食欲。それは人間の…いや、生物の三大欲求のひとつとしてカウントされている欲求だ。
人は喰わねば生きてはいけない。
何かの生を喰らい、それを受け継いで生きていく。
欲求が満たされれば快感を得ることができる。それは時に行き過ぎた行動に発展することもある。

そう、例えば私みたいに…。
「嬢ちゃん、本当にそれ、ひとりで食えるのかい?」
「当たり前でしょ?これやんないと私、餓死しちゃうかもしれないんだから」
デカ盛りで有名な丼物屋さんで、私は大きな山と対峙していた。
その名も“チョモランマカツ丼メガMIX”。
ひとりで十分以内に完食できれば十万円という破格の賞金をかけられながらも、今まで一度も制覇した人物がいなかったモンスターだ。
ご飯の量だけで一升。さらにそこにこれでもかとソースカツや卵とじカツが積まれ、テーブルからの高さは五十センチを超える。
目方百貫は超える大力士も、育ち盛りの柔道部も、さらにはフードファイターさえも跳ね返してきたこの難攻不落の砦に、女の私が挑むのだ。
そりゃあ大将が困惑するのも無理はない。
だがしかし、私にはどうしてもやらなければいけない理由があったのだ。

――私はこの世のあらゆるストレスを食欲でしか相殺できない特殊な人間だ。
昔から嫌なことがある度に吐くほど食べた。
吐いて食べて、また吐いて。それを何度も繰り返して、無理矢理お腹に詰め込んで、少しずつ食べられる量を増やしていった。
元々胃下垂だった私は、他人よりも大食いだったが、その変態じみた性癖のおかげでますます容量が増えた。
食べることが楽しいというよりも、詰め込むという行為に没頭する間、何も考えられないことが楽しい。
美味しさは二の次。とにかく沢山食べているという事実と、食べるという行為が楽しいのだ。

でもそのせいで私の食費は大変なことになった。
決して薄給という程ではないのだが、それでも女の給料で一人暮らし、そこにこんな食費じゃああっという間に貯金はスッカラカンになる。
そこで、私はこの大食いチャレンジにかけた。
次の給料日まででいいんだ。なんとかして少しでもお金を手に入れなければ。
それに、タダでこんなに沢山食べられるなんて夢のようじゃないか。
私は負ける気などなかった。
「じゃ、じゃあよーい、スタート!」
ストップウォッチの小さな音と共に、私はチョモランマへの登頂を開始した。
デカ盛りながらも美味しさは失わないコックの腕前を心の中で賞賛する。
これだけのカツを盛り付けるのならば多少サクサク感は薄れそうなものだが、全てのカツがサクサクかつジューシーに揚がっていた。そのくせ油っぽさはなく、さっぱりとした口当たり。
大方キャノーラ油で揚げた後、特殊なクッキングペーパーで押さえたのだろう。
カツにかかるソースも、この店のオリジナル。門外不出の秘伝のタレだ。
味から察するに、少なくとも十種類以上のフルーツとスパイスが長時間煮込まれている。
さらっとしたソースなのに、濃厚で深みのある甘さが舌に載ったと思えば、爽やかでフルーティな香りを残してスッと甘さが去っていく。
後を追うように酸味と程良い塩辛さが豚肉の肉汁とマリアージュして、とにかくご飯に合うのなんのって…!
それに豚肉やご飯、卵などの具材のひとつひとつにも気を配ってあるのがわかる。
薄い豚肉を重ねたミルフィーユカツ、スタンダードな肉厚のカツ。どれも脂の載り方から甘みのつき方まで完璧だ。
時々ハムカツなどの変わり種も紛れていて、食べる者を飽きさせない。
チーズイン、梅肉挟み、メンチカツ、合い挽きミンチのメンチカツ。
どれも単体で充分すぎる程魅力的なのに、そこにあのソースは反則だろう。
卵とじも酒やみりん、砂糖にほんの少しのだし醤油で味をつけたぷるぷるの卵が、半透明の玉ねぎや椎茸と一緒にカツを包んでいる。その包容力たるや、私の貧相な語彙力ではとても表現できない。
このだしは椎茸の戻し汁と魚介系のだしだ。多分、昆布と鰹節。隠し味に鶏がらスープのあまりを少しだけ。
調味料でゆるゆるになった卵はご飯に少しずつしみて、それもまた贅沢なマリアージュを生む。
ここまで味の濃いカツばかりを食べてきたからか、一回の咀嚼で簡単に甘みを滲みださせるご飯の威力はいつも以上だ。
いつも塩だけでいけると思う程旨みと栄養が詰まった米は、地元の地域ブランドだ。
粒が小さいというネックを長所に変えて、甘みの主張をおかずを主役にさせるまでにとどめている。
ねっとり感が少なく、それでいてふんわりもっちりと炊き上がるこのお米は、私だって貧乏でなければリピーターになりたい。

