地下鉄サリン事件


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とりあえず、目新しくも何もないまとめ

「オウム真理教」ってあのオウム?


 この日は朝遅く起きて、しかもテレビも見ずに出かけていたんで、家に帰ってテレビを見たら凄いことになっているという感じだったので、事件に巻き込込まれた関係者もいなかったんで正直書けることがありません。しかしオウム真理教って、あの麻原彰晃というのオッサンのこと?と、そんな感じだった。
 その後、オウム報道一色になり、教団の常軌を逸した実態がだんだんと分かるようになっていったのだが、この教団が松本サリン事件はおろか、あの坂本弁護士一家失踪事件を引き起こしたっていうではないか! そんな問題のある宗教団体をバラエティー番組なんかに出すなよ。
 いずれにせよ、なんで警察もここまでになる前になんとか出来なかったのか、そんな団体がテレビに出れるのはいかがなものなのか、などとということを中坊の漏れは一番最初に感じましたよ。それと、漏れは横浜に住んでいたんで「坂本弁護士一家失踪、探してます」という看板などを見ていたから気にはなっていたんですが、これは坂本弁護士一家はダメかもと思いました。



1-あらまし


 カルト新興宗教団体のオウム真理教が、東京都内の帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄(東京メトロ)、以下営団地下鉄)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンを散布して、乗客や駅員ら12人が死亡、5,510人が重軽症を負った無差別テロである。
 首謀者の教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)やサリン散布役の林郁夫、廣瀬健一、横山真人、豊田亨、林泰男らが逮捕された。動機は、2月末に発生した目黒公証役場理事長拉致監禁致死事件から、信者の指紋が検出されたために強制捜査は免れ得ない状況になったと判断した麻原が、警察の目を攪乱するために起こしたとされる。しかし、結果としては逆に自身や多数の幹部らの逮捕を早めることとなった。全面供述によって全貌解明に協力した林郁夫以外の実行犯は死刑判決が出ている。

○ここで犯行手段、経路および被害状況の確認

① 犯行手順

サリンは聖教新聞や新聞赤旗に包まれたビニール袋に包まれており(創価学会や共産党に濡れ衣を着せるため)、実行役はこれを傘で穴をあけ気化させ、運転手役の車で逃げる

② サリンの純度

30%で低いため異臭がする。純度が高ければ無臭で、死者は数千人単位になる。また、遠藤誠一が「サリン分留に1日かかるが」と言うと、麻原は「純度が低くて良いからやれ(=早く撒け)」と言った。

③ 情報漏洩疑惑

信者に現役自衛官(白井孝久、山形明)や警察官(国松長官狙撃事件で一度捕まったが供述の矛盾で保釈された小杉敏行巡査長)がいたことは分かってます。しかしいまいちよくわかってません(わかっていたらニュースになっているな)。

④ 被害路線


  • 日比谷線(北千住発)
 8人が死亡、2475人が重症。林泰男は、杉本の運転する普通乗用自動車で日比谷線上野駅まで送られ、上野駅か仲御徒町駅から中目黒行き日比谷線A720S電車の第3車両に乗車し、次の秋葉原駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋3個を車両床上に落とした。

  • 日比谷線(中目黒発)
 1人死亡、532人が重症。豊田は、高橋克也の運転する普通乗用自動車で、日比谷線中目黒駅まで送られ、東武動物公園行き日比谷線B711T電車の第1車両に乗車し、次の恵比寿駅に到着するまでに、新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に置いた。

  • 丸ノ内線(池袋発)
 1人が死亡し、358人が重症。廣瀬は、北村の運転する普通乗用自動車で丸ノ内線四ッ谷駅まで送られ、丸ノ内線・JR線で池袋駅に行き、荻窪行き丸ノ内線A777電車に乗車し、御茶ノ水駅に到着するまでにその第3車両でサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

  • 千代田線
 2人が死亡し、231人が重症。林郁夫は、新實の運転する普通乗用自動車で千代田線千駄木駅まで送られ、同線北千住駅から代々木上原行き千代田線A725K電車の第1車両に乗車し、新御茶ノ水駅に到着するまでに新聞紙で包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に落とした。

