日本航空123便機墜落事故


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日本航空123便機墜落事故


この事故こそ飛行機に対して苦手意識を植えつけた


 昭和60年の4月に年長組みになりました。母方の祖父母の家に行きました。オーディオが好きでレコードやカセットが再生しているときにグルグルまわっているところが好きでした。このころ洋楽をたしなむようになったのでレコードがほしくて、2枚のレコードを持って帰りました。そのレコードは日本のもので explessのマークがついてました。「ダイアナ」や「恋の片道切符」や「ヴァケーション」を日本の人が歌っているものでした(1枚につき20曲入っていて星加ルミ子がライナーらしきものを書いています。タイトルがわからないのでご存知の方教えてください)。

 それから4ヶ月した平日の夕方、飛行機が行方不明になったになったというニュースをどこのテレビでもいっせいにやってました。当時飛行機が事故を起こすことはけっこうあったとおもいますが、今回ばかりはそのようなレベルではないんだなと思いました。テレビをつけると連日この話題がやってます。すごい大事故だというのは幼稚園児でもわかりました。その幼稚園児の目にとっては情報があまりの広範囲なので混乱していました。亡くなった人の中に坂本九という人がいて、その奥さんと娘さん2人がテレビに映っていました。ん?もしかすると4月に持て帰ってきたレコードで「悲しき六十才」や「ステキなタイミング」他何曲か歌っていた人なんじゃ・・・・・・・。

 この事故以来人が死ぬということをどこかで意識するようになりました。プラモデルの飛行機をタンスにぶつけてこの事故を再現することをしました。あと、この事故を見て思ったのが泣いている人をパシャパシャカメラで写すというのはかわいそうだなということです。

1-あらまし


 1985年(昭和60年)8月12日午後6時24分、羽田発大阪行き日航123便(ボーイング747SR)機が、離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え始めた。以降、32分の飛行の後、午後6時56分すぎ、群馬県上野村の山中に墜落し大破炎上した。単独機の墜落事故では世界最大とされる。当初は乗客・乗員524名全員が死亡したと思われていたが、女性4人が生存していた。
 生存者の証言から、最後部では墜落直後かなりの人が生存していたと考えられている。そのため、とりわけ正確な場所への到着に時間がかかり、地元猟友会・消防団の案内を無視した群馬県警、夜間降下命令のない自衛隊、在日米軍の援助拒否などの「現場到着・救出までの時間の空費」に批判が集中した(放射能汚染を警戒したことや命令系統の縦割りの問題もあったと見られる)。
 事故原因を調査して1ヶ月、ボ社は1978年にしりもち着陸事故を起こした際の修理が不適切だったことを認めた。運輸省航空事故調査委員会(事故調)は「ボ社の不適切な修理によって圧力隔壁が金属疲労で弱体化し機外に噴出、油圧装置や垂直尾翼が破壊されて操縦不能になった」と結論付けた。その際、機内に急減圧が発生したとされるが、CVR記録や生存者の証言から急減圧が発生したのかについて当初から疑問を持つ声が多く、この結論に疑問を持つ専門家や遺族らは再調査を求めている。検察は業務上過失致死で捜査をしたが、「刑事責任を問うのは困難」として不起訴処分とした。



2-流れ


85.8.12 日航123便、群馬県・御巣鷹山の山中に墜落、炎上
       ↓
85.8.13 航空自衛隊、長野・群馬県警などが墜落現場を確認、生存者の救出。相模湾で垂直尾翼の一部を発見
       ↓
85.8.18ごろ 川上さん「事故直後しばらくは父も妹も生きていた」。乗客の遺書が発見される
       ↓
85.8.22 運輸省航空局が日航に立ち入り検査
       ↓
85.8.27 運輸省航空事故調査委員会、中間報告
       ↓
87.6.19 事故調査終了
       ↓
95.    「墜落後およそ20分で墜落現場を特定したのに」というアントヌッチ証言が出回る
       ↓
00.8.5 毎日新聞、運輸省事故調が資料を破棄したことを報じる
       ↓
00.8.6ごろ この前後、調査資料が流出したため、マスコミなどがボイスレコーダーを入手
       ↓
00.8.8  テレビでボイスレコーダーの内容が放映される
       ↓
05・    『御巣鷹山の謎を追う』の付録DVDにてボイスレコーダ&再現CGを収録
      (図書館ではDVD部分は借りられない場合あり)



