置(引越手伝い:蓮池証言)

1995~1997 金正日、高英姫の次男 正雲(当時14歳)の家庭教師

1996~99 平壌の招待所で10名程度の集団で暮らす(南光植証言)

2002.6 カナダサミット後、10名程度の拉致した日本人を急遽ある場所からある場所へ移動させた


2.北朝鮮側の発表まとめ

a 2002年9月17日 小泉訪朝時のもの
 
・1993年3月13日に死亡
・キム・チョルジュンという夫、キム・ヘギョンという娘がいる
・ラケットの写真、めぐみさんの写真

北朝鮮から提示された写真 1 


横田めぐみさんの20歳頃の写真」と称するもの


b 2002年9月 日本政府調査団に対してのもの

1. 朝鮮名:リュ・ミョンスク

2. 1964年10月5日生、当時13歳

3.本籍:東京都品川区

4.住所:新潟県新潟市 当時中学生

5.入国経緯:1977年11月15日、新潟市内で工作員が学校から帰宅途中の本人に会った。工作員は身辺の露出の危険性を感じ、露出を防ぐために同女を拉致した。特殊機関は、所属に関係なく軍事化されており、命令を実行した者は責任を問わないことになっているが、本件の実行犯は命令なく恣意的に行動した者であり、職務停止処分を受けている。

6.入国後の生活:1977年11月から1986年7月まで、招待所で朝鮮語、現実研究および現実体験をした。1986年8月13日結婚。

7.死亡の経緯:1993年3月13日、平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院で精神病で死亡。

8.遺骸:墓のあったところは病院を通じて探している。

9.遺品:愛用のバドミントンのラケットと写真

10.家族:夫:キム・チョルジュ 41歳 会社員
       娘:キム・ヘギョン 1987年9月13日生、 中学生
   住所:万景台区域タンサン(堂上)洞

11.1988年頃から1991年にかけて金日成政治軍事大学において目撃証言があるとの話は事実無根であって虚偽の情報である。

12.18歳頃から精神的に不安定であったということについても根拠はない。結婚後、娘を産むまで精神的な所見はなかった。
(なお、入国直後、招待所で曽我ひとみさんと一緒に生活していた事実がある。)

(注)
 夫については、「政府関係者とは会う必要はないと思うが、両親が来た際には会えると思う」旨発言している旨代表団に説明があり、30日夕刻、同人からの書簡が代表団に手交された。

c. キム・ヘギョンさんインタビュー 2002年10月25日
 
 
フジテレビ・朝日新聞・毎日新聞により10月25日に、北朝鮮が指定した条件で行われた、キム・ヘギョンさんのインタビュー。 全文はこちら→
http://www34.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/44.html


━━お母さんが病院で亡くなった時の記憶はありますか? 
 母が亡くなったのは6、7歳のときで幼くてあまり記憶はありません。お母さんが入院したとき、病気だということは知っていました。何度か面会に行くと喜んでくれました。

━━手紙よりも来て会ってほしいと思います。お母さんが亡くなってから、おじいさん、おばあさんが生きているとは夢にも思いませんでした。9月17日に日本の方々からおじいさん、おばあさんが日本で暮らしていると聞いて、近いうちに会えると興奮しました。とてもうれしかったです。2回目もそうでした。おじいさん、おばあさんが来るって。3回目も4回目もそうでした。(でも)まだ来ることなく、同じ質問ばかりされて。きょうも来てくれると思っていたのに。おじいさん、おばあさん、本当に会いたいです。おじいさん、おばあさんがいるのが初めて分かり、顔も分からないのにどうしてこちらから行けるでしょうか。こちらに来てほしいと思います。

━━日本に行けないのは新しいお母さんがいるためですか?  
新しいお母さんが来てくれたのはありがたいこと。でもそれよりもなぜおじいさん、おばあさんが来てくれないのか分かりません。わたしには日本に来いと言っているのに。


質問の内容を決めたのは(やはりとういか)朝日サイドによる
 



d.日朝実務者協議 2004年

 
北朝鮮側は02年9月に訪朝した政府調査団に対し、めぐみさんは「入院した後自殺した」と述べた。しかし死亡時期をめぐって説明が転々としたうえ、04年11月に第三回日朝実務者協議のため訪朝した政府代表団に対し、死亡確認書などの書類についても捏造したことを認めた。このとき、夫のキム・チョルジュンと名乗る男性が「横田めぐみさんの遺骨」とされる骨を日本側に渡したが、日本政府は鑑定の結果「別人のDNAが検出された」として別人と断定。北朝鮮側はこれに反論し、遺骨の返還を求めている。

・物証―日本での生徒証1枚、自筆のメモ(略歴や家族関係)1枚、写真3枚、カルテの綴りの写し190頁、「遺骨」
・死亡時期を訂正―93年3月死亡→94年4月13日に死亡


1.入国経緯:1977年11月15日夕方、任務を遂行し帰ろうとしていた工作員がめぐみさんと遭遇し、やむなく連れてきた。拉致は計画的ではなく、突発的な行為であった。入国地点は清津(チョンジン)。実行犯の工作員は、命令なく連れてきたことから職務停止処分を受け、その後復帰したが、2000年11月に脳出血で死亡した。

2.入国後の生活:1977年11月から1981年春までは精神的安定のため平壌の招待所で生活し、朝鮮語学習等を行った。1981年春から1986年8月までの間は、平壌郊外の招待所(平壌市順安区域の大腸里にある招待所。名前は特になく、今その招待所は使っていない。)で日本語教育に従事した。1981年から84年までの間は、田口八重子さんと一緒に生活していた。1993年4月29日から6月3日の間、8月3日からも695病院で入院治療を行った。93年9月21日までは695病院で治療を受けた。めぐみさんの精神状態を積極的に治療するため、94年3月、平壌市勝湖(スンホ)区域の49号予防院に入院させた。なお、前日まで義州の精神病院に入院させることも検討されたが、少し様子を見ようということでこの49号予防院に入院させた。

3.死亡の経緯:1994年3月10日から49号予防院に入院した後、4月13日午前10時頃、予防院を散歩中、近くの松の木で首をつって自殺した。担当の医師が一緒に散歩していたが、急用で医師は事務室に呼ばれ、目を離したところ、外ががやがやしていたので確認したところ、松の木で首をつって自殺していた。ひもは事前に衣類を裂いて作ったひもを用意していた。

4.患者死亡台帳への記載:患者死亡台帳における、めぐみさんの名前の記載は、今回の再調査により、後で書き込んだものであることが判明した。2002年8月頃、当該機関関係者が来て、台帳を求めたが、49号予防院には彼女の死亡を確認できる具体的日時を覚えている人がおらず、当該機関関係者が正確でない日時に基づき、死亡台帳を作成し、名前を書いておいたため、番号が重なった。

5.証人からの聴取等
・入院していたとされる平壌49号予防院に出向き、担当医師と面談を行うとともに、病棟内、集合墓地区域等を視察した後、入院台帳を閲覧した。また、横田めぐみさんが生活していたとされる太陽洞招待所跡を実地踏査した。
・夫とされるキム・チヨルジユン氏及び695病院の元医師から、当時の状況等に関する情報の聴取を行った
・物証=日本での生徒証1枚、自筆のメモ1枚、写真3枚

遺骨―日本政府は別人のものと判断したが、科学警察研究所では判定不能。めぐみさんとは別人2人分のDNAが検出される。しかし、鑑定した先生がその後栄転したため「ネイチャー」から疑問が出た

写真―外務省によると画像合成の痕跡を示すものは認められていない


北朝鮮から提示された写真 2 >


まさにご家族が探し求めていた、拉致された直後のものとされる写真


独身時代の写真その1。安明進によると金正日政治軍事大学のキャンパス内らしい。まあ、「20歳頃」に近い。いずれにせよその2よりかは明らかに年齢を重ねているように見える。
宮塚利雄助教授:北では一般人がマイカーをもっていることはなく、車は党や組織の所属。ましてやベンツに乗れる人は限られている。写真の車がベンツならめぐみさんが党幹部や軍幹部の監視下にあり、そのもとで送り迎えされていたことを示すのではないか


独身時代の写真その2 14~19歳ということもありえるのだが

おいおい、どうみても「20歳頃の写真」より若いじゃねーかよ!