  • 丸ノ内線(荻窪発)―横山は、外﨑の運転する普通乗用自動車で送られ、池袋行き丸ノ内線B701電車に四ッ谷駅手前の駅で乗車し、四ッ谷駅に到着するまでに、その第5車両で新聞紙に包んだサリン入りビニール袋2個を車両床上に移動させた。


2-事件経過


① 地下鉄内に異臭発生


 1995年(平成7年)3月20日(月曜)午前8時、東京都内の営団地下鉄日比谷線・丸ノ内線・千代田線の電車内。まさにラッシュアワーで会社に向かうサラリーマンでごった返していたところ、鼻につくツンとした、吸い込むと目の前が暗くなり、激しい吐き気に襲われたという強い刺激臭が発生した。地下鉄駅内では多数の人が口や鼻を押さえ、病院に担ぎ込まれる人が続出し、大パニックになった。乗客の証言では床に置かれた新聞紙に包まれた四角い包が発生源だという。日比谷線の小伝馬駅で患者の応急処置を施した鈴木孝雄医師によると、患者は①目の旧結膜の充血②瞳孔が一ミリほどに縮み、③激しい嘔吐④血圧低下などの症状が見られた。地下鉄駅の入り口付近の歩道などにシートを引き、そこで臨時の救護所とし、重傷者は救急車で病院へ搬送した。


② 警察の対応、自衛隊も「災害派遣命令」で出動


 午前8時17分、警視庁に日比谷線八丁堀駅から第一報が入った。第一報が消防庁に入ったのは8時9分。警察庁から防衛庁にこの事件が伝わったのは8時50分という。以降ひっきりなしに被害を報告する電話が入った。警察無線がひっきりなしだった。午前9時、警察庁に、刑事局、警備局合同の「都内地下鉄における毒ガス発生事案対策室」、警視庁築地警察署に刑事部長を長とする捜査本部を設置し、被害者の救出、目撃者の確保等の初動捜査を行った。
 警察・消防らは不十分な状態で現場に駆け付けざるを得なかった部分があり、多数が中毒になった。また、サリンに汚染された患者を除染せずに被害者を搬送したため、搬送先の医師・看護婦らもサリンの2次被害にあった。
 一方、陸上自衛隊は初期報道の段階でオウムによるサリン攻撃であると直ちに判断。事件発生29分後には、自衛隊中央病院等の関係部署に出動待機命令が発令されまた、自衛隊では警察庁の要請を受けて、自衛隊中央病院及び衛生学校から医官21名及び看護官19名が、東京警察病院、聖路加国際病院等の8病院に派遣され、有機リン系の解毒剤である硫酸アトロピンやPAMの投与や、二次被曝を抑制する除染といったプロセスを指示する『対化学兵器治療マニュアル』に基づいて、治療の助言や指導を行った。

 犯行に使用された地下鉄電車内に遺留されたビニール袋入り液体は、当初の東京消防庁化学機動中隊の分析では、有機化合の合成に使われるアセトニトリルが検出されたと報道された。これはサリンのデータがなかったためである。警視庁科学捜査研究所で鑑定官がこれをガスクロマトグラフ質量分析検査を行った結果、10時30分ごろサリンであると判明した(しかしこれは松本サリン事件の時のデータがあり、なお症状等の総合判断であり、本当は聖路加国際病院の会見後の11時30分に正式に判明 by『極秘捜査』 もっとも、化学学校の教官達はすぐにサリンだとわかっていたが)。


③ 医療現場


 午前11時過ぎ、聖路加国際病院の日野原重明院長と桜井健司副院長は記者会見し「副交感神経が刺激を受けている、松本であった中毒事件のサリンも可能性の一つである」と述べた。また、松本サリン事件の患者を診た信州大学付属病院からも「サリンの症状に酷似」と電話があった。聖路加病院は、日野原院長の戦争時の経験から、「被害者大量発生の際にも機能できる病院」として設計された。院長は外来をすべて中止し、無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった。聖路加病院に派遣されて治療にあたった青木晃医官によると、日野原院長は搬送された患者を重・中・軽傷と振り分け優先度を決定するトリアージが非常に早く的確だったという。