ただ無言で食べ進める私に、周囲の男はドン引きだった。よっぽど鬼気迫る表情だったのだろう。まあ私は見えないし、それどころじゃないからわからないけど。

結論から言わせてもらうと、私は見事に十万円を手に入れた。
大将は泣きながら私の肩を乱暴に叩いた。地味に腹に響くからやめて欲しい。
チョモランマの質量と同じサイズに膨らんだお腹は、目で見てはっきりわかる程大きく前に張り出していた。
中は言うまでもなくパンパンだ。一歩間違えば破裂寸前。
大将が信じなかったように、私の小柄な身体からは考えられないキャパシティだ。このまま電車に乗ったら間違いなく誰もが席を譲るだろう。
これなら一週間ぐらい何も食べなくて良さそうだな。
っていうかもう暫くは食べ物を見たくない。見ただけで吐く。
そんなグロッキー状態になっても、この挑戦はやって良かったと思う。

でも私はこの時想像すらしなかった。
こんなことをしたせいで、ひとりの変態に長く絡まれ続けることになるなんて。


十万円はすぐになくなった。
給料日までもってくれればそれで良いなんて思っていたけれど、実際は給料日までもたなかった。
手に入れた翌日に、食べすぎで緊急入院したのだ。
お金を稼ぐために食べて、それで損をするなんて、本末転倒すぎて笑えない。
入院費は後でまとめて払うのでまあいいけれど、入院に必要なものを買い集めたらみるみるお金がなくなった。
仕事を始めてからあまり入院なんて考えたことがなかったから、必要なものが揃っていなかったのだ。
パジャマだの洗面セットだの、イヤホンだのスリッパだの…。とにかく私は入院にこんなに道具が必要だとは思わなかった。
「…しくじったなぁ」
部屋の空き具合の都合上、私は個室に案内された。
集中治療なんとかみたいな人がくる場所だ。やたらと広くて快適で、トイレやシャワーまで完備してある。
ここらへんで一番大きな病院だからできることだろう。
…入院費が怖くて仕方ない。
「失礼。どうだ、調子は」
ノックの意味がないだろうという勢いで、担当医が入ってきた。
担当医はすらっとしたモデル体型の若い男だった。
なんというか、女として戦ったとしても私が一瞬で負けるような美貌の麗人だ。
陶器のようなひとつの曇りもない肌は、深窓の令嬢みたいに真っ白で、形の良い眉の下には切れ長のつり目がある。
彫りが深く色白なので白人かと思ったが、それにしてはあまりに幼く中性的だ。
「びっくりする程元気です。食べすぎなんてそんな入院する程のことでもないと思いますけど…」
「いーや、ここだけの話、お前は過労だ。あと一歩遅かったら死んでたかもしれねぇんだぞ。大方食べすぎて身体がびっくりした拍子にぶっ倒れたんだろう」
…心当たりがありすぎる。
「それに、疲れ以外にも精神的ストレスが異常に多いし、お前は一体今までどうやって生き延びてこれたんだよ」
担当医が私の服に聴診器をつっこみながら呆れたように言った。
前をガバッと開けないのは私が女だからかと思うとレディ扱いにむず痒くなる。
「はは、それは…お医者さんに言うのは恥ずかしいし、もしかしたら健康面に問題があるんでしょうけど…実は私、お腹いっぱい食べるのが大好きで…」
担当医の身体がぴくりと震えた後、聴診器の動きが止まった。
「あはは、やっぱり駄目ですよね。吐くまで食べるって、言葉だけ聞いても不健康そうだし、何か精神疾患を抱えてるのかも…」
慌てて弁解すると、目の前の男は椅子ごと私に少し近寄った。
私はギョッとする。美貌の麗人は遠くから見れば目の保養でも、ここまで近いと逆に視界の暴力だ。
「お前は…ここにくる前、何をそんなに食ったんだ?」
「へっ?あ、デカ盛り丼専門店のチョモランマカツ丼メガMIXですけど…」
なぜこのタイミングでそれを?と思ったけど、医者は患者の心配をするもんだと信じていたから、素直に答えた。
彼は目を見開いてびびった。こんな細身の男でも、あれのことは知っているらしい。
「は、入ったのか…?この腹に…」
彼は期待と興奮を混ぜた表情で私のむき出しの腹部をぺたぺたと無遠慮に触る。
彼が医者でなかったなら、例えイケメンだろうと容赦なく殴っていたセクハラ行為だ。
「入って、賞金をもらいましたよ。大将もまさか初めてチョモランマを制したのが若い細身の女だとは思わなかったとか言ってました」
証拠としてその時の写メを見せると、彼の様子がおかしくなった。
「ああ、本当だ…!お前の…お前の腹が、こんなに…大きく膨らんで…!ああ、凄い膨張率だ。素晴らしい、こんな女は初めてだっ!」
担当医はガタガタと震えて、私の肩を強くつかんだ。
「痛っ!?」
「ああっ、悪ぃ。あまりのことについ我を忘れてしまった。…恐がらせて悪かった。ところでその…お前に大事な話があるんだが、聞いてくれるか?」
担当医は私の返事を聞くと、ぽつぽつと赤裸々な告白をした。