3-事故発生の様子


 事故調査委員会は急遽85年8月27日に一回目の中間報告をした際、そのボイスレコーダーの音声記録を発表。さらに86年3月に解析し直したものを発表。そして87年6月19日に発表された最終報告で発表した。これらは声ではなく、事故調側で文字化されていた。ボイスレコーダーは原則非公開なもののようである。しかし、これほどの大事故であり、事故調の説明する急減圧発生への疑問などから、音で聴かせろやゴルァ!と言う声も強かった。2000年にようやく?乗務員の遺族が聴けるようになり、その数ヵ月後マスコミなどに音声記録が流出して誰でも聴けるようになるまでに至った。


小見出し

音声記録(CⅤR)&再現

日本航空123便墜落事故フライトシミュレート(機外視点)

事故調発表を元にしたJAL123便飛行跡略図-ver1.2

凡例

(CAP):機長、(COP):副操縦士、(F/E):航空機関士、(PUR):パーサー、(STW):アシスタントパーサーを含むスチュワーデス、
(PRA):プリレコーデッドアナウンス(自動的に放送される)(GPWS):地上接近警報による合成音声
(ACC):東京管制区管制所(所沢)、(APC):東京進入管制(羽田)、(YOK):在日米軍横田基地進入管制、(COM):日本航空社用無線

イマイチ数値が正確じゃないけど、目安程度だと思ってください。


18時24分 相模湾上空、大島を抜け伊豆半島へ向かう途中、 ドーンという音が発生 

18時25分 静岡県下田市北部、123便、東京ACCにEMG(緊急遭難信号)を報告。東京ACC、123便の羽田帰還要求を承認  
       CAP:バンクそんなにとるな 

18時25分 空自峯岡基地第44警戒郡123便をレーダーで確認  
       CAP:ハイドロ全部だめ

18時27分 東京ACC、123便に緊急事態宣言を再確認 
       ACC:どのような緊急事態か PRA:緊急降下中 PUR:マスクお願いします

18時28分 駿河湾上空、123便から「操縦不可能」と伝えられる 羽田空港航務課に航空機救難調整本部(RCC)設置、緊急着陸の準備 
       CAP:ストールするぞホントに、はいじゃないが

18時30分 静岡県焼津市上空、米空軍C―130H輸送機、123便のEMGを傍受

18時31分 日航オペレーションセンターに緊急連絡 
       ACC:名古屋に帰るか? CAP:羽田に帰ることを要求する。

18時38分 静岡県富士宮市上空、
       CAP:あたまあげろ

18時40分頃 東京ACC、横田基地へ緊急着陸準備を連絡。
     在日米軍所属C-130輸送機が123便緊急事態発生の無線を傍受。この後山梨県大月市上空で旋回          F/E:ギア・ダウンしました

18時46分33秒 神奈川県相模湖町(現相模原市)上空を抜け東京都に向かう途中、安定飛行中 
       CAP:これはだめかもわからんね

18時47分 東京都奥多摩町上空、再び山梨県へ
        CAP:山にぶつかるぞ

18時49分 山梨県丹波山村・三富村上空
        CAP: ドーンと行こうや

18時54分 長野県川上村付近 この辺り山梨・埼玉・群馬・長野の県境が隣接している。このあたりから機体が急降下.
       COP:熊谷から25マイルウェストだそうです

18時56分 群馬県上野村に入ったところで「御巣鷹山の尾根」に衝突する



4―現場到着と生存者救出まで


18時56分2秒123便のレーダー機影消失。横田基地、C-130に捜索を依頼

18時57分 峰岡山基地の吉田勝一尉123便消滅を中部航空方面隊司令部防衛部長の大中康夫一佐を通じて松永貞昭司令官に伝達「北緯36度02分東経138度41分」

18時59分 羽田の航空機救難調整本部(RCC)123便消滅情報入手。その報は救難調整本部、自衛隊、警察庁外勤課、海上保安庁警備救難課、運輸省航空局管制保安部運用課に流される

19時1分 大中一佐、松永空将の了解を得てスクランブル発信命令。空自、自衛隊レーダーサイトの提案を受けて茨城県百里基地から捜索任務のため2機のF-4EJ戦闘機(第305飛行隊=式地豊司尉ら)が緊急発

