鳴沢美佐子10


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[ いずみの部屋にて ]

「えええーーーっ!? 芳樹ーーーっ!?」
いずみが悲鳴のような声を上げた。
唯も目を見開いて、友美を凝視した。
友美が明かした、あまりにも意外な名前。
「ちょ、ちょっと待ってよ、友美。それ、う、嘘だろう?」
「本当よ」
いずみと唯を驚倒させておいて。友美は平然たる態度で、缶の紅茶を口へと運んだ。
「そ、そんな……友美が……あの芳樹と……」
信じられない、信じたくないといった表情のいずみ。
「そんな……友美なら、いくらでも相手はいるだろうに……」
あまりにショックが大きかったのだろう、いずみは、お互いにタブーと了解していた
はずの話を持ち出してしまう。
「いくら竜之介に気持ちが伝わらなかったからって。ヤケになったんじゃないのか?」
「いずみちゃん」
キッと、冷たい怒りをこめた眼で友美に見据えられて。
「ご、ごめん。竜之介の話は……」
「そうじゃなくて。ヤケになって付き合ったなんて、ひど過ぎるわ」
「あ、ああ。ごめん。悪かった……よ」
友美の言葉に、これは事実だと認めるしかないのだと気づかされて。
いずみが黙りこんでしまったから、室内にはしばしの静寂が訪れた。 

「で、でもさ。私たちが驚いたのも無理はないって、わかるだろ?」
「そうかしら?」
「うん……。あの、その、さ」
予定では、相手の素性を聞き出したら、なれそめやデートの内容や、
さらには、どこまで進展してるのかということまで突っこんでやろうと思っていたのだが。
その勢いは完全にそがれてしまった。
それでも、この不釣合いに過ぎるカップルの成立理由は気になったから。
「……きっかけとか……教えてくれない?」
「………………忘れたわ」
友美は、胸をかすめた苦いものを表情には出さなかった。一瞬、瞳が揺れただけ。
「忘れた、って。つい最近のことじゃ……」
「友美ちゃん」
いずみの反駁を遮って、唯が呼んだ。ひどく真剣な声で。
「なに? 唯ちゃん」
「……芳樹くんの……どんなところが好きになったの?」
それもまた、いささか無礼な問いかけではあったが。
今度は友美は怒らずに、かすかに苦笑を浮かべて。
「そうねえ……。確かに芳樹くんは、カッコ良くないし。男らしくもないけれど」
あっさりと言い放つ友美。そこに明確な比較の対象があることを、唯もいずみも知っている。
「でも……私を求めてくれる」
「求め…るって、おい」
短い言葉に、ひどく生々しいものを感じてしまって、固い唾をのんだのはいずみ。
友美は、唯を正面から見つめて、けぶるような微笑を浮かべた。
「それは、嬉しいことだから」
「………………」
唯は、射すくめられたように、身動ぎも出来なかった。
友美の、言葉にはしない問いかけを聞いた気がして。
(“彼”は、あなたを求めてくれるの?)
唯には、答えることが出来ない。
……その傍らで。
「……ク、アアアッ」
つい友美と芳樹のラブ・シーンなど想像してしまったいずみが、ドツボにはまって、のたうちまわっていた……。 

 

 

『憩』の窓にはブラインドが下ろされ、照明も半ば落とされている。
片づけと清掃を全て終えた店内は、ガランとした雰囲気。
仕事を終えた美佐子は、しかし家へと戻りはせずに、中ほどの席に腰を下ろしていた。
綺麗に拭き清められたテーブルの上に両手を組んで。
組み合わせた細い指が、落ち着かなく動いているのは無意識の動作だった。
美佐子の双眸は前方へと向けられているが、焦点を結んではいない。
例の、自分の内に篭った状態だった。
心中の混沌が、虚ろな表情を造り出している。
美佐子の精神状態は、唯たちが感じているよりも、ずっと不安定だった。
この時にも、固まったような横顔とは裏腹に、その意識野では、
さまざまな思索や感情が取りとめもなく流れていたのだが。
その中心部に重く凝り固まっていたのは、
“今日も、男からの呼び出しはなかった”ということだった。
連日のように続いていた男との“密会”が途絶えてから、今日で十日目になる。
正確に、美佐子はその日数を把握していた。 

一日、二日目は半信半疑だった。
またいつ男から呼び出しがかかるかと、身構えていた。
しかし、なんの連絡もないままに、三日、四日と過ぎて。
ようやく美佐子は、しばらく時間を置くという男の言葉を信じる気になった。
だから、唯から訊かれた際に、知人の介護は必要がなくなったと答えたのだが。
すぐにそれは失敗だったと気づいた。また男から呼び出しがかかるようになれば、
別の口実を用意しなければならなくなるからだ。
この時点では、美佐子は、じきにそういう状況に戻ることを疑っていなかった。
こんなに呆気なく事態が解決するわけがない、と決めつけていたのだ。
これはあくまでも束の間の安寧であって、だから、さほどの安堵も開放感も沸いて
来ないのも当然なのだと、落ち着かない己の心理を分析していた。
だが。五日目も六日目も、男からはなんの音沙汰もなかった。
店で、家で、電話が鳴るたびに美佐子は身構えたが、そのたびに肩すかしをくわされた。
緊張と弛緩の繰り返しの中で、美佐子の精神は平静さを欠いていった。
一方では、身体の変調が美佐子を悩ませはじめる。
連日の荒淫から解放されて、身体の芯に澱んでいた重たい疲労は消えたのだが。
そのかわりに、奇妙な熱っぽさを、美佐子は感じるようになった。
それは四六時中つきまとい、そして日毎に強くなっていった。
なかなか眠りにつけない夜が続いて、美佐子は酒量を増やした。
……変調の理由については、美佐子は考えないようにしていた。
あまりも馬鹿馬鹿しい、決して認められない結論に辿り着いてしまいそうで。 

何事もないままに、七日目を終えた時に。
もしかしたら、男はこのまま自分との関係を絶つつもりなのではないか?
という推察が、はじめて美佐子に芽生えた。
それもまた、ありえないことではない。
すでに、男は散々に美佐子の肉体を弄んだ。
それで充分に気を済ませて、男はこのまま離れていくつもりなのかもしれない。
土台が、不自然な異常な関係である。いずれ終わりは来るはずで。
この電話一本入らないという状況が、すでに終焉を意味しているのではないかと美佐子は考えた。
最後に逢った時の、別れ際の男の素っ気なさを思い出せば、尚更その疑念は強まった。
(あの男は……もう、私の身体には飽きたのかもしれない)
だとすれば、真の解放を自分は得たことになる。待ち望んでいたはずの。
しかし。
美佐子の胸には、なんの喜びも安堵も沸いてこなかった。
沸き上がったのは、強い焦燥であった。
『他にも、女はいる』という男の言葉を思い出すと、カッと胸が燃え上がった。
馬鹿な、と打ち消してみても、黒い感情の火は消えなかった。
そして、燻る火に炙られることで、身体に巣食った熱も高まるように感じられた。
(……どうかしている)
美佐子は無理に自分を嗤った。状況の急変に混乱しているだけだと。そして、
(だいたい、本当に解放されたかも、まだ確かではないのに)
と、留保することで自分を納得させた。
その夜は、特に寝苦しさを感じて、また酒の力を借りた。
そして、短く浅い眠りの中で、美佐子は淫夢を見た。 

