横田滋さん夫妻らが福岡県北九州市内で講演し、「蓮池さん夫妻から、めぐみが北朝鮮で招待所のある集落の3号舎に住んでいたと聞いた」などと述べました。「横田めぐみちゃんがかわいそう、増元るみ子さんがかわいそう、気の毒ですねという単純な問題ではない。日本の国家が問われている」(横田早紀江さん)
横田滋さん、早紀江さん夫妻らは8日、JR小倉駅前で街頭演説を行い、拉致被害者の一日も早い救出を訴えました。また、横田滋さんは「蓮池薫さん夫妻らから『めぐみがピョンヤン郊外の忠龍里(チョンリョンリ)で田口八重子さんと一緒に招待所の3号舎に住み、その後、太陽里(テヤンリ)の招待所に引っ越した』と聞いた」と述べました。
しかし、滋さんは「なぜそんなに引っ越しを繰り返すのか。北朝鮮側は『めぐみが頻繁に入退院を繰り返した』とのカルテも出してきたが、どの程度信用していい話かわからない」と述べました。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye1187429.html
26 辛光洙がめぐみさんと曽我さんの教育係 曽我さん証言 産経 05年7月13日
≪拉致実行犯が直接指導≫
拉致被害者の曽我ひとみさん(46)と横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮の同じ招待所で生活していた際、原敕晁さん=同(43)=を拉致した主犯とされる元北朝鮮工作員、辛光洙(シン・ガンス)容疑者(76)=旅券法違反容疑などで国際手配=が2人の朝鮮語などの教育係を務めていたことが13日、関係者の話で分かった。
めぐみさんは1977年11月、新潟市内で拉致された。曽我さんは78年8月に新潟県・佐渡島から拉致され、直後の約2年間をめぐみさんと同じ平壌市内の招待所で暮らしたとされる。関係者によると、2人はこの間に辛容疑者から教育を受けたという。帰国後、辛容疑者の映像を報道で見た曽我さんが証言したとされる。
辛容疑者は85年に韓国でスパイ容疑で逮捕され、死刑判決を受けたが、その後恩赦で釈放され北朝鮮に送還された。警察庁は2002年9月、80年に失跡した原さんの旅券や運転免許証を不正に取得、出入国を繰り返したとして旅券法違反容疑などで辛容疑者を国際手配した。
日朝交渉の席などで、北朝鮮は「原さんは辛(容疑者)との利害関係一致により自発的に(北朝鮮に)来た」と主張。辛容疑者の日本への身柄引き渡しを拒否している。(共同)
http://www.sankei.co.jp/news/050713/sha103.htm
辛光洙だが、早く日本に身柄を引き渡してもらえよ・・・
共同通信 06年01月5日
曽我さんは辛容疑者から直接、めぐみさんを拉致したことを聞いたと証言。
毎日 05年12月31日
地村さん夫妻は78年7月、福井県小浜市の展望台で4人組の男に拉致された。地村さんは「実行グループを指揮していたのは、辛元工作員だった」と話しているという。
TBS news i 06年1月21日
シン元工作員の配下の男が、田口さんが勤めていた飲食店にたびたび出入りしていたことが警察当局の調べで新たにわかりました。
27 めぐみさん「家の近くで男に捕まった」曽我さんに語る 読売 05年9月16日
1977年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが、翌78年に曽我ひとみさん(46)と初めて会った日の夜、「家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と拉致の瞬間を語っていたことが15日、分かった。
めぐみさんは、新潟市内の自宅近くの丁字路で足取りが途絶えてから、目撃証言がなく、拉致の状況は全く分かっていなかった。その一端が明らかになるのは初めてで、警察当局は、周辺の空き地に引きずり込まれ、船で連れ去られた疑いが強いとみている。 曽我さんは、19歳だった78年8月12日、新潟・佐渡で母親のミヨシさん(当時46歳)とともに拉致され、数日後、平壌郊外の「招待所」と呼ばれる施設で、9か月前に拉致されていためぐみさん(当時13歳)と引きあわされ、共同生活を始めた。
