鳴沢美佐子9


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

土曜の午後。喫茶『憩』。
ランチ・タイムが過ぎて、客はまばらになっている。
カウンター席に竜之介が座っている。
頬杖をつき、ボケッと静かな店内の風景を眺めて、
「……やっぱ、憩は空いてるほうが、しっくりくるなあ」
と呟いたのは、先ほどまでの、それなりの賑わいぶりと比べてのことだった。
「あ、そんなこと言って」
聞きとがめたのは、エプロン姿の唯。竜之介の隣りに腰を下ろして、軽く睨みつけた。
「おにいちゃんは、お客さんが来ないほうがいいっていうの?」
いまはこうして手が空いたが、ついさっきまではそれなりに慌しく立ち働いていた唯としては、
聞き捨てならないといったところ。
「いや、こういう状態の方が見慣れてるってゆうか、さ」
「もう! こんなこと言ってるよ、おかあさん」
まあ、本気で怒ってるわけでもなく、半ばジャレついてるようなもので。
カウンターの中の美佐子に話をフッたのも、この他愛のないやりとりに加われという誘いだったのだが。
「………………」
しかし、洗い物をしている美佐子は、目の前での会話を聞いていないようすで、なにも答えない。
かといって、作業に集中しているのでもなく。水を流したままのシンクに手を浸したまま、
ボーッと物思いに沈んでいた。
「……おかあさん」
「……え? あ、なに?」
ビクリと我にかえって、聞き返す美佐子に。
唯と竜之介は顔を曇らせて、そっと視線を交し合った。 

……しばらく休みがちだった『憩』だが、この十日間ほどは平常の営業に戻っている。
知人の病状が快方に向かって、美佐子が介護に赴く必要がなくなったからだ。
それを美佐子から聞かされた時、無論唯と竜之介は喜び、安堵した。
美佐子の負担が減って、これで本来の生活が戻ってくると思ったのだ。
だが、すぐにそれは早計であったことに気づかされた。
美佐子のようすがおかしい。
表情や挙措から、重い疲弊の色は消えて、傍目にも体調は良くなったように見える。
しかし、行動の奇矯さは逆に強まっているのだ。
店でも家でも、しょっちゅう惚けたような状態に陥ってしまう。
かと思えば、なにかに苛立つような落ち着きのないさまを見せる。
当然、それらの異常は、すぐに唯や竜之介にも知れることになって。
ふたりは、何度も美佐子に、なにか悩みがあるのではないかと質したのだが。
そういう時には、きまって美佐子はなんでもない、心配はいらないと、
簡単に話を打ちきってしまう。どこかギコちない笑みを浮かべて。
否定されても、唯や竜之介は納得できるはずもなかったが。美佐子が口を閉ざすかぎり、どうにもしようがない。
せいぜいが、唯が毎日なるべく早く帰宅するようにして、店に手伝いに出る程度のことしか出来なかった。
竜之介の勉強の方は、一ヶ月近くの猛烈な集中の甲斐があって、ほぼメドが立った状況だから、
放課後の補習も自宅学習に切り替えた。まあ、竜之介の場合には、早く帰っても、
特になんのサポートを出来るというわけでもないわけだが。
それでも、ふたりはなるべく傍にいて、不安定な状態の美佐子を見守ることを暗黙のうちに
了解しあっていた。なんだか、腫れ物に触るようなやり方になってしまっているが。
この日は休日ということで、唯は朝から店の手伝いに。
竜之介は、久しぶりにたっぷりの睡眠をとって、昼近くに起き出してきたところ、
“どうせだから、今日は一日休養するように”というお達しを唯から受けて、
食事をとりながら、唯と美佐子の働くさまを眺めていたのであった。 