……場所は、ホテルの一室のようでもあり、自分の寝室のようでもあった。
ベッドの上に、美佐子は全裸で横たわっている。
美佐子の身体の上には、やはり裸で、あの男がのしかかっている。
あの凄まじい剛直を美佐子に突き立てて、激しく腰を使っている。
美佐子は両手両脚を男の体に巻きつけて、それに応えている。
ヒィヒィとヨガり狂い、オウオウと咆哮し、イイワイイワと快楽を叫び、
耳を覆うような卑語を吐き散らしながら。
脂っこい汗に、ヌメヌメと全身を淫猥に輝かせ。
男の肉体を咥えこんだ女陰からは、ブジャブジャと愛液を噴きこぼして。
ズブ濡れのヴァギナは、待ち焦がれた逞しい肉へ熱烈な歓迎を示して、
食いちぎらんばかりに絞めつける。
絞めつけることで、男の肉体の偉大さ、素晴らしさがいっそう強く実感されて、
美佐子は全身をのたうたせて、随喜の涙を流す。
いつの間にか、ベッド・サイドにふたつの影が立っていた。
唯と竜之介だった。
唯と竜之介は、無感情な目で痴れ狂う美佐子を見下ろしていた。
悲鳴を上げて、美佐子は夢から覚めた。
気がつくと、自分の部屋でベッドの上に上体を起こして、息を喘がせている自分がいた。
しばし、呆然とした後、ようやく全て夢であったことを納得して、ガックリと虚脱する。
全身が粘っこい汗にまみれていた。夢の中と同じように。
いまだ荒い呼気を吐き出しながら、ノロノロと肌に貼りついた夜着を脱いだ。
波打つ胸元で、両の乳首は硬く屹立していた。
こちらもグッショリと濡れたショーツを引き下ろす。無論、ショーツを濡らしているのは汗だけではなかった。
美佐子の股間は、目もあてられないような状態だった。
未明の寝室で、ひとり全裸を晒して。溢れ出した淫らな汁を始末し、汗を拭いた。
まだ茫然たる心地のままで。
着替えを済ませ、シーツまで取り替えて、再び横になっても。
もう眠る気にはなれなかった。眠るのが怖かった。
また、眠りに入れるような状態ではなかった。鼓動はいつまでも落ち着かず、
身体の芯に孕んだ熱は冷めなかった。
忙しなく何度も寝返りをうつことで、美佐子は朝までの時間を過ごした。 

翌日。八日目。
美佐子はいつにも増して仕事に精励した。
しかし、『憩』は一日中の忙殺を与えてくれるほど、忙しい店ではない。
客が途絶え、することもなくなった隙をついては、前夜の夢の記憶が美佐子の意識を襲った。
それは美佐子を暗澹たる思いにさせた。なにか底無しの泥濘に落ちこんでいくような恐怖も感じた。
重苦しい心地は、時間が経つほどに強まり、この日も男からの連絡がないままに閉店時間を迎えた時には、
暗い絶望が美佐子の胸を満たした。
夜を迎えることが怖かった。眠りにつくことが。
就寝の時間になっても、美佐子は寝室へ入る気になれず、灯りもつけないキッチンで座りこみ、
無為に時間を費やした。
深更になり、翌日の仕事のことを考えて、仕方なくベッドに入って。
恐れながらも、前夜の睡眠不足のせいか、すぐに眠りは訪れたが。
恐れたとおりに、淫夢もまたやって来たのだった。
やはり、どことも知れぬ部屋のベッドの上で、美佐子は男と交わっていた。
その狂乱ぶりは、前夜よりさらに烈しさを増していた。
夢の中の美佐子は白い蛇のように男の身体に絡みついて。
乱れた髪をふり、乳房を揺らし、腰をのたうたせた。
感泣し、咆哮し、淫らな言葉を叫び続けた。
また、いつの間にか唯と竜之介が現れて。冷たい目で美佐子を見つめたが。
夢の中の美佐子はそれに気づいても、快楽を求めることを止めようとはせずに。
むしろ、ふたりに見せつけるように、自ら卑猥なポーズをとり、臀をふって男を誘った。 

唯たちに見られることが、いっそう愉悦を深めて。際限なしに快楽は高まっていった。
しかし、この時も、絶頂の直前で突然淫夢は断絶して、美佐子は目覚めた。
現にかえっても、しばし美佐子は、なにも考えられずに。
汗に濡れた頬に乱れた髪を貼りつけたまま、ただ荒い喘ぎをついていたのだが。
やがて、乱れているのが髪だけでないことに気づいた。
上掛けは撥ねのけられ、湿ったシーツには皺がよっていた。
夜着は首元まで捲り上げられ、乳房が剥き出しになっていた。そして、剥き出しの乳房を
自分の手がわし掴みにしていた。
美佐子のもう片方の手は、しどけなく開かれた両腿の間に伸びて。
半ば以上ズリ下がったショーツの中に潜りこんでいた。
美佐子は顎を引いて、濁ったままの瞳で、己のあさましい姿勢を眺めた。
深く指を食いこませて、歪に形を変えた肉丘の頂きでは、セピア色の乳首が痛々しいほどに
充血して尖り立っていた。
股に伸ばした手の指先には、失禁したかのような夥しい濡れを感じた。
夜気の中に晒された肌からは、かすかに湯気さえ立っていて、肉の火照りのほどを示していた。
しかし、この時の美佐子の顔には、悲嘆も羞恥も浮かぶことなく。
美佐子は、そのまま擡げていた頭を枕に落とし、そして目を閉じた。
まだ、自分は目覚めていない。まだ、夢の中にいる。
そう心に呟いて。
美佐子は、おずおずと両手を動かし始めた。 

あくる日、九日目。
一日を、美佐子は自分への言い訳を胸中に呟き続けて過ごした。
あれは、仕方のないことだったのだと。
自分とて、女だ。生身の血肉を持った女なのだ。
時に、欲望に衝き動かされてしまうこともある、と。
だが、そんな通り一遍な理屈では、自分を誤魔化すことは出来なかった。
前夜……二晩続きの淫夢に苛まれた美佐子は、自分の指で疼く肉体を慰めた。
久しく遠ざかっていた行為の果てに、絶頂を得て、深夜の寝室に小さな嬌声を響かせた。
しかし、得られた快感も、その極まりも、あまりにも弱く頼りないもので。
少しも、肉の火照りを冷ましはしなかった。
渇いた砂地に落とされた一滴の水のような微弱さは、いっそう渇望を際立たせただけだった。
淫らな作業を終えたばかりの美佐子の両手は、そのままの場所から離れることなく。
すぐに連続した行為に移った。より激しく、あからさまな動きで。
結局、続けざまに三度の極まりを得るまで、美佐子の自涜の行為は続いた。
それでもなお、満足には遠かったが。疲労によって、美佐子はようやく眠りについたのだった。
淫らな一夜が明けて、普段通りに店を開けてからも。
美佐子の身体の奥では、消しきることの出来なかった火が燻り続けて。
チロチロと、内側から肉を炙りたてて、美佐子を苦しめていた。
だから、美佐子は認めざるを得なかったのだ。この渇きが、健全な肉体としての
当たり前な衝動ではないことを。
夫と死別して十年の間にも、孤閨を保つ身体の火照りを感じたことはあった。
しかし、それはほんの時折のことであり、たまに起こったとしても、ごく微弱な欲求であった。
宥めるための行為も、ほんの大人しいもので済んでいた。
それが。 

