リミラリリィ SS 2

この島の好きなところは、本土と比べて湿度があまりないところだ。
からりと乾いた空気、
一年中薄着でいられるくらいの暑い気候、
まるで熱に浮かされるように、
昔のことなんて忘れてしまえる。
ずっとここで、
甘えながら腐っていくように生きることを、

許されてるみたい。



夜明けの時代「常夏島」外伝

episode Charles.

「女神だった君へ」




カーヴを思い出した。
暗くて、冷たい。わずかに湿気の香りがする。
でもシードルみたいな甘い香りが仄かにして、「嗚呼、実家じゃないな」と思った。
覚醒しきらない意識に胸の内で悪態をつきながら、ベッドの中で寝返りを一つ打つ。
肩や足に、地肌を擦るシルクの感触。
さらさらと滑る感触が心地良い。昨日は彼女に夢中で気付けなかった。
流石というか。ゆっくり深く、長い息を吐く。
以前の彼女も、今と変わらずとてもまじめで、きっと寝床は丁寧に吟味したんだろうな、と思う。
潜るように身を丸めると、彼女の匂いがした。
「起きた? 湯船あるよ」
林檎の香りが強くなる。
声の方向へ、改めて寝返りし直すと、ベッドに腰を下ろす彼女の姿があった。
湯浴みから戻った彼女はバスタオルを頭から被っていて、その目を引く綺麗な桃色の髪の水気を拭き取っていた。
その下は下着しかつけていなくて。
長い手足に張りのある肌。その肉体の要所要所が視線を絡ませるような淫靡さと豊満に満ちている。
首元には贈ったばかりのシルクのチョーカーがあった。色は黒で、ハート型のリングがワンポイントにある。
赤にしなくてよかった。赤もとても魅力的だけど、扇情的過ぎて彼女の本来の柔らかさを隠してしまう。
私はタオルケットを頬に擦りながら、これと同じ感触が彼女の首元にあるんだなと思う。胸がわずかにくすぐったかった。
「きれい」
口元をタオルケットで隠しながら呟く私に、彼女はきょとんとして。
それから視線を一度上にやって困ったような顔をする。
意外にも彼女は照れ屋さんで。他の人なら笑って誤魔化すんだろうけど、私の前だとそうもできなくてこんな表情を見せてくれる。
ひとつまみ分の優越感。
「寝ぼけてる?」
片手で髪を拭きながら、空いてる方の手を私の方へ伸ばす。
前髪を退かすように額をそっと撫でた。
「いつも思ってるよ」
私のだいぶ視界もはっきりしてきて、
「会う度に言ってもいいんだけれど」
私の青が彼女の赤と交わって絡んだ。
「それはちょっと」
肩を竦めて彼女は苦笑いして見せる。
「恥ずかしいかも」
そろそろ起きないと、と思って身を起こす。
その時初めて、自分がブラジャーとショーツをちゃんと着けていることに気付いた。
「いま、何時?」
フリルのついた可愛らしい、白い下着。
昨日着て寝たっけ?と思った直後に在りえないと遅れて思い出す。
だってこのランジェリーは、昨日彼女と買い物に行って見繕ってもらったものだ。
まだお店のタグも切ってなかったはずだもの。
「9時半。おなかすいた?」
私に服を着せた犯人は、飄々と笑ってみせる。
「んー、先にシャワー借りていいかな」
「もちろん」
私はシルクのタオルケットで肌を隠すように身を巻きながらベッドから降りる。
まるで十二単のように裾を引きずりながら、カーテンの閉められた窓の前へ。
そっと開けて外を伺ってみると、だいぶ明るかった。
「日曜日?」
「日曜日」
声はすぐ後ろからした。
特に連れ添う理由も無いけれど、彼女は私のすぐ後ろから一緒に外を覗いてる。
髪の水気があらかた取れたのか、バスタオルを下ろして方から下げるようにして、彼女はぷるぷると軽く頭を振った。
首のリングが朝日を反射して煌めいた。
「なんだか、映画館に行きたくなってきたなぁ」
賑わい始めた街の景色を眺めながら、ぽつりと呟いた。
借りてきた映画は、残念ながらつまらなかったのだ。
それは別に、さして重要ではない。もともと映画はそこまで好きな方じゃないから。
だけど特に理由も思いつかなかったから。
昨日の一日に想いを馳せる。
一緒に服を見て、適当にレンタルのDVDを借り、晩御飯を一緒に作って、食後に内容の文句を言いながら肩を並べて映画を観て、そして夜は寝る。