e.金英男氏、家族と再会 06年6月29日

 DNA鑑定で横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさんの父親である可能性が高いと判明した金英南(キム・ヨンナム)さんは78年、友人と海水浴にいった韓国南部の島で行方不明になった。97年、情報機関の国家安全企画部(現・国家情報院)は、スパイ容疑で逮捕した北朝鮮工作員の供述から英南さんが北朝鮮に拉致されていたことが判明したと発表。数年前に同様の情報を知らされてはいたが、改めて生存の可能性が浮上した。77~78年、英南さんを含め3件、5人の高校生が連れ去られた。6月29日、北朝鮮・金剛山で、金英男さんが母の崔桂月さん、姉の金英子さんと28年ぶりに再開し、会見した。金英男さんは、拉致ではなく北朝鮮に「救出された」、「めぐみさんは死亡した」などと発言した。
北朝鮮で韓国や日本のメディアを相手に会見に臨んだが、発言内容は北朝鮮の主張を繰り返すだけだった。

・幼い時に事故に遭い、脳にひどい損傷を負った。頭痛が多く治らなかった
・妻として、母として家庭生活を送れない精神疾患に至り、専門病院で治療したがうまくいかず、94年4月13日に死亡した
・何度も自殺を図っていた
・ご両親にお会いする機会があれば、めぐみの生活に関してより具体的なお話を申し上げる


<北朝鮮から提示された写真 3 >

 
金英男氏が提供した合成くささを漂わせる写真

                              

ヘギョンさん(左)とめぐみさん。左上はちと修正。やはり「20歳頃の写真」よりは若いように見える。


しかし、男達が嬉しそうに話す理由がわかるな~


3.証言等まとめ


いつの時点でどんな話が出ていたか。
情報が入り次第追加修正し続けますが、不完全かつ不正確なものなので過度にあてにしないように

97年~小泉訪朝以前 

1 1994年末に韓国に亡命した工作員(氏名不詳)からの伝聞情報 95年

2 安明進が指導員から聞いた情報
 

3 金賢姫が招待所の世話係のおばさんから聞いた情報 

www34.atwiki.jp/kaikocyu19012001/pages/37.html 

4 日本国際交流機構代表団団長、本多一夫の証言 『フラッシュ』 00年3月28日号

 警察庁が97年末作成した『日本人拉致疑惑に関する動向表』と題した内部資料があり、橋本政権の”密使”として97年2月18日から22日まで北朝鮮を訪問した「日本国際交流機構代表団」が、平壌で案内員に受けたとされる説明を記載していた。その中の2月18日の欄には「北朝鮮側の案内人から、『横田めぐみはあのアパート付近に住んでいる』と説明を受けた」と記されている。


5 南光植の証言 まとめ 00年6月

 この人物は96年から99年、主席府財政経理部高麗貿易部に勤めていて、その事務室はビルの高い階にあり、隣にある鞍山招待所を見ることが出来た。招待所には、小さな子供とともに、5~6人の日本人女性が生活しており、その中に奥土祐木子さんと、横田めぐみさんがいた。2人は顔写真で確認。奥土さんと横田めぐみさんは、北朝鮮で生まれた日本人の子供達の教育を行っていたらしい。奥土さんは、専業主婦とされているが、実際は仕事をしていた模様。韓国情報極局も人工衛星からの衛星写真で確認。衛星写真からは、車のナンバーまで見えるという。

 招待所にいる日本人は、全員が拉致されてきた人たちです。総勢10名で男性は一名だけ、あとは全員女性。年齢は40代半ばが中心です。食べ物も日用品もすべて日本と同じ物を配給していて、タオル、石鹸、シャンプーから薬に至るまで完全に日本製です。金正日政治軍事大学を卒業した工作員候補生のうち、優秀な者は平壌郊外にある労働党対外調査部第130連絡所という工作員養成所に派遣される。そこに秘密アジトがあって、安山招待所の日本人たちが日本語を教えている。工作員と日本人は30坪ぐらいの狭い空間で一緒に模擬生活し、日本語だけでなく日本人特有の動作や生活習慣、地理、環境などについて完璧に叩き込まれる。一人の工作員につき3~6カ月間の訓練を施し、完璧な゛日本人゛になりすますように育て上げる。 週刊文春02年10月31号


6 朝鮮日報 李ギョンガン記者 拉致日本人8名ピョンヤンで集団管理 01年8月24日

 拉致日本人8人が平壌市ピョンチョン地域鞍山招待所に収容されている。管理は労働 党組織指導部幹部5課が担当。10歳内外で拉致された女性いる。目撃証言と写真資 料で確認。外務省は2000年ソウルでこの情報を入手。


7 在日韓国大使館国情院派遣公使の発言 02年7月10日

 同日昼、韓国・国家情報院幹部が救う会役員に「カナダで行われたサミットで小泉 総理が拉致に言及、特にカナダの総理とプーチンロシア大統領との会談で熱心に語るのを知り、北朝鮮は拉致問題をそこまで国際的に大きくするのかと非常に驚き、その 後急遽10人程度の拉致日本人をある場所からある場所に移動させたという確実な情報がある。しかし、これまでどこの招待所にいてどこの招待所に移されたかは確認が とれていないので調査中だ」と伝えた。
 そのあと「新潟の行方不明になった横田めぐみさん、あの少女も生きていますよ。 私の推測の部分もありますが、生きていると思います。間違いないと思います」と語っ た。
 なお、同役員が19日と20日に電話で発言の確認を求めたが、本人は電話に出ず、 20日部下が拉致問題が国際的大問題になっているのでいまは反響を考え何もお話し できないと回答するが、では発言は嘘なのかと食い下がったところ「嘘は言いません」 と言明。

5,6,7、は、9,17以前に耳にしたことがないのだが・・・・

   2002年9月17日 小泉訪朝以降 北朝鮮から「死亡」と発表される


8 西村真悟議員が「3年前、北朝鮮政府の者に、横田めぐみさんの写真と引き換えに1億円要求された」と暴露 02年11月29日

1999年、「1億円と引き替えに横田めぐみさんの写真を渡す」とのオファーが北朝鮮から北京経由で西村東京事務所にもたらされた。取引場所は北京。事務所から同志を北京に派遣して、先方と接触する。先方は、正真正銘の北朝鮮政府役人と判明した。こういうことを言ってきたのでこの時点で横田めぐみさんは生きていると確信した。

http://www.sankei.co.jp/news/021129/1129sha127.htm



9 「めぐみさんは総書記の息子の日本語教師」元工作員証言 朝日 03年3月27日

 北朝鮮から韓国に亡命した元工作員の安明進(アン・ミョンジン)氏(34)は27日、東京で記者会見し、拉致被害者の横田めぐみさん(失跡当時13)について「金正日総書記の息子の日本語教師をしていた」などと話した。人づてに聞いた話だとし、具体的なことには触れなかった。
 安氏は伝聞情報と断った上で「金正日(総書記)は、息子が日本語を習いたいと言ったため、拉致した日本人から横田さんを指名し、家庭教師をさせた。自分の母親に似ていたから選んだのではないか」と語った。
 また「特定失踪(しっそう)者問題調査会」が公表した失踪者のうち、70年失跡の松本賢一さん(不明当時34、福岡県出身)について、「韓国の街並みを地下に再現し、工作員を教育する北朝鮮の施設で92~93年にかけ3回、よく似た男性を見た」と語った。
 安氏は拉致被害者の救出をめざす議員連盟の総会で来日、講演などをしている。 (03/27 23:51)