前夜の自分の醜態を思い返して。
あらためて、自分の肉体が変えられてしまったことを、美佐子は認めざるを得なかった。
夫の死後、独り居の中でも貞節さを保てたのは……なんのことはない、本当の性の悦びを知らなかったからだ。
卑劣な手段で自分を凌辱した憎むべき男によって、美佐子は初めて快楽のなんたるかを
教えこまれてしまったのだ。
昨夜、いくら指を使っても肉の餓えを満たすことができなかったのは、比べてしまっているからだ。
あの男に何度となく与えられた、この世のものとも思えぬほどの快楽と。
しかし、男はプッツリと接触を絶ってしまった。再び、美佐子の前に現れるかどうかもわからないのだ。
(こんな身体にしておいて……)
そう思えば、恨めしさが沸いた。身勝手な男に対して。憎しみではなく恨みが。
『憩』の電話が鳴ることは、そう多くはないのだが。そのわずかな機会のたびに、美佐子の鼓動は跳ねて、
しかし、直後に虚脱を味わうことになった。
店の前に車が止まれば、機械的に働く手を止めて、外のようすをうかがった。
学校から帰った唯が手伝いに出てきてからも、美佐子はそんな自分の行動を隠す余裕を失っていた。
当然、唯は、この数日の母の変調ぶりに気づいていて、それが日毎に強まっているのを不安を持って
見守っていたのだが。

「おかあさん……もしかして、好きなひとでも、できた?」
この日、閉店作業を共に行っている途中に、遠慮がちに、そんなことを切り出したのは、
母のおかしな挙動に、なんらかの理由づけを欲したものだろう。
「えっ?」
虚をつかれたように、唯を見返した美佐子。わずかな、微妙な間合いがあって。
「な、なにを言い出すのよ。ビックリするじゃないの」
慌てて否定したが。声は上擦っていた。
「違うの?」
「当たり前です。いきなり、変なこといわないで。おかしいわ」
狼狽の気ぶりを消せないままに、話を打ちきる美佐子。
「そう……」
唯は少し残念そうに引き下がった。 

その夜。寝室に入って。
これから迎える眠りへの恐れとの逡巡はあっても、それでも独りきりになれることに安堵した。
家族の、特に最近なにかと気づかってくる唯の目から解放されたことに。
平静を装うことが苦痛なのではなかった。
そばに唯がいて、自分を見ているのだと意識し続けることが、難しくなっていたのだ。
美佐子はガウン姿で、鏡台の椅子に座り、鏡に映る自分と対峙していた。
『おかあさん……好きなひとでもできた?』
この日、唯が突然投げかけてきた言葉を、美佐子は反芻していた。
本当に、唐突すぎる問いかけではあったが。唯は、真剣にそう訊いてきた。
ならば、いまの自分の様子は、そのようにも見えるということなのだろう。
誰かのことが……好きな男のことが気にかかって、常に心を浮遊させている、というように。
まるで、悪い冗談だと思った。
確かに、いまの美佐子は、それこそ四六時中、ある男のことを考えている。思わずにはいられなくなっている。
しかし、その男は間違っても“好きなひと”などであるはずがない。
卑劣な脅迫者。憎んでも、あまりある相手だ。
(……そう……そうでしか、ないはずなのに……)
好きなひと―恋しい男はいる。竜之介だ。
他の男に汚されてしまったことで、諦めざるを得ないとも悲しんだけれど。
いま、“好きなひと”は誰かと問われれば、竜之介以外にはいないはずだ。
そのはずなのに。
『好きなひとでもできた?』
……何故だろうか? 
何故、唯からそう訊かれた時に、脳裏に浮かんだ顔が竜之介のものではなかったのだろうか? 

(馬鹿げている)
美佐子はかぶりをふって、己の深層と向き合うことを中断した。
いまだに自分は混乱しているのだと、お決まりとなった言葉を繰り返す。
(だいいち、あの男はもう……)
自分を見限ったではないか、と胸に呟く。
この頃にはもう、美佐子の中では、その認識が確信に近いものになっていた。
それに、なんの喜びも感じない自分の心も、美佐子は追及しようとはしなかった。
(………………)
美佐子は鏡に映る自分の顔を眺めた。
暗い眼をした、中年女が映っていた。
湯上りで、化粧を落とした顔。
肌は、まだ瑞々しさを保っていると思えるが。
それもしょせんは『年齢のわりには』という前置きがつくのだ、と。
目尻に現れた小さな皺を、指先でなぞる。
美佐子は、さらに表情を憂鬱なものにして。
そっとガウンを脱ぎ下ろした。続いて夜着を。
ショーツ一枚の姿になって、鏡に映った裸の上半身を検分した。
剥き出しになったふたつの乳房。
なんだか……形が以前とは違っているように思えた。
衰えたというのではない。豊かな充実を誇りながら、さほどの垂れも見せずに張り出している。
しかし、明らかに以前とは違う彩り……どこか淫らな色が滲んでいるように感じられた。
それに誘われるように、両の手を伸ばした。
そっと、下から重たい肉を持ち上げるようにする。
フ……とかすかな息が鼻から洩れた。自分の冷たい指の感触に。
その敏感さは、間違いなく、このひと月の間に磨かれたものだ。 

美佐子は、悩ましく眉をたわめながら。
搾るように握りしめたふたつの肉丘を前へと差し出す。
すでに頭を擡げたセピア色の乳首が、鏡に映る。
子を産み育てた女の乳首。弱い照明の下で、その部分の色づきが、ことさらに濃く見えた。
「……確かに、年増の身体だわ」
度々、あの男が口にした言葉を呟いて、自分を卑下してみる。
いくら『いつまでも若々しい』などと決まり文句のように言われてはいても。
こうして、裸になって肉体の特徴を眺めれば、年相応のものでしかないと、自嘲に胸を痛めるが。
この時に思い浮かべていたのは、はるか年下の若者のことではなかった。
指に、力を入れてみた。
細く白い十指が、柔らかな肉の中に沈んでいく。
「……ウ……ン……」
甘い声を洩らしながら、ジッと鏡に映った肉房を観察した。
指の蠢きにつれて、かたちを変える柔肉。たやすく熱を孕んで、蕩ける。
「……いやらしい……」
詰る言葉は、弾みながらたわむ乳房のさまを言ったのか、はやくも息を荒げてしまう
自分の感覚を評したものか。……どちらも同じことか。
そのまま、乳揉みに耽溺してしまいそうになるのを堪えて、美佐子は胸から両手を引き剥がした。
立ち上がって。たった一枚残ったショーツに手をかけると、躊躇いなく引き下ろした。
完全に白い肢体をさらして、鏡に向いた。少し下がって、胸元から膝のあたりまで映るように。
なめらかな腹に手を滑らせた。
わずかな脂肪を乗せて、まるやかな線を描く下腹部。
その下側に、広く繁茂した濃い叢。
「……いやらしい……」
また、その言葉を美佐子は呟いた。俗説にもあるように。その黒々とした翳りもまた、
自分の肉体が秘していた貪婪さの顕れであるように思えてしまうのだった。 