「……ごめんなさい。なんの話?」
すまなそうに聞き返す美佐子に、唯も竜之介も答える言葉に迷った時、
カウンターの端に置かれた電話が鳴り出した。
位置的に近い唯が出ようとしたのだが、
「あ、いいわ」
やけに強い声で唯を制して、素早く動いた美佐子が、濡れたままの手で受話器を取った。
「……もう。絶対唯には取らせてくれないんだから」
不満そうに呟く唯の声に、少し緊張したような美佐子の応答が重なる。
「唯だって、電話くらいちゃんと受けられるのに」
「あ? いや、そういうことじゃないだろうけど……」
電話は納入業者からの連絡だったらしく、そうと知った途端に美佐子の肩から緊張が解けたように見えた。
ひとつひとつの動きが、唐突で不自然な美佐子に、眉を寄せる竜之介。
数時間、店にいて見守っている間にも、相変わらず美佐子の状態がおかしいことを、
改めて確認させられていた。
「……だって、おかあさん、唯たちにはなにも相談してくれないし。
 そんなに、頼りにならないのかなって……」
「うーん、人には言えないこともあるだろうからさ」
「唯たちにも? たとえば?」
「いや、それはわからないけどさ」
唯と竜之介では、美佐子への心配といっても、前提が異なる。
竜之介には、美佐子の悩みとして思いあたることがあるからだ。
だから、事実を知らずに無心に美佐子を思いやる唯に対して、気の毒なような
申し訳ないような気持ちを抱いてしまうのだったが。
しかし。
ここへ来て竜之介の胸には、ひょっとして自分は思い違いをしているのではないか?
という疑問が芽生えていた。 

美佐子が思い悩んでいるのは、自分との関係についてだと、これまで竜之介は思いこんでいた。
細かく言えば、自分との関係を唯に告げることだ。
いつ、どのような形で唯にそれを告げればいいのか、と思い悩んでいるのだろうと竜之介は理解していたのだが。
最近の美佐子を見ていると、その解釈は怪しく思えてきた。
あの夜に、互いの想いを確認しあった時にも、美佐子は唯のことで心を痛めてはいた。
しかし、迷ってはいなかったと思う。
その姿と、いまの状態が、どうも結びつかない気がするのだ。
(……俺とのことじゃないとすると……美佐子さんは、なにをそんなに悩んでいるんだ……?)
答えを求めるように、美佐子を見る。
電話を終えた美佐子は、その場に佇んだまま、窓の外へと視線を向けていた。
なにを見ているわけでもなく、どこかへ意識を浮遊させているような風情。
(なんだろう?)
奇妙な胸騒ぎがする。
佇ずむ美佐子の横顔には、どこか悩ましい翳りがあって。
それが竜之介に、得体のしれない息苦しさを感じさせるのだった。 

唯は、沈思に入ってしまった竜之介と、依然として茫洋と佇む美佐子を困惑した顔で見比べていたが。
カランカラン、とドアベルが鳴る音に素早く立ち上がった。
「いらっしゃいませ! ……あれ? いずみちゃん」
「よう」
入ってきた小柄な少女は、唯たちの同級生、篠原いずみ。そして、
「友美ちゃんも」
「こんにちわ」
いずみの後に続いて、同じく同級生で、隣家の住人でもある水野友美。
「うわあ、ひさしぶりだねえ。元気だった?」
しばらくぶりに顔を合わした級友たちに、唯が飛びつくようにして弾んだ声を上げる。
「うん。いろいろ忙しくってさあ。唯は元気そうだな」
快活に答えて、いずみは唯の後ろの竜之介へと顔を向けて、
「竜之介は……しばらく見ないうちに、やつれたんじゃないか?」
「……久々に会うなり、それかよ。そういういずみは背が伸びたんじゃないか?」
「えっ!? そうかな?」
「ああ。ほら、俺と変わらないじゃん」
「……そ・れ・は! おまえが座ってるからだろうがあ」
「あ、そうか……イダダ」
いずみ怒りのW耳ひっぱりに、悲鳴を上げる竜之介。
毎度おなじみの応酬に、ブランクを感じさせないふたりであった。 