19時13分 時事ファックス「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」の至急報

19時15分 米空軍C―130H輸送機、雲の下に煙を発見

19時19分 C-130H、墜落現場を発見「1919 Large fire from Yokota, 305, 34.」(午後7時19分、横田から方位角305度方向、34マイルの地点で大きな火災を発見)

19時21分 空自百里基地のF-4EJ2機も墜落現場を確認「炎を確認。横田タカンから300度、32マイル」

19時26分NHK、事故の速報を流す

19時30分 中村守雄陸上幕僚長、東部方面総監部(増岡県総監)に災害派遣要請

19時35分 長野県警警備二課に日航機墜落事故総合対策室設置。事故に関する情報の収集を各警察署に指示。 臼田署が南佐久郡北相木村を中心に捜索を開始

19時45分 運輸省航空局長室に「JAL123便対策本部」が設置。藤波官房長官が首相官邸に戻る

19時47分 中曽根首相が軽井沢から公邸に戻る

19時50分 長野県警警備2課内に日航機墜落事故対策連絡本部、臼田署に日航機墜落事故対策本部、北相木村役場内に日航機墜落事故現地指揮本部が設置される

19時54分 空自百里救難隊のV-107ヘリ、正確な位置のため発進。災害派遣出動要請なし ※20時33分に災害派遣要請が出る

19時58分 空自百里MU2S発進

20時00分 群馬県警警備2課に日本航空機行方不明事故対策室が設置される

20時16分 政府対策本部の設置決定。日本アイソトープ協会から「事故機に医療用ラジオアイソトープ(放射性物質)が92個積載されていた」と警察庁に届け出がでる

20時21分 長野県と群馬県の県境にあるぶどう(武道)峠より200メートル群馬県側に入った長野県警臼田署のパトカーから「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」との通報が長野県警本部に入る(地上からの最初の公的目撃報告)。長野県警、ぶどう峠・三国峠(ぶどう峠の南東方向・埼玉県、長野県の県境)付近で捜索・聞き込みを始める

20時30分 米空軍C―130H上空旋回、同空軍UH1救難ヘリを誘導。朝日新聞社のヘリ「ちよどり」羽田発進

20時30分すぎ日航対策本部に高木社長ら役員がそろう

20時33分 羽田の航空機救難調整本部(是枝孝空港長)から航空自衛隊中部航空方面隊司令部(入間)に災害派遣が要請される

20時40分 中空司令松永空将、入間基地を非常召集、30人を先遣隊として出発

20時40分ごろ防衛庁内に対策本部が設置

20時42分 航空自衛隊百里救難隊のV-107ヘリが墜落現場上空に到達。「150~200メートルにわたって山腹炎上、位置は横田タカンから299度、35.5マイル」と報告

20時50分 厚木米海軍航空隊基地からの海兵隊救難チームがUH-1ヘリで墜落現場上空に到着。墜落現場付近に海 兵隊員2人をラペリング(ロープを使った垂直降下)で降ろそうとするが横田基地司令部からの帰還命令(理由は「日本の救助隊が現地に向かっているから」)を受け中止。それまで上空で旋回していたC-130と共に基地へ帰投

21時0分 長野県警、群馬側と確信。群馬県警。上野村の藤村輔二郎猟友会会長に道案内を依頼

21時6分 朝日ヘリ「ちよどり」が墜落現場上空に到達 

21時10分 朝日ヘリ 「ちよどり」、現場撮影

21時20分日航、搭乗者名簿を発表。この間羽田東急ホテルに乗客の家族が集まる

21時25分 「日航救援隊」(日航現地派遣団)がバスで羽田を出発。しかしお盆の帰省ラッシュに巻き込まれる
↓ 
21時25分 「ちよどり」現場計測「羽田から304度方向60マイル群馬側」 

21時30分 群馬県警警備2課の日本航空機行方不明事故対策室、日本航空機行方不明事故対策本部に切り替え。陸上自衛隊に災害派遣出動要請が出る。12偵察隊、13連隊情報小隊が出動。航空自衛隊熊谷基地から地上部隊の先遣隊10人が出発 

21時30分 是枝空港長、東部方面総監部に災害派遣要請。陸自第12偵察隊(相馬原)と第13普通科連隊情報小隊(松本・小川二尉)計14名出発。読売ヘリ127号機、現場撮影

21時39分 長野・埼玉遼県警パトカー、三国峠西北西で赤い煙発見。NHK―TV「御座山中腹で煙を見た」とぶどう峠からの目撃談を報道→日航・警察に通達され、御座山へ移動開始 