④ 自衛隊の除染作業


 多数の負傷者、すでに死亡者もでているのに、「治安出動命令」ではなく「災害派遣命令」として、第32普通科連隊が現場へ向かった。さて、当時化学兵器(や核兵器・生物兵器などの「NBC兵器」)を扱えるのは自衛隊しかなく、その中の第101化学防護隊が日本で唯一サリンに対処できる専門部隊だった。サリンの除染に際して、第32普通科連隊120名+化学部隊(第1師団化学防護小隊&第12師団化学防護小隊+101化学防護隊)70人から成る4個の除染隊を編成し、各部隊には化学学校の幹部1名がアドバイザー役として同行した。化学防護隊隊員たちは沈着冷静に対処し、汚染された駅構内や地下鉄車輌などの除染作業を行った。この際、無線が通じなかったので、自衛隊員が個人的に持っていた携帯電話と公衆電話で連絡した。


⑤ 教団側の反論


3月21日、オウムは東京南青山の総本部道場で会見し、仮谷さん拉致事件を改めて否定、ついでに地下鉄サリン事件についても「わからない事件をすぐに教団と結び付けるような報道はやめてほしい」と関与を否定した。

しかし、オウムと朝鮮総連は瓜二つですなぁ~



3-流れ


8時9分、東京消防庁に最初の119番隊員約600人と救急車130台が出動

8時14分、築地駅で「日比谷線車内で発煙」との通報。日比谷線全駅内で発車待ちの状態になる

8時15分、千代田線霞ヶ関駅でホームにいた駅助役がけいれんを起こして倒れる
       テレビ速報

8時17分、日比谷線築地駅で救急車要請、乗客約100人が待つ。警視庁に日比谷線八丁堀駅から第一報

8時21分、日比谷線茅場町駅から約11人が病院へ

8時23分、営団地下鉄が日比谷線全列車の車内点検を指示

8時27分、日比谷線八丁堀駅から25人が病院へ

8時30分、日比谷線神谷町駅のホームで約6人の乗客が倒れているのが目撃される
       テレビで報道特番に

8時36分、営団地下鉄が日比谷線全列車に車両客をホームへ退避させるよう指示

8時37分 日比谷線霞ヶ関駅で10人が病院へうち3人が重体の模様

8時40分、小伝馬町駅ホームで異臭、4分後に駅員や乗客倒れ、45分全員退避を指示。出勤途中の国松考次警察庁長官に報告が入り、幹部を集める指示

8時42分、警視庁17階に総合警備本部を設置

8時49分 新高円寺・御茶ノ水駅で乗客倒れる、中野坂上駅から40人、小伝馬町駅から4人、国会議事堂前駅から10人、神谷町駅から5・6人を病院へ

8時50分 日比谷線営業停止に。防衛庁に警察庁から連絡が入る

9時8分 丸ノ内線本郷三丁目駅で薬物発煙

9時10分 警察庁長官、全国の警察本部長に「恒久機関など不特定多数の集まる場所の警備の強化」など緊急指示

9時10分ごろ、「関東圏の科学化部隊は市ヶ谷駐屯基地に集まれ」の指示

10時30分 松本サリン事件の患者を扱った信大付属病院柳澤信夫教授「サリンだ」→聖路加国際病院の日野原重明院長にtel、サリン対応マニュアルを伝達

11時過ぎ、聖路加国際病院の日野原院長と桜井健司副院長で記者会見「サリンかも」

薬物などの専門部隊、消防庁の化学機動中隊も全10部隊出動

11時23分、本部命令「薬品はサリン系。十分注意」

12時50分、鈴木俊一都知事から自衛隊の「災害派遣要請」を受けて、部隊ごとに駅を分担して出動

14時40分 第32普通科連隊編成完結式

17時00分、千葉県知事からも出動要請、汚染車両が収容された松戸へ向かう

20時00分 自衛隊の除染作業は全部終了



4-オウム真理教側の動き



① 松本サリン事件以降の警察・公安の動き



警察が本格的にオウムをマークするようになったのは94年11月だった。それも宮崎の監禁事件であり、当時松本サリン事件とオウムを結び付けるまではできなかった