「いずみちゃん。座りましょう」
入ってきた時から、ひとり騒ぎの外にいた友美が落ち着いた声をかけた。
「あ、うん。……唯、ちょっといいかな?」
「ええっと……」
いずみの誘いに、美佐子の方を振りかえる唯。
「いいわよ。あとは私ひとりでやるから」
美佐子が答える。その顔は、いつもの営業中のものに戻っていた。
「うん。じゃあ、ちょっと休憩ね」
そう言ってエプロンを外した唯は、当然のように竜之介の腕を引っ張った。
「ほら、おにいちゃんも」
「いやだ。また、いずみにイジメられるから」
「聞こえてるぞ」
すでに窓際のテーブル席についたいずみが睨んだ。
「ほうら。呼んでるよ、いこう」
「そうよ。せっかく会いにきてくれたんじゃない」
美佐子にも促されて、渋々腰を上げる竜之介。
「別に、俺に会いにきたんじゃないのに」
とか、ブチブチ呟くのを聞いて、唯はため息をついた。
それがまた、照れ隠しとかでなく本気で言ってるとわかるから。
ちょっとだけ、後ろから蹴飛ばしてやりたいような気持ちになる。
取り合えずは、二人がけの席の奥へと、少し手荒く押しこむことで我慢した。
「あたた、乱暴だぞ、唯」
「なにゴチャゴチャ言ってんだよ」
と、竜之介の対面に座ったいずみ。
「特別のはからいで、美少女ばかりのところに相席させてやろうってのにさ」
「そういうことは、その美少女とやらを連れてきてから、言ってくれ」
「こいつっ!」
腰を浮かしかけたいずみだったが。
人数分のお冷を持って近づいてきた美佐子に気づくと、ひとまず矛先をおさめた。 

「いらっしゃいませ。ふたりとも、ひさしぶりね」
「こんにちわ」
元気よく答えるいずみと、スッと頭を下げた友美。
注文を聞いて、美佐子が去ると、
「ホントに、ひさしぶりだね」
改めて、唯がそう言った。
「いずみちゃんも友美ちゃんも全然学校に来ないから」
「うん。なかなか部屋が決まらなくてさあ」
いずみも友美も、大学への進学が決まっている。いずみの場合、離れた街の大学に進むため
春からはひとり暮らしになる。
「私より、お父さんがうるさくてさあ。いちいちケチつけるもんだから」
どんな部屋でも、なにがしか文句をつける父親のせいで住居探しが難航した経緯を、
ひとくさり、いずみは説明した。
「フフ、いずみちゃんのお父さん、本当はひとり暮らしなんてさせたくないんじゃない?」
「ああ、そうみたい。まあ、それでもようやく決めたから、これからは学校にも行くよ。
 部活のようすも見ておきたいしね」
「そうなんだ。よかった。友美ちゃんは?」
「……私も、いろいろ用事があって」
「まだ学校にも来られない?」
「ええ……」
目を伏せたまま、言葉少なに答える友美。
「そうなんだ……」
素っ気無いともいえる反応に、唯は言葉の継ぎ穂を失ってしまう。 

そこへ、美佐子が四人のオーダーした品を運んできた。
「お待ちどうさま」
「お、来た来た」
嬉しそうに、パフェを受け取り、素早くスプーンを手にするいずみ。
「いずみ、それ好きだな」
冬休みに同じものを奢らされたことを思い出して、竜之介が言うと、
「え、うん。……これからは、この店にも滅多に来れなくなるからさ。
 もう一度だけ、食べておきたかったんだよね。……もう一度だけ、ここで……」
語尾が尻すぼみになった時、いずみの表情に一瞬よぎった寂しさに、
気づいたのは少女ふたり。まったく気づかなかったのは、竜之介。
「ふーん。特に変わったところもないと思うけど」
パフェを眺めて、不思議そうにそんなことを言うから。
ギュギュッと唯に足を踏まれることになる。
「イデデッ! なにすんだよ?」
「ごめん。足が滑ったの」
「滑ったって……」
「サンキュ。唯」
そう言って、笑ったいずみに。
唯は、いずみが長い間の想いに踏ん切りをつけたことを悟った。
「これくらい当然だよ。全然足りないくらい」
「そうだよな」
笑いながら交わされる言葉の意味を理解できずに、
「なんなんだよ?」
踏まれた足をさする竜之介。自業自得ではある。 