http://www.asahi.com/special/abductees/TKY200303270287.html

→有名な家庭教師情報。その後救う会も確認をとりますた

 「横田さん95年に生存」 亡命幹部証言 産経 04年5月20日

 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん=当時(一三)=について、被害者や家族を支援する「救う会」が「一九九五年当時、金正日総書記の息子の家庭教師をしていた」とする情報を独自に入手していたことが十九日、分かった。北朝鮮は「めぐみさんは九三年に死亡した」としているが、父親の横田滋さん(七一)ら家族は生存を確信。めぐみさんの救出が最優先としてこの日、めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさん(一六)の訪日に反対する文書を政府に提出した。
 めぐみさんが家庭教師をしていたとの証言は、北朝鮮を脱出した金総書記の元側近幹部が、韓国当局筋に明らかにしたもの。この情報を元北朝鮮工作員の安明進氏(三五)が入手して昨年、週刊誌上で公表した。
 救う会ではこの証言の真偽を確認するため、発言者を特定して直接、証言を得る調査を進めていたが、最近になって韓国当局筋から、安氏がもたらしたこの情報と同一内容の情報を入手。「安氏の証言の信憑(しんぴょう)性は高い」と判断したという。
 情報を韓国当局に明かしたのは金総書記と家族の身の回りの世話を統括する「金正日書記室」の副部長クラスの元幹部。北朝鮮を脱出し、現在韓国に住んでいるという。
 西岡力・救う会副会長によると、元幹部は韓国当局に「めぐみさんは、九五年ごろの二年間、金総書記の妻、高英姫の二人の息子のうちどちらか一人の日本語の家庭教師をしていた。金総書記は複数の日本人の写真の中から自分の母親に似ているといってめぐみさんを選び、息子にあてがった」と証言したという。
 めぐみさんの安否について、北朝鮮は「一九九三年三月十三日、平壌市勝湖区域四九予防院で自殺」と伝え、工作員養成機関「金正日政治軍事大学」で「八八年から九一年にかけてめぐみさんを目撃した」とする安氏の証言を「事実無根」としていた。めぐみさんは北朝鮮で結婚、娘のヘギョンさんがいる。ヘギョンさんの訪日が取りざたされていることにつき、家族は「めぐみ自身の救出が先決。具体的情報に基づき生存確認した。訪日論議に賛成しない」との文書を政府に提出した。

http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm


10 めぐみさん:蓮池さん「94年に見た」政府追及へ 毎日 04年8月11日
 

 新潟市で北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(失跡時13歳)について、帰国した拉致被害者の蓮池薫さん(46)が外務省に対し「1994年まで平壌でめぐみさんの姿を見ていた」と証言していたことが11日、明らかになった。北朝鮮は「めぐみさんは93年3月13日に自殺した」と日本側に説明したが、「自殺」の時期以降少なくとも1年近くは生存していたことになる。日本政府は安否不明拉致被害者に関する北朝鮮の回答内容が虚偽であることを示す重大な証言と判断、11日からの実務者協議で北朝鮮に真相解明を迫る方針だ。
 北朝鮮は02年9月17日の日朝首脳会談で、日本人拉致被害者のうち、蓮池さんら5人は生存しているものの、めぐみさんら8人については「死亡した」と回答。その後に訪朝した政府の調査団に対して「めぐみさんは93年3月13日に平壌市の病院で自殺した。遺骨を探している」と伝えた。めぐみさんは中学1年当時の77年11月に新潟市内で北朝鮮工作員に拉致され、86年に北朝鮮の会社員と結婚し、娘がいた。
 ところが、02年10月に帰国を果たした蓮池さんは、外務省の聴取に対し「94年のある段階までめぐみさんの姿を目撃している。93年に死亡したという北朝鮮の説明は間違いだ」と証言した。蓮池さんと妻の祐木子さん(48)は平壌でめぐみさんの家の近くで暮らしており、めぐみさんと86年9月に北朝鮮の招待所で会ったことや、横田さん一家と90年代前半まで家族ぐるみで交流したことなども分かっている。
 安否不明の拉致被害者10人に関する北朝鮮の回答をめぐっては、同国の鄭泰和(チョンテファ)・日朝交渉担当大使らが昨年12月、北京で平沢勝栄衆院議員らと会談した際、「難しい時期の調査活動だったので、でたらめな部分はあった」と不備を認める発言をしている。
 政府は、蓮池さんの話が「10人は死亡または不明」と回答してきた北朝鮮側の説明の矛盾を突く重要な直接証言になると判断しており、めぐみさん以外の被害者の安否情報についても個別にただしていく方針だ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040811k0000e040096000c.html

反証材料に取っておくはずだったのを毎日が漏らし、それによって93年死亡から94年死亡に変更になった(『めぐみ手帳』)


11 横田めぐみさん2度脱走 蓮池薫さんら証言 スポニチ 04年11月28日

拉致被害者横田めぐみさん=失跡当時(13)=の消息について27日、新証言が明らかになった。蓮池薫さん(47)がめぐみさんの父滋さん(72)と母早紀江さん(68)に対し、めぐみさんが日本に帰るために、脱走を試み、その後、精神病院に強制入院させられた事実を伝えていたという。
 横田夫妻によると、蓮池さんはめぐみさんが脱走しようとした時期や方法には言及しなかった。だが、「めぐみさんは日本に帰りたがっていた」と話したという。
 蓮池さんや地村保志さん(49)は今年5月の日朝首脳会談後、めぐみさんら安否不明の拉致被害者について、家族に直接会い、情報提供する意向を明らかにしていた。
 また、別の関係者も「めぐみさんは2度、脱走を試みた」とも証言している。
 横田滋さんは、27日放送のテレビ番組の中で「死亡していないという事実を示し、日本政府に拉致問題解決に向けて経済制裁を含めた強い対応をとってもらうためにあえて証言の存在を公表した」などと語った。

http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2004/11/28/04.html


12 めぐみさんも日本語指導 朝日 04年12月11日

 地村富貴恵さん「証言 帰国した拉致被害者の地村富貴恵さん(49)が横田めぐみさん(拉致当時13)について「北朝鮮で『スクヒ』という女性に日本語を教えていた」と証言していたことを関係者が11日、明らかにした。地村さんは今年夏ごろに関係者に明かしたという。
 地村さんは、田口八重子さん(同22)についても兄の飯塚繁雄さん(66)に「『オッカ』という工作員に日本語を教えていた」と証言したという。大韓航空機爆破事件の実行犯とされる金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚が使っていたとされる偽名の金玉花(キム・オックァ)とほぼ一致する。 金元死刑囚は著書「いま、女として」で、「金淑姫(キム・スクヒ)」と名乗る1歳年下の女性とペアを組んで工作員教育を受けたと証言。2人が86年にマカオに語学実習に渡航した際、金淑姫は「高橋慶子」名義の偽造旅券を使っていたという。 拉致被害者の支援団体「救う会」は「地村さんの証言は、拉致被害者が工作員に日本語を教えていたことを補強する内容だ」と注目している。 11月の日朝実務者協議で北朝鮮側は「田口さんと横田さんは81~84年に同じ招待所で生活した」と説明している。地村保志さん(49)や蓮池薫さん(47)らも「田口さんと横田さんは一時期同じ招待所に住んでいた。自分たちも同じ地区にいた」などと関係者に証言しているという。ただしその時期は「84~86年ごろ」とも言っているという。田口さんや横田さんが日本語を教えた経験について地村富貴恵さんが聞いたのも、そのころだったとみられる。 (12/11 15:37)

http://www.asahi.com/special/abductees/TKY200412110231.html


13 横田めぐみさん 「私は空き地に隠れていた人間に拉致された」 ヤフーニュース NNN 04年12月23日


 
 拉致被害者・横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された経緯について、めぐみさんが「私は空き地に隠れていた人間に拉致された」と拉致被害者・曽我ひとみさんに話していたことが明らかになった。めぐみさんが拉致された経緯については、これまでに「たまたま拉致されたのでヘなく、待ち伏せされた」と、めぐみさん本人から曽我さんが聞いていたことがわかっているが、関係者の話から今回新たに「私は、空き地に隠れていた人間に拉致された」と、場所についても詳細に曽我さんに話していたことが明らかになった。めぐみさんが拉致されたとみられる現場周辺には77年当時、3か所の空き地があった。めぐみさんの父・滋さんは「角に曲がった所の空き地は人目につかず、身を隠すことが可能だったと思う」と話している。
 北朝鮮はこれまで「工作員がめぐみさんと遭遇し、やむなく連れてきた。拉致は計画的ではなく、突発的だった」と説明しており、今回の曽我さんの証言は一層矛盾を強めるものとなる。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20041223/20041223-00000011-nnn-soci.html


