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生命倫理

第一部 生命倫理総論

Ⅰ 生命倫理とは何か

1. 生命倫理学前史
2. 生命倫理学の誕生
3. 認識論的見地
4. 類似の学問との関係
5. 生命倫理の研究機関と生命倫理委員会

古代から現代にいたる医療倫理の成立・発展。二十世紀後半になり、社会が大きく変動。生体臨床医学の発展、ナチスの悲劇後の人権問題の確認、科学の中立性の危機、環境問題、を前に生命倫理学が誕生。1973年以降、一つの学問と呼ばれるようになる(D.Callahan)。
人間生命倫理、動物生命倫理、環境生命倫理があり、主流は前一者。倫理学の一セクションとされ、あらゆる応用・実践倫理学と問題を共有する。一方、哲学、生物学、医学、法学、社会学、遺伝学、環境学、動物学、神学、心理学にかかわる総合学問でもあり、方法論は多様。要は経験論的データをいかに倫理的反省に乗せるか。

Ⅱ 生命倫理にとっての人間

1. カトリック生命倫理の特徴
2. 世俗の人間論モデル
3. キリスト教の人間論モデル
4. 人格主義的提言
結論

カトリック生命倫理学の人間モデルは、神学的反省の内に啓示された人間論に呼応。世俗の人間論モデルの特徴として個人主義、還元主義、効率主義を吟味した上で、キリスト教の人間論モデルを語る。
神との関係において在る人間:人は被造物でありそれゆえ尊い。人はその言動ゆえにではなく、その存在ゆえに価値がある。
あらゆる側面をもちその全体として見られる人間:その要は霊的魂。したがって、身体への働きかけはその人の全体にかかわる。また、身体の生物学的機能は倫理と無関係ではない。
神の象りとしての人間:それゆえ人は自らと他の被造物とを司る立場にあるが、そこに与えられるのは支配権ではなく、責任。人為か自然かという問いにおいて留意すべきはこの点。
キリストの内の人間:創造と贖いの業におけるキリストの役割。身体の尊厳もここにある。肉体蔑視はキリスト教信仰にもとるもの。

Ⅲ 生命倫理の概要 生命倫理にとっての倫理

1. 非認知論的方向
2. 臨床学的-決議論的方向
3. 原理主義的方向
4. 功利主義的方向
5. 社会契約論的方向
6. 人間論的方向
7. 伝統的倫理原理
8. 生命倫理学は新しい倫理学か
結論

ヒュームのアポリア(事実判断から規範判断は出てこない)は、当時の決定論的な現実理解に結びついたものであり、克服できないものではない。これをめぐって、認知主義 vs 非認知主義。後者は真理なき倫理。価値の認識ではなく主体による価値の創造にもとづくあいまいな倫理。
決議論的態度は、一般原則を求めることなくケースごとに対処しようとする。一方、原理主義は、実践的拠りどころとするべく行動の一般原則を求める。善行の原則、悪を行わない原則、自律の原則、正義の原則。そこから、義務論的基礎および神学的基礎にもとづいて具体的な倫理規範をはじきだす。これに対して、単に形式的なものとなる、原理の形成に重点がおかれて倫理理論への言及は二次的なものとなる、原理のパラダイムを適用することで実存的現実を義に導くことは不可能である、等々の批判があるが、一方、まさにその形式性ゆえに原理主義モデルは状況に合わせて柔軟につくることが可能であるととの評価もある。
功利主義においては、価値に関心をもちうるあらゆる主体が倫理主体となる。社会契約論においては、道徳的人間とは契約主体をさす。後者において人とは政治的、社会的存在であり(cf. ロールズ)、したがって胚や胎児、植物状態にある患者は、厳密な意味では人ではなくなる。R.M.Veatchは、契約論的地平に原理パラダイムをとりこみ、非結果主義的原則と結果主義的原則を区別した。
“人間論的方向”の重要な二傾向は、徳の生命倫理と人格主義的生命倫理。徳の生命倫理は、原理に基礎をおく倫理に対し、行為者やその意志に最大限の重要性をおく。人格主義的生命倫理において、人は己の尊厳を認識し、自由で創造的な行いを保証される。善は人の善、すなわち神が被造物に望む善に呼応する。
倫理原理:二重効果の原理:一つの行為から良い結果と悪い結果が生じるときの倫理判断。J.-P.Gury(1801-1886)は、以下のような場合、その行為は容認しうるとした。1. 行為それ自体は善い、もしくは中立的なものであり、2.行為者は善い結果のみを意志しており、3.悪い結果が善い結果の手段となっておらず、4.善い結果と悪い結果の釣り合いがとれている場合。これピウス十二世により公式に認められたが、限界のある原理であるとして、これを補完する「全体性の原理」が同時に推奨される。たとえば身体全体の健康維持のために健康な一部器官を摘出することの正当性が、この原則により説明しうるようになる。これを社会全体に当てはめる動きもあるが、何を部分とし何を全体と定義するかは慎重な考察が必要。最後に、正当な協力の原則、もしくは悪に協力しない原則。意図的な協力(formalis)と、悪い結果を共有するが内面的には悪意を分かち合わない形の協力(materialis)、後者はさらに直接的な協力と間接的な協力に分けられる。

