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足利家

荒木村重 (アラキムラシゲ)

レベル

55:7体

職業

配置

右翼後詰大将

戦闘開始時セリフ

○○○○?
無名の輩とて容赦はせぬぞ。
人は誰しも無名から始まる。

構成

名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能
荒木村重 槍僧 55 結界 紫電一閃天部光輪天部光輪・弐薬師如来法全体完全回復後光冥護結界・弐
将軍家兵法者 斧侍 50 蘇生・壱沈黙の霧・壱、n連撃・改
水破中忍 忍者 50
足利上級陰陽 陰陽師 50 結界 昇竜
八坂巫女精鋭 懐剣巫女 50 反射 詠唱の韻・極
京鍛冶屋 鉄砲鍛冶屋 50
鞍馬山伏 薬師 50 再生 蘇生・壱

ドロップアイテム

特徴

  • 撃破することで京極高吉(四天王)を5体に弱体

列伝

弥介、弥助、十二郎、道薫、摂津守、信濃守。荒木義村(一説には高村)の子とされる。1535年の生まれとされ、有力とされるが諸説ある。系譜はいまひとつはっきりしない。摂津の豪族あたりであると想像される。

父同様に池田長正とその子である池田勝正に仕える。1552年には合戦で功を上げ、このときに父から家督を譲られたとされる。その後池田二十一人衆にも列せられた。
1568年に信長が畿内に入ると主君である池田家は信長に降伏し和田惟政伊丹親興とともに摂津の守護を任される。
1570年には主君池田家が内部抗争を起こす。これによって勝正は池田家を追われ、子である直正が継ぐがまもなく追放されたようである。その後池田家は知正が継ぐ。この混乱に乗じて池田家での力を強める。
1571年には三好、松永と主家池田家が通じて信長勢に反旗を翻し、和田惟政を攻撃、これを敗死させる(このときに戦死したかは諸説ある)。
このころ元主君であった池田勝正が信長勢として原田城に入る。その後この混乱は信長の介入で収まるが、このころから村重は池田家からほぼ独立(池田家は村重の実質的配下となる)、同時に織田家に近づく。

1573年には信長より摂津守を任じられ、名実ともに摂津を収める権利を得る。同年には将軍家側についた池田勝正を攻め、これを高野山に追放、翌年には伊丹氏を攻めて居城である伊丹城に入城、これを有岡城と名前を変えて居城とする。
この前後に池田家は池田城を回復するも、信長の命で荒木村重与力となる。完全な主従交代である。これにより村重は摂津を完全に支配下とする。 その後も信長の下各地を転戦する。

しかし1578年、信長に対して突然の謀反を起こす。原因は今もって不明であり、戦国期における謎のひとつである。諸説あるが一説には従兄弟の中川清秀が、当時織田と敵対していた本願寺勢に米を売り渡しているという風説が流れ、村重に異心ありとうわさされる。これの釈明に赴こうとした村重を清秀が弁明は無意味とさえぎり、謀反を決意したというのである。真偽は不明であるが一説として存在する。

しかし、謀反を始めるとともに謀反を起こした高山右近や従兄弟であった中川清秀はすぐに信長に降伏してしまう。そのため村重は有岡城に籠城、10ヶ月もの抵抗を続ける。しかし村重は降伏せずに子である村安が守る尼崎城へ逃げる。この際城にいた妻子を見捨て単身で逃げた。そのため妻子は皆殺しになってしまう。後世にまで卑怯者と揶揄されるのはこのためである(なお、このときのことを村重自身が自嘲しており後に号を「道糞」として自分を嘲ていたという)。

その後毛利家に亡命する。
1582年に信長が死去、秀吉が台頭するとに帰還、荒木道薫(道糞は後に秀吉から許された経緯で道薫としている。どちらもドウクン、と読む言葉いじりである)と名乗り千利休とも親交を深め、利休七哲の一人に列せられる。1586年に死去(一説には1595年まで生きたともされている)。

彼を語る上で最大の謎は1578年におこした謀反の理由である。いまもって定説を見ない。その後の動向からもいまひとつ計画性に欠ける。戦国期における大きな謎のひとつであろう。

なお、浮世絵の世界では彼は1579年自害とされている。しかしこれは彼の子である岩佐又兵衛(浮世絵の祖といわれる)か、それに近い人物が改竄したと考えられて、信憑性は薄い。しかし、息子である岩佐又兵衛にとって、父が卑怯者であったと嘲笑されるのが耐えがたかったという心境は想像に難くない。有岡落城時に自害とすれば、武士の面目も立つ。そう考えての改竄であろう。

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