「タコヤキ風味」


「う~、さむっ」
 そう意味もなく呻きつつ、すっかり冷たくなった手をこする。まだ暗い公園に人の姿はなく、ただ北風が吹き抜けていくだけだ。
 こんな寒いところに待たせやがって、と心のなかであいつをなじる。あいつが遅れるのはいつものことなので、ベンチに座って待つのは慣れている。しかし、流石にこの寒いところで待たされるのは身にこたえた。来たらどうしてやろうかとあれこれと考えをめぐらせる。
 と、不意に遠くのほうから足音が聞こえてきた。あの慌てた様子はあいつに違いない。 かっ、かっ、と耳に響く音に少し違和感を覚えつつも、考えておいたいたずらを実行に移す。荒い息づかいとともに足音が近づいてくる。目の前に着いたとき、勢い良く立ち上がった。
 いきなりの挙動に驚いているに違いない。その顔を見ようと顔を向けて、俺は――フリーズした。


 果たして俺の企みは成功していた。
 あいつの目は驚きに見開かれており、口も開いていた。が、俺はそんなことに気を向けてなどいなかった。なぜなら俺は、あいつ――沙耶に見惚れていたからである。
 藍色の和服に身を包み、いつも腰の辺りまで伸ばしている髪をまとめた姿は俺を思考停止に追い込むには十分だった。さらに急ぎ足で来たためかその頬は上気していて、 ほんのりと色づいており、かすかに湿った黒い髪が薄暗い街灯に煌いて、えも言われぬ艶やかさを醸し出していた。
「あぁ、びっくりしました。……ん? どうかしました?」
 高校生になってかなり大きくなった胸をなで下ろしつつそういわれて、はっと我に返る。が、素直に言えるはずもない。
「あぁ……、いや、なんでもない」
「そう? ならいいんですけど」
 小首を傾げながらも納得する沙耶。その仕草でまた俺は現実から遠かりそうになる。だいたい元の素材が良すぎるのだ。最近さらに磨きがかかってる気がするのはどうしてなんだろうね。こいつの和服姿を見るのは初めてのことじゃないのに。
 いつまでも見惚れて、また不審がられるのはまずいので、気を取り直して声をかける。
「とりあえず、明けましておめでとう」
「はい、明けましておめでとうございます」
 そう言って笑いあう。
「まぁ、似合ってると思うよ」 
「……ありがとうごさいます」
 はにかむ沙耶。その姿を顔、胸元、帯、下駄、と上から下まで眺めなおす。やはりあの高い音は下駄の音だったらしい。
 俺は沙耶に見えないようににやりと笑った。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
 沙耶は元気よく答え、俺の手を握る。
 その手に柔らかな暖かさを感じつつ、俺たちは目的地へ向かった。


 長く続く階段を上って着いたのは神社である。今日は元旦。俺たちは初詣に来ているのだった。
 鳥居をくぐると、途端に騒がしさと熱気に包まれる。本堂前に続く道には露店が建ち並び、まだ日の出までだいぶあるというのに境内には人が満ち溢れている。その独特な雰囲気にあてられて、否が応にも気分が乗ってくるものだ。
「わぁ、いっぱいですねぇ」
「そうだな。ちゃんと前見て歩けよ」
「わかってますよ」
 人波ではぐれてしまわないように強く手を握り、本道まで歩いていく。沙耶は時折何かに目を引かれているようだったが、参拝が先だ。
 本堂の前はやっぱり元旦とあって人口密度が異常な高さを誇っていた。遠いところから賽銭箱に向かってお金を投げる人も大勢いる。その中に俺たちも混じり、今年一年の祈りを捧げる。
 俺の願いは沙耶と出会ってから今までずっと変わっていない。
(今年一年、沙耶と一緒にいられますように)
 祈りが終わると、どちらともなく顔を見合わせる。なにを祈ったのかとは聞かない。聞くだけ野暮というものだった。
 おもむろに俺は言う。
「じゃあ、行くか」
「はい! 今年も私が勝ちますよ」
「ふっ、それはどうかな」
 そんなことを言い合いながら、俺たちは参道を歩きだした。


 着いたのは鳥居近くにあるタコヤキ屋だった。このタコヤキ屋には毎年来るのでもうすっかり馴染んでいる。
「おっす、おじさん」
「こんばんはぁ」
 そう一声かけると、頭にタオルを巻いたおじさんはこっちを向いた。
「おぉ、お前らか。今年もやるのか?」
 その確認に俺たちは頷く。
「あぁ。今年もひとつお願いするよ」
「お願いしますね」
 あいよ、という掛け声とともにおじさんは手際よく準備してあるタコヤキを袋に詰めていく。この店は一パック十個入りで、大きさは普通くらいである。よくある風景。だが、一点だけ明らかに違うところがあった。
 ――量だ。
 一袋に無理やりに五パックずつ詰め込んでいき、最終的にはそれが四袋出来上がった。金を払わずにそれを二人で二つずつ持つ。
「ん、じゃあ、ありがとな」
「ありがとうございます」
「おう、がんばれよ」
 その言葉は俺にか沙耶にか。そう考えつつ、俺たちは神社の裏手のほうに歩いていった。