「――俺は、実は世に言う“特殊性癖”というやつで、まあ乱暴な言い方をすれば重度の変態なんだ。物心ついた頃から、俺は風船が怖かった。なぜだかそういうものを見ると心臓がバクバクして、逃げだ
したい気持ちになったんだ。でも中学に上がった頃、俺はその理由を知ってしまった」
担当医…井上旭斗はそこで言葉を区切ると、暫し逡巡した後に、ぽつりと衝撃的な言葉を口にした。
「――俺は、バルーンコンプレックスか、あるいはそれに準ずる何かだったんだ」
「…と言いますと?」
「俺は女の裸に興味がない。巨乳も尻もフトモモも、さらには顔さえも、俺の陰茎を勃起させることはなかった。だからといって子供や男に興味がある訳でもない」
一介の患者ごときに赤裸々すぎやしませんかね、この告白。
しかしその異常性に気づいていないのか、井上旭斗の独白は続く。
「俺は大いに悩んだ。漠然とした性欲は強く何かを渇望しているのに、持ってきたもの全てにノーと言うんだ。擦れば確かに気持ち良いんだが、オカズがないともの凄くものたりない気分になって余計苦しかった」
このロシア人美少女みたいな綺麗な顔から出ているにしては下品すぎる言葉の羅列。何を言っても見苦しい中堅OLは早くも嫉妬で狂いそうだ。
「だがある日俺は気づいてしまった。俺はもしかして何かが膨らむ様を見て勃つ体質なんじゃないかと。そしてその予想は当たった。ネットには同志が沢山して、俺だけじゃないと知ると安心した。…だが!」
急にそこで声を張り上げるから、思わずビクッとしてしまった。恥ずかしい。
「彼女に向かって“膨らむものにしか勃起しないから膨らんでくれ”なんて言えるはずがない。というか実際に言って振られた。それに、特殊性癖に対する世間の目は厳しい。異端児として叩かれ、僅かな罪でも異常に罰せられる。だから俺は全ての面で完璧になり、聖人君子を演じた」
改めて彼を見ると、確かに胸の名札には“副院長”という肩書きが燦然と輝いていた。
「誰にでも優しく、秀才で、スポーツもそれなり、家事が好きで高給取り。背が高く身なりが整っていて、責任感があり弱者に甘く、悪に厳しく、ルールを徹底的に守り、モラルやマナーから逸脱しない。おかげで誰からも好かれるが、自分のシュミにつきあわせる訳にもいかないんで、成人してから彼女はつくらなかった」
こんな優良物件がフリーなんて、奪い合いの大喧嘩だろうに、今までそうならなかったのは膨腹厨だったからか…。
…うん、なんか…私が聞いて良かったのか甚だ疑問だ。
「それで…なんでそれを私に?」
というかここまで優良株だったら、多少プレイが特殊でも構わない女性だっているだろう。お金欲しさにおじいさんと結婚する美女がいるぐらいだから。
「俺はその界隈でも特に異常なまでに膨張率を気にするタイプらしい。今までプレイにつきあってくれた女達では満足できなかった。色々やってみたんだが、どうにも膨らみが足りない」
そんな、救命胴衣みたいな言い方ってある?仮にも人間のお腹だよ?
「その点お前は俺の理想すらも軽く超える、超優秀な膨張率を発揮してくれた。やっぱり幼少期から長年限界突破を目指して膨らませている女は腹の伸びが違うな」
うん、私は多分一生のうち一番“膨らむ”って単語を聞いてる。
「…だ・か・ら!俺は何としてもお前とつがいになりたい。お願いだ!どんなことでもするし、どんなものでも与えるし、一生楽ばかりさせてやるから、どうか結婚してくれ!」
「えっ!?ちょっ、会って早々そんなエコバッグみたいな利点を求めてプロポーズされても…」
今まで告白されたことは何度かあったが“沢山入りそうだから”という袋みたいな理由でプロポーズされたのはこれが初めてだ。
「契約結婚で良いんだ。この際心まで求めねぇよ。勿論俺は全力でお前を愛するし、ぶっちゃけもう既にありえん程お前に恋焦がれている。顔とか身体のスタイルとか、ステータスとか性格とか年齢とか、もうどうでも良い!俺はお前だから好きになったし、お前じゃなきゃ駄目なんだ。だから人助けだと思って結婚してくれ」
もうどこからつっこんで良いやら。とにかくこいつは何としても私と結婚したいらしい。
「…あ、良いこと思いついた。お前そういや、金がなかったな。大方食費が払えなくてジリ貧ってとこだろ。事務OLの給料なんてたかが知れてるし、もう切羽詰まってるはずだ。…どうだ?家事すらやらずに三食昼寝つき。一等地の大豪邸でプロの高級料理毎日食べ放題。遊び放題でお小遣いもらい放題な上に浮気しても怒られない生活。欲しくはないか?ん?もっと欲しいならいくらでもくれてやる。好きなだけ愛を囁くし、ロマンス小説で勉強した蕩ける口説き文句も、医学的根拠に基づいた滅茶苦茶気持ち良いセックスもしてやる。お前の周囲に良い旦那アピールだってする。これでもまだ足りないか?お前はいくら詰め込んでもまだまだ入るみてぇだな」
「も、もう勘弁してください…」
お腹はいくらでも膨らむ私でも、流石に幸福のキャパシティはこぢんまりとしている。詰め込んでもまだまだ入るなんてとんでもない。最初の“イケメン”の時点でとっくに破裂済みだったのだ。