14 「日本に帰りたい」横田めぐみさん、盛んに訴える 読売 04年12月13日 
 
 北朝鮮による拉致被害者で、安否不明の横田めぐみさんと田口八重子さんの拉致後の様子について、帰国した蓮池薫さん(47)や地村富貴恵さん(49)らが、「横田さんと田口さんは1984年から86年まで同居していた」「90年代に入り、横田さんは『日本に帰りたい』と盛んに周囲に訴えていた」などと証言していることが、13日わかった。
 関係者によると、こうした証言は直接、横田さんの父、滋さん(72)と母、早紀江さん(68)、田口さんの兄の飯塚繁雄さん(66)に伝えられたという。
 富貴恵さんの証言によると、独身だった横田さんと田口さんは、84年から86年まで平壌市郊外の同じ招待所で同居。田口さんは同年7月、他の招待所に移されたとみられる。この時期、富貴恵さんは夫の保志さん(49)とともに、横田さんらと同じ地区の招待所で生活していた。
 また、蓮池さんの証言などでは、横田さんは同年8月、元夫とされるキム・チョルジュン氏と結婚し、翌年、ヘギョンさん(17)を出産した。
 蓮池さんと祐木子さん(48)夫妻は、横田さんが結婚したころから94年ごろまで、同じ地区の招待所で暮らしており、夫妻は、「めぐみさんは、90年代に入ると、『日本に帰りたい』と漏らすようになった。招待所を無断で離れ、歩き出したところで連れ戻されたことがあった」などと証言しているという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041213i204.htm


15 めぐみさんの「夫」40代で身長170センチ中肉中背 ANNニュース 04年12月2日
 
 先月の日朝実務者協議で、北朝鮮側が、めぐみさんの「夫」として紹介した男性は、40代で身長170センチあまり、髪は薄く、サングラスをかけた人物だったことが分かりました。
 政府関係者などによると、横田めぐみさんの「夫」とされるキム・チョルジュン氏は、電気が消えた薄暗い部屋の中で、サングラスをかけて現れました。チョルジュン氏は自ら名前を名乗った後、日本側が指摘した、いくつかの疑問点について答えました。そして、「納得できない」として、日本側がさらに追及すると、「信用しないなら、それでもいい」と話したということです。チョルジュン氏は40代で、身長170センチあまり、中肉中背でスーツにネクタイを締めていました。また、額が広く、髪は薄めで、左側から1対9程度に分けていましたが、サングラスのせいで目つきは分かりにくかったということです。
 日本政府は今後、蓮池薫さんら実際にチョルジュン氏と面識のある人に確認するなどして、男性が本当にめぐみさんの「夫」であったかなどについて調べる方針です。

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index4.html?now=20041202124621


16 蓮池さん夫妻「ヘギョンさん一時預かる」 05年1月6日 tbs news i 
 
 拉致被害者の 蓮池薫さん夫妻が、横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんについて「ヘギョンさんが幼稚園の頃、めぐみさんが 一時、入院したため、ヘギョンさんを預かっていた」と証言していることが わかりました。
 横田めぐみさんは 86年8月に結婚し、翌87年9月にキム・ヘギョンさん(17)を 産みました。この頃からめぐみさんは、蓮池薫さん夫妻と同じ招待所に住んでいましたが、蓮池薫さん夫妻は「ヘギョンさんが幼稚園の頃、めぐみさんが体調を崩して入院し、 その際、ヘギョンさんを自分たちが 一時預かって育てていた」と証言していることが 新たにわかりました。時期は特定されていませんが、「ヘギョンさんが幼稚園の頃」が5歳か6歳頃とすると、92年ないし93年頃とみられます。
 蓮池さん夫妻は「親代わりに長期間預かった ということではなく、 お互いの家を子供たちも よく行き来し、一緒に食事をしていた」と話しているということです。

http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news1106197.html  


17 米国DIA情報 高英姫と横田めぐみさんが親しかった.日刊ゲンダイ 05年01月24日


18 曽我ひとみさんの足のけがを気遣った横田めぐみさん 05年2月19日 tbs news i
 
曽我 ひとみさん、足のけがを横田 めぐみさんが気遣ってくれたことを横田夫妻に明かす

 拉致被害者の曽我 ひとみさんが、拉致されたときに負った足の傷を北朝鮮で同じ招待所にいた横田 めぐみさんが気遣ったことについて、横田さんの両親に明かしていたことがわかった。
曽我 ひとみさんは1978年、母のミヨシさんと新潟・佐渡市で工作員によって拉致されたが、その際、足にけがをしたという。
曽我さんが、北朝鮮で横田 めぐみさんと同じ招待所に連れて行かれた際、めぐみさんはけがに気がつき、「その足のけがはどうしたの?」と、声をかけたという。
 曽我さんは2月、横田 滋さん、早紀江さん夫妻に、電話で当時のやりとりを明かしたうえで、「そんな心配をしてくれたのはめぐみちゃんが初めてでうれしかった」と伝えたという。

http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news1106197.html


19めぐみさんに新たな疑問  NHKニュース 05年3月27日 
 
 横田めぐみさんをめぐっては、去年11月、北朝鮮からめぐみさんのものだとして提供された遺骨が、DNA鑑定の結果、別人だとわかっていますが、北朝鮮側は、遺骨はいったん埋葬された遺体を、夫が掘り返して火葬にし、つぼに入れて保管していたもので、めぐみさんのものだと主張しています。ところが関係者によりますと、帰国した蓮池薫さん夫妻が、「めぐみさん夫婦は、途中で仲が悪くなり、北朝鮮がめぐみさんが死亡したとしている時期の1年前から別居していた」と話していることが、新たにわかりました。また北朝鮮が、キム・チョルジュンとしている夫の名前についても、「キム・チョルジュンというのは偽名で、実際の名前はキム・ヨンスだ」と話しているということです。このため家族らは遺骨をめぐる北朝鮮の説明は、科学的な鑑定に加え、帰国した被害者の話とも食い違っており、説明がねつ造であることが改めて裏付けられたとしています。
 家族らは、4月、大規模な集会を開いてめぐみさんら被害者の早期救出とともに、北朝鮮に対する経済制裁を訴えることにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/2005/03/27/d20050327000100.html


20 「めぐみは北で2つの名前」横田さんが講演  読売 05年3月31日

 拉致被害者家族連絡会代表の横田滋さん(72)夫妻は30日、東京・内幸町の日本記者クラブで講演し、長女のめぐみさんについて、「北朝鮮で2つの名前を使っていたようだ」と明かした。
 滋さんは、北朝鮮側が昨年11月に日本政府に提出しためぐみさんのカルテの中に、すでに明らかにされている「リュ・ミョンスク」のほかに、「リュ・オクシ」という名前があったと語った。
 また、帰国した拉致被害者の蓮池薫さん(47)夫妻が、めぐみさんが93年ごろから夫と別居していたと証言したことについて、滋さんは「昨年8月に2人から聞いたが、なぜ不仲になったのかは分からない」と話した。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050330i214.htm

 

21 めぐみさん入院で蓮池さん証言 北の説明と別病院 産経 05年4月16日 
 
 拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が入院したとされる病院名について、帰国した拉致被害者の蓮池薫さん(47)、祐木子さん(49)夫妻が、北朝鮮の説明と異なる証言をめぐみさんの家族に伝えていたことが十四日、分かった。めぐみさんの弟、拓也さん(36)が明らかにした。
 昨年十一月の日朝実務者協議で北朝鮮側は、めぐみさんについて「一九九四年三月十日から四十九号予防院(平壌市)に入院した」と説明。だが、蓮池さん夫妻はめぐみさんを病院に送り届けた運転手から「(入院先は)義州の三十九号病院で、病室にテレビがあり看護婦一人が付き添う特別待遇」などと病室の様子も聞いていたという。
 拓也さんは「病室の具体的な様子まで出ているので蓮池さんの証言の信憑(しんぴょう)性は高い」と話した。

http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm


22 めぐみさんに望郷の思い NHKニュース 05年4月22日
 
 拉致被害者の家族は24日、大規模な集会を開きますが、被害者の1人、横田めぐみさんが北朝鮮の家で故郷に思いをはせて、2人の弟の名前を書いたり、母親からもらったつめ切りを大切に保管していたりしたことが、蓮池薫さん夫妻の話でわかりました。めぐみさんの弟ら被害者の家族は、改めて問題の早期解決を訴えることにしています。
 関係者によりますと、蓮池薫さん夫妻は、横田めぐみさんとピョンヤン市郊外の同じ地区で生活していたころ、めぐみさんの家で「拓也・哲也」と、めぐみさんの双子の弟の名前が書いてあるのを何度か見かけたと話しているということです。さらに、めぐみさんは、北朝鮮で楽器を習うように勧められた際にバイオリンを選んだということですが、その理由について、蓮池さん夫妻に「弟の拓也が習っていたから」と話していたということです。また、めぐみさんは拉致された中学生当時に使っていた「101匹ワンちゃん」の弁当箱と母親の早紀江さんからもらった赤いつめ切りを大切に持ち続けていたということです。これについて、めぐみさんの弟の拓也さんは、「故郷に思いをはせながら私たち弟の名前を書いていた姿を思うと、胸が張りさけそうになります。何としてでも助け出したい」と話しています。
 拉致被害者の家族らは24日、東京の日比谷公会堂で集会を開いて、被害者の早期救出を訴えることにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/2005/04/22/k20050422000012.html