94年7月 山梨県上九一色村教団施設付近での異臭騒動

94年9月 宮崎旅館経営者監禁事件の被害者が教団を訴える(第6サティアンで監禁)。これに対してオウムは警察の事情聴取をのらりくらりとかわし、10月にやっと応じた時も「被害者は脳梗塞の治療のため」監禁したと言った。警察はこれで第6サティアンなら踏み込めるが、他サティアンに踏み込む法的根拠を持ち合わせてなかった。

94年11月 上九一色村教団施設付近での異臭騒動後、土壌からサリンの副生成物が検出されたこのころ、警察・公安ではオウム信者のダミー会社がサリンの原材料三塩化リン数十キロを購入し、上九の教団施設へ送っていたことが分かった。さらには教団が2台のラジコンヘリを購入していることも判明した。




  • 95年2月28日 目黒公証役場理事長監禁致死事件発生

 目黒公証役場理事長の仮谷清志さん拉致事件発生。事件前には不審人物がうろついており、公安も車の偽装ナンバーも控えていたのだが、それを生かせなかった。この事件でオウム信者松本剛の指紋を検出した。さらに松本は仮谷さん妹の担当者だったので、是が非でも強制捜査をやらなければならなかった

95年3月17日 警察では教団への強制捜査を「19日にオウムにやる」「いや22日にしろ」ともめており、早くやったところで公判に耐えられないと判断し22日に実施を決定



② 地下鉄サリン事件を起こすまで


95年1月1日 読売新聞朝刊に「上九一色村で平成6年7月に悪臭騒ぎがあった際に、現場から採取された土壌からサリンの残留物が検出され、警察当局が松本サリン事件との関連などの解明に当たることになった」との記事が掲載された。麻原は、教団施設に対する捜索を恐れ、村井らに「サリンプラント→神殿化」などの偽装工作をさせ、保管中のサリンらは処分又は隠匿するよう指示した。中川は、中毒になった土谷に代わり中和作業をしていたが、これを受けサリン生成の前段階のジフロを保持した。

3月15日 麻原は、仮谷さん事件で教団への捜査が現実味を帯びてきたので、「警視庁に近い営団地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシンを噴霧して混乱を起こそう」と企て、井上らに指示して、アタッシュケース型噴霧装置を置いてボツリヌストキシン様の液体を噴霧させたが、噴霧器の問題で失敗した。

3月16日 麻原、村井、井上らは読売新聞に「仮谷事件に使われたワゴン車の車体から事件関係者のものとみられる指紋が検出された」との記事が掲載されたために危機感を強め、自動小銃の部品等を隠す、仮谷事件に関わった者の記憶消去するためにニューナルコなどを実施。

3月18日 午前0時過ぎ 都内にある教団経営の飲食店で、尊師通達により、新たに正悟師に昇格した井上ら教団幹部ら約20名を集めて祝いの食事会を開いた。麻原は井上や青山らに対し「エックス・デーが来るみたいだ」などと警視庁による教団施設に対する強制捜査を話題にしていた。

3月18日 午前2時 麻原は帰途その強制捜査への対応について検討しようと考え、村井・青山・井上・遠藤・石川公一に対し、リムジンに乗るよう指示し、そこで地下鉄にサリンを撒くことが決定(リムジン謀議)。

  • 井上が「サリンがいい」と言いだし、村井が「地下鉄にまこう」と言ったとされる
  • 村井が実行役に林泰男、横山真人、廣瀬健一、豊田亨を使おうというと、麻原から、林郁夫も入れるように言われた
  • 麻原がサリンを作れるかと言うと、遠藤は「条件が整えば作れる」と承諾した
  • 麻原に対して、青山が「島田裕巳宅に爆弾を仕掛けること」、井上が「教団東京総本部道場を爆破」を提唱し、了承された