結婚式はそりゃあもう盛大に執り行われた。
結婚しましたアピールをやりまくることで私の逃げ道を塞いでいくつもりらしい。策士にも程がある。
ただ、私の不細工っぷりを散々馬鹿にしていたぶりっ子キラキラ系後輩も、顔と金にしか興味がない婚活必死先輩も、鳩が豆マシンガンで蜂の巣になったような顔をしていたのは結構愉快だった。
まあ大した取り柄もないオッサン系寸胴OLが3K俺様イケメンドクターから重い愛を受けて玉の輿婚なんてありえないだろう。当事者の自分が言うのだから間違いない。
ハネムーンは旭斗はヨーロッパを打診していたけれど、海外に良いイメージがない私が嫌だと言ったら旅館でしっぽりになった。
その旅館が実家の知り合いだと言っていたけれど、よくよく聞いてみると実家の系列会社が経営しているんだとか。…ん?つまりこいつは元々やんごとなきご身分?もっと掘り下げて聞けば彼のパパは経済界のドンじゃないですかもー。
なんで私と結婚したのさ。
というかそもそもそういったご家庭の方って相手の家柄気にするんじゃないの?
本当に貧乏庶民もっちりブスで良かったのかはっきり尋ねたら「俺の悪癖は家の汚点だからな。半ば勘当されてる」とだけ言われた。おおう、なかなかヘビーなパンチがきたな。
ここまで聞くと私も頑張らなければと強く思う。もらえるもんもらえるだけもらってんだから、せめて何か返したい。
何でも持ってるこいつなら、欲しいものなどただひとつだろう。
そう、ぽんぽん。何らかの物理的理由で大きく膨らんだお腹だ。
まあ、欲しくてもなかなか手に入れにくいだろう。内容が内容だし。
言いにくいのもあるし、差し出しにくいのもあって、レアっぷりが凄まじい。
私の頑張りで旭斗が少しでも幸せになるのなら…少しでもほっとしてくれるのなら、私はいくらでも頑張れる。
水責め空気責め食べ物責めバッチコイ。
旭斗の役に立つのなら、このパンツにでろんとのっかった腹の肉も浮かばれるだろう。

ハネムーンまでは清い関係だった。
まあ、プレイが特殊すぎて場所を選ぶから当たり前だけど…。その代わり食事の量がありえない程多かった。
総重量が十キロを超える晩御飯なんて、ハネムーンで体験するもんじゃないだろう。
無理矢理詰め込んだ。お値段と味を知ったら残す訳にはいかなかった。カニ、エビ、マグロ、アワビ、ウニ、ホタテ、イクラ、松阪牛、数えきれない高級食材のバーゲンセール。高級の意味を辞書でひいたゾ、貴方の名前、そこに足しておいたゾ。哀れな貧乏庶民に魂の救済を。
「うう…お腹…もうパンッパン。ちょっとでも動いたら破裂しそう」
目の前の男は初対面の時からは想像もできない程にだらしない顔をしていた。
最初からこの顔だったら私は全力で逃げている。
この男にとって膨らんだお腹はおっぱいや幼女に近いものなのかなとほんのり思った。ああ駄目だ。お腹が膨らみすぎて思考まで圧迫している。
「ああー、やっぱり良いなぁ…。このっ…パンパンに膨らんだお腹っ!皮膚が伸びきって限界を訴えている感じが最高にシコい!」
お腹が邪魔で浴衣なんか着られないから、私は大胆にぽんぽんをさらしている。
そこをまるで息子の誕生を待ちわびるイクメンのように慈愛に満ちた顔で撫でるイケメン医者。
ジーザスジーザス、オー人事。もしもしポリスメン?
「あっ…お腹、押さないで!」
「大切なぽんぽん様にそんな無礼を働く訳がないだろう。優しく、撫でて差し上げなければ…」
絶望的に気持ち悪い。自分の腹に敬称をつけられる日がくるなんて、一体いつ予想できただろうか!
「ああ、ほら、お前があまりに綺麗で扇情的だから…俺のおちんぽも張り合おうと一緒に膨らんでる」
とろんとした目も、ほんのり桜色に染まった頬も、全てが美の化身みたいなのに、なんで台詞まわしだけが異常にギャグテイストなんだ。普通に萎えるわ。
「もうちょっと歯に十二単を着せた表現をしてもらえると私のモツが浮かばれるんですが!」
私がその血が通い始めたらしいご立派なご神体を踏み付けると、「ああっ、動いたらぽんぽんが破裂して勿体ないだろ!」と場違いな台詞を吐かれた。

――あれ、クォーター勃ちであのボリューム感なら、フル勃起だとどうなるんだ?私のお腹は内圧に強いが、膣は未踏の地だぞ?初回で豪快にパーンするんじゃないのかな…。アレ?急に怖くなってきた…。


「ここが俺達の約束の地、アルカディアだ」
膨腹御殿だなんて言いすぎだろうと思っていた過去の自分にファルコンパンチを食らわせたい。
御殿通り越して神殿だコレ。
しかも膨腹厨の膨腹厨による膨腹のための神殿だ。膨腹を唯一神に据える邪教の神殿だ。できることならゴジラあたりに滅茶苦茶に壊してもらいたい。
膨腹に必要なものが揃い踏み。ホース浣腸も空気浣腸も、ノーマル浣腸も食べ放題もできる徹底っぷり。
炭酸水や酸素ボンベが業者並に揃っている。勿論薄めたグリセリンも。
あと“膨らむ”って単語に惹かれたのか、チアシードもあった。…もう膨らめばなんでも良いんだな。
「んで、ここが膨腹プレイルール」
一般的な個人の家にまず存在しない部屋を紹介された。うっかり入籍を後悔しかける。