「それよりさ」
いずみが口調を明るく切りかえて、
「聞いたぞ。竜之介が、突然気が狂ったように勉強しだしたって」
「なんだよ、それは」
すると、横から唯が、
「へへ、なんか懐かしいね」
「はあ?」
「最初の頃は、みんなそんなふうに言ってたじゃない」
「そりゃそうだ。私だって、最初に噂を聞いた時は信じられなかったもの」
「……ったく、どいつもこいつも」
「どうやら噂が真実らしいと聞いた時には、もっと驚いたけどね。
 今日も期待してたのにな。ビン底メガネにハチマキ姿でガリ勉してる竜之介が見られるかって」
「今どき、そんなやつはいない」
「でも…」
と口を挟んだのは、静かにコーヒーを飲んでいた友美である。
「どうして、急に進学を決めたの? なにか切っ掛けがあったのかしら」
そう尋ねて。心の底を覗きこむような深い眼差しを竜之介に向けた。
「えっと、それは……」
なにか、奇妙に気圧されるものを感じて、口ごもる竜之介。
なんだか、友美のやつ、雰囲気が変わったな、とか思いつつ、
「切っ掛けっていうようなことはないけど……」
まさか、この場で“美佐子のため”などと真実を明かすことも出来ずに。
「まあ、進学か就職か、どっちかを選ぶしかないわけだし」
無難に切り抜けようとするが。
「でも……話に聞く竜之介の変身ぶりって、よほどの決意があってのことだと思えるのだけど」
友美に、さらに突っ込まれて、言葉に詰まった。 

それはね、と竜之介に代わって、唯が説明した。
「このままじゃ、予備校の授業にもついていけないからって」
それは、正確には友美の疑問への返答にはなっていないのだが。
「そう」
友美は頷きを返して、竜之介から視線を外した。
「はは、そりゃそうだよなあ。三年間、教科書もろくに開いたことがなかったヤツだもん」
愉快そうにいずみ。
「こういうところで、日頃の行いの差が出るんだよ」
「うっさい」
「でも、スゴイんだよ。この一ヶ月で、三年間サボってたのを取り返しちゃったんだから」
唯が我が事のように誇らしげに言った。三年間サボってたことは否定しなかったが。
「へえー」
これには、ちょっと見直した目で、竜之介を見るいずみ。
「ふん。俺は、やる時はやるのだ」
「……そうだな。竜之介って……そういうヤツだよな」
呟いて。眩しげに細めた目に瞬いたのは、振り払った想いのカケラだろうか。
「片桐先生がね、“もう少し早く、その気になってくれれば”って残念そうに言ってたの」
「あはは、それも竜之介らしいな」
唯の補足に明るく笑った時には、いずみの顔から感傷は消えていた。 

すっかり肴にされてしまっている竜之介は、仏頂面で、
「今日は、俺をからかいに来たのか?」
イジけたことを言ったが。
「うん」
いずみにキッパリと頷かれて、ダーッと脱力する。
「……忙しいとか言って。全然ヒマじゃないかよ」
「はは。まあ、それもあるってこと。ホントはさ、唯を誘いに来たんだ」
「私を?」
「うん……」
「唯ちゃん」
いずみの言葉を遮って、友美が唯を呼んだ。
え? と聞き返した唯に、目顔でカウンターの方を示した。
唯が振り返ると、奥のテーブルにいた女性客が伝票を手にレジの前に立っていたのだが。
カウンターの中の美佐子がそれに気づかない。例の放心状態に陥っている。
「おかあさん! ……ちょっとゴメンね」
呼びかけても反応がない美佐子に、唯は席を立って急ぎレジへと向かった。
困った顔で立ちつくしていた客に頭を下げて、会計を済ませる。
「ありがとうございました」
店を出ていく客に丁重な言葉をかけたところで、ようやく美佐子が我に返る。
低めた声で何事か言う唯に、美佐子がすまなそうに謝っている。
……という一連の流れを、竜之介たち三人はテーブル席から見守っていた。
いずみは少し不思議そうに。竜之介は深刻げに眉を寄せて。
友美は、感情を映さない眼で、じっと観察するように美佐子を見つめていた。 