21時50分 NHKが目撃証言として北相木村の御座山(長野県)に落ちたと報道。その一方で長野、埼玉両県警のパトカーが目撃情報から墜落地点は群馬側と判断する 

21時50分 空自百里MU2S現場写真撮影 

21時56分 自衛隊空幕が運輸省に運用課に峯岡山のレーダーから消滅した「北緯36度02分東経138度41分」の位置→御座山北斜面」と連絡

21時59分 自衛隊空幕が運輸省運用課へ「千葉県嶺岡山のレーダーから消えた位置は北緯36度2分、東経138度41分」と連絡する。「墜落現場の位置は長野県北相木村の御座山北斜面に確定した」という情報が自衛隊、日航、警察庁、長野県警に流され、現地付近で捜索していた警察は御座山へ移動

22時03分 NHK―TV「御座山北斜面で炎上中」と報道。日航も「御座山北斜面」と正式に発表 

22時05分 朝日「ちよどり」羽田格納庫で墜落地点の計測「三国山の北方5km群馬側」

22時15分日航職員の現地派遣団第3陣が羽田を出発 

22時30分 政府対策本部が設置される 

22時50分 日航、札幌・大阪地区にも対策本部を設置。朝日「ちよどり」羽田発進再度現場へ 

23時00分 首相官邸で政府対策本部の第1回会合現場未特定。群馬県警、上野村山間部の小倉山付近の民家に対して聞き込みを開始。群馬県警、上野村に1000人投入通知 

23時30分 長野県警「現場は群馬と特定している①御座山で残骸見つからず②上野村のほうへ飛んでいったby菊原孝雄氏」と報告。群馬県警「北偉36度02分東経138度41分by自衛隊」を頼りに船坂山東側の「マムシ岳」付近の捜索開始→群馬県警機動隊、御巣鷹山方面に向かって捜索を始める 

23時35分 朝日「ちよどり」現場到着 

23時45分 防衛庁に「御座山ではなく群馬県側の可能性」の情報が入る 

8月13日
0時00分 警視庁機動隊員200人と埼玉県警機動隊員222人が群馬県警に到着する

0時5分 防衛庁で山下徳夫運輸大臣主宰の第一回日航機事故対策会議が始まる。航空自衛隊のMU-2救難機及びV-107ヘリが再度出動する

0時36分 群馬県警、上野村役場に現地対策本部を設置。出動人員は他県からの応援を含んで1086人になる。空自入間V-107ヘリ(金子正博一尉)発進

1時00分 空自V-107墜落現場上空に到着し、位置を計測。「入間から291度、36.3マイ ル」と報告→長野県警のパトカー誘導をするも現場確認できず失敗。空自静浜から115人が基地出発

1時5分 羽田東急ホテルから乗客の家族300人を乗せた第1陣のバスが長野県小海町の日航現地連絡本部に向けて出発

1時15分 空自入間本隊548人が基地から出発

1時30分 陸上自衛隊第13普通科連隊情報小隊・第12偵察隊が北相木村に到着、御座山北斜面の捜索開始。中空司令部、空幕運用課に未確認情報として「ぶどう峠から210度3マイル御座山南斜部から1キロ」と連絡

1時35分 日航派遣団第1陣が長野県南牧村到着、北相木村に入る 

2時00分 市ヶ谷の東部方面総監部から陸上自衛隊大宮駐屯地の科学学校に災害派遣準備命令が下る

2時00分空自熊谷本隊91人が基地から出発

2時15分 朝日新聞最終確定版「群馬・長野県境で炎上」、読売新聞「御巣鷹山(群馬・長野県境)付近に墜落」の見出し

2時20分 防衛庁、在京社会部に電話で御座山南斜面頂上から1キロ」と連絡←ホントかよ・・・

2時30分 羽田の捜索救難調整部(RCC)から海上保安庁運用司令室に「ドアがはずれた場合乗客が機外に吸い出される可能性がある」と通報。その情報 は第3管区海上保安部に伝えられ、駿河湾で行動中だった巡視船「おきつ」・下田港にいた「まつうら」・清水港の「しずかぜ」が捜索を開始

2時37分 陸自立川HU1、映像伝達装置付で相馬原へ向かう 

3時4分 群馬県警機動隊、船坂山南・中ノ沢林道行き止まり地点から長野県境へ向けて捜索を開始

3時25分 北相木村役場に日航現地派遣団の藤野団長が到着、長野県警と対策を協議する。陸自第13連隊の本隊第12戦車大隊、第12施設大隊到着、第12師団長・合原陸将「夜明けを待って行動開始」決定・陸幕了承する