プレイルームはそこそこの広さがあり、水捌けが良い部屋だった。
乱暴に言えば老人ホームのお風呂か汚物処理部屋だ。
ユニットバスにしては広すぎるそこは、まさに膨腹のためのプレイルームだろう。
ホース浣腸用のホースと水洗トイレがあり、シャワーも完備。おまけにエアーの差し込み口まである。ちなみにエアーというのは、壁の中の配管を伝って高圧の空気が噴出される装置だ。専用のガンを差し込めば、弾切れ知らずの空気鉄砲の完成だ。
ここまでならまあユニットバスの一種かな?で済むのだが、端に防水加工が施された柔らかいベッドがあってここの変態力を高めている。
どんなラブホでも叶えられない夢の施設である。…ただし膨腹厨にとってという大変ニッチな需要だが。

「まずは普通の浣腸からだな。お前の腸を膨腹プレイ専用にするために定期的にうんこさんに退室してもらおう。浣腸は繰り返すとやめられなくなるから、ジャンキーになるまでじっくり調教してやるからな」
ついに大便にまで敬称をつけ始めたドクターによると、浣腸は便秘解消の最終手段として大変効果的だが、反面、効果が強すぎてそれなしじゃ排泄できない身体になるそうだ。
この変態は浣腸という行為を私がやりたがるようになるまで慣れさせるつもりらしい。浣腸プレイが好きだからだろうが、私が浣腸を嫌がって我慢をしてもどっちみち排泄ができなければお腹は膨らみ続けるのでどう転んでも彼に有利だ。
今ならダッシュで逃げたら助かるのかなと思ったが、それを見越したのか逃げ道をふさがれていた。策士め!
「んじゃ、初夜でも始めますかね」
「えっ!?ちょっ、まだ昼…」
口では嫌がる素振りを見せつつも、身体は何かを期待していた。
私も医者という彼の肩書きにそこはかとないエロスを感じていたのだ。
ドMの宿命か、男からキャパシティを超える大量の快感をぶち込まれることに憧れているらしい。もしかすると私は膨らむために生まれてきたのかもしれない。
前世は風船なのか。何かを身体に大量に詰め込みたくって仕方ないのはそのせいか。ただの食いしん坊万歳じゃないのか。
私の予想に反して、彼は私を優しくベッドに誘導した。
ここから乙女ゲームや女性向けシチュエーションCDなどのロマンポルノコンテンツも裸足で逃げる、一方的な甘々ラッシュがスタートする。
褒める、優しくする、愛の言葉などの甘々台詞ラッシュにまず一時間。次に手をつなぐ、軽いキス、抱き合うなどの甘々スキンシップに一時間。そしてこれでもかとディープキスに時間を費やし、漸く身体を愛撫する。しかしこれもまたスキンシップの延長線上で、直接的なものではない。
私が完全にとろんとして「もっといっぱいえっちなことしよ?」とおねだりして初めてやっと乳首に触る。
自分はなにひとつ気持ち良くないのに、良くこんなに根気良く私を喜ばせられるなと感心する。

乳首とクリトリスだけで三回イった頃、漸くメインにありつけた。

すりすりと旭斗が私のお腹をなでる。
穏やかな顔で愛おしそうに。
「ここ、な。お前のここ、皮が伸びてたるんでる。可愛いな。なんでこんなに好きになったんだろうな…。はぁ…魅力的だ」
なんでと言われれば貴方が膨腹厨だからですとしか言いようがない。
旭斗はそのままおへそにキスをして舌をねじ込む。
可愛げのない声が出ても、旭斗は嬉しそうに笑う。
「さて、メインディッシュの浣腸だが、一般的に世間に知れ渡っているものはイチジク浣腸か注射器。ちょっと詳しい人ならエネマシリンジぐらいまでは知っているだろうな」
私は浣腸に造詣が深くないのでどれもいまいちピンとこない。
私がポカンとしていると、調子に乗った旭斗が加速する。
「でも一番たっぷり入るエネマでも一リットルぐらいだし、どうせなら俺の手で入れたい。ただお前が膨らむ様子だけを見ていても楽しいんだが、自分で量を調整できる方が興奮するだろ」
旭斗は浣腸の素晴らしさを伝えるためにわざわざフリップを用意して私にプレゼンした。今更だがその必死さをもっと別のところにぶつけて欲しい。
イチジク浣腸はドラッグストアでも売ってある、便秘解消のための道具。注射器はプレイに使うことが多いけれど、医療用にも使われるらしい。…絶対こいつ、自分の病院からいくつかくすねてるな。酸素ボンベと浣腸用注射器、グリセリンという、明らかに用途がわかりきったものを引出金として計上する会計士が複雑な顔をしていることだろう。
エネマシリンジはパッと見点滴だった。
ただ、針の部分がケツの穴に挿すための形になっているだけで、他は大した変化がない。医者の旭斗から見ればホースのところも全然違うだろとのことだったが、健康第一なパンピーには理解不能だった。
「――そこで、俺は画期的な装置を発明して、業者に作ってもらった。それがこれだ!」
“女の子の腸に限界まで浣腸液を入れたいのでシュコシュコすると入るやつを作ってください”と八頭身イケメン医者に言われた業者の方はどんな気持ちだっただろうか。少なくとも私は頭を抱える自信がある。
旭斗が見せた装置はぶっちゃけ素人の小学生でも数分で作れそうなものだった。
東急ハンズに樋口一葉を連れて行けばお釣りがもらえる材料でできている。
確かにお茶とかを入れるポリタンクの蛇口にホースを挿して、空気穴に空気入れを繋げたら目的は果たせるよな。
空気入れがビーチボール用の手持ちなのがまたニクい演出だ。そのニッチすぎるこだわりに脱帽する。
私の光圀にローションを垂らした旭斗は、すべりを良くするためにとすべり芸を連発しては自分でツボに入って2.5回挿し間違えた。
違う!その穴はフェイクだ!と言っても、震える手は別の穴を挿した。
「あ、そうだ。今日は初めての膨腹プレイだから前の穴は使わねぇよ。浣腸に慣れたらそっちもパンパンに膨らませてやるからな。最終的にはお前の穴という穴に大量の液体を注いでやる。でも今はまだその段階じゃねぇ」
一応どんな方法があるのか伝えるために大人の玩具を出してきてくれた。
どう見ても空気で膨らむタイプのやつだコレ。
バイブの形をしているけれど、その持ち手部分には血圧計のシュコシュコするやつがついている。…今の私にはそれが手榴弾に見える。何かを膨らませる装置は、もうそれぐらい私の心を震え上がらせるレベルになっていた。
他にも拡張に使う道具がわんさか出てきた。もうお腹いっぱいです。このタイミングで言うと誤解されそうだけど。

