チェウノブイリ原発事故


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1986年、ソ連は核の炎に包まれた!!


 小学生になったというのにまた鬱ニュースです。ソ連のチェルノブイリ原子力発電所が爆発して放射能が漏れたとのことです。なんてことだ・・・・・・・小学校1年で死ぬのか。まじめな話、20歳まで生きられないだろうな。とうとう「北斗の拳」の世界が現実になりそうです。この作品、ケンシロウが雑魚(モヒカン)に秘孔を突くと「ピプー」という音がして雑魚が破裂するのですが、そのやりとりが好きで幼稚園の頃から一人でぶつくさそのやりとりを再現しては悦にふけってました。しかしあのような世界にだけは住みたくないなと思ってましたが・・・・・・。
 現実には学校でもたいしてというか問題になってなかったし、ヨーロッパではともかく日本で放射能が検出されたという話も聞いたことがなかった(雨からは検出されたらしけど)ので、とりあえずよかったかなと思ったのと同時になんだかなーと思いました。

 しかしこの年は自殺やら噴火やら、95年よりも終末という感じだった。



1-概要


 1986年4月26日、ソ連(現ウクライナ)のキエフ市北西130キロにあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で運転員の操作ミスや炉の構造上の問題など複数の問題が重なり爆発、外部に放射能が放出された。原子力開発史上最悪の事故で、放射性物質10tほどが大気中に放出したとされる(広島に投下されたリトルボーイの400倍)。最も被害を受けたのはウクライナ、べラルーシ、ロシアだった。事故処理作業係(リクビダートル)は放射能を浴びた瓦礫の処理や4号炉の放射能を閉じ込めるための石棺(せきかん)の建設をした。彼らは80万(WHO)ともいわれ、十分な防護服や危険についての説明もない状態だった。死者はソ連政府によると1987年7月末時点で死者は31人、長期的に見ると数百~数万人になるとされるが、それらの科学的な因果関係はよくわかっていない。
 しかし90年代に入り子供たちに甲状腺ガンが急増した。95年、WHO(世界保健機関)は約700件の甲状腺ガンをチェルノブイリ事故と関連付けた。



2-流れ


86.4.26 事故発生
       ↓
86.4.27 ストックホルム(スウェーデン)のフォルマルク原発で異常放射能を検出
       ↓
       5月にかけて住民16万が移動
       ↓
86.4.29 ソ連のタス通信、事故を公式に伝える
       ↓
86.5.3 日本で雨から放射能が検出される
       ↓
86.5.6 ついに放射線の大量放出が収まったため発表
       ↓
86.5.21 IAEA(国際原子力機関)理事会
       ↓
86.5.29 IAEA会議で事故原因の報告(運転手のミスが主な原因)
       ↓
93.1    IAEA、原子炉の設計を主な原因とする分析
       ↓
95.11.21 子供及び若年の甲状腺ガン約700件がWHOにより本事故と関連付けられる
       ↓
00.11.15 3号炉のスイッチが切られる



3-当時の世界情勢のご確認


 ・米ソ冷戦の時代
 ソビエト連邦(=現ロシア)は中国や北朝鮮同様、社会主義・共産主義体制で、戦争こそしないものの、民主主義陣営のアメリカと何事にも張り合っていた。アメリカの政治家バルークBernard Mannes Baruch(1870―1965)が演説で意味「冷戦」と呼んだのがマスメディアなどで用語として定着した。米ソの張り合いといえば、「月へ行くぞ!」、「次は木星だ!」などという宇宙開発が有名だが、原子力開発もその一環としてあった。民主主義と共産主義・社会主義では根本的な考え方が違いすぎてぶつかってしまうからだった。

 また、共産党の一党独裁体制により報道・言論・表現の自由は制限されていたので、この事故を隠蔽しようとしがちだった。これを変えようとしたのがゴルバチョフであり、この人の就任時に本事故が起きたため、その結果としてグラスノスチ(情報公開)を推し進めた。そして1991年、ペレストロイカ(革命)の果てにソ連は崩壊しましたとさ。

  • 報道の自由
 報道は共産党の管制下に置かれ、国家や党にとってマイナスとなる報道はペレストロイカを行ったゴルバチョフ時代になるまではなかったという。国際的に影響がある事件に対してだけでなく、国内の政治、経済的な事件も、党幹部の粛清や地下鉄事故、炭鉱事故のような事件に至るまで都合の悪いものは報道しない。

  • 言論・表現の自由
 なかったため亡命するケースが多かった。

  • ゴルバチョフ就任85年~
 ペレストロイカ(革命)、グラスノスチ(情報公開)を主軸に社会主義を変えようとした。


そういえば、『ねるとん紅鯨団』で好みの男性がゴルバチョフという女性(28歳)がいたな~。ゴルビーはまぎれもなく当時ブームだったよ!漏れはこの人のことを「頭に北海道のマークがある人」と見なしてましたよ。



4-事件経過


 概ね「世界仰天ニュース」を元に作ったが、早い話が、放射能につて無知だったことやジャトロフ副技術士長の個人的出世欲こそが主因という話。しかしこの事故は原因が複合的なんだから「真実」とまで断定しちゃいかんだろうw

① 運転休止テスト


4月24日 署長室では明日に迫った4号炉の運転休止テストとの相談がされていた。地震などで電力がストップし、原子炉に冷却水を送るポンプが停止した場合のテストだった。発電の出力を3分の1に下げて行う。非常用回転では稼働するのに40秒かかり、その間で惰性回転を続けているタービンで冷却水ポンプを動かすことができるかどうかのテストだった。