関係者によると、2人は対面初日、招待所が用意したジュースや食事を取るうちに、うち解けた会話ができる仲になった。拉致が話題になったのは、その夜、めぐみさんが、足を引きずっていた曽我さんに、「どうしたの」と問いかけたことがきっかけ。曽我さんは、その言葉の優しさに、自分が拉致されたことを打ち明けると、めぐみさんは「私もバドミントン部の練習の帰りに、家の近くの曲がり角で男の人に捕まえられた」「すぐそばの空き地に連れて行かれた」と語り始めた。
この時、めぐみさんは実行犯の人数などには触れなかったが、2人は「本当に怖かったね」「すごく恐ろしかった」とささやき合って眠りについたという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050916i101.htm
28 拉致被害者は"工作員村"にいた NHKクローズアップ現代 05年9月15日
めぐみさんのようす
1978(昭和53)―めぐみさん、曽我ひとみさんと共に北朝鮮の工作員から高いレベルの教育を受ける。
1979(昭和54)―めぐみさん、蓮池夫妻・地村夫妻・田口八重子さんと一緒に“チュンリョン里”(忠龍里)に集められて日本語教育
1984~85―めぐみさん&田口さん、金淑姫に日本語教育。めぐみさんの教え子には後の夫キム・チョルジュンも
1986(昭和61)―日本人は全員“チュンリョン里”(忠龍里)を離れることを命じられ平壌に→移動後日本人化教育続行
1987(昭和62)―大韓航空機爆破事件(11月)以降、日本人化教育は中止→翻訳など
曽我ひとみさんの手紙
・めぐみさんと初めて会ったのは1978年8月18日。車に乗り二階建ての家に行った。家に入るとニッコリと笑って私を迎えてくれた。
・朝鮮語の勉強も始まり、チュチェ思想の勉強、朝鮮の歴史の勉強、その他数学と科学。めぐみさんは頭が良くてすぐに覚えてしまう。
蓮池薫さんの話
・私たちはめぐみさんと一緒の地区にいた。それは平壌から車で1時間ほどの“チュンハ郡チュンノンリ”という場所。
・人里放れた山間の地区の谷間に私たち日本人拉致被害者が暮らす招待所が作られていた。
・私達(蓮池・地村夫妻・めぐみさん・田口さん)は工作員に日本語を教える任務を命じられていた。一日数時間にも及んだ。
・日本人同士が会うことは禁じられていた。地村さんとは山の裏で時間を決めて密会。
・めぐみさんが教えた工作員の名前は“キム・チョルジュ”。後にめぐみさんと結婚した。
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050915000182.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000027.html
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/09/16/d20050916000194.html
ところで、曽我ひとみさんと共に生活して1ヵ月後、紙に鉛筆で(曽我さんの)手の形を描いてくれたことを話していたのを知ったのだが、しばらく「なぜに手なのだろうか」と思っていた。そういえば・・・・・・中学の時、美術の授業で鉛筆で手を描くのをやったな~。1年のしかも1学期
29 ジェンキンス氏「めぐみさん」で新証言 TBS NEwSi 05年9月29日
曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが北朝鮮での横田めぐみさんについて初めて証言した内容が明らかになりました。そこからは、今まで全く知られていなかっためぐみさんの北朝鮮での姿が浮かび上がります。
「ひとみが私の元へ引っ越すと決まったとき、それまで一緒に暮らしていた横田めぐみさんは餞別としてバドミントン用のバッグをひとみにあげた。ラケットを入れるには小さく、めぐみさんが運動着を入れていたものだった」(ジェンキンスさんの著書『告白』より)このジェンキンスさんの証言は、来週出版される著書、『告白』(10月7日発売角川書店)の中で明らかになったものです。「バドミントンの時に着るトレーナー、上下の体操服、あれがちょっとワインカラーのようなえんじ色のを持っていたんですけれども、(蓮池祐木子さんが)『北朝鮮で見た』と、『めぐみさんあれ持ってましたよ』って」(横田早紀江さん)めぐみさんとともに消えた身の回りの品物のうち、横田早紀江さんが最も気にしていたのが、めぐみさんが中学のバドミントン部時代、体操着を入れていた赤いスポーツバッグでした。