鳴沢美佐子2


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しかし、楽しみの時間は突然終わり、男のそれまでの努力は水泡に帰した。
思いもかけなかった邪魔ものの登場によって。
その邪魔もの―竜之介とかいうガキの存在は、男も知っていた。
不在の店のオーナーの息子で、美佐子母子と同居しているということは。
店で、美佐子と言葉を交わすガキの姿も何度か目にしていた。
その時に自分に対して向ける視線に、剣呑なものがあることにも気づいていたが、
しょせんは子供だとタカをくくっていた。
生意気なガキが母のように慕う女を、やがて蹂躙してやるのだと思えば、
向けられる敵意さえ心地よかった。
(おまえのママさんは、俺がジックリ可愛がってやるからよ。
 ガキは外で遊んでな)
内心で、そう嘲っていたのだ。
だが、ほとんど眼中になかったそのガキに、痛烈なシッペ返しをくらうことになってしまった。

あの日。
思えば、さすがに焦れるものがあったのかもしれない。
いつもより強硬に美佐子に迫っていた時、
突然そのガキ―竜之介が乱入してきた。
美佐子を守るように自分の前に立ち塞がった高校生の少年は、
ガタイも自分より大きく、放つ怒りの波動は殺気じみたものさえあった。
ガキと侮っていた印象とはかけ離れた姿にうろたえるうちに、
男は竜之介によってボコボコにされてしまった。
いかにもケンカなれした少年の拳を何度もくらって、反撃らしきことは全くできないまま、
情けなく悲鳴を上げて、詫びを入れてしまった。
そして、二度と美佐子に近づかないことを誓約させられて、
ほうほうのていで逃げ出したのだ。 

「くそっ!」
思い出すたびに、ハラワタが煮える。
殴られた顔には、いまも青黒くアザが残っている。
それは怒りの源であるとともに、恐怖の刻印でもあった。
男はビビっていた。腕力ではけっして敵わない若者に対して。
しかし、それで美佐子をスッパリ諦めるという選択肢は男にはなかった。
受けた屈辱の分だけ、美佐子への執着は強まっていた。妄執と呼べるレベルにまで。
単なる女漁りであった行為に、復讐の熱が加わったのだ。
(こうなったら、どんな手を使ってでも美佐子をモノにして、
あのガキに吠え面をかかせてやる)
その思いが男の中で凝り固まっていた。
だが、いくら復仇の念は強くても、実際にしている行動は、
こうして終日遠まきに店を眺めることだけだった。
肝心の美佐子の姿など、ほんの時折ガラス越しにうかがえる程度だ。
これでは、どうしようもない。どうにもなるわけがない。
それでも、なにか反撃の糸口となるものを求めて、男は日を送っていた。

焦燥を誤魔化すために、今日何本目かもわからない煙草に火をつけた。
「……あーあ、ったくよう」
煙と一緒に、これも何十度目かしれない愚痴を吐き出した時。
男の乗った車の横を、ノタノタと通りすぎる影があった。
男はそちらに視線を向け、すぐに見たことを後悔した。
見るからに暑苦しいデブ男が歩いていく。
男はうんざりして視線を戻したが、デブはそのまま『憩』の方向へと進んでいくから、
いやでも視界に入ってくる。
「俺さまの視界を汚すんじゃねえよ、デブ!」
毒づいて。だが、男の胸に引っかかるものがあった。
「……そういや、あいつ、こないだも現れなかったか?」
見たくもないようなモノだから、記憶が明確ではないが。
改めて、前方を歩いていくデブ男に注意を向ける。
デブは、『憩』の手前の辻を横に折れて、男の視界から消えた。
「……やっぱりそうだ。二、三日前にもあそこを曲がって……」
そのまま、男はデブの消えた角を注視して待った。 

十分ほど経過して、再びデブは姿を見せた。先ほどより早足に、
キョロキョロと周囲を気にかけながら。
その見かけ通りの不審な挙動も、数日前の記憶と合致していた。
「……ふうむ」
遠ざかっていくデブの後ろ姿を見ながら、男は考えた。
デブが消え再び現れた曲がり角。男の位置からは死角になっているが、
美佐子たちの住居の玄関がある。
デブは野暮ったい私服姿で年齢不祥な感じだが、あの竜之介と同年代に見えないこともない。
「どっちにしろ、突ついてみる価値はあるな……」
八方塞がりの状況だ、掴めるなら藁でも掴もうという気持ちもあったが。
それ以上に、デブの纏った怪しげな雰囲気が男の嗅覚を刺激していた。
あるいはそれは、自分と同類のものを見つけたということだったかもしれない。
男は、静かに車を走り出させた。 