なんだか、とっても普通だ。私が思ってた普通の景色。
しかし、私はそんな"普通"を過ごしたのは初めてだった。
「あはは。普通は順番逆な気もするけど」
私たちはきっと、"普通"の形に収まる関係じゃない。
ころころ笑いながら言う彼女の言葉が、深く広く、私の中で反響した。
あの時、
なんにも考えずに手を取って微笑んでいれば、よかったのかな?
自分の小賢しさと、意気地の無さに嫌気が差す。
深い海の底にいるような気分で、揺れる水面に向かって問いかける。
あなたなら、どうしたんだろうね?
「いいじゃん、私たちはこれで」
弱気な心が誰かに頼りたくなって。
ああ、私は変わったんだな。そう思わずにはいられなかった。
心の成長としては正しい変化だと思うけど、もしかしたら私はそうして弱くなったのかもしれない。
「好きな人と一緒に居れるなら」
彼女も、少し。いいや、だいぶ変わった。
前より笑うのが少し下手になったんじゃないかな、と思う。
でも、以前よりよっぽどいい。笑顔の裏で泣かれるよりは、ずっと。
女神だった頃の彼女は、その僅かな機微を読み取ることがとても難しかった。
今の私なら、手を繋いで隣にいるくらいのことはできると思う。
笑って誤魔化せないくらい、私が傷つけてしまったのかもしれないけど。
「私はそんなに気にしないよ」
見上げるように振り返る。
私は背が小さくて、彼女は大きいから。
私だけじゃ、きっと背伸びしてもこの気持ちを届けられない。
「うん」
間を空けて返ってきた、ちょっと素っ気なくて少し嬉しそうな返事。
彼女と目と目が逢うだけで、私はこんなにも自然に笑える。
「あ」
そういえば。
ふと、思い出した。
「んー? どうしたの?」
素っ頓狂な声を出した私に、彼女は優しく訊ねてくれる。
「えっと」
どうしたものか。
彼女のことを考えてたら、急にあの日のことを鮮明に思い出した。
振り返って、何度も振り返えるほど、危惧が確信に変わる。
「あの日」
ばつの悪そうにしか、言えない。
「私、"好き"って言ったっけ?」
漠然とした聞き方だと思ったけど。でも伝わる。
案の定、真意はちゃんと伝わったのだろう。
彼女は硬直した。
二人の間に沈黙が流れる。
その赤い瞳に、驚きと嬉しさと、あと憤りとか、いろいろなものが混ぜってるように見て取れた。
ああ、これは。きっとずっと不安だったのかもしれない。彼女は。
けれども。
伝わってもいいのかな。
彼女の勇気に、彼女の気高さに。
気後れしている。自分を信じられない。
そんな私の矮小さが、二人を歪にしてしまうのだろう。
「言って」
絞り出すように、
「ない」
紡がれた言葉は、少し震えていた。
ありがとう。
ごめんなさい。
私は、まだ。
「今日のお昼ごはんについてだけどさ」
「ちょっとぉ!!」
流石に怒られた。
張り詰めた空気は解かれて、私は苦笑いをひとつ。
彼女は少し涙目で、わかりやすく頬を膨らませて、怒りをアピールしてくれる。
ごもっともだ。
「ふふ、ごめんごめん」
「もぉー」
その様がなんだか可愛らしくて、彼女の手にそっと指を絡ませる。
繋がれた手は、いつだって私を幸せにしてくれるから。
「ちゃんと伝えるから。だから、もう少し」
握り返される力が、そっと込められる。
「大丈夫。言ったでしょ?」
結局私は、昔も今も、誰かに甘えてばっかりだ。
「いつまででも、待ってる」
それでも私は、
「うん」
彼女には、甘えていたいって。
思えるんだ。

祈るように。
謳うように。
私はそっと目を閉じて。
彼女に寄り添うの。



うそつき。
うそつき。
うそつきの、りみちゃん。
なんでひとりできめちゃうの?
残響。
彼女の言葉は、いまでもたまに、聞こえる。
今も昔も、私はうそつきなんだろう。
綺麗な景色を知って、綺麗な心を知って、
私は、恐怖に立ち竦んでしまった。
これが愛。
深くて紅くて、こんなにも幻想的。



その日は真夏日で。
刺すような陽射しは暴力的。
それでも踊り出したくなるくらいに、
気持ちのいい日だった。

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最終更新:2018年09月08日 02:18