戦国小話『幻』




 暗がりの中で火は揺れる。
 灰の舞うその上方にて、虚空も揺れる。
 人は火を手にし、同時にまぼろしをも手に入れた。



夜明けの時代「戦国劇場」
戦国小話 陽ノ下



 菱の檜板を立てた的串が等間隔に並ぶ。
 馬場の始まりにて、女は馬上の高い視点から的の間隔を目視で確認する。
 空模様は多少は雲があるが概ね晴れ渡っており、陽も眩しすぎることもなく先まで見渡せる。
 ──息は深く。肺の隅々にまで行き渡らせよ。
 ──片目は瞑るな。狙いは両の目で見定めよ。
 己に言い聞かせてから、僅かに手綱を引いて馬の腹を軽く蹴る。
 駆け出した馬上で右手を手綱から離し、背負った小銃を手にする。
 片手で小銃を持ち、瞬く間に流れる景色、大きく上下に揺れる中、真横の的に狙いを定める。
 一発。
 銃声と共に檜板が砕け散る。馬の疾走でなびいていた女の長い髪が衝撃に揺らいだ。
 女はすぐさま左手も離し、薬莢を抜いて次弾を込める。
 が、
 片手で手綱を握り直し、もう片方の手で次の板を狙う頃には、既に馬は適切な射撃地点を駆け抜けてしまっていた。
「ちっ」
 馬に乗った女武将は舌打ちをしてその更に奥、三つ目の的に照準を合わせ直す。
「フッ──」
 吐息を絞りながら二度目の発砲。
 雷鳴と共に的串に立てられた菱形の檜板は砕け散る。
 その光景を女は見送りつつ、彼女の乗る馬は駆けていく。
「どう」
 手綱を引く。疾走して興奮気味の馬は、ゆっくりと歩みを弱めてから足を止めた。
 ふうと溜息を零す。
 女は馬場を振り返りながら、軍帽のつばを引いて被り直した。
「主殿」
 年若い男。恐らくは少年の声が頭上から聞こえた。
「御鍛錬ですか。精が出ますね」
 がさりと葉擦れの音と共に、樹木の枝へ両足を引っ掛ける形でぶら下がり、黒い忍装束に身を包んだ少年が現れる。
 そんな彼の逆さの顔と女武士の目線が逢う。
「連射ができねえ」
 先の張り詰めた空気は打って変わって弛緩し、拗ねたような機嫌の悪そうな声を女は溢す。
「流鏑馬ですか」
 逆さの忍びの少年は、逆さのまま首を傾げる。
 その拍子に帽子が落ちそうになって、咄嗟に手で抑えた。
「真似事な」
「ふーむ」
 少年は見方によっては無礼な、見方によっては少年らしい表情をしながら一時考え込む。
「お言葉ですが」
 少年忍者の言葉に女は視線だけ返し続きを促す。
 此処には上下関係はあれど、双方気を許した仲が在るのだろう。
「馬上で刹那と言えど手綱を離し、火縄の弾込めをできる者など、このジパングにはまだ居りませぬ」
 少年は枝を片手で掴み、帽子を抑えながらくるりと身を返す。
 そのまま手を離して、音も無く地に着地。顔を上げれば馬上の女を見上げる形になる。
「戦場に馬を奔らせながら、火縄を扱えるだけで十二分で御座います。その上、将たる格もこのジパングで指折り」
 女は呆れたように視線を逸らしながら、小銃をくるりと一回回して背負い直す。
「高みを目指すのは素晴らしきことで御座いますが、そのように嘆息される程ではありませぬよ。それに、この訓練は"お月"も大層心配しております故」
「うるせえやい」
 ほどほどに、と言い駆けた少年の言葉に被さるように、女武士は無理矢理話を切り上げようとした。
「私ゃお小言が聴きたいわけじゃねーんだよ」
「おっと。言葉が過ぎましたか」
「そんなんじゃねえ。ただ私は、弓を持った奴に二射目を構えられる前に、その眉間に鉛弾をぶち込みたいだけだ」
 どこか遠くを睨む女を、忍びの少年は苦笑いしながら見上げる。
「主殿の勝気は相変わらずでありますなあ」
「お前、主人を馬鹿にしてやしねえか?」
「まさか。拙者がこのジパングで最も敬愛している主殿で御座います」
 軽く首を垂れる自分の部下を他所に、女武士はひょいと馬から降りる。
「それで、なにか用があったんじゃないか? 東国の動きの報告か?」
 手持ち無沙汰げに懐から小銃の弾丸を取り出しては掌に広げ、確認を行う。この女の癖のようなものだ。
「ああ」
 少年は多少大袈裟に両手のを打ち合わせ、にこやかに微笑む。
 女の背丈は女性にしても低めで、忍びの少年の視線が上になっていた。
「セキがまた洋菓子を拵えまして。ぱんけぇきなる物だそうです」
 馬の手綱を引いて歩きだそうとした彼女の足が止まる。
「はあ?」
 それはもう怪訝そうな表情を忍びの少年へと向けた。
「ええ。お部屋に美味しそうなばたぁや蜂蜜の香りが満ちておりまして。彼女が是非主殿にも、と!」
「いや、そうじゃなくてだな」
「お馬の手綱は拙者が引きましょう! さあ、お行きましょうぞ主殿! ちなみに密偵の方は"お月"の方がしかと働いております故!」
 彼は渋る女武士から馬の手綱をぱっと取り去り、そのまま馬を引いて歩きだす。
 そんな少年の後姿を見ながら嘆息をまた一つ。
 甲高い鳶の声が何処かから聞こえて、女武士は空を見上げる。
 先よりも僅かに雲が晴れた青空を、鳶がゆったりと飛んでいた。
 女は軍帽を脱ぐ。その表情は少しだけ笑みを携えていた。
 少年の後を追おうと踵を返し、彼女が羽織っているマントが大きくなびいた。