梳るように、指を濃い叢へくぐらせた。
腰を前へと突き出して、指を這わせた股間を鏡に近づけた。
映し出された、自分の放埓な姿を凝視しながら、さらに手を奥へと潜らせた。
手指の動きやすいようにと、両腿を左右に広げ、膝を外向きに曲げるようにして。
「……ひどい格好」
鏡の中の、ブザマな女を嗤う。そうすることに、奇妙な昂奮を覚えた。
いっそ、自分という女の淫らがましさ、あさましさをとことんまで暴き立てて嘲笑ってやろう、
という衝動が美佐子の中に生まれていた。
自虐の指が、繊細な肉花を開く。指先に触れた湿潤。
鏡の中で、毒々しく咲いた花。花弁に光る滴。
まじまじと、美佐子はそれを見つめた。
自分の“女”を、これほどハッキリと目の当たりにしたのは、生まれて初めてだ。
「……なんて……淫らな……」
実感がうわ言のような言葉となって、洩れた。
こんなにも淫猥だったのかと思う。
こんなものを肉体の中心に持っていればこそ、自分の本性は、こんなにも淫奔なのだと納得できた。
『これで、貞淑な未亡人のフリをしてたってんだから』
男の嘲りが、蘇る。不思議なほどに、美佐子は、自分を嬲る男の言葉を記憶に留めていた。
いまは、わかる。男は正しい。
こんな淫らに爛れた肉を持った女が、貞淑であるわけがない。
そんな姿は仮初のものだったのだ。自分でも気づかずにいたけれど。
こんな肉を抱えて。そしていまも、こんな破廉恥なマネをする女の本質が、
『良き母』や『貞婦』などであるはずがないのだ。
「……牝」
端的に、己の存在を表す言葉を美佐子は呟いて。ブルッと腰を慄かせた。 

美佐子は酩酊にも似た状態に陥っていた。
自らの眼で確かめた、己が淫蕩の色と香に酔ったように。
トロンと双眸をけぶらせて、頬を上気させて。
そして、股間にさしこんだ手と、高く息をつく乳房を握りしめた手に、ハッキリと
快楽を求める蠢きを開始させた。
思い描くイメージ、愛撫の手がなぞるのは。
無論、亡夫との閨の記憶ではなく。竜之介との一夜の思い出でもなかった。
美佐子以外に、たったひとり、彼女の本性を知る男。
美佐子に初めて、本当の肉の悦びを教えこんだ男の荒々しくも巧妙な動きだった。
「……フ……ア……」
男がしたように、指の腹で、固く膨張した肉芽をこねくった。
男の手と同じように、搾るように熱い乳房を揉みたくり、先端に爪を立てた。
直截の刺激が、悦楽の記憶とシンクロして、美佐子の肉体を甘く痺れさせたが。
まだ、足りない。
あの男に触れられた時の快感は、こんなものではなかった。
焦燥と渇望にせかされて、ならば、と美佐子はさらに忠実に男の嬲りを再現しようとした。
性感の源泉にあてていた両手を外して、身体の向きを変えた。
首をねじって、鏡に映った自分の背姿を眺めた。
白くなめらかな背中と、くびれた腰。そして雄大な臀。
美佐子は両手をまわして、ムッチリと張りつめた臀の表面を撫でまわした。
鏡に映るそれは、角度のせいかいっそう逞しい量感をしめしていた。
もともと、大きすぎるのではないか、と密かに気にやんでいたパーツ。
しかし、あの男が最も執着していた部分だ。
(このお尻にも、飽きてしまったの……?)
嘆くような問いかけを呟きながら、美佐子は、さらに後ろへと突き出した豊臀の肌を愛撫した。
ジワジワと性感が高まって、分厚い肉は内側からの熱に火照りはじめる。
本来、さほど敏感ではないはずの場所を、こんなに感じ易く変えてしまったのも、あの男なのに。
切ない恨みが沸いて、思わずギュッと指を臀肉に食いこませた。 

ハァと、大きな息を吐いて。
美佐子は鏡に尻を向けたまま、上体を倒していった。
洗い髪が床に落ちるのも気にかけず、深く前屈して。両脚を横に広げてバランスをとった。
最初の凌辱の時、男に強要されたポーズだった。
逆転した視界の中、両腿の間から鏡を見上げる。
自ら晒した最悪の姿態が忠実に映し出されていた。
大きな尻を掲げて。開いた脚の間に、逆むきに垂れた乳房を揺らして。
その下から血を昇らせた紅い顔で、トロンと蕩けた眼で見ている女。
滑稽で、無様で、とてつもなく淫猥な姿を、美佐子は嘲笑った。
嗤いながら、息苦しいような昂奮を覚えた。
(……もっと……もっとよ……)
グッと指をたてて、掴みしめた臀肉を左右に割り開いた。
薄明かりの下に、秘めやかな女の部分が完全に暴きたてられた。
臀の白さと強いコントラストを描く色づき。皺を刻んで、まばらな毛に縁取られたセピア色の蕾。
やはり濃い翳りに覆われた肉厚な花弁は、よじれ開いて。鮮紅色の内肉まで覗かせていた。
見つめる間にも、トロトロと零れる淫らな液で、女肉はテラテラと濡れ輝いていた。
「……アアァ……」
感にたえたような声を上げて、美佐子はブルルと臀を震わせて。
剥き出しになった欲望に従って、片手を前からくぐらせて、物欲しげに開いた女陰へと指を突き立てた。
ジュブッと隠微な音をたてて、性急な二指の挿入を、美佐子の膣は抵抗なく受け入れ、貪欲に咥えこんだ。
「アハァ……ア、アァ」
勝手に口をつく感悦の声を、美佐子は抑えようともしない。
根元まで挿しこんだ指を、そのまま激しい挿送に移らせた。
「ウン、アッ、いっ、ウウン」
ジュッポッジュッポと、猥雑な水音をかき鳴らす指は、懸命に男の技巧を模倣した。
熱いぬかるみの中で、バタ足のように蠢きながら、とろけた襞を掻き擦る。 

「アッ、いぃっ、もっと、もっと」
前夜の行為よりはるかに強い快感を味わいながら、美佐子はさらなる高みを求めた。
臀肉を掴んでいたもう一方の手を口元にまわして。あえぎをつく舌を伸ばして、タップリと唾液をまぶすと。
その手を股間に差しこんで、唾にまみれた指で、屹立した肉芽をくじった。
「アイィッ、アッ、アアッ」
ビリビリと腰骨に走る甘美な電流に甲高い叫びを迸らせて、頭をふりたくった。
汗を含んだ髪が、バサバサと絨毯を掃いて散らばる。
美佐子は途切れない感泣を洩らしながら、ますます指の動きを激しくして、行為に耽溺する。
(もっと、もっと、もっと)
赤く染まった脳裏には、その言葉だけが反響していた。
女肉を抉る指を三本に増やして。真っ赤に充血した肉芯を引き伸ばすように扱きたてながら。
美佐子は顎を引いて、再び鏡の中の自分へと眼を向けた。
恥を忘れた淫乱な年増女が、これ以上はないような醜態を晒していた。
ふてぶてしいほどにデンと張り切った臀をふりたくって。
グニャグニャに溶けた肉を詰めたふたつの胸乳をブラブラと揺らして。
ビンビンに勃起した大ぶりな肉芽を、自分の唾と愛液に濡れた指に挟んで。
寂しい寂しいとすすり泣く哀れな肉穴に、三本も指を突っこんで。
淫猥な臭気を放つ熱湯のような淫蜜を、とめどもなく噴きこぼして。
獣だ、と思った。発情した牝の獣がそこにいた。
急激に昂ぶりを強める官能に、総身を小刻みに震わせながら、美佐子は鏡の中の牝を憐れみ嘲った。
すると、鏡の中の牝も蔑みをこめた眼で美佐子を見た。
「……アアァッ!」
その瞬間に、快楽が臨界を越えて、美佐子は軽い絶頂に達した。
しばし、その余波の中で、ゼイゼイと喉を鳴らし、脾腹を喘がせたが。
(もっと、もっと、もっと)
頭の中の声は止まない。
そう、こんなものでは足りない。これっぽちの快楽では、少しも満たされない。 