「赤いバッグ持ってたでしょ、あの子がね。スポーツバッグを持っていったでしょ。だからいつも海を見てても(赤いブイが浮いていると)ひょっとしてあれがスポーツバッグではと、じって見ていたんですよ」(横田早紀江さん)「側面に17という白い数字が縫いつけてあり、内側にはマジックで『横田めぐみ』と漢字と平仮名で書いてあった。ある時、ひとみと私は名前を洗い落とそうとした。見つかるのをひとみが嫌がったからだ。そこで、継ぎをあてて、樹脂で接着し、隠した」(ジェンキンスさんの証言)北朝鮮では買い物袋のビニールが薄くて破れやすく、ジェンキンスさんは砂糖や卵を買ったとき、このバッグに入れて持ち帰りました。去年、北朝鮮を出るときまで、自宅で大切に保管していたということです。
「ひとみは私の家に越して以来、めぐみさんと連絡を取る機会がなくなった。わずかに接触できたのは、私の記憶ではたった2回。1回目は83年か84年のある日の晩、外貨専用のデパートで買い物をしていた時だ。ひとみがめぐみさんと住んでいたころ、2人でよく買い物をした店で、親しくしていた店員がいた」(ジェンキンスさんの証言)2人が会えなくなって数年、めぐみさんは、もし当局に知られれば身に危険が及ぶことを承知でひとみさんに宛てた手紙を書き、この店員に託したのです。
「ひとみは店員から折りたたんだ手紙を渡された。ひとみは死ぬほどびっくりして緊張したという。帰宅してやっとひとみは手紙を読んだ。差出人の署名もなく、いきなり(朝鮮語で)『カナラ』、朝鮮語の『あいうえお』で始まり、『朝鮮語の勉強は進んでいますか?』と書いてあった。ひとみにはすぐ横田めぐみさんからだと分かった。危険を少しでも避けるために、差出人がわからないようにし、元気にしていることだけをひとみに伝えたのだろう」(著書『告白』より)2回目は85年か86年、これが2人の最後の出会いとなりました。「ピョンヤンの別のデパートで買い物をしていると、めぐみさんが入ってきた。めぐみさんとひとみを2人きりにしてやりたい、2人にとってこれがどれほど貴重な機会か、私にはわかった」(著書『告白』より)
わずか10分間の立ち話。それ以降、めぐみさんの情報を耳にすることはなかったと言います。北朝鮮で、めぐみさんを思い、1人部屋で泣いていたひとみさんの姿を見て、自らもめぐみさんの無事を祈ったジェンキンスさん。新たな証言は、めぐみさんが厳しい環境の中、懸命に生きる姿を浮き彫りにしています。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3127353.html
30 スクープ!めぐみさんの"夫"も韓国人の拉致被害者 テレビ朝日ANN 05年11月3日
拉致被害者・横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏も拉致された韓国人であると、複数の関係者が話していることが明らかになりました。
キム・チョルジュン氏は、去年11月の日朝実務者協議の際に姿を見せ、当時の日本政府代表団と面会しています。日朝関係者はANNの取材に対して、「北朝鮮高官から『キム・チョルジュン氏が韓国人である』と聞かされた」としています。また、別の家族会関係者によると、キム・チョルジュン氏は韓国から拉致された被害者で、名前についても偽名だということです。キム・チョルジュン氏は日本政府代表団との面談の際に、「工作員である」という理由で、写真など身元確認につながるものの提供を一切、拒否しています。
横田滋さん「どこの国の人であっても、めぐみが強制的にかもしれないが、一緒に生活した人で、今でもキム・ヘギョンさんを育ててくれているので、感謝しないといけない」
北朝鮮による韓国人の拉致被害者については、500人近くに上るとみられています。しかし、キム・チョルジュン氏の顔写真や実名が明らかになっていないため、被害者のなかに該当者がいるかどうかは確認されていません。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index4.html?now=20051103163415