23 週刊ポスト めぐみさん、金正日の息子 正雲(ジョンウン)の日本語教師 05年4月15日


24 「招待所」は7戸、平壌郊外に 新証言  読売 05年5月8日
 
 拉致被害者の蓮池薫さん(47)・祐木子さん(49)、地村保志さん(49)・富貴恵さん(49)の両夫妻が、1980年代半ばまで暮らした平壌郊外の集落に、同じような立場の人が暮らす「招待所」が少なくとも7戸あったことが7日、関係者の証言で分かった。
 両夫妻は、安否不明の増元るみ子さんの消息などについても、北朝鮮側の説明とは異なる証言をしていることが判明。警察当局は、両夫妻が見聞きしたことを詳しく検証すれば、新事実が浮上する可能性が高いとみて捜査を進めている。問題の集落は、平壌南部郊外の「忠龍里(チョンリョンリ)」。周囲は鉄条網と塀で囲われ、歩哨が出入りを見張る中、「招待所」と呼ばれる一軒家が少なくとも7戸建ち、監視下に置かれた人たちが世帯単位で暮らしていたとされる。
 両夫妻が帰国後、関係者に語った証言によると、この7戸は、1号舎~7号舎と名付けられ、80年には、結婚したばかりの蓮池さん夫妻(78年7月に拉致)が1号舎に、地村さん夫妻(同)が7号舎に入居した。4年後の84年秋になると、別の集落で一緒に生活していた田口八重子さん(78年6月に拉致)と横田めぐみさん(77年11月に拉致)が3号舎で暮らし始め、翌年には、蓮池さん夫妻は6号舎に、地村さん夫妻は4号舎に転居するよう命じられた。その直後、近くの5号舎に「工作員」だという北朝鮮の男性が入居してきた。エリートとされる工作員が招待所で暮らすのは異例で、めぐみさんは北朝鮮当局に指示され、この男性に日本語を教えることになった。86年春に田口さんが病気で入院すると、男性はめぐみさんの3号舎に移って、2人は間もなく結婚した。86年7月になると、蓮池、地村両夫妻は平壌北部郊外の「大陽里(テヤンリ)」という集落への移動を命じられ、12月には、めぐみさんと夫もこの集落に転居したが、田口さんのその後の消息は分かっていない。さらに関係者によると、蓮池祐木子さんは当時、身の回りの世話をしていた北朝鮮の女性から、市川修一さんとともに拉致された増元るみ子さん(78年8月に拉致)とみられる人物について、「あなたの知っている日本人女性が出産したらしい」と消息を聞いたという。これは、「増元さんは81年8月に死亡し、子どももいなかった」とする北朝鮮側の説明と大きく矛盾している。
 めぐみさんと結婚した男性の名前についても、両夫妻は、本人から「キム・ヨンス」と聞いており、北朝鮮が、めぐみさんの夫の名として説明した「キム・チョルジュン」とは異なっていた。

 蓮池、地村両夫妻が、忠龍里の1号舎と7号舎で暮らし始めた時、残りの招待所に誰がいたのか、そこから転居した後、誰が移ってきたのかなどについては今のところ不明だが、家族連絡会の中からは、「ほかにも、北朝鮮が認めていない拉致被害者がいたのではないか」との指摘が上がっている。めぐみさんの弟、拓也さん(36)は「北朝鮮の主張を覆す重大な事実が依然として埋もれている可能性があり、真実究明には、今後も両夫妻の協力が欠かせない」と話している。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050508i201.htm

25 横田めぐみさん、招待所の3号舎に TBS NEws i 05年5月9日 

 横田滋さん夫妻らが福岡県北九州市内で講演し、「蓮池さん夫妻から、めぐみが北朝鮮で招待所のある集落の3号舎に住んでいたと聞いた」などと述べました。「横田めぐみちゃんがかわいそう、増元るみ子さんがかわいそう、気の毒ですねという単純な問題ではない。日本の国家が問われている」(横田早紀江さん)
 横田滋さん、早紀江さん夫妻らは8日、JR小倉駅前で街頭演説を行い、拉致被害者の一日も早い救出を訴えました。また、横田滋さんは「蓮池薫さん夫妻らから『めぐみがピョンヤン郊外の忠龍里(チョンリョンリ)で田口八重子さんと一緒に招待所の3号舎に住み、その後、太陽里(テヤンリ)の招待所に引っ越した』と聞いた」と述べました。
 しかし、滋さんは「なぜそんなに引っ越しを繰り返すのか。北朝鮮側は『めぐみが頻繁に入退院を繰り返した』とのカルテも出してきたが、どの程度信用していい話かわからない」と述べました。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye1187429.html


26 辛光洙がめぐみさんと曽我さんの教育係 曽我さん証言 産経 05年7月13日
 
≪拉致実行犯が直接指導≫

 拉致被害者の曽我ひとみさん(46)と横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮の同じ招待所で生活していた際、原敕晁さん=同(43)=を拉致した主犯とされる元北朝鮮工作員、辛光洙(シン・ガンス)容疑者(76)=旅券法違反容疑などで国際手配=が2人の朝鮮語などの教育係を務めていたことが13日、関係者の話で分かった。
 めぐみさんは1977年11月、新潟市内で拉致された。曽我さんは78年8月に新潟県・佐渡島から拉致され、直後の約2年間をめぐみさんと同じ平壌市内の招待所で暮らしたとされる。関係者によると、2人はこの間に辛容疑者から教育を受けたという。帰国後、辛容疑者の映像を報道で見た曽我さんが証言したとされる。
 辛容疑者は85年に韓国でスパイ容疑で逮捕され、死刑判決を受けたが、その後恩赦で釈放され北朝鮮に送還された。警察庁は2002年9月、80年に失跡した原さんの旅券や運転免許証を不正に取得、出入国を繰り返したとして旅券法違反容疑などで辛容疑者を国際手配した。
日朝交渉の席などで、北朝鮮は「原さんは辛(容疑者)との利害関係一致により自発的に(北朝鮮に)来た」と主張。辛容疑者の日本への身柄引き渡しを拒否している。(共同)

http://www.sankei.co.jp/news/050713/sha103.htm

辛光洙だが、早く日本に身柄を引き渡してもらえよ・・・

共同通信 06年01月5日
曽我さんは辛容疑者から直接、めぐみさんを拉致したことを聞いたと証言。

毎日 05年12月31日
地村さん夫妻は78年7月、福井県小浜市の展望台で4人組の男に拉致された。地村さんは「実行グループを指揮していたのは、辛元工作員だった」と話しているという。

TBS news i 06年1月21日

シン元工作員の配下の男が、田口さんが勤めていた飲食店にたびたび出入りしていたことが警察当局の調べで新たにわかりました。


27 めぐみさん「家の近くで男に捕まった」曽我さんに語る 読売 05年9月16日
 
 1977年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが、翌78年に曽我ひとみさん(46)と初めて会った日の夜、「家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と拉致の瞬間を語っていたことが15日、分かった。
 めぐみさんは、新潟市内の自宅近くの丁字路で足取りが途絶えてから、目撃証言がなく、拉致の状況は全く分かっていなかった。その一端が明らかになるのは初めてで、警察当局は、周辺の空き地に引きずり込まれ、船で連れ去られた疑いが強いとみている。 曽我さんは、19歳だった78年8月12日、新潟・佐渡で母親のミヨシさん(当時46歳)とともに拉致され、数日後、平壌郊外の「招待所」と呼ばれる施設で、9か月前に拉致されていためぐみさん(当時13歳)と引きあわされ、共同生活を始めた。
 関係者によると、2人は対面初日、招待所が用意したジュースや食事を取るうちに、うち解けた会話ができる仲になった。拉致が話題になったのは、その夜、めぐみさんが、足を引きずっていた曽我さんに、「どうしたの」と問いかけたことがきっかけ。曽我さんは、その言葉の優しさに、自分が拉致されたことを打ち明けると、めぐみさんは「私もバドミントン部の練習の帰りに、家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と語り始めた。
 この時、めぐみさんは実行犯の人数などには触れなかったが、2人は「本当に怖かったね」「すごく恐ろしかった」とささやき合って眠りについたという。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050916i101.htm