3時30分  空自先遣隊10人北相木村到着 

3時40分 日航現地派遣団、北相木村役場内に現地対策本部を設置

3時45分 NHK―TV「御座山南斜面」と報道する 

3時49分 陸自立川HU1、映像伝達装置付で相馬原へ向かう 

3時50分 空自入間先遣隊北相木村小学校到着 

3時56分 空自V-107ヘリが入間基地を離陸する

3時59分 陸自OH6が駐屯地発進 

4時30分 北相木村役場付近に集結していた自衛隊約700人がぶどう峠から東へ移動する。朝日「ちよどり」三度羽田発進。地元消防団の一部が墜落現場に向かう 

4時39分 防衛庁発表「V―107三国山西約3キロ、扇平山北約1キロ」、V-107ヘリ、墜落現場上空に到着し123便の残骸を発見 

4時50分 科学技術庁「アイソトープは人体に支障なし」と発表
4時50分 空自入間本隊548人が基地から出発

4時55分 陸自立川HU1「三国山北西約2キロで機体視認」

5時5分 群馬県警藤岡署から藤岡市総務部長の自宅に遺体収容所や家族待機所の提供要請が入る 

5時10分 防衛庁発表「御座山東方約5㎞」。陸上自衛隊のOH-6ヘリが墜落現場を確認

5時33分 V-107ヘリの「三国峠の340度3~4キロ3㎞で機体確認」と報告 

5時37分 長野県警のヘリ「やまびこ」が墜落現場を確認する。「御巣鷹山南南東約2㎞、県境から東方に700m。現場は群馬県側」と報告 

5時40分 空自熊谷本隊91人北相木村役場到着

5時45分 陸上自衛隊第12師団の発表「御座山東7㎞、南4㎞の地点に白い尾翼発見。さらに500メートル離れたところに黒こげ物体発見。12師団は1000名出動。長野県警の発表「御巣鷹山南南東2㎞、県境の東700mのところに墜落物体発見」。上野村消防団員に出動命令が流れる
↓ 
5時50分 空自百里RF4E偵察機2機、写真撮影で発進 

6時15分 陸自立川HU―1東部方面総監部に映像伝達

6時30分 陸自東部方面総監部に現場の画像が届く→ラペリング=垂直降下(地面に垂直なロープによって人員を降ろすこと)で降ろすことに決定、習志野駐屯地第1空挺団の編成開始
↓ 
6時40分 空自静浜115人北相木村小学校到着 

6時50分 日航対策本部に「遺体は群馬県側に下ろした方が得策」と現地派遣団から連絡が入る

7時00分 群馬県警機動隊40人が上野村猟友会会長の案内で本谷林道から現場へ向かう。上野村消防団の全8分団も中ノ沢と本谷の2つの林道に分かれて現場に向かう。松本連隊情報小隊14人が長野県側から入山する

7時10分 海上保安庁、航空機で海上捜索 

7時30分 日航対策本部に「遺体は群馬県側に下ろす。検死は上野村小学校で行い、遺体の安置は藤岡市民体育館、遺族休憩所は安置所付近」と警察庁の指示 ※結局全て藤岡市民体育館になった

