リミラリリィ SS 1

ゆらゆら。
ゆらゆら。
静かだけど、時計の秒針みたい。
一定のリズムで沁み入る波の音。
私とおんなじ、ターコイズブルーの世界。
内側から見ると、それは深く濃い紺色だった。
不謹慎にも私は。
綺麗だなって、思っちゃったんだ。



夜明けの時代「常夏島」外伝

episode Limilalily.

「魔道士の似合わない女」




「ばっ」
飛沫の音。
「か、かっ!?」
次に聞いたのは、自分が咽せる声だった。
慣れない浮遊感。私は今まで泳げた試しがなかったし、今回も泳ぎを会得することは叶わなかった。
ぼんやりと覚醒していく意識と共に瞼を開けると、見渡す先には丸みを帯びた水平線が見えた。
ただいま。私の瞳と同じ色の海。
「ハバキさん…?」
ふと、頭を上げると焦りと怒りと、あとひとつまみの安堵の表情。
「お前なあ…!」
私の小さな体躯は彼の引き締まった腕に簡単に包まれてしまう。
片腕で抱きかかえられながら、私は沖縄の海に浮かんでいた。
「こ、れ、で、何度目だッ!?」
優しい人なんだな、と思う。
初めてあった時からそうだった。
思わずくすりと微笑むと「あ?」と凄まれてしまった。
馬鹿にしたわけじゃ、ないんだよ?
「二度あることは」
普段から海に潜ってるからか、彼の髪は跳ね放題だ。
でも、海から上がったこの瞬間だけ、水の重さで丸っこくなって、少しばかり可愛らしい気もしなくはない。
「三度ある?」
実はついぞ最近、彼の不名誉な噂をあだ名を耳にしてしまった。
「それは! 意図的に! ハプニング起こす場合には使わねえよ!」
思い出したのは、彼のスーツが赤と黒を基調としていたこともある。
今言ったら傷つくかな。なのでその事実は今思った感想と共にそっと胸にしまっておいた。
「失礼な。私は毎回成功させるつもりだよ」
「その自信はどこから来るんだ」
彼の名前は、鈴真砂羽己。
この常夏島のライフセーバー。
海が素敵な場所であることを維持するために、みんなの安全と安心を守っている。そんな男性。
「成功するまで続けなきゃ、失敗に価値は生まれないよ」
「ならせめて、もう少し学んでくれと思うよ。俺は…」
気が付くと足が着くらいの浅瀬にいた。
なんとなく甘えたい気持ちだったので、そのまま彼に抱き抱えてもらう形で引き摺られる。
「とりあえずは」
夕涼みというにはまだ暑い時刻で、砂浜に線路を描く私の踵はじゅわじゅわと焼かれるかのよう。
5月になったばかりのこの海も、想像してたよりずっと暖かく、濡れた衣服の心地悪さが無ければ素直にいい気持ちと思っていただろう。
「ありがとう」
「どういたしまして、っと」
「あだっ」
砂浜に放り捨てられる形で手放された私は、無様に後頭部をぶつけた。柔らかい砂に飲まれ、痛くはなかった。
「ほっ、と。…それで?」
どかっと彼は私の隣に腰を下ろす。
私の視界には蒼い空。5月なのに日はこんなにも高い。そんな視界の片隅にはこちらを伺う彼の姿。
「カツオを」
よっ、ほっ、と私は寝転がったまま、手振りで釣りをするモーションを。
ちなみに釣竿自体は失くしてしまった。
「釣ろうと思って」
「相変わらずなこった」
ため息を吐きながらも視線をまっすぐ海に向けている。
彼は仕事に対してきっと真摯で理想的だ。
私は人の感情の複雑さはよくわからない。わからないのは私だけではないだろうけど、私にはきっとわからないものを予想する力に乏しいんだと思う。
溺れた救助者に問題がないか会話を通じて確認しながら、神経は海岸線に。
彼がここまで当たり前に真剣であることが少し不思議だった。
「漁港で普通に買う、でいいじゃんか」
「そうだけど。できれば1から作りたかった」
私も身を起こして、彼と同じ景色を眺める。
潮騒と白い波と砂浜に広がる海岸線。
「入隊のお祝いに、なんか作ってみようかなあ、と思って」
「まぁ、強く止めろとは言わないが、無茶はほどほどにな……って」
眉間に眉を寄せる彼。
あれ? 驚かせると思ったんだけどな?
「受かったのか」
「うん。おかげさまで」
「隊はどこにしたんだ?」
「朱雀ってとこ。ハバキさんに聞いた以外、あんま調べなかったから」
彼は、一度湿った頭を軽く掻いてから、
「よく…、受かったな…」
少し意外そうに視線をこちらに戻した。
「いや…、ほんとに…」
意外そうにしてる彼を見て、私はそんなにも向いてなさそうに見えたのだろうか。「そう?」と訊ねてその意図を伺った。
「っていうか、最後に東郷隊長との面談あったろ? おまえその性格で大丈夫だったのか?」
「大丈夫だったよ。褒められた」
「リミ…、何をした?」
「お酒飲んだ?」
私の回答を受けた彼は、突然俯いて眉間をつねっていた。何事だろう。
続いて腕を組んでうーんとしばらく唸った後、顔を上げてこちらを見る。
「……………………それは」
私の足元がおぼつかない常識でも、さすがに彼が呆れていることくらいはなんとなくわかる。
「不正入隊じゃないのか…?」
でも、彼がなんでそんな表情をするのかわからない。
「さあ?」
潮騒は私の疑問に答えてはくれない。