28 拉致被害者は"工作員村"にいた NHKクローズアップ現代 05年9月15日  

めぐみさんのようす

1978(昭和53)―めぐみさん、曽我ひとみさんと共に北朝鮮の工作員から高いレベルの教育を受ける。
1979(昭和54)―めぐみさん、蓮池夫妻・地村夫妻・田口八重子さんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育
1984~85―めぐみさん&田口さん、金淑姫に日本語教育。めぐみさんの教え子には後の夫キム・チョルジュンも
1986(昭和61)―日本人は全員“チュンリョン里”(忠龍里)を離れることを命じられ平壌に→移動後日本人化教育続行
1987(昭和62)―大韓航空機爆破事件(11月)以降、日本人化教育は中止→翻訳など

曽我ひとみさんの手紙

・めぐみさんと初めて会ったのは1978年8月18日。車に乗り二階建ての家に行った。家に入るとニッコリと笑って私を迎えてくれた。
・朝鮮語の勉強も始まり、チュチェ思想の勉強、朝鮮の歴史の勉強、その他数学と科学。めぐみさんは頭が良くてすぐに覚えてしまう。

蓮池薫さんの話

・私たちはめぐみさんと一緒の地区にいた。それは平壌から車で1時間ほどの“チュンハ郡チュンノンリ”という場所。
・人里放れた山間の地区の谷間に私たち日本人拉致被害者が暮らす招待所が作られていた。
・私達(蓮池・地村夫妻・めぐみさん・田口さん)は工作員に日本語を教える任務を命じられていた。一日数時間にも及んだ。
・日本人同士が会うことは禁じられていた。地村さんとは山の裏で時間を決めて密会。
・めぐみさんが教えた工作員の名前は“キム・チョルジュ”。後にめぐみさんと結婚した。

http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050915000182.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000027.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000194.html

 ところで、曽我ひとみさんと共に生活して1ヵ月後、紙に鉛筆で(曽我さんの)手の形を描いてくれたことを話していたのを知ったのだが、しばらく「なぜに手なのだろうか」と思っていた。そういえば・・・・・・中学の時、美術の授業で鉛筆で手を描くのをやったな~。1年のしかも1学期


29 ジェンキンス氏「めぐみさん」で新証言 TBS NEwSi 05年9月29日
 
 曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが北朝鮮での横田めぐみさんについて初めて証言した内容が明らかになりました。そこからは、今まで全く知られていなかっためぐみさんの北朝鮮での姿が浮かび上がります。

 「ひとみが私の元へ引っ越すと決まったとき、それまで一緒に暮らしていた横田めぐみさんは餞別としてバドミントン用のバッグをひとみにあげた。ラケットを入れるには小さく、めぐみさんが運動着を入れていたものだった」(ジェンキンスさんの著書『告白』より)このジェンキンスさんの証言は、来週出版される著書、『告白』(10月7日発売角川書店)の中で明らかになったものです。「バドミントンの時に着るトレーナー、上下の体操服、あれがちょっとワインカラーのようなえんじ色のを持っていたんですけれども、(蓮池祐木子さんが)『北朝鮮で見た』と、『めぐみさんあれ持ってましたよ』って」(横田早紀江さん)めぐみさんとともに消えた身の回りの品物のうち、横田早紀江さんが最も気にしていたのが、めぐみさんが中学のバドミントン部時代、体操着を入れていた赤いスポーツバッグでした。「赤いバッグ持ってたでしょ、あの子がね。スポーツバッグを持っていったでしょ。だからいつも海を見てても(赤いブイが浮いていると)ひょっとしてあれがスポーツバッグではと、じって見ていたんですよ」(横田早紀江さん)「側面に17という白い数字が縫いつけてあり、内側にはマジックで『横田めぐみ』と漢字と平仮名で書いてあった。ある時、ひとみと私は名前を洗い落とそうとした。見つかるのをひとみが嫌がったからだ。そこで、継ぎをあてて、樹脂で接着し、隠した」(ジェンキンスさんの証言)北朝鮮では買い物袋のビニールが薄くて破れやすく、ジェンキンスさんは砂糖や卵を買ったとき、このバッグに入れて持ち帰りました。去年、北朝鮮を出るときまで、自宅で大切に保管していたということです。
 「ひとみは私の家に越して以来、めぐみさんと連絡を取る機会がなくなった。わずかに接触できたのは、私の記憶ではたった2回。1回目は83年か84年のある日の晩、外貨専用のデパートで買い物をしていた時だ。ひとみがめぐみさんと住んでいたころ、2人でよく買い物をした店で、親しくしていた店員がいた」(ジェンキンスさんの証言)2人が会えなくなって数年、めぐみさんは、もし当局に知られれば身に危険が及ぶことを承知でひとみさんに宛てた手紙を書き、この店員に託したのです。

 「ひとみは店員から折りたたんだ手紙を渡された。ひとみは死ぬほどびっくりして緊張したという。帰宅してやっとひとみは手紙を読んだ。差出人の署名もなく、いきなり(朝鮮語で)『カナラ』、朝鮮語の『あいうえお』で始まり、『朝鮮語の勉強は進んでいますか?』と書いてあった。ひとみにはすぐ横田めぐみさんからだと分かった。危険を少しでも避けるために、差出人がわからないようにし、元気にしていることだけをひとみに伝えたのだろう」(著書『告白』より)2回目は85年か86年、これが2人の最後の出会いとなりました。「ピョンヤンの別のデパートで買い物をしていると、めぐみさんが入ってきた。めぐみさんとひとみを2人きりにしてやりたい、2人にとってこれがどれほど貴重な機会か、私にはわかった」(著書『告白』より)

 わずか10分間の立ち話。それ以降、めぐみさんの情報を耳にすることはなかったと言います。北朝鮮で、めぐみさんを思い、1人部屋で泣いていたひとみさんの姿を見て、自らもめぐみさんの無事を祈ったジェンキンスさん。新たな証言は、めぐみさんが厳しい環境の中、懸命に生きる姿を浮き彫りにしています。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3127353.html


30 スクープ!めぐみさんの"夫"も韓国人の拉致被害者 テレビ朝日ANN 05年11月3日
 
 拉致被害者・横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏も拉致された韓国人であると、複数の関係者が話していることが明らかになりました。
 キム・チョルジュン氏は、去年11月の日朝実務者協議の際に姿を見せ、当時の日本政府代表団と面会しています。日朝関係者はANNの取材に対して、「北朝鮮高官から『キム・チョルジュン氏が韓国人である』と聞かされた」としています。また、別の家族会関係者によると、キム・チョルジュン氏は韓国から拉致された被害者で、名前についても偽名だということです。キム・チョルジュン氏は日本政府代表団との面談の際に、「工作員である」という理由で、写真など身元確認につながるものの提供を一切、拒否しています。
 横田滋さん「どこの国の人であっても、めぐみが強制的にかもしれないが、一緒に生活した人で、今でもキム・ヘギョンさんを育ててくれているので、感謝しないといけない」
 北朝鮮による韓国人の拉致被害者については、500人近くに上るとみられています。しかし、キム・チョルジュン氏の顔写真や実名が明らかになっていないため、被害者のなかに該当者がいるかどうかは確認されていません。

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index4.html?now=20051103163415


31 「めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者」…韓国家族会 読売 05年11月7日
 
 【ソウル=中村勇一郎】韓国の拉致被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表は7日、読売新聞の取材に応じ、横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏について、「北朝鮮高官から韓国人拉致被害者だと聞いた」と明らかにした。
 崔代表は昨年9月、北朝鮮で死亡した韓国人拉致被害者の遺骨を受け取るため、中国・延吉に行った際、秘密裏に北朝鮮高官と面談。高官は、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者だとし、「めぐみさんが北朝鮮で、1977~78年に北朝鮮に拉致された韓国人拉致被害者5人と一緒に教育を受けていた」とも話したという。高官は「キム・チョルジュン」という名前は偽名だとしたが、本名については明らかにしなかったという。
 韓国政府が現在、北朝鮮による拉致被害者と正式に認定しているのは486人。崔代表は韓国政府に拉致被害者の救済を要請する一方、自らも中国に渡って脱北支援活動を行っており、これまでに4人の韓国人拉致被害者を中国経由で韓国に連れ戻している。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051107i204.htm


