寮の外の景色を眺める。
耳を澄ましてはじめて、息を潜めるようにさあと音を鳴らす雨粒の音を聞くことができる。
「ここに居たのか」
本を閉じて窓の外を見ていた私に、陽一さんが声をかけた。
昨日は彼とお出かけをした。晴れてよかったと思う。
「おはようございます」
梅雨も真っただ中、日曜日の朝の話だ。
夜明けの時代「大魔城学園」
Short Story. episode Hikari.
「16歳と5ヶ月」
「なんだ、今日も暇してるのかよ。ならどっか誘えばよかったな」
そう言ってすとんと、陽一さんは図書室のソファ、私の隣に腰を下ろす。
ルミナスコイン寮は、寮内に図書室が併設されている唯一の寮で、特に研究資料や論文などの文献が充実している。
一方、小説のような文学の品揃えは並程度なのだが、それでも私がこの学園に在籍する8年間でとても読み切れるような量ではない。
「そんな連日振り回せませんよ。陽一さんだってお忙しいでしょう」
私みたいに、空き時間があればやってきて一人寂しく本を読んでいる生徒はどちらかと言えば稀だろう。
「そりゃあ、可愛い彼女との逢引きは毎回力入れてるけど。でもそんなことよりも、可愛い彼女とは一秒でも多くの時間を一緒に過ごしたいもんだろ?」
「照れますね」
時刻はまだ朝食の時間が終わって一時間も経ってないくらいで、まだ10時前だった。
「お前もだいぶこなれてきたよなあ」
私のあっさりとした返しに、やれやれといった風に彼は装う。
それからひょいと、私の膝の上に閉じて置かれた文庫本を興味あり気に覗き込んできた。
「なに読んでんの?」
「『光の帝国』という作品です。この学園の生徒みたいな、不思議な力を持った人たちの話ですよ」
“光”という、自分の名前と同じ文字が入っていたから。
手に取った理由はそのくらいだ。
私は本のカバーに添えてる手をずらして、彼に表紙がよく見えるようにした。
「ほーん。異能者集団みたいな?」
「はい。作品の舞台が戦時中で、武力を手にした上層に、異分子として排除されてしまう悲しいお話でした」
「だけど、能力者たちが手を取って歯向かったりするんじゃないの?」
「それ以上は、実際に読んでからのお楽しみですよ」
どことなく、隣の彼に寄り掛かるように、頭を肩の上に軽く乗せた。
まだ日が高い時間だけど、厚い雨雲のせいで薄ぼんやりとした明かりが図書室の外にも中にも満たされている。
私は目を瞑って、僅かばかりのその音に意識を向ける。
「どうした、珍しいな」
「お邪魔でした? 止めましょうか?」
私からこうして甘えることは、彼の指摘の通り、あまりない。
避けているわけではないのだけれど、やはりどうしても苦手なのだ。
だけど今はなるべく、誰かに自分の弱さを見せていけるようにと、意識している。
そして、その最初の人物は陽一さんなのだと、今の私はそう思っていた。
「いや、そのままでいいよ」
お互い、だいぶ緊張しなくなった。
昔みたいに、気負わない関係のまま、二人の仲が進めていけるといいななんて思った。
「そういえばさ」
三十分だが、一時間だかわからないけど、私たちはどちらもなにも発することなく、ぼんやりと過ごしていた。
そんな中、陽一さんがぽつりと口を開いたのだ。
「ひかりの実家って、修道会、なんだっけ?」
私は思わず目を開けて寄り掛かった彼から身を離し、その顔をじっと見つめてしまう。
「なんか言ってくれよ」
豆鉄砲を食らったようにきょとんとしていただろう私の顔に、彼は顔をしかめる。
「いえ」
驚いたのだ。
だって、
「陽一さん、意図的に私の家族の話題を避けてくれてましたから」
彼はおちゃらけてる割に人のことをよく見ていて。
それは私も例外ではなく。
彼は付き合い出す前から、私の家庭事情が複雑なのを察して、そういう話題は一度も振って来なかった。
「聞かない方がよかったか?」
「いいえ」
だから、彼がこのタイミングで聞いてきたのは、聞いてもいいだろうと思えたから。
彼の私への信頼とか、私の彼への信頼が積み重なって、ここで初めて届いたんだって。
「嬉しいです。私のこと、知ろうとしてもらえて」
彼との関係は、交際を始めるもっと前、私が入学した頃まで遡る。
その頃の彼と私の関係は、ただの先輩と後輩だった。
でも彼の気さくさや私の硬さは、今とそこまで大きく違っているわけでもなかった。
四年間、彼の私に対する優しさは何も変わってないように見えて、だからこそ彼から付き合ってほしいと言われたのはとても驚いた。
驚いて、それから、ゆっくり今までを振り返って。
私の中の気持ちが曖昧なのに、彼の申し出を受け入れるのは良くないと、たしかに思ったのだ。
でも。
「でも」
考えて、私が誰かの隣にいることを考えたら、彼の姿がすっと浮かんだ。
だから私は、彼と共に居ようと、その手を取ったんだ。
「今日はとってもいい気分なので、また近い内にお話しします」
再びゆっくり瞼を閉じて、私は彼に寄り掛かる。
「……なんだそりゃ?」
そんな私に彼はどこか呆れたように言った。
「今あなたといるこの時間が、幸せだと言っているのですよ」
「うっわ、よくもまあ……」
さらりと答えた私の言葉に、彼は怯んだのかそっぽを向いてしまう。
「照れたのを変な風に誤魔化すの、止めていただけますか?」
「ぐ。痛い所容赦無く突くな……」
ちらりと横目で見ながら、彼の態度を指摘する。
この人は、人にお節介したり優しい言葉をかけるのは全然平気なのに、自分が言われるのは案外だめなのだということは最近分かった。
「それで」
3月に付き合ってほしいと言われて、もうすぐ3ヶ月経とうかとしているところ。
なのにこの人は、以前とあまり変わらない。
確かに私も彼に任せっきりなのはよくないけれど、彼は男の人なのだから、もう少し先導してくれてもいいと思うのだ。
「ご感想は?」
「ほんと容赦無い……」
でも、そんな彼に惹かれたのは私自身だ。
だから、仕方ない。
「幸せだよ。とても」
私は彼の手をそっと取った。
なにも言わずに微笑みかける。
彼はやっぱり、どこか恥ずかしそう。
日曜日の午前中。
人気がちっともない図書室。
小雨の音は変わらず、静かに周囲を満たしている。
二人の視線が交差して、思わずくすりと笑ってしまった。
そして、私の手を握る彼の手に、力が少し込められて。
その時初めて、緊張してきた。
でも、握られた彼の手からも緊張が伝わってきて。
だから少しだけ安心できた。
私はそっと、目を閉じる。
こうやって彼と、
ゆっくり歩んでいけたらいいなって、
思った。
まず、息をゆっくり吐いた。
続いてゆっくり吸って。
頬の上気しているのを感じつつも、落としていた視線を改めて彼に向ける。
彼は口元に手を当てて、決してこちらを見ようとしない。
なんだかそれが嬉しくて、くすぐったくて、
「陽一さん」
私は彼の、名前を呼ぶ。
It's the events of two years ago.
最終更新:2019年01月13日 17:49