3月18日 午前8時~9時 村井、第6サティアン3階の自室に呼び集めた林泰男、林郁夫、廣瀬及び横山に、麻原からの指示であることを仕草で示しながら「強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく」と言い、4人は承諾。村井は引き続き「20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。対象は、公安警察、検察、裁判所に勤務する者、これらの者は霞ヶ関駅で降りる。実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、電車の中にサリンが充満して死ぬだろう」と言い、各種指示。

3月18日夕方 村井の部屋、村井と廣瀬・横山・井上及び林泰男、営団地下鉄千代田線・丸ノ内線・日比谷線の各霞ヶ関駅について駅付近の略図、各駅からの所要時間、出口に近い車両等を示した図等が記載されている井上の持参した「地下鉄最新ガイドマップ」等を見ながら、サリンを散布する地下鉄の路線や散布する時刻等について検討し、その3路線5方面の電車内で、午前8時に一斉にサリンを散布すること、井上がchs(諜報省の前身)の部屋を提供することなど決定。この時の指紋が押収され、逮捕につながった。

3月19日午後1時 麻原の部屋で、サリン生成などの準備ができないことにいら立つ麻原は「やる気がないならやめるか?」などと弟子の覚悟を問うたが、井上・村井らは「やる気」を示した。その後村井が実行役の搬送及び逃走用の車の運転手役等について指示を仰いだところ、麻原は「新実、杉本、外﨑、北村及び高橋克也を運転手役として人選し」林郁夫と新実、林泰男と杉本、横山と外﨑清隆、廣瀬と北村浩一、豊田と高橋克也をそれぞれ組み合わせて実行するよう指示した。

3月19日 午後7時25分 井上の指揮で自衛隊の白井孝久・山形明が東京総本部道場や島田裕巳宅へ火炎瓶投下など自作自演事件を実行、各現場に教団を誹謗する犯行声明文を置き、教団の敵対勢力による教団を対象としたテロであるように装った。

3月19日 午後9時 井上、実行役&運転役、アジトの渋谷ホームズに集まる。10時ごろ下見の後再度戻る。

3月19日夕方~8時 遠藤は、ジーヴァカ棟内のドラフトルームにおいてジフロ、ヘキサン、NNジエチルアニリンの溶液にイソプロピルアルコールの滴下を始めてサリンの生成を開始、その溶液を加熱するなどしてこれを反応させ、ヘキサン、NNジエチルアニリンのほかサリンを約30%含有する約5ないし6ℓの溶液(サリン混合液)を生成した。

3月19日午後10時 遠藤は土谷から「(サリン分留に)1日くらいかかる」言われたことを麻原に報告すると、「それでかまわない」と言われる。麻原はサリンの散布方法を村井と検討し、サリンを袋詰めにして先のとがった傘で突き刺してサリンを流出し気化させる方法を採用。袋は中川が作った。

3月20日午前2時 井上、サリンを取りに行こうと上九に到着、麻原に「勝手に動くな」と怒られる。実行役も渋谷ホームズからサリンをもらいに第7サティアンへ、3時に到着後、傘でビニール袋をあげる練習。

3月20日朝6時 実行役5名はそれぞれ運転手役と共に、普通乗用自動車5台に分乗し、渋谷ホームズを出発した。

3月20日朝7時30~8時 サリン散布


③ 「リムジン謀議」


青山:いつになったら、四つに組んで戦えるのでしょう?

麻原:今年の11月ごろかなぁ(村井に声をかける)

村井:ええ。ある程度は輪宝(レーザー照射器)ができてますから

麻原:アタッシェはメッシュが悪かったのかなぁ(15日に地下鉄にボツリヌス菌を撒こうとしたが、失敗したことを指している)

麻原:アーナンダ(井上)何かないか

井上:T(ボツリヌス菌)ではなく妖術(サリン)だったら良かったのでは?

村井:地下鉄にサリンを撒けばいいじゃないですか

麻原:それでパニックになるかも知れんな。アーナンダ、この方法でいけるか?