32めぐみさん拉致も辛容疑者 曽我ひとみさん証言 共同 06年1月5日
 
北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、横田めぐみさん=失跡当時(13)=を拉致した実行犯として、別の拉致事件に関連して国際手配中の元工作員辛光洙(シングァンス)容疑者(76)の名前を挙げていることが5日、関係者の話で分かった。 新潟県警など警察当局も同様の情報を把握しており、国外移送目的略取容疑で捜査する方針。  辛容疑者は地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻の拉致事件でも、警察当局が実行犯として国外移送目的略取容疑で逮捕状を請求、国際手配する方向で捜査を進めている。 めぐみさんは中学1年だった1977年11月、バドミントン部の活動を終えて下校途中に、新潟市内で北朝鮮に拉致された。めぐみさんと曽我さんは拉致された直後、平壌の招待所で一緒に生活し、辛容疑者が2人の教育係だったことが既に分かっている。 関係者によると、曽我さんは辛容疑者から直接、めぐみさんを拉致したことを聞いたと証言したという。


→早紀江さん:すでに05年11月末に曽我さんから聞いたが「出さないで欲しいと頼まれていた。ひとみさんは政府や警察には話していたと思う。外交のカードとして取っているのだろうと思ってた。辛が北朝鮮に帰されるかもしれない時は、韓国大使館や政府にお願いにいった。もう長い時間がたっているのに、国がどうしてはっきりした態度をとれないのか。(1月6日記者会見)


33 横田めぐみさん「夫」は拉致韓国人 DNA鑑定で判明 朝日 06年4月11日
 
 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの夫とされる人物が韓国人の拉致被害者である可能性が指摘されていた問題で、日本政府は11日、めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんと韓国の拉致被害者である金英南(キム・ヨンナム)氏が父子関係にある可能性が高いとするDNA鑑定の結果をまとめた。政府は今後、北朝鮮側にこうした結果を伝え、改めて被害者の帰国や真相の究明などを求める方針だ。

 日本政府は2月、韓国側の協力を得て77~78年に北朝鮮に拉致されたとみられる男性5人の家族から血液、毛髪などを採取。キム・ヘギョンさんのDNA情報と符合するか、二つの大学に鑑定を依頼していた。この結果、両大学の鑑定結果は金英南氏の可能性が高いことで一致したという。この鑑定結果を受け、政府関係者は、来日中の北朝鮮の金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官らと改めて日朝協議を行う可能性がある、と指摘した。政府は北朝鮮側に直接鑑定結果を説明し、拉致問題での厳しい国内世論を伝えることで、北朝鮮側の前向きな対応を促したい考えだ。めぐみさんの夫とされる人物については、「キム・チョルジュン」と名乗る男性が04年11月に日朝実務者協議のため平壌を訪れた日本政府の代表団メンバーと面会。めぐみさんの遺骨とされるものを代表団に提供したが、日本側の鑑定で遺骨は別人のものだったとの結果が出た。この男性と金英南氏が同一人物であるかどうかの確認も、できていない。

http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200604110219.html

この旦那金英男氏だが

西日本新聞 06年4月11日

韓国の拉致被害者家族らでつくる「拉北者家族会」の崔成龍(チェソンヨン)代表は14日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=当時(13)=の夫である可能性が高い韓国人の金英男(キムヨンナム)さん=同(16)=と家族が、ここ数カ月にわたり平壌近郊で自宅軟禁されていると明らかにした。また、同家族会とともに拉致被害者救出運動に取り組む韓国の団体「被拉・脱北人権連帯」の都希侖(トヒユン)事務総長は同日、西日本新聞の電話取材に対し「金さんは現在、娘のキム・ヘギョンさん、めぐみさんの死後に再婚した女性、その女性との間にいる息子らと暮らしている」と証言した。


34 横田めぐみさんの娘 名前は「キム・ウンギョン」 テレビ朝日 ANN 06年5月16日
 
拉致被害者・横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんは、実際には「キム・ウンギョン」という名前で呼ばれていたことが分かりました。
 めぐみさんの娘をめぐっては、DNA鑑定で親子関係が確認されていますが、名前については「キム・ヘギョン」と公表されていました。しかし、拉致被害者の家族らの証言で、実際の生活では「キム・ウンギョン」という本名とみられる名前で呼ばれていたことが新たに分かりました。横田滋さん:「当然、北朝鮮からの指示で、そういうこと(偽名の使用)になっていると思う。子供まで利用して、『めぐみが死亡した』と言わされている。2代にわたって被害者なわけですから」
 めぐみさんの娘は、2002年に公表されたビデオで、「父親にキム・ヘギョンと名づけられた」と自ら説明していました。(ANN)

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/soci_news14.html?now=20060516245456


35めぐみさん死亡に矛盾 『手首切ったと 北朝鮮は説明』 東京新聞 07年11月11日

 横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから十五日で三十年となる。これを前に、拉致被害者曽我ひとみさん(48)の夫チャールズ・ジェンキンスさん(67)が新潟県佐渡市内でインタビューに応じ、めぐみさんについて、北朝鮮では手首を切ったと聞かされていたことを明らかにした。
北朝鮮はこれまで日本側に対し、「めぐみさんは首をつって自殺した」と説明している。説明に矛盾があることから、ジェンキンスさんは「(めぐみさんらが)死んでいるとは思わない」と話している。インタビューでジェンキンスさんは、北朝鮮が生存を否定している拉致被害者について「北朝鮮はうそをつき、信用できない」と指摘。めぐみさんについて「手首を切ったと北朝鮮では聞かされていた」と明かした。
 ジェンキンスさんは「斎木さん(拉致問題の日本政府調査団団長だった斎木昭隆米国特命全権公使)は、首つり自殺したと説明を受けたという。この違いは何なんだ」とし、「北朝鮮が死んでいるとする日本人は死んでいるとは思わない」と強調した。

 めぐみさんは中学一年だった七七年十一月十五日、新潟市で下校途中に拉致された。北朝鮮側は、八六年にキム・チョルジュン氏(韓国から拉致された金英男氏)と結婚し、八七年に娘キム・ウンギョン(ヘギョン)さんが生まれたが、うつ病で入院中に病院近くの松の木で首をつって自殺した、と説明している。

 しかし、北朝鮮側は当初「九三年三月」としていた死亡時期を、後に「九四年四月」と訂正。また北朝鮮側がめぐみさんのものとして提出した遺骨も、日本側の鑑定で別人のものと判明している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007111102063530.html


36 ロシア外交当局者の証言 週刊現代 08年1月19日号 

横田めぐみさんは、ほぼ確実に生きています。われわれは2001年に続いてこのほど2度目の本格的な日本人拉致被害者の実態調査を北朝鮮国内で行い、その結果、横田めぐみさんの存命率を85%と結論付けたのです

横田さんは01年以降、平壌から地方に移住させられたが、自宅ではDVDを見たり、小説を読み、一人で元気に暮らしているという。しかし、ロシア外務省高官がこの種の情報を日本のメディアに話すとは思えず、「ロシアの情報屋が提供した信頼度の低い情報」(公安関係者)との見方が多い。だと


37 横田めぐみさん:「94年6月後も生存」 地村さん新証言 毎日新聞 08年5月26日
 
 拉致被害者の横田めぐみさん(当時13歳)について、帰国した被害者の地村富貴恵さん(52)が日本の当局に、「94年6月に自分たちの隣に引っ越してきた」と証言していることが分かった。新証言は、「94年4月に死亡」とする北朝鮮の説明と矛盾する内容。「拉致問題は解決済み」としてきた北朝鮮側説明を覆すものでもあり、拉致問題の今後の行方にも大きな影響を与えそうだ。