――アレッ!?っていうか穴という穴にってことはこのふたつの穴だけじゃないよな…。言葉のアヤだったとしても流石に二穴同時責めぐらいじゃ、あの台詞は出ないだろう。
…他の穴…?口かな。他には…うわぁ…想像しなきゃ良かった。尿道あるじゃん。胃と腸と子宮と膣と膀胱を同時に限界までパンッパンに膨らまされるのは色んな意味でキツい。リアルにやると地獄への片道切符じゃんか。

「悩むな…。仰向けにして膨らむ様子を堪能するか、それとも四つん這いにしてぽんぽんの重さを確かめながら膨らませるか…」
正直どっちでも良いから早く終わらせてくれと言ったら、じっくり堪能したいから早くは終わらせねぇよと悪魔の言葉を吐かれた。
私の死因がお腹が破裂したからとかになったら、お前も同じ死因になるように呪ってやるぞと心の中だけで叫んでおいた。

結局旭斗は私を四つん這いにさせた。
…四つん這いといっても、胸をベッドにつけて手を前に出したドエロいポーズだが。
これじゃあまるで私がお尻を突き出しているみたいじゃないか。
一方旭斗は私のこの体勢にご満悦のご様子だった。出会ってまだ少ししか経っていないけど、こんなに嬉しそうなこいつは初めて見た。
何とも無邪気で愛くるしい生き物ではないか。…その手に凶悪な玩具を持っていなければ。
「んじゃ、始めるぞ。苦しくなったらいつでも言えよ。そしたら俺が楽しい」
「そこでやめてくれる気はないんだ…」
加虐趣味とかいうレベルじゃないな、この男は。
もしかしたら他人の生死や苦しみを自分でコントロールできることを無意識に膨腹の良さと認識しているのかもしれない。…なんてクソ真面目に考察してみても、出口が入口としての第二の人生を歩み始めた衝撃は薄れなかった。
じゅるじゅる…という程粘り気もなく、かといって純粋な水とは明らかに一線を画した何かが私の中に流れ込んでくる。
「ひゃうっ!?」
「人肌に温めたつもりだったが、違ったか?」
そういう問題じゃない。
浣腸は本来腸内で滞り硬度を増した便を排出するための行為だ。
だから専用の液は浸透圧を調整してあって、便や腸に染み込みやすくなっている。そうすると便が柔らかくなる上にニート化した腸が動くのだ。
ただその不快感たるや、健康な人間には想像を絶するものである。これは耐え難い便秘の苦痛を知ったものにしか耐えられない。

きゅううっと腸が収縮し、ゴロゴロと腹部が嫌な音をたてる。
…恐ろしいことに、これでまだちょっとしか入っていないのだ。
つまり膨腹とは程遠い、ただの浣腸ですらここまで早くはやめないだろうという頃だ。
「液の配合は自分で調節したんだが、初心者には酷すぎたようだな。悪ぃ。ただ、浸透圧で腸壁が目いっぱい液を吸い込んでいるのかと想像したら、俺の下半身にも続々と血液が集中しているようだ」
真面目に下半身の様子を描写しないでくれ。こんな生ゴミ女でも男の裸は未経験なんだ。生々しい表現は想像力が追いつかなくてもハートがきしむ。
「ふっ…ううっ…ばかぁ…ばかぁ!」
「…良いな、この初々しい感じ。今までヤってきた女達とは全く違う。嫌がる素振りを見せつつも身体は正直…じゃねぇな。悪ぃ。そういえば処女だっけか」
旭斗は慣れた手つきでポンプを動かす。
聞きなれたお馴染みの音と共にお腹にギュンギュン液が入ってきた。
苦しいなんてレベルじゃない。お腹の中で腸がねじ切れそうな痛みが断続的に襲う。
旭斗は私の脂汗をぬぐってお腹をさすった。まだ目で見てわかる程膨らんでいないのに、撫でる手はどこまでもいやらしい。
改めてポンプを持ち直した旭斗はまたあのロマンス小説のような言葉責めを再開した。ポンプの動きが若干速くなったのは多分気のせいじゃない。
耳朶を食まれて骨伝導で囁かれる。なんでこいつの声はこんなに腰に響くエロ低音なんだ。あまりにも攻め攻めしいから次からは帝王って呼んでやる。