 けたたましいベルの音が、狭い畳の一室に響き渡る。
 ばしんと、布団の中から伸びた手が、叩きつけるように目覚まし時計の動きを止めた。
「あ゛ー…」
 土からミミズが出てくるように、布団の中から黒い長髪の女がゆっくりと出てくる。
 そのままぼんやりとした眼で時計を手にしながら、布団の上に座り込んだ。
 女はTシャツ一枚に、なんと下半身はショーツ一枚で下着姿というはしたない格好だった。
 Tシャツのサイズがあっていないのか、首周りから肩が見えかけている。
 ぼりぼりと女が頭を掻くと、フケが散った。
「昨日…、昨日は…」
 要領を得ない雰囲気で、女は自らに言い聞かせるように記憶の整理を行う。
「しこたま飲んで、遊郭…。可愛い子だったな。でもアノ子、陰間だっけ? 遊女だっけ?」
 女の記憶は定かではない。
 まぁいいや、と呟き女は立ち上がり、部屋に一つの窓のカーテンを開ける。
 女の全身陽射しがを照らす。いい天気だ。洗濯日和だろうなと彼女は思った。
 陽の高さはそこそこ。まだ昼前、とはならないくらいの刻限だろう。
 酒のせいで眠りが浅かったのか、まだ眠い。思わず漏れる欠伸を手で押さえようともせず、女は大口を開けていた。
「風呂入りてえ。昨日は帰ってそのまま寝たし…」
 身体を掻きながら独り言を続け、壁に掛けられたカレンダーを見る
 一昨日も入ったっけ?とか、今銭湯開いてるっけ?なんて考えを巡らせつつ、今日の予定を思い出していき、
「義正と軍議…」
 なにか大切なことを思い出したのか、女の顔は一気に青ざめていった。
 次の瞬間、女は叫びながら踵を返して、壁にハンガーで掛けられた軍服を引っ掴む。
 器用に、着ている服を脱ぎ散らかすのと、手に取った軍服を着るのを同時に行う。
 着替え終えてぼさぼさの髪はうしろで一本に結う。ここまで時にして二分にも満たないだろう。
 ひっかけるようにして靴を履き、家を飛び出す直前。危うく忘れかけていた棚に置かれた軍帽を被る。
 そのまま勢いよく部屋を飛び出し、町人街にあるオンボロ長屋を後に城へ向かおうとした。
「あ、ちょっと! いいねさんっ!」
 そんな軍帽の女の背に声がかかる。
 彼女が咄嗟に振り替えると、竹箒を手にした割烹着姿の女性がそこにいた。
 この古い長屋の管理人だ。
「朝ごはん! どうするんですかっ!」
「要らん! 朱璃にでも餌付けしとけ!」
 振り返りながらも、いいねと呼ばれた女は走る足を止めず。
 管理人の女性が見送る中、彼女は柾良の街を城へ向かって駆け出していった。
 今のこの生活も、悪くないんだよな。
 女は思う。いつかを懐かしむように軍帽を深く被り直して。
 今日の空模様は、あの日鳶が飛んでいた空に、
 少し似ていた。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2019年06月10日 11:29