4月25日夜 首都キエフから急な電力供給依頼があったため、テスト開始は夜中になった。4号炉の制御室、原子炉運転の当直班長はアキーモフ(33)、原子炉運転技師のトプトゥーノフ(25)、テスト責任者は副技師長ジャトロフだった。技師長フォーミン通信教育で学んだだけの知識しかなかった、他の技師らも放射線の基本知識に乏しかった。
 トプトゥノフが制御室で発電の出力を下げてみたが500メガワットと、3分の1より下回ってしまう。これではガイドラインに反する。アキーモフ・トプトゥノフらは反対し、出力を上げてみよう等と提案したがジャトロフは「そのまま下げろ!お前たちは何も考えるな、言われた通りにやれ」と言い放った。しかし、上がるどころか出力低下アラームが鳴りだす始末。ジャトロフは「何をやってるんだ!」と怒鳴る。こんな時になぜか出力が安定しない。さらには200メガワット以下(30メガワットとも)になる。ソ連型のは他の型より、出力が大きいため、低出力時では制御が難しいものだった。基本知識に乏しいため、皆知らない。

※動作試験は、原子炉熱出力を定格熱出力の20% - 30%程度に下げて行う予定であったが、炉心内部のキセノンオーバーライドによって、熱出力が定格の1%にまで下がってしまった

 ジャトロフ「今すぐ電子棒を引き抜け!」原子炉を止めないために核分裂を活発にしなければ・・・。原子炉が完全に停止してしまうと、再び稼働するのに3日かかる。ジャトロフは211本の電子棒の内18本を残してすべて引き抜いて電子力をあげようとした。おかげでジャトロフが望む200メガワットでのテスト開始となった。アキーモフは言う「お言葉ですが、700からじゃないといけない、あなたがどうしても200でやりたいのなら作業日誌にあなたが命じたと記録してくれませんか?」ジャトロフ「ひとつ教えてやろう!副技師長にはテストの条件を変更できる権限が与えられているんだ」。
 そのころ原子炉では、核分裂が異常に増大していた。

② 爆発


4月26日 午前1時22分。テストのためアキーモフはテストを始めるため、タービンへの水蒸気を停めた。その瞬間、ポンプから送られる冷却水が減少→原子炉内の水蒸気が増加→炉心で水蒸気の圧力が急激に高まった。制御室ではともかく、原子炉では350キロの燃料集合体のふたが、圧力で持ち上がっていたのだ。制御室でも出力の急上昇が分かってきたので、アキーモフらが緊急ボタンで制御棒を一斉挿入させ出力を下げようとした。ソ連型原子炉ではこれをやるとき、一瞬だけ出力が上がる。ジャトロフ「アキーモフどうした~!」、アキーモフ「コントロールが効きません」 、緊急停止ボタンを押した6秒後、原子炉は大爆発を起こし炎上。原子炉が無くなっていた。

 爆発から5分後、やはり放射線に対して何の知識もない消防士らが到着しそのまま被爆。事故の連絡を受けブリュハーノフ所長は家から駆けつけた。所長「無事なのか?」アキーモフ「無事ですが何か」と確認もせずに言う。所長「放射線は?」、アキーモフ「原子炉近くの測定器は不利切れているそうです、3,6レントゲンですが」。人間の年間許容量の36杯にあたる。

 消防士や現場付近の夜釣りをしていた人は年間許容量の1万3000倍の放射能を浴びてしまっていた。制御室の技師たちも異変が起きていた。ソ連型は大丈夫なはず・・・ブリュハーノフはそう思いたがったが、かつて起きた事故すら国家機密で隠ぺいされ、ブリュハーノフ所長すら知らないでいた。共産党中央委員会原子力発電委員長、マリインへTLE。ここでなぜか、ブリュハーノフは全然無事じゃないのに無事だと嘘を言った。
 測定していた民間職員には測定器が振り切れていた。「所長、膨大な放射線漏れが検出されています。原子炉の融解が起きていると思われます。今すぐ逃げないと」。ブリュハーノフ「そんなこと言って市民がパニックになったらどうするんだ!」

4月26日明方 病院に運ばれる人々の発電所職員や消防隊員の大部分が放射線障害だった

4月26日朝 市民にはこの事故は知らせず、学校は通常通り授業をした。ただし窓を閉めてであった。所長のもとへは上層部が駆けつけてああだこうだといったもののなす術もなく、市民には知らせずにトップに任せることになった。こうしている間に放射能は漏れ続けていた。

4月26日 午後9時 副首相シュチェルビナが到着し、ソ連政府事故委員会を現地で作る。所長の報告は嘘であることはすぐ報告された。

4月27日 「市民を避難させるべきかどうか」で揉め、最終的に事故から37時間後に「3日分の食料で一時的な」非難勧告の放送を出し、4万5千人はバスに乗った。そして空中からヘリで水・砂・ホウ素を5000トンをまく消火作業を開始。こうしてうまく隠ぺいしたかにみえたが、スゥエーデンのフォルマルク原子力発電所で異常な放射能の量が計測されたことがきっかけでバレる。

4月29日 一応タス通信にて報告するが、やはりどれほどの事故なのか分からない内容だった。

5月6日にようやく放射線の大量放出は停まったが、これをどう処理するか、原子炉を丸ごとコンクリートで囲う計画を考え、放射線のことをよく知らない市民・兵士ら60万を動員させた。11月29日に石棺が完成。とはいえ、雲に含まれた放射線物質は雨となって降り注ぎ、それを動物や人が食べたりすれば問題になる。そこでソ連は放射線の機銃地を引き上げて検査を行い、汚染食品はソ連の遠隔地に売った。



5-映像


チェルノブイリ原発 隠されていた真実
発電所は断層に存在していて、実は地震のせいで大事故になったという話



チェルノブイリ 25年 知られざる真実
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