 神社の裏手には少し開けた場所があり、町が見渡せる。ここまで来ると境内の騒がしさは何処か遠くのものとなり、ひんやりとした夜明け前の空気が高揚した皮膚から体温を奪う。
 目の前には明るくなり始めた空と静かな町並みが広がっていた。ここは知る人ぞ知る絶好のスポットなのである。
 暗がりにひっそりと佇んでいたベンチに二人して腰掛けて、それを眺める。が、それも長くは続かなかった。
 なぜなら、俺たちにはやることがあるからだ。そう、それはもちろん、食べること。
 俺が自分の袋からひとつ取り出しひざに乗せると、左の沙耶も同じように自分のひざにタコヤキを乗せた。
 独特の緊張感。
 俺たちがやろうとしているのはいうまでもなく、タコヤキの大食い競争である。なぜこういう風になったかといえば、まだ小学生のころ、「タコヤキならいくらでも食べれるもん」と言い張る沙耶に「それなら、多く食べたほうが金を払うってのでどう?」といったのが始まりだった。
 そのころはまだ沙耶も小さくて、俺はたいした苦労もせずに勝った。涙目でぽっこりと膨れたお腹をさすりつつ、おじさんにお金を渡す沙耶は、少しかわいそうではあった。が、思う存分食べたのだから、良いのではないかと自分を納得させた。次の年も、そのまた次の年も負けん気の強い沙耶が挑戦し、俺が勝つ、というのが繰り返された。
 だが、俺は女の子の成長というのをなめていた。その次の年には身長で沙耶に抜かれ惜敗し、翌年には惨敗した。
 そのうちに中学校に入ると俺にも成長期が来て、再び沙耶を追い抜き、快勝を成し遂げた。そのときは、これで俺の勝利が続くものだとばかり思っていた。けれども、女って恐ろしいものだね。まだ隠し玉があったのだ。
 それは俗に言う「別腹」ってやつだ。沙耶は高校に入ったあたりでその能力を開花させたらしい。いつもはそんなことはないのだが、タコヤキに関してだけは驚くほど食べることができるようになったようで、去年は完敗してしまった。俺はもうたぶん勝てないだろうと思った。
 だが、今年は勝算がある。