31 「めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者」…韓国家族会 読売 05年11月7日
【ソウル=中村勇一郎】韓国の拉致被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表は7日、読売新聞の取材に応じ、横田めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュン氏について、「北朝鮮高官から韓国人拉致被害者だと聞いた」と明らかにした。
崔代表は昨年9月、北朝鮮で死亡した韓国人拉致被害者の遺骨を受け取るため、中国・延吉に行った際、秘密裏に北朝鮮高官と面談。高官は、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者だとし、「めぐみさんが北朝鮮で、1977~78年に北朝鮮に拉致された韓国人拉致被害者5人と一緒に教育を受けていた」とも話したという。高官は「キム・チョルジュン」という名前は偽名だとしたが、本名については明らかにしなかったという。
韓国政府が現在、北朝鮮による拉致被害者と正式に認定しているのは486人。崔代表は韓国政府に拉致被害者の救済を要請する一方、自らも中国に渡って脱北支援活動を行っており、これまでに4人の韓国人拉致被害者を中国経由で韓国に連れ戻している。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20051107i204.htm
32めぐみさん拉致も辛容疑者 曽我ひとみさん証言 共同 06年1月5日
北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(46)が、横田めぐみさん=失跡当時(13)=を拉致した実行犯として、別の拉致事件に関連して国際手配中の元工作員辛光洙(シングァンス)容疑者(76)の名前を挙げていることが5日、関係者の話で分かった。 新潟県警など警察当局も同様の情報を把握しており、国外移送目的略取容疑で捜査する方針。 辛容疑者は地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻の拉致事件でも、警察当局が実行犯として国外移送目的略取容疑で逮捕状を請求、国際手配する方向で捜査を進めている。 めぐみさんは中学1年だった1977年11月、バドミントン部の活動を終えて下校途中に、新潟市内で北朝鮮に拉致された。めぐみさんと曽我さんは拉致された直後、平壌の招待所で一緒に生活し、辛容疑者が2人の教育係だったことが既に分かっている。 関係者によると、曽我さんは辛容疑者から直接、めぐみさんを拉致したことを聞いたと証言したという。
→早紀江さん:すでに05年11月末に曽我さんから聞いたが「出さないで欲しいと頼まれていた。ひとみさんは政府や警察には話していたと思う。外交のカードとして取っているのだろうと思ってた。辛が北朝鮮に帰されるかもしれない時は、韓国大使館や政府にお願いにいった。もう長い時間がたっているのに、国がどうしてはっきりした態度をとれないのか。(1月6日記者会見)
33 横田めぐみさん「夫」は拉致韓国人 DNA鑑定で判明 朝日 06年4月11日
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの夫とされる人物が韓国人の拉致被害者である可能性が指摘されていた問題で、日本政府は11日、めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんと韓国の拉致被害者である金英南(キム・ヨンナム)氏が父子関係にある可能性が高いとするDNA鑑定の結果をまとめた。政府は今後、北朝鮮側にこうした結果を伝え、改めて被害者の帰国や真相の究明などを求める方針だ。