内陸県の生まれで、海というものをあまり経験したことは無かった。
こんな名前でも日本生まれの日本育ちのリミラリリィ・ラミルラは、過去に二度海で溺れた経験がある。
「入れ」
ノックに対する応答はシンプル。鋭い、という印象を受けた。それに対して気が引けたりしない私の心は、こういう場面ではありがたかった。
部屋に入って後ろ手に扉を閉める。
部屋の中央にはパイプ椅子が一つ。私のための席。
向かいには折り畳み机の上に片肘を付いて、遠慮も無くこちらを品定めする男性が一人。
すっきりした短髪。精悍な顔付き。何より鋭い瞳。
共に在るミワ神たちがどよめいて、勝てないな、と思って着席した。
「冷静に相手の力量を測れるのは才能の一つだ。その上で図太くいられることもな」
見抜く。
彼は貪欲に微笑み、指で席を示す。
困ることは無いけれど、これが人の上に立つということなのかと思った。
「リミラリリィ・ラミルラ」
「リミラリリィ・ラミルラ=メロウ、だろ?」
席に着いた私に間髪入れずに言葉を挟む。
心地の良い人だ。
それが私が抱いた東郷剣の第一印象。
「言いふらしたくねぇのか?」
「あんまり」
ここは、イツビ組という企業。そう教わった。
私が海に溺れた二回は、両方ともこの常夏島という人工島で経験し、その二回とも同じ人に救助してもらった。
そんな縁があって、島にまだ知人もいなかった私は、"この島で一番情報が集まる場所"を訊ねた。
「慣れてない。氏族名ってそんな大事だって、考えたことがないから」
だって、お隣さんもその更にお隣さんもメロウさんだったから。そう付け足して。
「そうか」
こうして私はここにいる。
「じゃあ好きに呼ばせてもらうぞ、ラミルラ」
「うん」
実技試験を終えて、別室に案内されて、面接試験があることを聞いた。
乾ききってない下着が気持ち悪かったから、さっさと帰りたかったけれど、とんとん拍子に進んでしまったのだから仕方ない。
私はごてごて荷物を持ったまま、潮臭さを漂わせていた。
「まず気になんのが」
机の上にあるA4サイズの一枚の紙。
きっと、私の情報はあのたった一枚の紙に簡単に収められてしまっているのだろう。
本当は、入隊試験の概要を聞きに来ただけだったのに、すぐに可能とそのまま通されてしまった。
「どうして"ウチ"にした?」
「うち? よく、わからない、かな」
おもちゃみたいなヘッドセットを被ったら、訓練システムの中に案内されて、とりあえず戦うように指示された。
「朱雀隊を選んだ理由だ。魔道士はいないわけじゃあないが、まあ前線に出るからな。珍しいっちゃ珍しい」
こつこつ、と折り畳みの机を叩きながら説明する彼はなんだか楽しそうだ。
「"朱雀隊"って、なに?」
机をつつく彼の指がピタリと止まり、その表情がにたりと笑う。
「なるほど」
ゲームのような戦闘訓練を終えた私は、今ここで"隊長"という人物と話をしている。
彼は随分と若く見えるが、このイツビ組で一番偉い人なんだろうか。
「ならそれで構わねえ」
愉快そうに振る舞う彼の意図がわからない。だが、今ここで問いを投げかけるのは私ではない。だから私は頷くだけで、彼の言葉を待ちその答えを探し続けることに専念する。
「んじゃあ、イツビ組の門戸を叩いた理由はなんだ?」
「この場所が、この島の中で最もこの島の状況に詳しいと聞いたから。あらゆる情報が集まって、あらゆる場所に動き易いと聞いたから」
わかる問いには答えがするする出る。
「仕事は、ちゃんとする。プライベートと仕事を分けるくらいの甲斐性はあるよ。目的を混同させたりはしない」
緊張、という感覚が無いわけではないけれど、人よりもそれが希薄な私は、こういう場で肩の力を抜いて喋ることができた。
「目的って?」
彼が投げかける数々の質問は、私という人物をプロファイルするためのものには感じなかった。
「一言で説明するのは難しいけれど」
リミラリリィ・ラミルラ=メロウという人間をイツビ組という組織が判断するのではなく、目の前にいる東郷という男性が私を知るためだけの場でしかないように。
「美味しいものを造って、美味しいと言わせたい人がいる」
だれかになにかを伝えるとき、それを届けるのは本当に難しい。
でも、彼の問いかけは、きっと私の研究を聞いたわけではないんだろう。
もっと根源的で、彼が私に対して納得を得られるための材料。
だから、私はこう答える必要があると思った。
毎度、完成品を手にすると思い浮かぶ。兄や姉、旅で出会った人たち、この島で縁があったライフセーバーさんとか、彼らの顔が。
「ふーん…」
人はきっと。
誰でも大なり小なり、一つの欲求がある。
誰かのためになにかをしたい。誰かに喜ばれて感謝されたい。それは承認欲求なんて呼ばれる堅苦しい名前だけど、本当はもっと単純でわかりやすいものだ。私よ笑顔であれ、君よ笑顔であれ。
「よく」
がたりと、東郷隊長は席を立つ。
こつこつと机の前まで歩み、私と彼の間を隔てるものは無くなった。
「わかんねえな」
全然、
そんな風には見えない表情を彼はしている。
「立て。ラミルラ」
彼は視線だけで促した。
なにをするのだろう、と呑気に立ち上がった次の瞬間だった。