指ではダメだ、と美佐子は気づいてしまっていた。
深く折っていた首をもたげて、薄明かりに照らされた室内を物色した。
視線がベッド・サイドにとまる。
サイド・テーブルに置かれたワインのボトル。昨夜の寝酒に用いたものだ。
美佐子は潤んだ眼を輝かせて、ベッド・サイドへと歩み寄った。
持ち上げたガラスの瓶を検分する。ボトルの底にはふた口分ほどの赤い酒が残っていた。
美佐子はコルクを抜くと、ラッパ飲みにあおった。ほとんどひと息に瓶の中身を飲み干した。
口の端から零れた酒が、顎へと一条の赤い軌跡をつくり、胸肌へと滴った。
口から離したボトルを、両手で捧げ持つようにして。
美佐子は赤く染まった舌を伸ばした。舌の先端で、瓶口の輪郭をなぞるように舐めまわす。
そのまま、舌を離すことなく舐め下ろした。顔を左右に振り、瓶を回すようにして、
細い先端の部分に満遍なく唾液をまぶした。
それから、再び瓶口を含むと、ゆっくりと両手を動かして、咥えたボトルを前後させた。
キュッと窄めた唇を、ガラスの筒が出入りするたびに、チュプチュプと唾液が弾けて。
美佐子の頬が淫猥に蠢くのは、口中の固い物に舌を使っていたから。
それはまぎれもない口戯だった。冷たい無機物を相手としたフェラチオの行為。
美佐子は鼻から荒い息を噴きながら、両手と同時に頭を前後に振って、しばし没入した。
口も舌もまた餓えていたのだ。固い物を咥えこんで味わうことに。
無論、口中のボトルは、美佐子が本当に求めているものには程遠かった。
実用に可能な先端部分はあまりに細く、長さも足りなかった。
ゴツゴツとした節くれもなければ、脈動もしない。
なにより、舌を灼くような熱がなかった。
そんな当たり前な事実に、いちいち落胆と不満を感じながらも。
せめて、その確かな固さを味わおうと、美佐子は甘く鼻を鳴らして、
口の中のガラスのペニスへと舌を絡めた。 

やがて。ようやく擬似的なフェラチオ行為に満足したのか、肉の昂ぶりに次を急かされたのか。
むしゃぶりついていたボトルから、美佐子が口を離した。
粘い唾液が、ツーと糸を引いた。
美佐子は瓶を手に、鏡の前へと戻った。
ベッドに上がろうとは思わなかった。この後に演じようとする極限の痴態を自らの眼で見たかったし。
獣の牝が痴情の限りをつくすのには、ベッドなど相応しくないという思いがあった。
より相応しい場所、床の上に美佐子は這いつくばった。先程までと同じく鏡台に臀を向けて。
迷うことなく、美佐子はその体位をとった。男が最も好み、自分もまた最も強い快感をえたかたち。
首をねじって、鏡に映る姿を確認する。
四つ足で這ったさまは、ますますあさましく惨めで。そのことに被虐的な昂ぶりを感じながら、
ああ、似合いの格好だと奇妙な安堵も覚えた。獣なら、サカリのついた牝ならば。
ワイン・ボトルを底部で握った手を背後にまわした。もう一方の手を腹の方からくぐらせて、
先端を誘導する。
固い瓶口が触れた瞬間、期待に胴震いを走らせて。
「き、来てぇっ」
泣くような声で美佐子は求めていた。淫猥なひとり芝居を虚しいとか滑稽だとか感じる自意識さえ失って。
ニュルン、と滑らかにガラスの筒は潜りこんだ。
「ハアアアァッ」
陶然とした声が、美佐子の鼻から抜ける。
量感と迫力に乏しくても、確かな固さがある。貪婪にガラスの男根を食いしめる秘肉に感じる。
「つ、突いてぇ」
美佐子は媚びた流し目を背後にくれて、乞い願った。そこに求める男がいるかのように。
それに応えて、尻にまわした手が握りしめたボトルを前後に滑らせ始める。自作自演の凌辱劇。 

「ヒッ、ああ、いっ、もっと、もっとぅ」
乱れた髪をふり、重く垂れ下がった乳房をふり、汗を浮かべた白い豊臀をふりたくって、
美佐子は酒瓶とのファックに痴れ狂った。
際限なく溢れ出る熱い淫汁が、ボトルをつたって絨毯の上に垂れ落ちる。
ギリギリまでガラスのペニスを打ちつければ、太く広がった瓶の胴部が臀肉を叩いて、
ペッタペッタと間抜けた音を鳴らす。
深く挿入したままで、グリグリと回せば、固い瓶口が襞肉をこそげて、たまらない快感が走った。
「うあっ、いい、いいの」
ガラスの男根は、やはり奥地を叩くには寸足らずだったが。
それでも、指では届かなかった部分への刺激が、たまらなく快美で。
「アッ、いきそ、い、いく、いきそう」
美佐子は兆した極まりを求めて、さらに激しい凌辱を自らの肉体に与えた。
顔と肩で上体を支えて、瓶を突きこむ手の動きを一際強めて。もう片手で、
引きむしるように女芯を嬲って。
「アアア、いく、イク……いっくううっ!」
裏返った叫びとともに、四つん這いの白い裸身が硬直して、その後にガクガクと痙攣を刻んだ。
「……ファ……ア……ハァ……」
やがて、脱力した肢体が絨毯の上に突っ伏した。ゴトッと、重たい音をたてて、ボトルの底が床を打った。
先端はまだ美佐子の中に入ったまま。
まだ物欲しげにわななく、美佐子の“女”にしっかと咥えこまれたままだった……。 

……それが、昨夜までの美佐子の行状だった。
夜毎に狂いようを強めて。そして前夜の、これ以上はない破廉恥なふるまい。
今朝、短く深い眠りから覚めた時に、理性を取りもどした美佐子が感じたのは、
自分への絶望と敗北感だった。
朝の光りに照らし出された部屋の中の、狂乱の夜の痕跡が美佐子を苛んだ。
空気に残る淫猥な臭気。床に脱ぎ捨てられたガウンと夜着と下着。
不自然な位置にどけられた鏡台のストール。周辺の絨毯に点々と着いたシミ。
そして。美佐子が一夜の相手としたワイン・ボトル。
やはり、床に転がっていた空の酒ビンの、表面はベタベタした粘液にまみれ、
先端部分には恥毛が貼りつき……瓶の底には、白っぽい液が溜まってさえいたのだ。
目覚めて最初にしたことが、それら痴宴の残滓を片づけることだったのだから。
この一日をまともに過ごせるはずもなかった。
土曜ということで、唯が開店から手伝いに出ていた。竜之介も、店で時間を過ごした。
せめて、ふたりの前では平静を保たなければ、という美佐子の自戒は長くは続かなかった。
仕事に集中しているつもりでも、ふとした瞬間に昨夜の自分の醜態が蘇って。
そこから思索はとめどない連想と循環を始めてしまう。
すでに自分の変調に気づいている唯たちが、心配そうな眼を向けていることがわかっても。
どうしても、目の前のことに意識を繋ぎ続けることが、美佐子には出来なかった。 