日本政府は2月、韓国側の協力を得て77~78年に北朝鮮に拉致されたとみられる男性5人の家族から血液、毛髪などを採取。キム・ヘギョンさんのDNA情報と符合するか、二つの大学に鑑定を依頼していた。この結果、両大学の鑑定結果は金英南氏の可能性が高いことで一致したという。この鑑定結果を受け、政府関係者は、来日中の北朝鮮の金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官らと改めて日朝協議を行う可能性がある、と指摘した。政府は北朝鮮側に直接鑑定結果を説明し、拉致問題での厳しい国内世論を伝えることで、北朝鮮側の前向きな対応を促したい考えだ。めぐみさんの夫とされる人物については、「キム・チョルジュン」と名乗る男性が04年11月に日朝実務者協議のため平壌を訪れた日本政府の代表団メンバーと面会。めぐみさんの遺骨とされるものを代表団に提供したが、日本側の鑑定で遺骨は別人のものだったとの結果が出た。この男性と金英南氏が同一人物であるかどうかの確認も、できていない。
http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200604110219.html
この旦那金英男氏だが
西日本新聞 06年4月11日
韓国の拉致被害者家族らでつくる「拉北者家族会」の崔成龍(チェソンヨン)代表は14日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=当時(13)=の夫である可能性が高い韓国人の金英男(キムヨンナム)さん=同(16)=と家族が、ここ数カ月にわたり平壌近郊で自宅軟禁されていると明らかにした。また、同家族会とともに拉致被害者救出運動に取り組む韓国の団体「被拉・脱北人権連帯」の都希侖(トヒユン)事務総長は同日、西日本新聞の電話取材に対し「金さんは現在、娘のキム・ヘギョンさん、めぐみさんの死後に再婚した女性、その女性との間にいる息子らと暮らしている」と証言した。
34 横田めぐみさんの娘 名前は「キム・ウンギョン」 テレビ朝日 ANN 06年5月16日
拉致被害者・横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんは、実際には「キム・ウンギョン」という名前で呼ばれていたことが分かりました。
めぐみさんの娘をめぐっては、DNA鑑定で親子関係が確認されていますが、名前については「キム・ヘギョン」と公表されていました。しかし、拉致被害者の家族らの証言で、実際の生活では「キム・ウンギョン」という本名とみられる名前で呼ばれていたことが新たに分かりました。横田滋さん:「当然、北朝鮮からの指示で、そういうこと(偽名の使用)になっていると思う。子供まで利用して、『めぐみが死亡した』と言わされている。2代にわたって被害者なわけですから」
めぐみさんの娘は、2002年に公表されたビデオで、「父親にキム・ヘギョンと名づけられた」と自ら説明していました。(ANN)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/soci_news14.html?now=20060516245456
35めぐみさん死亡に矛盾 『手首切ったと 北朝鮮は説明』 東京新聞 07年11月11日
横田めぐみさん=失跡当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから十五日で三十年となる。これを前に、拉致被害者曽我ひとみさん(48)の夫チャールズ・ジェンキンスさん(67)が新潟県佐渡市内でインタビューに応じ、めぐみさんについて、北朝鮮では手首を切ったと聞かされていたことを明らかにした。
北朝鮮はこれまで日本側に対し、「めぐみさんは首をつって自殺した」と説明している。説明に矛盾があることから、ジェンキンスさんは「(めぐみさんらが)死んでいるとは思わない」と話している。インタビューでジェンキンスさんは、北朝鮮が生存を否定している拉致被害者について「北朝鮮はうそをつき、信用できない」と指摘。めぐみさんについて「手首を切ったと北朝鮮では聞かされていた」と明かした。
ジェンキンスさんは「斎木さん(拉致問題の日本政府調査団団長だった斎木昭隆米国特命全権公使)は、首つり自殺したと説明を受けたという。この違いは何なんだ」とし、「北朝鮮が死んでいるとする日本人は死んでいるとは思わない」と強調した。
めぐみさんは中学一年だった七七年十一月十五日、新潟市で下校途中に拉致された。北朝鮮側は、八六年にキム・チョルジュン氏(韓国から拉致された金英男氏)と結婚し、八七年に娘キム・ウンギョン(ヘギョン)さんが生まれたが、うつ病で入院中に病院近くの松の木で首をつって自殺した、と説明している。