「ごめんね」
戻ってきた唯が、いずみ等に謝りながら席についた。
「あ、うん」
いまいち状況の掴めないいずみが、曖昧な返事をかえす。
「……美佐子さん、具合でも悪いのかしら」
依然として、美佐子に視線を向けたまま、友美がポツリと言った。
「最近、お店を休みがちだったみたいだけど」
「え? そうなのか?」
初耳だったいずみが、唯に確認する。
「うん。それは事情があったからで。体の方も、もういいはずなんだけど……」
ためらいがちな唯の説明に、皆がなんとなく美佐子の方を見る。
美佐子は、やけに真剣な表情でグラスを磨いていた。意識して作業に集中している感じ。
「変わりないように見えるけどなあ」
腑におちないようすで、いずみ。
だが、いずみ同様に詳しい事情を知らないはずの友美は、
「……なにか、気にかかることがあるみたい」
そんなことを呟いて、唯と竜之介をギクリとさせ、さらに続けて、
「美佐子さん、好きなひとでもできたのかしら」
「ブッ」
しれっと吐き出した科白に、折悪しくカップを口に運んでいた竜之介が、コーヒーを吹いた。
「うわっ!? キッタないなあ。なんだよ、竜之介」
「……ゲホ……す、すまん。友美が突拍子もないこというから……」 

「そんなに、おかしなこと言った? 私」
友美は、ようやく美佐子から視線を外して、竜之介を見た。
「おかっしいって、いうか……唐突すぎるだろ」
「そう? 恋してるときの女のひとって、あんな感じじゃないかなって思ったんだけど」
淡々と、友美は言葉を紡ぐ。軽口で場を盛り上げようとしているふうでもない。
「いや、だからって、美佐子さんが……」
友美らしくもない主張に、反論するのは竜之介だけだった。
唯は、押し黙ってなにか考えこんでいる。
いずみは、何故かニヤニヤと笑いながら、静観している。
「美佐子さんだって、女ですもの。独身だし、まだあんなに若々しくて綺麗なんだし。
 恋愛したって、なんの不思議もないと思うわ」
……まったく、その通りであることを、竜之介は知っているわけだから、言葉に詰まる。
友美は、また美佐子へと目を向けて、
「……さっきみたいなことが、多いんでしょう?」
そう問いかけて、唯と竜之介の無言の肯定を待ってから、
「それって、好きなひとのことを想っているんじゃないかしら? 
 逢いたいのに逢えないひとのことを、想い浮かべているんじゃ……」
「いや…」
少なくとも、それは違う、と。うかつにも言いかけて、慌てて口を噤む竜之介。
“逢えないひと”という部分に、やっと明確に否定できることを見つけて、
危うく口を滑らせかけたのだったが。 