「よし。はじめるぞ」
「はい、いつでもいいですよ」
「じゃあ、スタート!」
 そういったが早いか、俺たちはひざの上のパックを開け、食べ始める。
 うまい。別段、慌てることもないので味わいながら食べてゆく。パックはすぐになくなり、ほぼ同時に二パック目へと取り掛かる。
 お互いに言葉を発することはない。ただ咀嚼し、味わい、そして嚥下する。
 二パック、三パック、四パック、とほぼ同時に食べ終え、五パック目に差し掛かったときに、沙耶に変化が現れた。
 次第にペースが落ち、しきりに手を帯のあたりにやり始めたのだ。それは、初めに見たときに、あの帯ならばおそらくそう食べられはしないだろう、と思った俺の考えが正しかったことを示していた。
「ん? どうかしたか?」
 にやりと笑いつつそう言う。内心、このあたりでリタイアしてくれると、俺としても楽だからだ。
「い……、いいえ……。なんでもないですよ?」
 そう答える沙耶であったが、その手はいまや完全に止まっていた。
「そうか? 手が止まってるぞ」
 そういうと、沙耶はしばらく、う~と呻きつつ、悩んだような顔をした後に、
「じゃあ、少しあっち向いてもらっていいですか?」
 と、頬を赤らめつつ言う。
「?」
 頭に疑問符を浮かべつつも、俺は横を向いた。
 が、横目でちらりと沙耶のほうを覗く。
 すると、沙耶は何故か和服の下のほうから腕を突っ込もうとしていた。隙間から覗く太ももがやけに目に付く。あぁ、なんか全裸の姿よりも、そそるものが……、ってなに考えてるんだ俺。
 とか混乱しているうちに、沙耶はそこから何か布のようなものを取り出した。ん……? あれは、タオルか? なんでそんなものが……。と、俺はそこで気づいた。和服というものは、大体、身体にあまり起伏がない人に似合うように作られているため、起伏の激しい人はウエストの括れなどにタオルなどを入れて、ラインを補正するらしい。スタイルの良い沙耶は当然するに決まっていた。
「もういいですよ。……って、何じっと見てるんですか!」
 顔を真っ赤に染めつつ沙耶が抗議してくる。いつの間にかじっくり観察してしまっていたらしい。
 だが、俺は答えもせず、絶望感に打ちひしがれていた。これは勝てない、と。
 しばらく、上目遣いで睨んでいた沙耶だったが、俺が取り合わないと悟るや、再びタコヤキに取り掛かっていく。
 そのスピードは、初めのころとほとんど変わっていない。
 俺は食べかかっていた七パック目を食べ終わると、食べるのをやめた。勝てる気がしなくなったからである。さっき稼いでいだリードも大したものではないし、帯という障害のなくなった沙耶を止められるものは何もないだろう。ルール的には十パック食べたら自分でおじさんのところまで行って、おかわりをもらってくることになっている。余ったときは沙耶が持って帰る。
 俺はタコヤキを食べる沙耶をのんびりと眺めていた。
「ん……? どうかしました?」
 手を止めた俺に、沙耶が訝しげな声で尋ねてくる。
「いや、もう食べる気がしなくなったから」
 正しいが伝わらない言葉を返す俺。それを聞いた沙耶は、笑顔になって、
「じゃあ、私の勝ちですね」
 と、嬉しそうに言った。
「あぁ、残りも全部食べていいからな」
 俺がそういうと、さらに嬉しそうな顔をして、はいと答えた。
 そして、黙々と食べ続ける。その顔は終始笑顔。ここまでのタコヤキ好きはそうはいまい。
 今、沙耶は十パック目を食べ終えて、十一パック目に取り掛かっていた。すでに百個のタコヤキを収めたお腹は、今さっきタオルを抜いたおかげで緩んでいた帯をまたしっかりと張らせる程度にまで膨らんできている。ちゃんと食べきれるだろうか。一応俺はあと一パック食べるくらいの余裕はあるし、たぶん大丈夫だろうが。
 十二パック目に差し掛かったところで、目に見えて沙耶のペースが落ちてきた。さっきのようにまたしきりに帯のところを触っている。
「大丈夫か?」
「ん~……、帯がきついです……」
 恥ずかしそうに沙耶が答えた。そして、言いにくそうに口を開く。
「あの……、帯、緩めてもらえませんか?」
 上目遣いで頼んでくるその表情に、俺はドキッとする。が、それを表情に出すのは癪なので、努めて冷静な声で、
「あ……、あぁ、うん、わ、分かった」
 ぜんぜん隠せていなかった。その様子に沙耶がくすりと笑う。不思議とそれが心地よい。
 俺はおもむろに立ち上がると、沙耶の後ろに回って、帯に手を掛ける。
「まぁ、よく分からんから、あんまりうまくできないかもしれないが」
「間違って解いてしまったりしないでくださいよ?」
「あぁ、分かってる」
 そう言うと、俺は帯を――軽い感じで締めた。
「ぅ!? なにしてるんですか! 苦しいです!」
 俺は殴られるだろうと後ろに回避したが、何も飛んでこない。見れば、沙耶は身動きも取れないほど苦しそうである。
「すまん、やりすぎた」
 そう謝りつつ、帯を緩める。
 沙耶はこちらを振り向いて、何も言わず涙目で俺を睨み付けていた。が、すぐにがっくりと肩を落として、
「あなたがいたずら好きなのは、分かってますからいいです」
 そうこぼし、またタコヤキに戻る。食べるスピードは明らかにはじめより速くなっていた。
 ばつの悪い気分になりつつ、その横に座る。
「……すまなかった」
「……ほんとにそう思ってます?」
 沙耶は顔を逸らしたまま言う。
「あぁ……」
「そうですか」
 そう言うと、突然、笑顔でこちらに振り向いた。
「じゃあ、もう一つ、買ってきてください」
「……分かった」
 見事にしてやられた、と思いつつ、俺は急ぎ足でタコヤキを買ってくる羽目になった。


 おじさんに二十一パック分の代金を払い、タコヤキを持って急いで帰ってくると、ちょうど沙耶が十三パック目を食べ終わったところだった。
 タコヤキを渡しながら右に座る。
 もう空はだいぶ明るくなってきて、そろそろ日が昇りそうだ。町にも目覚めが近づいている雰囲気がある。
「ごちそうさまでした」
 沙耶が最後の十四パック食べ終わった。本当に良く食べるものだ。俺は七パックだから、その二倍である。横から見てみれば、豊かな胸の下からぽっこりとお腹が膨らんでいるのが分かる。ある意味括れがなくなって和服が似合う女に近づいたのかもしれない。
 沙耶はそのお腹をなでながら、満足です、と本当に幸せそうな顔でつぶやいている。
 結局勝てはしなかったが、その顔を見るだけでどこからか愛おしさが沸いてきた。後であのお腹をどういじってやろうか。
「ぁ……」
 不意に町のほうを眺めていた沙耶が声を上げた。どうしたことかと俺もその視線の先を追う。


 その先にあったのは、遠くの山から上る朝日だった。
「綺麗ですね……。初日の出……」
「そうだなぁ……」
 眼前に上る朝日は、前日のものとほとんど変わりはないはずだ。だが、受け取り手次第でそれもこんなにも大きく変わる。
 俺が沙耶の肩に左肩を回すと、沙耶もこちらに身を預けてきた。
 澄んだ空気の中、お互いの体温を感じつつ、俺たちは次第に顔を出す初日の出を眺め、そして――


 今年初めてのキスをした。
 数秒間の口付け。
 その味は、仄かに香ばしいタコヤキ風味だった。




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