しかし、北朝鮮側は当初「九三年三月」としていた死亡時期を、後に「九四年四月」と訂正。また北朝鮮側がめぐみさんのものとして提出した遺骨も、日本側の鑑定で別人のものと判明している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007111102063530.html
36 ロシア外交当局者の証言 週刊現代 08年1月19日号
横田めぐみさんは、ほぼ確実に生きています。われわれは2001年に続いてこのほど2度目の本格的な日本人拉致被害者の実態調査を北朝鮮国内で行い、その結果、横田めぐみさんの存命率を85%と結論付けたのです
横田さんは01年以降、平壌から地方に移住させられたが、自宅ではDVDを見たり、小説を読み、一人で元気に暮らしているという。しかし、ロシア外務省高官がこの種の情報を日本のメディアに話すとは思えず、「ロシアの情報屋が提供した信頼度の低い情報」(公安関係者)との見方が多い。だと
37 横田めぐみさん:「94年6月後も生存」 地村さん新証言 毎日新聞 08年5月26日
拉致被害者の横田めぐみさん(当時13歳)について、帰国した被害者の地村富貴恵さん(52)が日本の当局に、「94年6月に自分たちの隣に引っ越してきた」と証言していることが分かった。新証言は、「94年4月に死亡」とする北朝鮮の説明と矛盾する内容。「拉致問題は解決済み」としてきた北朝鮮側説明を覆すものでもあり、拉致問題の今後の行方にも大きな影響を与えそうだ。
昨年末、当局に証言した。それによると、めぐみさんは94年6月、保志さん(52)と富貴恵さん夫妻が住む招待所の隣に1人で引っ越してきた。数カ月そこに暮らしていたが、その後の行方は分からないという。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080526k0000m040118000c.html
38 「めぐみさん招待所に」 空白の1年間 北元工作員新証言 産経 08年7月3日
【ソウル=久保田るり子】韓国在住の元北朝鮮工作員、カン・ヨンイル氏(44)=仮名=が2日までに、1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=に関する新証言を、産経新聞に詳細に語った。それによると、82年から約1年間、カン氏がいた平壌市内の工作員専用の招待所にめぐみさんが暮らしていた。その後、カン氏は86年に工作員専門病院でめぐみさんと再会した。82~83年のめぐみさんの所在はナゾだったことから、“空白”の期間を埋める証言として注目される。カン氏は「約10人の日本人拉致(被害)者を目撃した」とも明らかにした。
元工作員によるめぐみさんに関する証言は、公になっているものでは97年の安明進氏(作戦部所属)に次ぐものだ。カン氏は朝鮮労働党の対外連絡部の元工作員で、90年代前半に第三国で逮捕され韓国に移送された。対外連絡部の工作要員に選抜されたカン氏は82年から約1年間、平壌市内にある連絡部所属の招待所と呼ばれる隔離施設で教育を受けていた。この間、同じ施設内に若い日本人女性が北朝鮮の女性と住んでおり、朝の運動時などによく見かけた。カン氏は約10年後に韓国入りしたのちに、この女性がめぐみさんだと分かったという。施設にいた当時、監視の目を避け会話をした際、めぐみさんは「自分は日本人」と名乗り、「3年ぐらいで日本に帰る」と話した。明るい表情で、日本製のトレーニングウエアを着ていたという。めぐみさんは拉致されたあと「朝鮮語を習得すればお母さんのところに帰してやると言われていた」(日本の関係者)との情報もある。めぐみさんと再会したのは86年夏。平壌市内の「915連絡所」と呼ばれる工作員専門病院で会ったという。めぐみさんから「カン先生」と声をかけられ、立ち話をした。黒っぽいスーツ姿のめぐみさんは、このときも北朝鮮の女性と2人連れで、「婦人科の検査を受けにきた」と話した。以前に比べめぐみさんは朝鮮語が格段にうまくなり、「花が咲いたようにきれいになっていた」と、カン氏は当時を振り返る。めぐみさんは「三石(サムソク)区域の招待所にいる」と近況を話し、連れの女性とベンツで立ち去ったという。また、カン氏は80年代半ばに、工作員養成機関である「金星政治軍事大学」(現在の金正日政治軍事大学)で日本人4人を目撃し、工作員招待所がある龍城地区では5人を見たとも証言した。