私の右腕が、吹き飛んだ。
肩口から。綺麗な斬り口。痛みすら無い。
飛ばされた私の利き腕は、宙空で半回転して後方数メートルにどさと落ちた。
斬られた、と気付くのにこれだけの時間がかかり、焦りか高揚の心の臓に合わせて、肩口から血液が床に斑ら模様を描くかのように散らされる。

錯覚だ。
ただ、私がなんの変哲のないパイプ椅子から立っただけ。
全身からどっと汗が吹き出して、感じたのは恐怖より焦りだったと思う。
思わず吹き飛ばされた腕の方を視線で追いそうになるのをぐっと堪えた。
そんなことをしたら、"二の太刀"で今度こそ斬り伏せられる。
これは魔術でも幻術でもない、私の本能が勝手に鳴らした警告の視覚化。
東郷剣という男は、ただ一度私に向かって殺気を放っただけだった。
「ほー」
なんでそんなに楽しそうなんだか。
彼の左手が腰の刀に添えられてるのに気付いた。
今からなにをしたところで後手だろうな、と思う。
「ラミルラ。次ので面接は終いだ」
ししし、と彼は笑う。
これのどこが面接なんだか。
こちらも彼に微笑みを返したかったが、今の自分にそんな余裕はどこを探してもなさそうだった。
「お前の中で最も自信のあるもんを一つ、見せてみろ」
トントンと、東郷剣は親指で己の胸を指す。
胸を貸すから思いっきりやれ、ということか。
張り詰めすぎて返事なんてできない。右の拳を強く握って、腕がちゃんとついていることを確認する。
私の術には、詠唱は要らない。
速度だけなら、一縷の望みがあるかもしれない。
手をかざして、トリガーを一言。
――――だが、1秒はかかる。
遅すぎる。
さっき見たビジョンでは、私の腕が吹き飛ばされるまでに1秒もかかりはしない。
よしんば撃てたとして、一人旅の護身術として改造した独自の術式がどこまで通用するか。
睨む私に彼は余裕しゃくしゃくだ。
実際それだけの隔たりが私たちの間にあるのだから、当然と言えば当然の話なんだけど。
O vitium Piper, cur auferat illa?
やるしか、ないか。
Quaeso, ah, quaeso. hiberent!
まるで西部劇のガンマンの気分だ。
Et tenuerit devorabit plateas reptans Nigris fave.
息をとにかくゆっくり吸う。ほんの僅かの綻びもないように。
Inspiratione, rip, et vidit corruptionem.
彼に突ける虚など無い。なら、私にとって一番の瞬間で振り抜くだけだ。
Atra.
届け。
「――――」
彼は、
「…………」
微動だにしなかった。
おそらく私の抜き撃ちは間に合わなかっただろう。彼は本当に胸を貸しただけだった。だからこそ、私の掌はまっすぐ彼を捉えている。
私の術は、果たして彼に通用したのだろうか?
それは結局、わからない。
「どうした?」
だって私は、《Atra》を使わなかった。
「なんで、なんもしねえ」
彼は、それを見抜いたんだと思う。
「違うなって。思ったんだ」
やっと笑えた。自然に。
手を下ろしながら私は謳う。
「あ?」
思い返せば、この部屋に来てからずっと彼のペースだ。
振り回して、振り回して、それで私が気付くのを待ってたのかな?
「"こんなもの"、私が胸張れるものでもなんでもない」
「そうか」
一筋縄じゃあいかないぞ。
ハバキさんはそう言っていた。