そうこうしているうちに、私のお腹はぽっこり…なんて可愛らしい表現では済まされない程に膨らんだ。
いくら胸をつけているとはいえ、四つん這いでお腹がベッドにつくのはおかしい。
「はっ…はっ…もうっ…お腹…むりぃ…!」
「そっか、んじゃ、やめてやるかね…」
あれ?さっきまで私が嫌がってもやめるつもりなんてなさそうだったのに、こんなにあっさりやめるんだ…。
別にがっかりした訳じゃないけど、なんか肩透かしをくらったっていうか…。

でも旭斗の次の台詞で、私は自分の能天気さを知った。

「んじゃ、このままキープな。アナルプラグいるか?」
「あっ、いや、えっ!?そのっ…」
「急に狼狽えてどうした」
今までずっと苦しいのを限界まで我慢してきたのに、限界を訴えても解放されないなんて。
すぐに出させてもらえると信じていたから限界までパンパンにしてやろうと思ったのに。
「うっ…ぐぅうっ…!このっ…卑怯者ぉ…!」
「何とでも言え。元々浣腸ってのは暫くこの状態をキープするもんだぞ。無知なくせに受け入れたお前が悪い」
そうだけど、確かにそうだけど!なんかもう色々とそれを言い出したらきりがないような気がする。
お金と顔目的で簡単に知らない男と結婚した罰だろうけど…。でもそれってこんな地獄みたいな拷問受けなきゃいけない程罪深いの?
「ううっ…でもっ…でもぉ…!うううっ…あさとのばかぁ…!もうだいっきらいっ!こんなことして楽しい変態なんて、さっさと警察にでも捕まればいいのよ!地獄に落ちろぉおっ!」
情けなく風船みたいに膨らんだままイケメンを罵倒する私は、きっと世界中の何よりも醜いはずだ。食事中の方、こんな気持ち悪い生物が地球上に存在してすみませんでした。
汗と涙と鼻水と涎とその他の何だか良くわからない汁でべしょべしょに濡れた顔面がかゆい。
目が猛烈に痛いのは、きっと私の小粒一重を誤魔化してくれた濃すぎるアイメイクが溶けたからだろう。
あまりに悔しくて、やりきれなくて、癪だから綺麗な白の枕にそれらをなすりつけてやった。
オッサンの弁当みたいなカラーリングになった枕にちょっとだけ心がスカッとした気がした。
「――悪かった。お前にばっかり無理させて…本当にごめんな。俺だって一応反省はしてるんだ。ただ、お前とこうすることができて、夢みたいで、嬉しくて、つい有頂天になってやりすぎた感はある。何度でも謝るし償いもする。だからお願いだ。俺を嫌いになっても、離婚だけはしないでくれ。そしたら何度でもまたお前を口説きなおすから。チャンスだけ、俺に与えてくれ」

予想を大きく外れて、旭斗はガチ謝罪をした。このまま放っておくと土下座会見でも始めそうな程、その表情は悲壮感と絶望感と、その他色々な感情で青ざめている。
「チャンスったって…私は元々契約結婚のつもりで手を組んだんだし…苦しいのは贅沢させてもらってる対価だとも思う。だからギリギリまで我慢した…でもっ!」
旭斗の身体がビクッとこわばり、国王の御前にいる騎士みたいにやりすぎな気をつけをした。
「は、はいっ!」
「今日の本来の目的はただの浣腸でしょうが!今から膨腹楽しんでどうすんの!次からの楽しみが薄れるでしょ!」
「はいっ!ごもっともでございます!」
「大体ね、せっかく自分で浣腸液を調合したんなら、そんなに沢山は必要ないって、医療のプロならわかるでしょ?そもそもそこから間違ってんのよ!大量浣腸はあそこの蛇口に任せなさいよ!そのためにあんなところにあるんでしょ!?」
怒りに任せて叫んだら、お腹に力が入りすぎて、中の浣腸液が勢い良く吹き出した。怒りに我を忘れすぎて、その乙女にははっきりと言えないものを含んだ液体がしとどに旭斗を濡らしたことにもギリギリまで気づかなかった。
絹の羽衣みたいなイメージの美しい男が文字通りクソみたいに汚れるさまは、背徳感や征服感を満たしまくるのだけど、生憎この角度からじゃ見えない。
「は、ハイッ!その通りでございます、マイ・フェア・レディ!」
帝王ボイスに似合いすぎる洋画台詞もクソまみれならばハードボイルドやいぶし銀のかけらもない。
「…はぁ、はぁ…つ、疲れた…。今日はこのぐらいで勘弁…してあげ――」
色んな意味でスッキリした私は、そのまま魂が抜けるようにスッと意識を手放したのだった。