日本人拉致被害者の情報をもっているとみられる北朝鮮の元工作員は現在、韓国内に十数人いるとされる。しかし、安明進氏を除き元工作員は、自身の安全や、北朝鮮に残してきた家族に影響が及ぶことなどを懸念し、対外的な証言はしていない。
カン氏は横田めぐみさんの生死について「自殺することは考えられない。韓国や日本なら自殺しても何もないが、北朝鮮で自殺は金日成、金正日親子への反逆で、家族や親戚(しんせき)まで罰せられる。めぐみは最高の待遇、最高の教育を受けていた。そういう者を北朝鮮は簡単に殺さない。具体的な証拠はないが、めぐみは生きていると思う」と述べている。
カン氏は日本政府への情報提供に前向きだ。今後、写真照合など日本側の要請に応じる用意があるとしており、日朝間の拉致被害者の再調査に有益な情報となりうる。
◇
【対外連絡部】作戦部、対外情報調査部、統一戦線部と並ぶ北朝鮮労働党傘下の諜報(ちようほう)・非合法活動機関のひとつ。韓国や日本に工作員を送り込み、韓国内に地下党をつくるなど対南工作を担当。韓国内の主要人物の暗殺、政治、経済、社会、軍事の情報収集、流言飛語の流布などが任務。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030130000-n1.htm
工作員教育? 空白の1年「最高級の待遇」 めぐみさん拉致で新証言
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030137003-n1.htm
女工作員と同居か 北の説明、再びほころび めぐみさん拉致で新証言
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080703/kor0807030136002-n1.htm
39めぐみさん「おとなしく病弱」=日本人10人超がスパイ教育-金賢姫元工作員 時事通信 09年1月17日
【ソウル17日時事】1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元北朝鮮工作員が、17日発売の韓国誌・月刊朝鮮2月号のインタビューで、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんについて「おとなしくて病弱」との話を聞いていたと明らかにした。また、元工作員は80年代前半に北朝鮮の工作員教育にかかわっていた日本人拉致被害者が「10人以上はいる」との見方を示した。
元工作員は横田さんに会ったことはないが、一緒に工作員教育を受けていた金淑姫という女性が横田さんから日本語を習っていた。拉致被害者の地村富貴恵さんも同様の証言をしたことがある。
元工作員は横田さんについて「幼い時に拉致され、性格がおとなしく、拉致された韓国人男性と結婚し娘を産んだ」「よく病気になり入院していた」などと聞いたことがあり、横田さんと金淑姫が一緒に写った写真を見たこともあるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090117-00000106-jij-int
40 帰国の拉致被害者証言 田口さん「めぐみさんの面倒みたい」 ヤフーニュース 09年3月10日
■工作員と3人 2年間?同居
拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=が北朝鮮の女工作員と同居しながら日本語教育に従事させられていたところに、田口八重子さん=同(22)=が「めぐみさんの面倒をみたい」と希望して合流し、一時3人で暮らしていたことが9日、帰国した拉致被害者が政府関係者にした証言で明らかになった。