第二部 「殺すなかれ」

Ⅰ 殺人と身体切除

1. 主人感覚
2. 自殺
3. 身体切除
4. 避妊手術
5. 去勢
結論

Ⅱ 自殺

1. 自殺という現象の諸データ
2. 自殺願望の芽生え
3. 自殺の道徳的危機
4. 上位価値の名の元の死
結論

Ⅲ 正当防衛

1. 暴力的防衛 人の賢明と福音の法の間
2. 正当防衛についての伝統理論
3. 正当防衛の正当化
4. 模索中の理論

Ⅳ 死刑

1. 聖書にみる死刑
2. 伝統にみる死刑
3. 刑罰の理論的正当化
4. 死刑の理論的正当化
5. カトリック教会の基本原理における死刑
6. 死刑を越えて
結論

第三部 医学の挑戦

Ⅰ 人間 健康と病の間

1. 健康と病
2. 医学と病の関係
3. 自主性の尊重
4. 真実の告知
5. 秘密保護
6. 看護の権利
結論

Ⅱ 移植

1. 移植の医学
2. 生体からの採取と献身
3. 倫理的実行可能性の基準
4. 遺体からの採取と倫理問題
5. 特定器官の移植
6. 異種臓器移植の道徳性
結論

Ⅲ 死の受容

1. 死の定義
2. 身体の死
3. 身体の死と脳機能
4. 死亡確認の基準
5. 脳死をめぐる議論
6. 脳死と蘇生
結論

Ⅳ 遺伝工学

1. 基本生体臨床医学のデータ
2. 人以外の命への介入:倫理的問題
3. 人-自然関係の文脈における生命工学
4. 生命工学と人の命:倫理的問題
5. 人間存在の再形成
結論