朝起きたら知らない天井が見える。そんな小説は飽きる程読んできたが、生憎私は胎児のポーズ派なんだ。だから横に知らない男がいることも、起きてすぐ知らない天井を見ることもない。
そもそも魚が顔面を殴られたような容姿の女に、そんなトキメキロマンスが訪れることなどない。
…ただ、この布団には見覚えがある。
確か結婚前に旭斗とニトリで探した、私好みのベッドだ。
「っ!?旭斗!?」
お、思い出した。忘れられない、忘れてはならない、できれば忘れてしまいたい記憶。
「――っはぁ、最悪だ私。もう人間としての人生終わったわ…」
自己嫌悪。そりゃあ世にも美しい非のうちどころのないパーペキ男にうんこぶっかけたとか、女以前に人間として終わってるよな。
…でもあの場合仕方なかったんじゃないかと今になって思う。一回寝たら冷静になれた。あれは不可抗力だ。
だって普通、あんなに浣腸液を入れられたら漏らすって。私は頑張った方だよ。普通だったらもっと早くから漏れてたもん。

そうだ、私は悪くない!…とは思ったものの、お日様がてっぺんにいるのにオフトゥンとイチャイチャする程堕落してはいないのでとりあえず寝室を出ることにした。
旭斗にうんこかけるのは悪いことではないけれど、ダラダラ寝るのは悪いことだ。例え初めてなのにイかされすぎて倦怠感がハンパなくても。
残念ながらもう若くないので、筋肉痛は後日くる。今はまだなんともない。
…三十路に突入する前に結婚できて良かった。子供はあまり期待できないけれど、あいつならなんとかなるだろう。
そもそも家庭の事情的にそこはどうなんだ?あいつが実家と険悪ムードなら、いくら良いとこの坊ちゃんでも孫を催促はしないだろう。あいつは次男らしいし。
もし私が男子を産んでも、こっちは分家になる。彼の実家からの視線は本家よりも冷ややかだろう。
…う、なんか急に旭斗との結婚を後悔し始めてきた。私はド庶民だから、社交界には明るくない。それに、狐狸妖怪と化かし合いできる程の頭脳とハートはない。
正直な話、旭斗が実家とギスギスしてて助かった。結婚式にさえ出席しない親ってのもどうかと思うけど、私が金持ちな親ならこんな変態と同類と思われたくない。

「――よっこい…うっ、はへっ!?な、なにこれ…」
ベッドから起き上がろうとした私はへなへなと倒れ込んでしまった。
これってもしかして…腰砕けというやつですか?
上半身は元気いっぱいなのに、下半身は虫の息。なんでだ。そんなに酷使した覚えはないぞ。ぽんぽんならともかく。
…挿入はなかったが、そういえば散々イかされたような気がする。
経験がないから小説に出てくる下半身の痛みというのは破瓜の痛みだと思っていたけれど、どうやら筋肉痛らしい。
…私の場合、痛みはなくて倦怠感としびれのみだが。しびれといってもビリビリくる訳じゃなくて、単純に自分の思った通りに身体を動かせないというだけ。痛かったらわかるけど、痛みがなくてこれだと理解が遅れて困る。
私はベッドから落ちて途方に暮れた。落ちることはできても、歩いての移動は困難だろう。

とりあえず匍匐前進でもしてみるかと頑張ってみたが、駄肉を目いっぱい抱えた身体を支える筋肉など、私の腕にはついていなかった。
「…何やってんだお前」
「…地獄に落ちろドスケベ変態医者。顔面ブルドッグに整形しろ」
「目覚めの挨拶にしちゃ、随分と甘さが足りねぇ暴言だな」
いつの間にか寝室に入っていた旭斗に見下ろされて、思わず本音が出た。
タッパがあるぶん、威圧感が凄いのかと思ったが、モヤシはどこまで行ってもモヤシだった。なんか安心。
「ううう…痛くはないけど動けない。もどかしいぃ…」
悔しさを旭斗のすねに重点的にぶつける。泣けよ弁慶。
皮肉のひとつでも言ってくるかと思ったが、予想に反してやつは目線を私に合わせた。
「ごめんな。いきなりがっつきすぎた。こんなこと初めてだったから、加減がわからなかったんだ。次からは気をつける」
「あ、いや…私も別に仕事しなくて良いから困りはしないけど…」
旭斗はなまっ白い細腕で私を軽々と持ち上げると、そのままベッドにリリースした。どこにそんな力があるんだ。女顔でもやっぱり男なんだなぁ。
「ほら、大人しくお家へお帰り。今日は俺がつきっきりで世話してやるから、それで我慢してくれ。…な?」
困った顔で上目遣いされると何も文句を言えなくなる。見目麗しいとかよりも、可愛さが勝るからだ。…母性とかじゃなく、ビジュアルがロシア人女子高生みたいなんだ。
爬虫類みたいかと思えば月の女神みたいで、ロシア人美少女みたいで、俺様ドSっぽくて…旭斗の顔って同じはずなのに毎度印象が変わるなぁ。
「う…。こ、今回だけだからね」
「そっか、良かった」
だが私はこの時旭斗を甘く見ていた。
そこから彼はまた一日かけてじっくりと休まず私をイかせ続けた。
多分寿命が十年削れた。