……最初は、なんとかトボけようとしていたようだが。
「あそこで、なにをしてたか説明できるのか?」
ちょっとスゴんで問い質せば、デブは途端におとなしくなった。
カマをかけた男の方が、あまりの呆けなさに驚いたくらいだ。
(怪しいことをやるわりにゃあ、度胸はねえな)
御しやすい相手、と男は判断した。とにかくデブを助手席に座らせて話を聞いた。
「おまえ、あの竜之介ってガキのダチか?」
「……まあ、そんなとこ……」
デブ―芳樹と名乗った少年はモゾモゾと答えた。
芳樹には相手の男の正体も目的も解らず、当然警戒心はあったが、
自身に後ろ暗さがあるので、表面的には従順であった。
「でも、竜之介は留守だったろうが?」
竜之介を恐れるだけに、その出入りについては男は正確に掴んでいた。
「……行ったら、留守だったから、帰って来たんだよ……」
「それだけにしちゃあ、時間がかかりすぎだな」
「……別に」
「二、三日前にも同じようなことしてたしなあ?」
「……なんで、おたくがそれを知ってるわけ?」
「俺のことはいいんだよ! それと、口の聞き方に気をつけろ」
「…………」 

「……まあ、おまえがあの家の中で、なにをしようが別に構わないんだよ」
男は、少し態度を和らげて言った。
「家人の留守をいいことに、美佐子や娘の下着を盗んでたってな」
「そんなことは」
「しないか? じゃあ、この大袈裟なカメラで盗撮でもしようってか?」
「……ギク」
「図星かよ。うん? でも娘は留守で美佐子は店だろうが。それで盗撮するったって……」
「……フフン」
首を捻る男に、芳樹は得意そうな表情を浮かべた。
「それは機密だから、教えられないなあ」
「ああ、そう」
とりあえず、こいつは馬鹿モノだ、と結論して男は話を続けた。
「とにかくだ、俺にとって重要なのは、
おまえがある程度自由にあの家に出入りできるってことだ」
「……ふうん」
芳樹の細い目に理解の色が浮かんだ。急に口調が滑らかになる。
「もちろん、いつも竜之介くんの留守を狙って行くんだよ。
美佐子さんが応対に出て来て、部屋で待つように言ってくれるんだ」
先まわりして、男の知りたいことを教えた。 

 「そうかいそうかい」
満足げに男は頷いた。芳樹との間に的確な意志の疎通がなったことを理解して。
ニンマリと、ふたりは歪んだ笑みを交わしあった。
「で? 狙いは?」
「美佐子だ」
打てば響くといった会話が展開されていく。
「方法は?」
「そこだなあ……ビデオや写真は無理だろうから」
「盗聴?」
「そんなとこだな。リビングと、美佐子の寝室だ。もちろん、ブツは俺が調達するが」
「……リスクが高いなあ」
クイと、眼鏡を指で押し上げて、芳樹が言った。
「一階をうろつくのは、店にいる美佐子さんに気づかれる可能性が高い」
「そこは、おまえさんの努力に期待するしかない」
「リスクが高いなあ」
「わかってるよ。見合うだけのものはくれてやる」
男は懐から、厚く膨らんだ札入れを取り出し、無造作に数枚抜いて芳樹に渡した。
「これは手付けだ。仕掛けに成功したら正式な謝礼、
それでいいネタが掴めたら、ボーナスもくれてやる」
意外な協力者を得て、一気に展望が広がった喜びが、男を気前よくさせていた。
芳樹は渡された万札を素早くポケットにねじこみながら、
「おじさん、お金持ちなんだね」
卑屈な態度になって、そう言ったのは、おべんちゃらのつもりだったのかもしれないが。
「昼間から、ブラブラしてるわりには」
余計な言葉まで、つけ加える。
しかし、男は怒りもせずに、
「親の会社で、名目だけの役員待遇だからな」
しゃあしゃあとヌカした。微塵も恥じる様子はなく。
「羨ましいなあ」
「世の中は不公平に出来てるんだよ」
なかなか似合いの棒組といえる、ふたりではあった。

 

 

 

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