時期は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(47)に日本人化教育をした後の昭和59年前後。めぐみさんと田口さんが同居していたことは既に判明しているが、その一部は女工作員との同居だったことになる。帰国被害者によれば、めぐみさんと田口さんは59年前後から61年夏ごろまで同居。このうち60年ごろまでは女工作員も一緒だったことが新たに判明した。女工作員は金賢姫元工作員の同僚の「金淑姫(キム・スクヒ)」。銃や爆弾などの取り扱いも訓練した女スパイだった。田口さんが自ら北朝鮮当局に「めぐみさんの面倒をみたい」と切り出したことは、それ以前にめぐみさんと面識があったか、同居したことを示唆している。当初は「田口さん-『金賢姫』」と、「めぐみさん-『金淑姫』」の2通りの組み合わせで工作員教育をさせられていた疑いが強まった。金賢姫元工作員は最近になって、「めぐみさんと『淑姫』が写った写真を見た」と証言している。
田口さんは3人で同居するまで、「(金賢姫元工作員との生活を終えた後)しばらく1人で生活した」と話していたことも新たに分かった。北朝鮮側は、田口さんは「61年7月30日に交通事故で死亡した」としているが、帰国被害者は「62年に運転手から、外貨商店で田口さんと会い、人民武力省のナンバーの車に乗っていたのを見たと聞かされた」とも話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090310-00000093-san-soci
41 金賢姫元死刑囚の新証言が明らかに TBS NEWSi 09年4月30日
大韓航空機事件の実行犯、キム・ヒョンヒ(金賢姫)元死刑囚が、拉致被害者の横田めぐみさんとピョンヤンで「何回も会い話もしたことがある」と証言していたことが、JNNの取材で明らかになりました。
キム元死刑囚に対する事情聴取は4月28日、韓国の情報機関の立ち会いのもと、日本の外務省、警視庁公安部、内閣調査室の関係者により、午後3時半から2時間以上にわたって行われました。キム元死刑囚は横田めぐみさんについて、これまで「ポラロイドの写真でしか見たことがない」としていましたが、「81年4月から83年3月にかけて、工作員として日本語や日本の習慣に関しての訓練を受けていた時、ピョンヤン市内の招待所で同僚のキム・スクヒ工作員の教育係だった横田めぐみさんと何回も会い、よく話をしていた。めぐみさんとは同僚の紹介で親しくなった」と証言していたことが明らかになりました。立ち会った関係者は、キム元死刑囚について「事情聴取に終始協力的だった。あんなによくしゃべるとは驚いた」と語っています。そして、めぐみさんについて「物静かな人に見えた。北朝鮮は『死亡した』と主張しているが、生きている可能性が高いと思う」と話したといいます。また、キム元死刑囚は拉致事件解決のために出来るだけ早く日本に行きたいとの希望を伝えたといいます。
対北朝鮮融和政策の見直しを進める保守イ・ミョンバク政権は、日本人拉致事件に理解を示していることもあり、今回の事情聴取が実現したといえます。拉致事件に対して日韓が共同歩調をとることで、今後、北朝鮮からの激しい反発が予想されます。(30日21:10)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4121095.html
→話す準備は出来ていると08年に言っていたのはこれのことですか?
42 妊娠のめぐみさんと会った=金元工作員が新証言―「韓国料理作ってくれた」とも10年7月18日時事通信
拉致被害者の横田めぐみさん=失跡当時(13)=について、金賢姫元北朝鮮工作員が「会った時に(妊娠で)おなかが大きかった」などと証言していたことが17日、関係者の話で分かった。金元工作員が「(北朝鮮で)めぐみさんと会った」と証言したことは既に判明しているが、当時の具体的な様子が明らかになるのは初めて。
金元工作員は20日以降、政府の要請で初めて来日。めぐみさんの父滋さん(77)と母早紀江さん(74)らと面会する予定で、新しい情報が明らかになることが期待されている。
関係者によると、金元工作員はめぐみさんと会った際の状況について「おなかが大きかった」「写真よりも顔がやせていた」などと証言した。めぐみさんは1987年9月に娘のキム・へギョンさん(22)を出産したとされており、この少し前に会った時の話とみられる。
金元工作員はこのほか、「めぐみさんに韓国料理を作ってもらった」などの思い出も話しているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100718-00000005-jij-sociこの後、横田夫妻に対してこの記事の内容について否定したという。