井上:尊師が言われたようにパニックになるかもしれませんが、今年の1月1日の『読売新聞』にあったように、上九一色村でサリン生成の残留物質が検出されてから、山梨と長野の県警が動いています。サリン原料の薬品の購入ルートは、完全にばれているでしょう。ですからサリンは使わずに、牽制の意味で、硫酸でも撒けばいいんじゃないですか

麻原:サリンじゃないとダメだ。アーナンダ、お前はもう何も言わなくていい。マンジュシュリー(村井)、お前が総指揮でやれ

村井は「はい」と言って実行役に豊田亨、広瀬健一、横山真人、林泰男を選ぶと、麻原はわざわざ林郁夫も加えるように指示したという。

麻原:ジーヴァカ(遠藤)、すぐにサリンを作れるか?

遠藤:条件が整えば、作れるのではないでしょうか

麻原:新進党と創価学会がやったように見せかければいい。それでもサリンを撒いたら、オウムに強制捜査が来るかな?

石川:そりゃ来るでしょう。そのとき私が、否定する内容の演説をするので、足をピストルで撃ってもらうと、世間が同情すると思います

麻原:クーちゃん(オウム信者の陸上自衛隊第一空挺団に所属する自衛官)にやらせることはできるかな?

井上:可能だと思います

麻原:(石川に対して)お前がそこまでやる必要もないだろう

青山:島田(裕巳)さんのところに爆弾を仕掛けたら、世間の同情が買えるのではないですか

井上:だったら青山の総本部にも、爆弾を仕掛けては?



◆最近の動向
警察庁長官銃撃事件が時効 実行犯特定できず捜査終結
2010.3.30 00:15
 平成7年3月、国松孝次警察庁長官(当時)が銃撃された事件は、30日午前0時に殺人未遂罪の公訴時効が成立した。警視庁公安部はオウム真理教による組織的犯行とみて捜査を続けたが、実行犯など犯行グループの役割の特定はできなかった。南千住署捜査本部は30日にも「容疑者不詳」とする捜査結果の書類を東京地検に送り、捜査を終結させる。警察トップを狙った未曾有のテロ事件の真相は闇に包まれたまま終わった。

 捜査本部は、「事件の日(元教団幹部に)コートを貸した」と供述した、元警視庁巡査長(44)のコートから拳銃を発射した際にできる「溶融穴」を確認。16年7月に元巡査長は「支援役」とみて、元教団幹部ら4人を殺人未遂などの疑いで逮捕した。だが元巡査長の供述は変遷し、東京地検は4人を不起訴処分としていた。

 事件前後の行動に関する元教団幹部の供述などから、捜査本部では早い段階から別の元教団幹部の男(60)=死刑判決が確定=を中心とするグループの犯行とみて捜査を進めた。時効直前まで事情聴取を続けていたが、「元巡査長のことを知らない」などと関与を否定。ほかの信者も同様の供述をしたり、事情聴取自体を拒む元信者もおり、犯行の特定は難航した。

 捜査本部は元巡査長の所持品についても最近まで鑑定を進めたが、決め手となる物証はなく、昨年10月から十数回にわたった聴取でも思うような供述は得られなかった。時効前に教団幹部らの書類送検を検討したこともあったが、結局は見送られた。

 こうした中、別事件の捜査過程で服役中の男(79)の関与が浮上、男は刑事部捜査1課の聴取に「自分が撃った」と認めた。事件後に海外渡航歴があり今回の時効とは無関係だが、目撃証言が異なるうえ供述の信憑(しんぴよう)性に疑問があるとして、警視庁は男の捜査についても基本的に打ち切るという。

 公安部幹部は「事件は百かゼロ。犯行は99%オウムで間違いないところまで分かったが、逮捕まで至らなかったことは警察の負けということ」と話した。

 国松孝次元警察庁長官の話「時効を迎えたことは誠に残念。最後まで事件解決に向けて努力を続けてこられた捜査員諸君の心情を想い、その苦労に敬意を表す」

 安藤隆春警察庁長官の話「懸命な捜査が行われてきたが、時効を迎えるに至ったことは誠に残念。これまでの捜査を検証するなどして、今後の各種犯罪対策に活かしていきたい」

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