7時54分 習志野第1空挺団(重高昭教一佐)73人ヘリで発進 

7時55分 長野県警ヘリ「やまびこ」に乗り込んだ長野県警レスキュー隊の隊員2人が現場から2,3㎞下流の沢にロープを使って降下

8時35分 警視庁ヘリ「おおとり」上野村からレンジャー8人乗せ現場へ

8時49分 第1空挺団、墜落現場に直接ラペリング降下を開始

9時00分 山下運輸大臣による第2回対策会議 

9時25分 長野県警レスキュー隊の2人が水平尾翼の落下現場に到着する 

9時30分 第1空挺団、陸幕に「降下地点、目下生存者なし」と報告。上野村消防団第5分団が墜落現場に到着。松本連隊情報小隊14人が墜落現場直前に到着

9時48分 藤岡公民館に日航対策本部が設置される

9時54分 第1空挺団73人の降下が完了 

10時00分 政府第二回対策本部会議 

10時15分 群馬県警機動隊が墜落現場に到着 

10時15分 立命館大学の深井教授一行4人が墜落現場に到着

10時20分 警視庁ヘリ「おおとり」のレンジャー部隊8人、遺体捜索 

10時40分 長野県警レスキュー隊の2人が墜落現場に到着する。スゲノ沢に降りる途中に上野村消防団5・6人と合流

10時40分 空自YS―11、現場上空で管制活動 

10時45分 第12師団第3次偵察部隊(関根貞夫二尉、小林幹夫一曹)の2人と第1次隊の2人が墜落現場に到着 ※報道陣らも「参入」

10時54分 長野県警レスキュー隊員が生存者を1人発見 

11時00分 第12師団偵察部隊、上野村消防団と合流し上方の空挺団に生存者発見を連絡 

11時3分 長野県警レスキュー隊員が生存者を2人発見 

11時5分 長野県警レスキュー隊、猟友会・上野村消防団が生存者を1人発見

11時30分 現場からのテレビ生中継が始まる。日航現地本部、北相木村から上野村へ移動 

11時45分 政府対策本部から日航に「運輸大臣、航空局管制保安部長、官房副長官らが現地に向かう予定」と連絡が入る

12時30分 日赤の医師1人、看護婦3人がヘリコプターで墜落現場の尾根に到着、生存者の応急処置を開始 

12時45分 運輸省から日航に「事故調査委員会12人をヘリで現地に派遣する」と連絡が入る 

13時29分 生存者4人の自衛隊ヘリつり上げ収容開始 

13時40分 高木日航社長が藤岡市公民館現地対策本部に到着する 

14時8分 生存者2人(吉崎博子さん、落合由美さん)を乗せた自衛隊のヘリがが藤岡市立第1小学校のグラウンドに着陸 

14時12分 生存者2人(川上慶子さん、吉崎美紀子さん)を乗せた東京消防庁のヘリがが藤岡市立第1小学校のグラウンドに着陸 

14時13分 先の生存者2人が多野総合病院に着く。後の2人も同じ病院に搬送され応急手当が始まる 

15時21分 川上さんが国立高崎病院に移送される

16時15分 遺体安置所が第1小学校体育館と藤岡市市民体育館に変更 

17時00分 山下運輸相、藤岡北中学校で遺族に対し陳謝。運輸省航空事故調査委員会、13日の調査を実施しないことに決定 

18時00分 群馬県警機動隊、13日の作業を終了。自衛隊は作業を続行。 相模湾で試運転中の自衛艦「まつゆき」から海上保安庁東京湾海上交通センターに「相模港の居島灯標から246度、8.1海里の地点で、航空機の破片らしいものを発見した」と報告

18時30分 現場対策本部、探索を中止 

18時55分 自衛艦「まつゆき」から海上保安庁東京湾海上交通センターに「破片を回収した。垂直尾翼の一部らしく赤い鶴のマークの一部がある。厚さは65センチくらい、リベットが打ってある」と詳細報告が入る

19時30分 政府第3回対策本部会議

20時28分 巡視船「あきづき」破片を館山湾内で引き取る 

21時00分 浦賀水道航路を哨戒中だった巡視艇「あきづき」が館山湾内で「まつゆき」から回収された破片を引き取る 

22時40分 巡視艇「あきづき」、横浜港に入港。事故調査委員会の検分によって回収された破片は製造番号から事故機の垂直安定板の一部ということが判明 



5-証言


生存者4人のうち、客室乗務員(この日は非番)だった落合由美さんの証言に関するもの





大事なことなので2度書きますよ

ダッチロールという言葉は、知りませんでした。

あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。 きょろきょろしていたとき、私は、トイレの上の横長の壁がほとんど全部、はずれていることに気がつきました。


 おい、落合さん本人が「落合証言」を否定しているではないか!生存者の証言を日航側が偽造・捏造していたわけである。一応、病院に搬送されて1時間たたずに航空自衛隊の医官、事故調の調査官で事情聴取をしているようだが・・・。なんで偽証・捏造をしなければならないのかというと、急減圧に都合がいいかららしい。

アントヌッチ証言 (原典は米軍用ミニコミ誌『stars and stripes 』、引用は『御巣鷹の謎を追う』に載っている和訳文)