 昨年末、当局に証言した。それによると、めぐみさんは94年6月、保志さん(52)と富貴恵さん夫妻が住む招待所の隣に1人で引っ越してきた。数カ月そこに暮らしていたが、その後の行方は分からないという。

http://mainichi.jp/select/today/news/20080526k0000m040118000c.html


38 「めぐみさん招待所に」 空白の1年間  北元工作員新証言 産経 08年7月3日

 【ソウル=久保田るり子】韓国在住の元北朝鮮工作員、カン・ヨンイル氏(44)=仮名=が2日までに、1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=に関する新証言を、産経新聞に詳細に語った。それによると、82年から約1年間、カン氏がいた平壌市内の工作員専用の招待所にめぐみさんが暮らしていた。その後、カン氏は86年に工作員専門病院でめぐみさんと再会した。82~83年のめぐみさんの所在はナゾだったことから、“空白”の期間を埋める証言として注目される。カン氏は「約10人の日本人拉致(被害)者を目撃した」とも明らかにした。
 元工作員によるめぐみさんに関する証言は、公になっているものでは97年の安明進氏(作戦部所属)に次ぐものだ。カン氏は朝鮮労働党の対外連絡部の元工作員で、90年代前半に第三国で逮捕され韓国に移送された。対外連絡部の工作要員に選抜されたカン氏は82年から約1年間、平壌市内にある連絡部所属の招待所と呼ばれる隔離施設で教育を受けていた。この間、同じ施設内に若い日本人女性が北朝鮮の女性と住んでおり、朝の運動時などによく見かけた。カン氏は約10年後に韓国入りしたのちに、この女性がめぐみさんだと分かったという。施設にいた当時、監視の目を避け会話をした際、めぐみさんは「自分は日本人」と名乗り、「3年ぐらいで日本に帰る」と話した。明るい表情で、日本製のトレーニングウエアを着ていたという。めぐみさんは拉致されたあと「朝鮮語を習得すればお母さんのところに帰してやると言われていた」(日本の関係者)との情報もある。めぐみさんと再会したのは86年夏。平壌市内の「915連絡所」と呼ばれる工作員専門病院で会ったという。めぐみさんから「カン先生」と声をかけられ、立ち話をした。黒っぽいスーツ姿のめぐみさんは、このときも北朝鮮の女性と2人連れで、「婦人科の検査を受けにきた」と話した。以前に比べめぐみさんは朝鮮語が格段にうまくなり、「花が咲いたようにきれいになっていた」と、カン氏は当時を振り返る。めぐみさんは「三石(サムソク)区域の招待所にいる」と近況を話し、連れの女性とベンツで立ち去ったという。また、カン氏は80年代半ばに、工作員養成機関である「金星政治軍事大学」(現在の金正日政治軍事大学)で日本人4人を目撃し、工作員招待所がある龍城地区では5人を見たとも証言した。
 日本人拉致被害者の情報をもっているとみられる北朝鮮の元工作員は現在、韓国内に十数人いるとされる。しかし、安明進氏を除き元工作員は、自身の安全や、北朝鮮に残してきた家族に影響が及ぶことなどを懸念し、対外的な証言はしていない。
 カン氏は横田めぐみさんの生死について「自殺することは考えられない。韓国や日本なら自殺しても何もないが、北朝鮮で自殺は金日成、金正日親子への反逆で、家族や親戚(しんせき)まで罰せられる。めぐみは最高の待遇、最高の教育を受けていた。そういう者を北朝鮮は簡単に殺さない。具体的な証拠はないが、めぐみは生きていると思う」と述べている。
 カン氏は日本政府への情報提供に前向きだ。今後、写真照合など日本側の要請に応じる用意があるとしており、日朝間の拉致被害者の再調査に有益な情報となりうる。
      


【対外連絡部】作戦部、対外情報調査部、統一戦線部と並ぶ北朝鮮労働党傘下の諜報(ちようほう)・非合法活動機関のひとつ。韓国や日本に工作員を送り込み、韓国内に地下党をつくるなど対南工作を担当。韓国内の主要人物の暗殺、政治、経済、社会、軍事の情報収集、流言飛語の流布などが任務。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030130000-n1.htm

工作員教育? 空白の1年「最高級の待遇」 めぐみさん拉致で新証言
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030137003-n1.htm

女工作員と同居か 北の説明、再びほころび めぐみさん拉致で新証言
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030136002-n1.htm


39めぐみさん「おとなしく病弱」=日本人10人超がスパイ教育-金賢姫元工作員 時事通信 09年1月17日

 【ソウル17日時事】1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元北朝鮮工作員が、17日発売の韓国誌・月刊朝鮮2月号のインタビューで、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんについて「おとなしくて病弱」との話を聞いていたと明らかにした。また、元工作員は80年代前半に北朝鮮の工作員教育にかかわっていた日本人拉致被害者が「10人以上はいる」との見方を示した。
 元工作員は横田さんに会ったことはないが、一緒に工作員教育を受けていた金淑姫という女性が横田さんから日本語を習っていた。拉致被害者の地村富貴恵さんも同様の証言をしたことがある。
 元工作員は横田さんについて「幼い時に拉致され、性格がおとなしく、拉致された韓国人男性と結婚し娘を産んだ」「よく病気になり入院していた」などと聞いたことがあり、横田さんと金淑姫が一緒に写った写真を見たこともあるという。
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090117-00000106-jij-int


40 帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」 ヤフーニュース 09年3月10日
 
 ■工作員と3人 2年間?同居

 拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。
 時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん-『金賢姫』」と、「めぐみさん-『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。

 田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090310-00000093-san-soci


41 金賢姫元死刑囚の新証言が明らかに TBS NEWSi 09年4月30日

 大韓航空機事件の実行犯、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚が、拉致被害者の横田めぐみさんとピョンヤンで「何回も会い話もしたことがある」と証言していたことが、JNNの取材で明らかになりました。

 キム元死刑囚に対する事情聴取は4月28日、韓国の情報機関の立ち会いのもと、日本の外務省、警視庁公安部、内閣調査室の関係者により、午後3時半から2時間以上にわたって行われました。キム元死刑囚は横田めぐみさんについて、これまで「ポラロイドの写真でしか見たことがない」としていましたが、「81年4月から83年3月にかけて、工作員として日本語や日本の習慣に関しての訓練を受けていた時、ピョンヤン市内の招待所で同僚のキム・スクヒ工作員の教育係だった横田めぐみさんと何回も会い、よく話をしていた。めぐみさんとは同僚の紹介で親しくなった」と証言していたことが明らかになりました。立ち会った関係者は、キム元死刑囚について「事情聴取に終始協力的だった。あんなによくしゃべるとは驚いた」と語っています。そして、めぐみさんについて「物静かな人に見えた。北朝鮮は『死亡した』と主張しているが、生きている可能性が高いと思う」と話したといいます。また、キム元死刑囚は拉致事件解決のために出来るだけ早く日本に行きたいとの希望を伝えたといいます。

 対北朝鮮融和政策の見直しを進める保守イ・ミョンバク政権は、日本人拉致事件に理解を示していることもあり、今回の事情聴取が実現したといえます。拉致事件に対して日韓が共同歩調をとることで、今後、北朝鮮からの激しい反発が予想されます。(30日21:10)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4121095.html

→話す準備は出来ていると08年に言っていたのはこれのことですか?


42 妊娠のめぐみさんと会った=金元工作員が新証言―「韓国料理作ってくれた」とも10年7月18日時事通信

 拉致被害者の横田めぐみさん=失跡当時(13)=について、金賢姫元北朝鮮工作員が「会った時に(妊娠で)おなかが大きかった」などと証言していたことが17日、関係者の話で分かった。金元工作員が「(北朝鮮で)めぐみさんと会った」と証言したことは既に判明しているが、当時の具体的な様子が明らかになるのは初めて。
 金元工作員は20日以降、政府の要請で初めて来日。めぐみさんの父滋さん(77)と母早紀江さん(74)らと面会する予定で、新しい情報が明らかになることが期待されている。
 関係者によると、金元工作員はめぐみさんと会った際の状況について「おなかが大きかった」「写真よりも顔がやせていた」などと証言した。めぐみさんは1987年9月に娘のキム・へギョンさん(22)を出産したとされており、この少し前に会った時の話とみられる。
 金元工作員はこのほか、「めぐみさんに韓国料理を作ってもらった」などの思い出も話しているという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100718-00000005-jij-soci

この後、横田夫妻に対してこの記事の内容について否定したという。
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