なるほど、確かにその通りだ。
だって東郷剣という男は、私と会ってほんの一瞬だって"驚かされて"いない。
私は、
踵を返した。
椅子のすぐ下にある旅行鞄。
中から緑色の瓶をひとつ。取り出して、折り畳み机の上にどんと置いた。
最初から掌の上ならば、肩肘張っても仕方がない。
「コイツは?」
「私にとって、"最も自信のあるもの"」
薄暗くて狭い面接室で、その色硝子の瓶は煌めいてるようにも見えた。
とても満足した私は、一度大きく頷いて、モノがたくさん詰まった旅行鞄を背負う。
「おいおいおいおい…、帰る気か?」
呆れて肩をすくめ、東郷隊長はやっと刀から手を離した。
「うん」
「マジか」
「だって…」
なんて説明したものか。そうだなあ。
「言葉を並べなきゃ通用しないなら、意味ないでしょ?」
私の言葉を受けて、彼は初めて視線を私から瓶へと移した。今なら、攻撃する隙があるのかもしれない、なんて思った。
「"あれ"には、過去から今現在に至るまで、"私の全て"を詰めてある」
結局、私は最後まで東郷剣という男の意図を理解することはできなかったけれど、
「飲んで伝わらなきゃ、それまでってことだよ」
きっと、これでいい。
「リミラリリィ、ラミルラ、メロウ」
「はい?」
「おもしれーな、お前。色々と」
「お褒めに預かり、光栄」
東郷隊長は机の瓶をごとりと持ち、乱暴に自分の肩に乗せた。
「選考結果はまぁ明日には送られるだろうぜ」
「ん。ありがとう」
どうやら帰ってもいいようだ。
「まぁ、俺は気にしねーんだがよ」
「?」
「口酸っぱいのが二人程いる。敬語はちゃんと使えるようにしとけ」
「どういう意味?」
彼の意図が解らず仕舞いの私は、その忠告の意味だって当然わからない。
なのに、彼は白い歯を見せてさも愉快そうに笑うだけ。
「この酒、楽しみにしてるって意味だ」



『よう、ナンシー』
『いい酒が手に入ってな。今暇か?』
『暇があるなら今からどうだ? 来ないなら俺が全部飲んじまうが』
『なかなかに、美味かったんでね』



こわいものしらず。
こわいものしらず。
こわいものしらずの、りみちゃん。
どうしてひとりでいっちゃうの?
残響。
なんで今、彼女の言葉が浮かぶのか。
そうか、私は怖いのか。
きれいきれい。こわいこわい。
これが海。
深くて蒼くて、こんなにも幻想的。



「大丈夫か!?」
4月。
「意識よし、脈よし。おーし、偉いぞ。全部吐いちまえ」
浜で感じた潮臭さが全身からする。
水はぬるいと思ったのに、陸に上がるとこんなにも寒い。
濡れた服が全身に張り付く感覚が気持ち悪かった。
「焦るなよ。お前は大丈夫だ。そうだ。ゆっくりでいい」
背中を優しくさすられ、軽く叩かれ、私は徐々に落ち着いていく。
「体温も、問題なさそうだな。見つけたのが早くてよかったよ」
生まれて初めて、
海で溺れた。
「おし。自分の名前はちゃんと言えるか?」
ふわっと身体が持ち上がる。
抱き上げられたのだろう。あまりにも揺れ無いようにそっと抱えられたから、一瞬気付かなかった。
「私は」
まるで夢うつつ。
ふわふわした意識で、私は言った。

「リミラリリィ・ラミルラ=メロウ」

これがはじまり。

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最終更新:2018年08月01日 12:59