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北条家

松田憲秀 (マツダ ノリヒデ)

レベル

50-7

合戦配置

敵陣右翼後詰

構成

名前 職業 レベル 開始時付与 特徴
松田憲秀 陰陽 50 ・結界 狂風蘇生・壱
北条豪勇侍 45 一所懸命、N連撃改、蘇生・壱
相模鍛冶 鍛冶 45 鉄砲
笠原政尭 薬師 45 完全回復蘇生・壱
箱根山神官 神主 45 結界 詠唱の韻・極
乱破中忍 忍者 45 N連撃、瞬殺閃
早雲寺番僧 45 仁王立ち

特徴詳細

戦闘台詞

ドロップアイテム

列伝

生年は不明(信長の野望では1540年となっているが確証はない。1530年の説もある。)。尾張守。松田盛秀(顕秀と同一人物か?)の子と伝わる。

松田氏は出自は相模の国人説が強かったが、近年彼は備前松田氏の出自ではないかという説が浮上している。室町幕府の奉公衆に松田氏の名前があり、同じころに幕府に仕えていた伊勢宗瑞(北条早雲)と交流があった可能性もあり、この縁で宗瑞の駿河下向に従ったという説である。現在では後者の説が有力になっている。

憲秀が家督を継いだのは1550年代とされているも正確な時期はわからない。彼は小田原衆筆頭に位置づけられ、相模西郡苅野荘などに実に2768貫を知行していた。これは垪和氏続の1028貫、大道寺政繁の1212貫などと比べても桁違いの量である。これは一門である北条幻庵を除く家臣団では最高の知行量である。後に子の政堯が笠原家当主の笠原綱信へと養子に行き、その所領(447貫)をあわせれば、なおすさまじい量である。また、内藤綱秀を婿養子としており、その権勢は北条家最大であったのであろう
北条氏康の片腕として辣腕を振るう。氏政、氏直の代にも筆頭家老として君臨する。
しかし、後に武田勝頼への内通疑惑が生じた。これはおそらく家中の何者かの謀略であり、事実はなかったようであるが、このときに面目をつぶされたらしく、後の小田原征討での内通への遠因と見る人もいる

1590年の小田原征討でははじめ降伏論を説くも、後に交戦論が主流になると籠城を主張。野戦を主張する北条氏邦伊勢貞運らと激しく対立する。籠城論が通ると早川口を守備するが、豊臣方の堀秀政に誘われ伊豆と相模の2ヶ国を賜る条件で内通する。
しかしこの内通は自身の子である直秀により氏政に発覚。憲秀は監禁される。筆頭家老の敵方への内通は当然家臣団を動揺させ、開城を早めることとなった。
戦後、この内通により秀吉から不忠を責められ自刃に追い込まれる。

北条家3代に仕えた重臣のなかの重臣であり、北条家臣団の中でもかなり有名な部類に入る。今作品での非部隊長で敵陣武将という扱いは扱いが少々低いように思われる。

その他情報

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