「………………」
視線を戻した友美は、不自然な竜之介の態度を追及しようとはしなかった。
この時、友美の瞳に浮かんだ感情は……哀れみ。憐憫。
竜之介には、それを読み取ることは出来ない。友美から、そんな感情を向けられる理由など、
なにもなかったから……知らないから。
それでも、突き刺すような友美の視線に、得体のしれぬ不安を掻き立てられてしまう。
「……友美……なんか、変だぞ」
しぼり出すように、そう言った時。
ここまで、笑いを堪えるようにして、ふたりのやりとりを見守っていたいずみが、
我慢できないといったふうに口をはさんだ。
「ふふん。甘いぞ、竜之介。女は、少し会わないうちに変身しちゃうんだよ。
 それなりの理由があればね」
「はあ?」
「ま、美佐子さんが本当に恋に悩んでいるのかどうかは、置くとしてだ。
 友美が、そんなふうに考える理由を、私は知ってるんだ」
得意げな表情で、横目に友美を見る。
「友美は、自分のことと引き比べて、そういう推測をしたんだよな。そうだろ?」
「なに言ってんだ、いずみ?」
要領を得ない竜之介。いずみまでおかしくなってしまったのかと。
「かあーっ! 鈍い、鈍すぎるっ……てのは、いまさら言ってもしょうがないか」
と、つい自分自身のキズにも触れてしまって、やや気勢を削がれるが。
「えへん。つまりだ。友美にも、ついに恋人ができたってこと」
「へっ!?」
いずみの爆弾発言に、竜之介は虚をつかれた表情になり、俯いて考えこんでいた唯も、ハッと顔を上げた。
当の友美は、静かにカップを口に運んでいる。まるで他人事のような態度だったが、
少なくとも、いずみの言葉を否定しようとはしなかった。
いずみは、自分の発言が巻き起こしたセンセーションに満足げな表情を浮かべて、
「友美のお父さんがさ、うちの親に嘆いてたらしいんだ。友美は最近家を開けることが多くなったって。
 それを聞いて、ちょっと怪しいと思ってね。今日、顔を合わせた時に聞いてみたってわけ」
なんのことはない、得意げに説明するいずみ自身、今さっき知ったばかりなのだった。 

「へええ……友美がねえ」
いまだ、ピンと来ない顔で、竜之介が言ったが。
「うん? すると、学校に来ないのも、毎日デートしてるからなのか?」
続けて、そんなことを口にするあたりが、その驚きの質を表していた。
つまりは、“あのカタブツの友美が”という類のものなのだ。
「………………」
呑気な竜之介の隣りで。唯が受けた衝撃は、はるかに大きく複雑なものだった。
同一の相手―すぐ横で間抜けたことをホザいている少年に、同じ想いを向けてきたものとして。
知らず、ジッと探るような眼を友美に向けてしまう唯。
しかし、友美はそれを平然と受け流して、端座していた。
「……唯」
と、口調を変え、深い声で呼んだのはいずみ。
「みんな、いろんなことが、変わっていくんだよ」
その言葉が、やけに重く胸に響いて。思わず、頷きをかえす唯。
と、いずみはまた明るい調子に戻って、
「でさ。その相手が、どんなヤツなのかとか、いろんなことをジックリ聞き出してやろうと思って。
 今夜、私の家でね。それに唯も誘いに来たんだ」
長い脱線の末に、話題がようやく要件に戻る。
「いずみちゃんの家で? 泊まりで?」
「うん。もう、あまり機会もないだろうと思ってさ。最後に女同士で、
 いろいろブチまけておきたいこともあるじゃないか。どう?」
「え、うん。私はいいけど……」
「よし。じゃあ、きまり! 急な話で悪いけどな。なにしろ、友美のスケジュールが詰まってるからさあ」
「…………」
また、からかわれても、友美は超然たる態度を変えなかったが。
「友美ちゃん……」
整理しきれない思いを吐き出すように、唯がこぼした言葉に、つと視線を上げて、かすかに微笑んでみせた。
静かな微笑には、まぎれもない“女”の艶めきと翳りが滲んでいて。
同席する三人の少年少女たちは、言葉を失う。 

