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「はぁっ…はぁっ…はぁっ。」

私は何かから逃げていた。それが何なのかはわからない。いや覚えていないといったほうが正しいのかもしれない。

「はぁっ…はぁっ…はぁっ。」

景色が黒から紅へと変わっていく。こうなってはもう後ろを振り返ることはできない。ソレが後ろまで迫っているという証だから。

これは夢なのだ。それは自覚している。それでもここで止まることは許されない。ここで止まってしまえば、本当に自分がこの夢に飲み込まれ、現実から消えてしまうような感覚。

私は振り返った、一度目は現実でそして二度目は夢の中で。一度目のソレは化け物だった。黒い影のような、人型をした化け物。ソレが何なのかもう覚えてはいない。

二度目に振り返ったとき、私は何が起こったかわからなかった。ただ必死にそれから逃げていたことだけを覚えている。

そのときまでは過去の回想だと思っていた。一度目に振り返ったとき、それは現実でもことだった。もしくは夢のはじめもただの化け物だったのかもしれない。しかし、私が追われているものはいつの間にか別のものに変わっていた。

私は逃げるしかない。目覚めという現実の中に。

目の前には光が見えた。もう少し。もう少し。すぐ後ろには、紅が迫っている。もう少し。

 

ガバッ

理緒は跳ね起きた。目の前にはいつもの現実が広がっていた。

「また、あの夢か。」

誰に言うわけでもなく、理緒は呟いていた。

汗で寝間着がグッショリとぬれていた。もう慣れたと思っていたのだが、体はしっかりと反応している。最近では週に一度のペースでこの夢を見る。ただ毎日出ないことが唯一の救いであるといえるのかもしれない。

時計を見るとすでに準備をする必要がある時間だった。親はすでに他界してしまっているので、朝食の準備から片づけまで全て自分でやらなくてはならない。初めのうちは新鮮でおもしろいとも感じたものだったが、今ではただめんどくさいとしか思わない。とはいえ、体はすでに慣れてしまっているので苦痛には感じられない。理緒は着替えを済ませ、キッチンへと向かった。

 

「さて、はじめますか。」

朝食というものほど簡単な料理はない。今朝の朝食はパンにサラダ、それと目玉焼きがついたものだ。理緒が作ったと誇れるようなものは何一つないといえる。

「シエルー。できたよー。」

その呼びかけに一人の少女が部屋から出てきた。寝間着とは思えない真っ黒な服を着た少女。まだ眠いのか焦点は合っていない。

理緒が親をなくしたとき、このシエルに出会ったのだ。ただ丘の上で一人孤独に雨に打たれていた。理緒も孤独だった。親をなくしてどうすれば良いかわからなかった。一人では生きていけなくて理緒はシエルに手を伸ばしていた。

とまあ、そんな理緒とシエルの出会いはこの際よいだろう。ともかくこの少し奇妙とも思える同居生活が始まったのだから。

 

「行って来ます。」

誰もいなくなる家にそう告げる。空を一面の雨雲が覆っている。天気予報によると今日は一日中曇りのようなので、カサも持たずに家を飛び出していった。

理緒の通う高校は暁町と呼ばれるところに存在する私立高校である。ここら辺では最も人気が高く、学問・スポーツともに全国でもそれなりに名前を知られているだろう。

理緒やシエルがこの学校に苦労することもなく、入ることができたのはさすがといえるだろう。

「………。」

「………。」

二人の間には会話というものが存在しない。シエルはもともと無口であるし、いつも一緒にいると会話もなくなるというものである。他人から見ればなんとなく寂しい感じだが、当人たちはまったく気にしていない。それがお互いを信頼しあっているという証であるというかのように。

そうしていられる間が幸せだった。そうしていられる間が幸福だった。

人は何故『日常』というものを幸せであると感じられないのか。『非日常』が起こらないことがどうして幸福だと思わないのか。

この街では日常などいくらでも裏返るというのに…。

 

いやなことが起こるときのカンというのは必ず当たるものだと思う。その日も何かがおかしい。そう感じていた。だからこそシエルから発せられた一言は残酷なものだった。

「…理緒。血の気配。」

とある学者によると人間にはある種の特殊能力を持っているらしい。シエルのそれはまさにその能力を使うことのできるいわゆる超能力者であった。

それは血の気配を感じ取る能力。カンともいえるような能力だったが、シエルのそれは確実だった。それゆえに残酷だった。悲しいものだった。

その能力ゆえにシエルはまともに生きることができなかった。いつも事件に巻き込まれていた。それがシエルの生き方だった。そしてそれがともに生きると決めた理緒の生き方だった。

現実という幻想から、悪夢という真実へと引き戻されたような感覚。しかし決して驚きはしない。理緒にとってはそれが日常だったから。平和という言葉が自分にとって非日常であったから。

「どこ?」

たったの一言。それ以外に言葉は必要ない。今の理緒にとっては事実のみが必要だった。

「………。」

シエルは何も言わずに一点を指した。そこに迷いはない。ただその一点を指していた。

理緒は走っていった。シエルが言うのに間違いはない。長い間ともに過ごしてきているからこその信頼。

シエルの指差した先、そこにあるのはおそらく美術室。

シエルの能力。言い換えるなら人の死を知るという能力。それはつまり身近で起こった死を全て受け入れるということ。それは残酷なものである。常人が耐えられるわけがない。シエルは自分の心を守るために感情を失った。いや、感情を捨てるしかなかった。でなければ狂っていたのだろう。

何度シエルの勘違いだったらよいと思っただろう。何度冗談だったらよいと思っただろう。しかし、現実とは常に残酷な結果しか生まなかった。だから私は…。

 

ガラッ

勢いよく美術室の扉を開ける。そして、幾度目かの絶望を味わった。

一人の少女の死体が転がっていた。背中からナイフで刺されていた。とたんに感情が冷めていく。

今までの特殊な経験から、今の自分がどうすればよいのかわかっていた。冷静になって物事を考えなくてはならないのだとわかっていた。

 

キーンコーンカーンコーン

 

チャイムが響く。この学校で鳴るチャイムの時間からすると現在の時刻は8時15分。

理緒は携帯を取り出すと、冷静に警察に連絡した。学校への連絡は必要がなかった。今頃はシエルが理事長に連絡を入れているだろう。現場を見なくとも、それだけ絶対的な自信がシエルにはあるのだから。

携帯を置くと死体に近づき、確認をする。

背中から一突き。心臓を正確に捉えている。抵抗した形跡もなく、もがいた形跡もないため即死、それも気づかれないように近づいての一撃と判断できる。

死後硬直が起こっている。それに死体は死後少しずつ体温降下を起こす。この部屋の状況、経験からいって死後10時間といったところだ。

だとするなら昨夜だ。理緒はそう確信した。確かな死亡推定時刻は警察がくればわかる。今いえることは、これが今朝行われたものではないということ。それだけだ。

ガタガタと窓がゆれた。外を見ると木々が大きくしなっていた。

「荒れるな。」

理緒は人のいない部屋で一人呟いた。