第四部 生命の始まり

Ⅰ 受精の生理学と胚形成

1. 配偶子の形成
2. 排卵から受精へ
3. 受精
4. 受胎から着床へ
5. 胚と胎児の成長
6. 子宮の内の命

Ⅱ 胚とは誰か

1. 人の胚の地位:問題の所在
2. 存在論的地位
3. 胚の人格
4. 神学的反省
結論

人の胚について、存在論的地位、倫理的地位、法的地位の三側面が問われ、存在論的地位において、1. 胚は人の生の形である、2. 個としての人の生である、3. 人格的なものである、の三段階を論じながら「胚とは誰/何か」が考察される。第二の点については、胚の形成と胚の個としての地位の発生がパラレルに論じられるが、その始まりを受精の瞬間に見る見解と着床後に見る見解がある。この議論において一卵性双生児の発生の考察が鍵となるが、ともあれ教皇庁は最初期から個として認める方向にある。
第三の段階、胚の人格の考察において、生物学的意味での「人」から存在論的意味での「人」へ議論がうつる。
感覚論的定義。
非自然的定義:生物学的自然とは別の地平で人を考える。ex. 胚は象徴的にコミュニケーション関係に入ったときに人となる。
機能主義・行動主義的定義:ex.自覚、自律、理性、道徳感覚の保持から「人」を定義。人が行為に還元される、暴力の論理となりうると批判される。
存在論的・本質主義的定義:「人」の本質を求める。現存する“個”性と理性的性質が基本二要素。心-身をわけず全体としてみる。生物学的地平を存在論的考察で補完する存在論的生物学は、典型的なカトリック生命倫理の提言であり、世俗の生命倫理からの批判も大きい。重要なのは、発生学のデータから不適切に人格主体の存在を推論しているとの批判。それに対する存在論的人格主義からの応え。
アリストテレスからの定義:可能的人格としての胚。ただし、可能態カテゴリのあいまいさや、アリストテレスのシステム内でしか通用しないという限界がある。
神学においては、発生の問題はしばしば堕胎の問題とからむ。教父の時代から人と魂の始まりが問われてきた。新生児の魂は身体的種子を通して両親のそれに由来するとする見解、創造の時から存在しそれ故身体に先立つとする見解、神と両親が協働するという見解(ヴァリエーション多数)。スコラ学の時代、アルベルトゥス・マグヌスは、受精の時点で存在する唯一の魂は初めは可能的に理性的であり、徐々に植物的、感覚的、霊的になっていくとする。トマスは前二者と後一者を区別し、理性的魂は直接神により創造されるとする。したがって、トマスによれば理性的魂は受精の時点ではなくその40日後(男)と60日後(女)にそそがれるとする。17世紀以降、胚の研究の進展と共に、理性的魂の発生はもっと前に見られるようになる。ex. 前成説。また、決議論的道徳学の領域で、堕胎問題との関係において考察される。18世紀半ば、新しい発生学、種々の見解。

Ⅲ 出産前の命への介入

1. 胚の倫理的・法的状態
2. 介入の種類
3. 立法化

Ⅳ 堕胎

1. 定義と区分
2. 妊娠の中断の手順
3. 倫理評価
4. 限界例
5. 教会による懲戒
6. 立法化

体外受精の問題などと共に、堕胎の定義も刷新。回勅 Evangelium vitae は「受精から出生までの、存在の始まりの段階にある人間の、意図的で直接的な殺害」と規定。発生段階に応じた妊娠中断の方法あれこれ:30日以内、三カ月以内、三ヶ月後、16週後。堕胎目的のピル服用の問題。
堕胎は、伝統的に広く行われてきたが、医療倫理はつねにこれに抗してきた。ヒポクラテスの誓い「私はいかなる女性にも堕胎薬を与えません」。聖書は堕胎について語らない、ただ、胎内にいるときからの神との関係、それゆえの人間存在の尊さを語る。ディダケー、テルトゥリアヌス、「人為的堕胎についての宣言」(1974年)、Evangelium vitae。
個人の責任、共同体の責任。
(つづく)

Ⅴ 補助妊娠

1. 人為的妊娠の歴史
2. 生体臨床医学のデータ
3. 人の出産の意味
4. 人為的介入の倫理
5. 自然への扶助 adiuvatio naturae の基準
6. 出産の真理への敬意
7. 生まれつつある命への敬意
8. 子の権利
結論

第五部 生命の終わり

Ⅰ 末期の病 苦しみと放棄の間

1. 西洋社会における死
2. 末期の病
3. 苦しみの治療
4. 生命への執着と治療の放棄
5. 末期の病と医療費用

Ⅱ 安楽死

1. 定義と歴史
2. 区分
3. 安楽死のメンタリティ
4. 死への欲求の心理的起源
5. 倫理評価
結論