だから、閉店後、店にひとりになった時には、苦行を終えたような安堵を感じた。
慣れた作業をほとんど機械的にこなして。
すぐに家の中へ戻る気にはなれず、座りこんでしまった。
灯りを落とした店内に、ひとり座って。考えていることは例のごとし。
今日も……男からの連絡はなかった。
そして、自分はまた夜を迎えなければならない。
美佐子の心境は、途方にくれる、という表現が一番似つかわしかった。
(……どうすれば……私……)
どんなに昨夜の醜態を恥じていても。またひとりの寝室で、自分を律しきれる自信はなかった。
……このまま、本当に男が接触を絶ってしまって。
残された自分は。
やがて、時がたてば、あの男のことを、男に教えこまれた愉悦の記憶を忘れて、もとの自分に戻ることが出来るのか?
とても、そうは思えなかった。
ならば、これからは毎夜、あんな痴態を演じて、自分を慰めるのか?
この身体に棲む“女”が枯れ朽ちるまで? 
それは……あまりにも惨めすぎる。
美佐子は暗い眼を、カウンターの電話に向けた。鳴らない電話に。
男からの呼び出しは、いつも一方的なもので。
美佐子は男の連絡先を知らなかった。知る必要などないと思っていたのだが。
こんなことなら……と悔む気持ちがわく。
もう、そんな思考を、馬鹿げたことと誤魔化すことは出来なくなっていた。
認めざるをえない。あの男からの連絡を待ち侘びている自分を。
……暗きへと傾き続ける美佐子の思索は、呼びに来た唯によって、ひとまず打ち切られた。 

唯は夕食を終えると、いずみの家へと出掛けていった。
竜之介は、テーブルに肘をついて、流しに立つ美佐子後ろ姿を眺めている。
食事の間も、美佐子のようすは相かわらずだった。この数日間の、奇妙にぎこちなく
不自然な態度。口数も少なく、眼の色は暗い。
真剣な顔で、美佐子の背中を眺めていた竜之介は、姿勢を正して、思いきったように声をかけた。
「美佐子さん」
「……え? なに?」
わずかに反応は遅れて。美佐子は少しだけ顔を後ろに向けて聞き返した。
声をかけられた瞬間に示す妙な緊張も、最近の美佐子の習性になっている。
竜之介は、そのことには触れずに、落ち着いた口調で続けた。
「さっき、唯に、俺たちのことを話そうとしたんだ。俺と美佐子さんのことを」
「私たちの……こと?」
美佐子は、数瞬考えるそぶりを見せて、
「えっ!?」
ようやく竜之介の言わんとすることを理解すると、ハッと振りかえった。
「竜之介くんっ……」
「いや、結局言わなかった。言えなかったんだけど」
バツが悪そうに、竜之介が付け足した言葉に、美佐子はホッと力を抜いた。
「驚かせないで」
「ごめん」
睨む美佐子に謝って、しかし竜之介は表情を引きしめて、
「でも、本当に、そうしてもいいと思ってるんだ」
確固たる口調で告げると、美佐子は不安げに眉をよせた。
「どうして……? 急にそんなことを……」
「美佐子さんが、なかなか言い出せないみたいだから」
率直に、竜之介は言った。
唯が不在のこの時を好機として、美佐子と腹を割った話し合いを持つつもりだった。 

「それ、は……」
「わかってる。そう簡単に切り出せることじゃないよね。そのことで、ずっと美佐子さんは悩んでる。
 最近ようすがおかしいのも、そのせいだって……俺は思ってるんだけど?」
「………………」
「だったら、それは俺の問題でもある。美佐子さんひとりに押し付けていいことじゃない」
「……竜之介くん」
「俺にも、うまい伝え方なんてわからない。怖い気持ちもあるよ。
 でも……これ以上、美佐子さんが暗い顔をしてるのを見ていたくはないんだ」
「………………」
「俺だって、俺たちの関係が、そうスンナリと受け入れられるものじゃないことはわかってる。
 唯に限らずね。でも、俺は、美佐子さんだって決めたから。その気持ちは、なにがあっても変わることはないから。
 だから。どんなことも、ふたりで乗り越えていけたらなって」
「………………」
不意に。美佐子は顔を伏せると、口元を両手で押さえて。クッと嗚咽の声を洩らした。
両目から、ポロポロと涙を零して。
「み、美佐子さんっ?」
驚いて、腰を浮かせた竜之介。
「どうしたんだよ?」
うろたえながら、立ち竦んだまま声を殺して泣き続ける美佐子の傍らに立って。
ためらいがちに、震える肩に手を伸ばすと。
「うわっ」
フラリ、と。胸に美佐子がもたれかかってきて、さらに慌てることになった。
「美佐子さん?」
「……ご、め……ごめん、なさい……ご、めん……ね……」
竜之介の胸に顔を埋めて。なおも嗚咽に身体を震わせながら、切れ切れに美佐子が言葉を返した。
「…………」
竜之介は、両腕を美佐子の肩に回して、そっと抱きすくめた。
ビク、と一瞬強張った美佐子だったが、すぐに力を抜いて、竜之介に身を預けた。
甘い髪の香を嗅ぎながら。竜之介は美佐子が泣き止むまで、こうして抱いていようと思った。 

竜之介の胸の広さと暖かさを、美佐子は感じている。
包みこむように抱きしめてくれる腕の優しさ。
こんなにも……彼は自分のことを思ってくれているのだ。そう実感すれば。
新たな涙がわき上がってくる。
美佐子が流しているのは、自責と慙愧の涙だった。
これほど真摯な純粋な想いを、竜之介は注いでくれるというのに。自分は。
どれだけ竜之介のことを意識に乗せてきただろうか?
あの男から頻繁に呼び出されていた時には、ひたすら発覚を恐れるだけで。
男が遠ざかってからは、男の真意をはかることと自分の内の奇怪な変調にばかり気をとられて。
挙句は……満たされぬ欲求に悶々とするばかりで。
竜之介とのことなど、意識から追いやってしまっていたのだ。
恥かしさに消え入りたくなる。申し訳なさで、竜之介の顔を見ることが出来ない。
だが。強い抱擁が心地いい。伝わる竜之介の体温が、この上ない安らぎを与えてくれる。
勝手だと、虫がよすぎると自分の感情を責めても。
追いつめられた美佐子には、竜之介が向けてくれる一途な想いだけが、最後の希望のよすがと思えて。
それに縋らずにはいられなかった。
だが、そのためには通過儀礼が必要だ。
すべてを……打ち明けようと美佐子は決意する。
これまで竜之介に隠してきた事実を、自分の身の起こったことのすべてを告白して、彼の裁断を受けよう。
美佐子は涙に濡れた顔を上げて、竜之介と眼を合わせた。
「あ……」
「竜之介くん……」
至近の距離から見つめあったまま、美佐子は告白の言葉を紡ごうとして。 