……皆が、友美の変貌に呑まれたような雰囲気のまま。その後すぐに、お茶会はお開きとなった。
店を出るふたりを、外まで見送る唯と、強制的につきあわされる竜之介。
「じゃあ、私はお店が終わってから、いずみちゃんの家に行くから」
「ああ、待ってるよ」
「なにか、持っていくものはある?」
「そうだなあ。お菓子やジュースは用意してあるけど……」
顔を寄せて、些細なことを検討しあう唯といずみ。
それを、少し離れた位置から、うんざりと眺める竜之介。とっとと解放されたい。
傍らに立つ友美の存在が、微妙な居心地の悪さを感じさせる。
友美は、いずみたちの会話には加わろうとせず、竜之介の横顔をジッと見つめていた。
「……な、なに?」
視線に耐えきれず、そう尋ねた。なんで、幼馴染を相手に、こんなに緊張せねばならないのか、
と不条理なものを感じつつ。
「…………」
友美は、なおも無言のまま。ちらりと、離れた唯を一瞥して。
「……唯ちゃんだったら」
「えっ?」
「唯ちゃんだったら……許せたんだけど……」
かろうじて聞き取れるほどの声。しかし、その意味は竜之介には掴めない。
「はあ?」
「……だから、教えてあげない」
友美の瞳に、ひどく複雑な感情、怒り、憐れみ、優越、悲しさが混ぜんとなった暗い色が、よぎって。
しかし、すぐにまた、鏡面のように平らかで無感情なものに戻った。
「友美、なにを……?」
「よし、友美、いこうぜ」
いずみの呼びかけに、友美がコクリと頷いて竜之介から離れることで、かみ合わない会話は断絶した。
「……なんなんだよ?」 

……閉店後。
店の後片づけは美佐子に任せて、唯と竜之介は家のキッチンにいる。
出掛ける前に食事を済ませるために、急ぎ用意をする唯。
竜之介は、食卓についてボンヤリとそれを眺めていた。
手際よく準備を終えて、後は美佐子が戻るのを待つばかりという状態を整えると、
唯は竜之介の向かい側に座った。
「……………」
竜之介は、ムッツリと考えこんでいる。
なにを考えているかは、察しがついたから、
「……友美ちゃん、なんだか変わっちゃってたね」
唯は、そう言ってみた。
「…………」
「……あのね、おにいちゃん」
「…うん?」
「友美ちゃんが言ってた、おかあさんに好きなひとが出来たんじゃないかって話。
 実は……唯も、もしかしたらって思って。おかあさんに、一度だけ訊いてみたんだ」
「……それで? 美佐子さんは、なんて?」
「そんなことないって、言ってたけど。でも、少し慌ててたみたい」
「……ふうん」
気のないふりを装いながら。
不意に、竜之介は強い衝動にとらわれる。
いま、この場で、自分と美佐子の関係を、唯に告白したいという思いに。 

元来が、秘密を抱えこむことが苦手な性分だ。
結果として唯を欺いている状況への心苦しさもある。
なによりも、いま感じている正体不明な息苦しさを払拭したいという思いがあった。
美佐子の変調の原因は、正確にはわからない。美佐子が語ってくれないから。
自分とのことだと思っていたが、違うのかもしれない。
とにかく、家族の間で秘密を抱えこんでいる状況が間違っているのだ、と竜之介は考える。
その最たるものが、自分と美佐子が唯に対して隠している事実だ。
それを露わにしてしまうことが、たちこめる鬱屈を払うキッカケになるはずだ、という竜之介の論理は、
かなり強引で短絡的ではあるが、それなりの筋道もたっている。
ただ、“どうせいつかは話さなければならないんだから”という割り切りが出来るのは、
美佐子と竜之介の立場の違いであり、唯の感情に対する理解の差でもあった。
「……あのさ」
半ば衝動に任せて、事実を暴露しようとした竜之介だが。
いざとなると、言葉に迷ってしまう。当然のことながら。
ん? と聞く態度をとった唯の澄んだ瞳を見れば、ますます言葉に詰まって。
やはり、これは勢いで果たしていいことではないな、と思い直した竜之介は逃げを打った。
「いや、美佐子さん、遅いなって……」
「そうだね。ちょっと見てくる」
気軽に立ち上がった唯が、勝手口から店へと消えるのを待って。
フウと、竜之介は息をついた。
危うく勇み足をおかすところだった、と反省する。
あんな衝動に駆られてしまったのは、久しぶりに会った友美のせいでもあった。
長年親しんでいた幼馴染の少女が、わずかな間に不可解な変貌を遂げていた。
それが強い不安となって、心を圧迫したのだ。知らぬ間に自分を取り巻く日常が変質していくような。
「いかんなあ……友美のことは関係ないのに」
自分の脆弱さを竜之介は責めた。 







 

 

 

 

-----

ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。