米軍機c-130に載っていた中尉の証言。彼によると、7時19分には墜落地点が特定できていたのにも関わらず、上から「日本軍 事故当時が向かっているから引き揚げろ」と言われて撤収したのに・・・・・・という内容。なぜにあんなに日本側の救助が遅れたのかに関するものとして注目されている。最初と最後の部分は感想っぽいのでカットした。


※ご本人からの訂正―当時電波誘導したヘリは厚木基地の海兵隊ヘリではなく、キャンプ座間の米陸軍ヘリの間違いだった。『隠された証言』より



6-日本航空ボーイング747型機墜落事故最終調査報告要旨 (読売新聞87年6月20日)


「事故調査の経緯」を除き抜粋
こちら



7-『沈まぬ太陽』のモデル 週刊朝日 2000年2月11日号より


国民航空→日本航空
恩地元(主人公)→小倉寛太郎
行天四郎→特定モデルなし
桧山社長→松尾静麿・日航元社長(故人)
小暮社長→朝田静夫・日航元社長(故人)
堂本信介社長→高木養根・日航元社長(故人)
関西紡績→鐘紡
国見正之会長→伊藤淳二・日航元会長、鐘紡名誉会長
海野昇社長→山地進・日航元社長
三成通男副社長→利光松男・日航常任顧問、元社長
秋月純専務→萩原雄二郎・日航元専務、日航開発元会長
八馬忠次労務部長→吉高諄・日航元常務、空港グランドサービス特別顧問
川野秘書課長→平野聡・日航特別参与
細井“針金”課長→特定モデルなし
利根川泰司総理→中曽根康弘・元総理
道塚要運輸大臣→三塚博・元運輸大臣
十時官房長官→後藤田正晴・元官房長官、元副総理
永田元首相→福田赳夫・元総理(故人)
竹丸副総理→金丸信・元副総理(故人)
井之山代議士→井上一成代議士
“目白の女王”安西富貴→“越山会の女王”佐藤昭子
石黒・運輸省航空局総務課長→黒野匡彦・元運輸相航空局総務課長、前事務次官
龍崎一清→瀬島龍三・日本商工会議所元副会頭

恩地は典型的なサヨク
民青同盟・東大駒場班・1999年駒場祭講演会
民青同盟が東大駒場班が呼んだという1999年の講演内容がうpされているが、サヨクのアジテーションそのもの

『沈まぬ太陽』余話Ⅲ
しかしこの人物は戦後東大に入学したあたりから学生運動にはまり、卒業後なぜか数年の空白期間があった後に日航に入社し、人権や生活保障を盾に、ストだの何だのをして最後にアフリカに飛ばされた

深田祐介氏による『沈まぬ太陽』批判に対する再批判
小倉氏がまともなことをしていたら深田氏はこんなことは言わないよ。アカだったってことだろう?
結局労組側から見た深田祐介の言い分で、漏れは深田氏の批判はすべて賛同します。


 漏れは日航の批判をすることは一向に構わないと思っている。ただ、この事故の関連本は読む気が失せるほど労組の立場から見た話ばかりで、正直うんざりしてきた。『沈まぬ太陽』は結局それをベースにしているわけだし。それでも主人公のモデルになった人物がまともに社会悪と闘ってきたのならよい。しかし、恩地のモデルという小倉 寛太郎(1930~2002)は親方日の丸に対して反発する側の立場で、自身は共産党員だった。ああ、だめだこりゃwこんな経歴じゃバイアスのかかったものだとみなさざるを得ない。そしてこの人は日航機の遺族係などではない。まして1日も遺族の対応になど当たってない。これは少なからず指摘されているのでまだいい(本当は全然良くないけど)。山崎豊子氏がこんな奴を主人公のモデルに仕立てたらどうなるか! 100%フィクションいや、プロパガンダになりますw
しかし、このフィクションはモデルが分かりやすいし、日航機事故の被害者は実名だし、タチが悪すぎる!いくらなんでも実名にしてはいけない。結局これは、フィクションだと断っておきながら、実名を使ったりしていかにもこれが事実だと暗に主張しているようなもので、しかも面白いだけに、ものすごい悪質である。これが作者の純粋な妄想だったならばまだ表現の自由として許されます。しかし、プロパガンダの垂れ流しは許されないと漏れは思います。 こういうものを創作物とは言わない、プロパガンダだ!
やるのなら当事者がとっくにいない『三国志演義』のようにやるべきだ。とはいえ、これも、正史の曲筆・大人の事情と小説・マンガのフィクションを混ぜだすやつが大勢いるからな・・・。
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