しかし。そこで舌を凍りつかせてしまう。
すべてを……告げる? すべてを?
あの男に脅迫され、身体を汚されたこと。何度も。
それだけなら……きっと竜之介は赦してくれるだろう。美佐子を責めはせず、逆にいたわってくれるだろう。
だが。それが事実のすべてではない。
脅迫者との意にそまぬ情交の中で、快楽に溺れた自分。
男が去って後も、開発された官能の疼きに負けて、ひとり痴態を繰り広げた夜。
満たされぬ欲望に、忌むべき男が戻ってくることを望む気持ちさえ抱いてしまったこと。
そんなことを、すべて明かすというのか?
しかし、都合よく自分の変貌ぶりだけを除外してしまえば、それは欺瞞になる。むしろ、
より酷い裏切りになるだろう。
そんな思いが決意を鈍らせて。美佐子の逡巡は長く続いた。
結果として。
その躊躇いが美佐子の運命を決した。
「……美佐子さん?」
物言いたげに、口を開きかけたまま固まってしまった美佐子に、竜之介が訝しげな表情を浮かべた。
そして。

トゥルルルル……。

まるで見計らったかのように鳴り出した電話が、タイム・オーバーを告げた。 

突然鳴り響いた電子音に、ハッと反応した竜之介が、美佐子の身体にまわした腕をといた。
「……あ…」
抱擁をとかれた美佐子は、我知らず惜しむような声を上げて。
すぐにそれを恥じたように顔をそらして、電話へと向かった。
この場での告白の機を逸したことに、落胆と安堵の入り混じった複雑な思いを感じて。
「……はい」
なかばうわの空のまま、美佐子は電話を取った。この数日、条件反射のようになっていた
緊張も身構えもないままに。
『よお、美佐子か。久しぶりだな』
「……!?」
だから、受話器から聞こえたその声は、絶大な衝撃を美佐子に与えたのだった。
「え、あ……」
咄嗟には、言葉が出ずに。
すぐに、そばにいる竜之介のことを思い出して。美佐子は、出来るだけさりげなく竜之介に背を向けて、
表情を隠すと、取り繕った声で応答する。
「お、お久しぶりですね」
『なんだあ? よそいきの声なんざ出しちまって。……ハハァ、娘かガキが近くにいるのか』
「え、ええ。ですから……」
かけ直してほしい、と言外に匂わせても、
『それもまた、面白いじゃないの』
男は取り合おうとしない。言葉の通り、うろたえる美佐子を面白がっている。
久しぶりに触れる男の悪辣さに、美佐子の背をゾクリとした感覚が走った。
パニックに陥りかける思考を必死にまとめて。とにかく竜之介の眼から逃れようと、
受話器をあてたまま、廊下に出た。行動の不自然さを顧る余裕はなくしていた。
暗い廊下に出て、リビングから数歩離れて。
「……なんの用なの?」
潜めた声で、美佐子は訊いた。 

『オロ? いきなり態度が変わったな? ガキどもから逃げたか? つまんねえな』
「用件を言って」
竜之介の耳から逃れたとはいえ、長話はまずい。美佐子の口調は焦ったものとなった。
『別に、用事ってことじゃないがね。しばらくぶりに美佐子の声が訊きたくなってさ』
男のほうは至って呑気であった。それが、美佐子には無性に癇にさわる。
「ふざけないでっ」
思わず声を荒げて。ハッと気づいて、リビングの方をうかがう。
『やけに苛立ってるじゃねえか。ストレスでも溜めこんでるんじゃねえのか』
ニヤニヤと。小馬鹿にした笑みを浮かべているのが目に見えるようだった。
美佐子は、深く息を吸って気持ちを鎮めて。
「早く用件を伝えて」
用件―場所と時間を言え、という意味だ。男が連絡をとって来たなら、呼び出し以外のことではあるまいと。
だが。
『別に、次の逢瀬の約束をしようってわけじゃないぜ』
「えっ?」
男はあっさりと否定して。美佐子は間の抜けた声を出すことになった。
『なんだよ? そんなにオレと逢いたいってか?』
「そ、そんなわけが……」
『ああ、それならいいんだがな。身体を持て余して、悶々としてるんじゃないか、なんて心配だったもんでよ』
「ば、馬鹿なことを」
『いや、身体が夜泣きして、ひとりで慰めてるなんてんだったら、気の毒だと思ったんだがな。
 いらん気遣いだったみてえだな』
「……っ」 

すべて見透かしているかのような男の言いぐさ。
恥辱に胸を灼いても、美佐子には反駁する言葉がない。
『ま、問題がないってなら、もうしばらく時間を置こうじゃないの』
「いつまで?」
あっさりと告げられた言葉に、反射的にそう聞き返して。
あっ、と美佐子は口を押さえたが、いまさらだった。声にこもった切迫した心情は、
ハッキリと電話の向こうにも伝わって。
『…………ふうん』
「あ、ちが、うの、……また、急に呼び出されるのは、困る、から」
しどろもどろな弁解に、冷笑の気配が返ってくる。
『…クク。近いうちに、また連絡するさ。そん時に、美佐子が“困った状態”になってたら
 交際の再開について考えようじゃないの』
「ちがう、私はっ」
『どうしても辛抱しきれなくなったら、竜之介にでも相談しろや。じゃあな』
「あっ」
プツリ、と声が途切れた。
美佐子は、しばし呆然と受話器を見つめて、立ち尽くした。
思考がまとまらない。複雑に交錯する感情に、頭の芯が痺れたようになって。
「…………あ」
不意に、小さく声を発して、スカートの前を握りしめた。
「……あ……あ……」
脅えるような眼を、左右にふる。奥の自室とリビングを見比べて。
片手に持ったままの受話器に気づいて、リビングへと足を向けた。
無理に背を伸ばし、呼吸を整えながら。 

リビングで、竜之介が美佐子を待っていた。
ソファに座って、手持ち無沙汰なようすで。
「あ、美佐子さん」
戻ってきた美佐子に、体ごと向き直って。
「電話、誰からだったの?」
問いかけに他意はない。話の継ぎ穂として口にしただけだ。
「ええ、あの……入院している知り合いから、だったんだけど」
微妙に目を合わせることを避けたまま、受話器を戻した美佐子が答えた。
ああ、と簡単に竜之介は納得して。電話については、それで興味を失う。
そんなことより。美佐子とは大事な話の途中だったのだ。
中断させられて、さて、再びどのように切りだそうかと考えるうちに。
そそくさと、またリビングから出ていこうとする美佐子に慌てることになる。
「美佐子さん!?」
「お風呂わいてるから」
竜之介の呼びとめにも足を止めることなく、どうでもいいことを言い残して、美佐子は姿を消した。
すぐに美佐子の部屋のドアが開閉する音が聞こえた。
取り残された竜之介、しばし呆気にとられていたが。
やがて、脱力してソファに倒れこんだ。
「なんだよう……もう!」
吐き捨てた声に、どうしようもなく怒りがこもった。 

……寝室へと逃げ込んだ美佐子は。
閉じたドアに背をもたれて、気息を整えていたが。
「…………」
手を伸ばして、照明を最小度に点すと。
おそるおそるに、スカートをめくり上げた。
薄明かりの下に、白い太腿とパール・ピンクのショーツが現れる。
ショーツまで下げる必要はなかった。
瀟洒な下着のクロッチの部分にはハッキリと濡れしみが浮き出して。
それだけでは済まずに。盛り上がった股布の横から内股へと、ひとすじの流れ。
「ああっ」
悲痛な声を上げて、顔を背けスカートの裾を放した。
ズルズルと、ドアに預けた背を滑らせて、へたりこむ。
「……まるで、犬じゃないの……」
あの男の声を聞いただけで、たった数分の会話で。
これでは、条件づけられた実験動物ではないかと、泣き声を震わせて。
美佐子は、自分の肩を抱いて、濡れた眼を宙にさ迷わせた。
奈落。暗い底無しの穴。自分が踵まで、その縁にかけているのだ感じる。
「……助けて……」
か弱い声で、美佐子は救いを求めた。 

竜之介は自分の部屋で、ベッドに大の字になっていた。
あれから、すぐに部屋に上がって。一時間ほど、そうしている。
天井を見上げる表情は険しい。
あの後、美佐子を追って話の続きをしようか、とも思ったが。
どうにも有意義な会話は出来そうではなかったので、諦めた。
竜之介は憤慨していた。時間がたったいまもまだ、それは続いていた。
「……そんなに頼りにならないかなあ」
昼間、唯が吐いたと同じ言葉で、竜之介は嘆いた。
みずくさい、と思うのだ。
美佐子の態度は、抱えた懊悩を竜之介にも明かす気はないという意志の顕れだ、
と竜之介は解釈した。そうとしか思えなかった。
ならば、美佐子の思い煩っているのは、自分とのことではないのかもしれない。
だが、そうだとしても、元気づける役まわりくらいさせてくれてもいいのではないか、と思う。
悔しい。こんな時に、まだ青二才でしかない自分を痛感してしまう。
竜之介が悩み苦しんだ時、美佐子が与えてくれた包みこむような愛情。
それを自分の側からは与えてやれない求めてもらえない状況が竜之介を鬱屈させる。
そして、暗い感情の中にたゆたううちに、心の片隅に巣食った小さな暗黒に触れてしまう。
もしや……美佐子は心変わりをしてしまったのではないか、と。
そんな疑いが、はじめて竜之介の中で明確なかたちをとった。 

『美佐子さん、好きなひとでもできたのかしら』
『逢いたいのに逢えないひとのことを、想い浮かべているんじゃ』
昼間の友美の言葉。
思い返しても、ピンとくるわけではない。もとより、女性の心理の機微には鈍いところのある竜之介だ。
だが。その推測に、この一月ほどの美佐子の行動を重ねてみたら?
たびたび店を休んで外出していたのは、本当は、その男に会うためで。
いつも暗い表情をしていたのは、その男との関係に悩んでいたから、あるいは、
その男と竜之介との板ばさみになって心を痛めていたからで。
しかし、その男とは、一時的にか恒久的にか逢えなくなってしまった。
だから、美佐子は連日のように外出することはなくなったが、より深い苦悩を見せるようになった……。
「………………」
やけに、スンナリと収まる気がする。
ひとりの顔のない人物を登場させることで、美佐子の不可解な変調ぶりに、説明がついてしまう。
なるほど、と感心したようにうなずいて。
しかし、竜之介は、
「馬鹿ばかしい」
ひとことのもとに、暗い推論を斬り捨てた。
かすかに、チリチリと胸が焦げるような不安はある。しかし、それも自分の弱さゆえだと受け止める。
「美佐子さんは、そんなひとじゃない」
根拠はそれだけだった。それだけで充分だった。
美佐子が、竜之介の想いを受け入れたのが、たったひと月前だ。それも、深く深く悩んだうえでの結論だったのだ。
それが、こんなわずかな時間で、他の男に気を移すなどとはありえない。
そもそも、美佐子のようすがおかしくなったのは、竜之介と想いを交し合った直後だったのだから。
やはり、どう考えても、他の人物が介入する余地などなかったと思える。 

「……だいたい、美佐子さんの生活ぶりで、そんなに男と縁が……」
さらに否定の根拠を並べようとして。
なんのかんのと言いつつ、ムキになっている自分に気づいて、竜之介は苦笑した。
自嘲しながら、“美佐子の男との縁”という連想で、ひとりの人物を思い出した。
店の客で、しつこく美佐子に言い寄っていたオヤジ。
カエルオヤヂ。名前なぞ知らない。狼藉を見かねて、手荒く撃退してやった。
思い出すのもイヤなヤツだが。
でも、あれが美佐子との関係を進展させる最大のキッカケでもあったのだ。
「そう考えれば、あのオヤヂにも感謝しなきゃならんかもなあ」
無論、本気ではないが。美佐子の“男との縁”などを探せば、あんな輩しかいないんだから
と考えると、気持ちが軽くなる。
「……なんだか、脱線しちゃったな」
気がつけば、胸のうちから憤懣は消えてしまっていた。
結局、唯のいない夜に美佐子とジックリ話し合うという目的は果たされなかったわけだが。
まあ、もう少し時間を置こう、と本来の楽天ぶりを持ち出して、竜之介は起き上がった。
時計を見る。まだ寝るには早過ぎる時間だ。
視線を移すと、窓のカーテンも引いていないことに気づいた。部屋に戻ってきた時は
頭に血が昇っていて、ベッドに直行したのだった。
そういうとこも、お子様なんだろうなあ、と反省しつつ立ち上がろうとした時。
カチャリと、かすかな音が響いて。
ン? と振り返えると、ゆっくりとドアが開かれていく。
唯が不在なのだから、部屋を訪れるものは、ひとりしかいない。
「……美佐子さん?」
果たして、暗い廊下に立つ白い影は、美佐子であった。 

スッ、と入りこんだ美佐子は後ろ手にドアを閉めた。
その間、顔は俯けたままで、竜之介と眼を合わせようとはしなかった。
「ど、どうしたの?」
竜之介の声は、戸惑いに上擦った。
ノックもせず声も掛けずにいきなりドアを開けて入ってくるなど、
おおよそ美佐子らしくもない行動のせいもあったが。
それよりも美佐子の格好が問題だった。
ドアを背に立つ美佐子は、白いバスローブ姿だったのだ。
ならば湯上りということなのだろう、いつも三つ編みにしている長い髪はほどかれている。
ローブの襟元には、白い素肌が露わになっている。
夜分に、男の部屋を訪れるには、あまりにも刺激的な姿だ。
「み、美佐子さん?」
胸元に引き寄せられる視線を必死に引き剥がして、竜之介は質した。
しかし、美佐子はなんの応えを返すことなく。
スッと手を横に伸ばした。指が電灯のスイッチを探って。
パチンという小さな音と同時に、室内は一転して闇に包まれた。
「なっ!?」
異常な展開についていけない竜之介は、ただ驚愕の声を上げるだけ。
窓からの月灯りは明るく、すぐにボンヤリとした視界は戻った。
薄闇の中に、浮かび上がった白い影。
白い手が動いた、と見えた次の瞬間には、白い衣装は音もなく床に落ちていた。
「…………っ!」
今度こそ、言葉も出せずに呆然と見つめる竜之介。
月光に、蒼白く照らし出される肌。たかい胸の隆起。縦長の臍。腰から下肢へのカーブ。黒い翳り。
美佐子は、一糸まとわぬ裸身を晒していた。 




 

 

 

 

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