赤尾清綱
あかお きよつな
レベル
60:7体
職業
薬師
合戦陣配置
浅井家・本陣四天王
戦闘開始時台詞
浅井家海赤雨三将が一人。 赤尾清綱とはわしのこと! 手加減はせぬぞ!
いくぞ! 鍛えに鍛えた我が将兵よ! すべては今この時のためぞ!
○○○○だと? まだわしに勝てぬことが わからぬのか!
構成
名前 | 職種 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
赤尾清綱 | 懐剣薬 | 60 | ▲ ▲ 再生 | 武運長久、速効活力・弐、活力、凶風、凶風・弐、禁呪、苦悶の霧、難治撃、蘇生・壱、急所狙い |
浅井精兵 | 一刀侍 | 55 | 三〜五連撃・改、一所懸命、沈黙の霧・壱、全体看破・弐、蘇生・壱、一刀流、守護術 | |
国友精兵 | 連銃鍛 | 55 | 三段撃ち、雨よけ、陽動、蘇生・壱、守護術 | |
殿原衆精鋭 | 懐剣陰 | 55 | 結界 | 光芒・華、各属性術・四、低速化・参、暗黒・参、気合呪霧・壱 |
竹生島神官 | 宝剣神主 | 55 | 反射結界 | 詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃付与・参 |
甲賀中忍 | 一刀忍 | 55 | 各属性遁術・極、三〜五連撃、奪命三〜五連 | |
徳勝寺高僧 | 懐剣僧 | 55 | 反射結界 | 凍気・参〜四、帰依、霧散、急所狙い |
特徴・詳細
部隊アイテム
ドロップアイテム
武将列伝
孫三郎、美作守と称す。浅井家三代に仕えた功臣。浅井三将(海赤雨三将)の一人。小谷城内に赤尾曲輪を設ける。父・駿河守が初代・亮政の旗揚げより浅井家に従っており、清綱も元服時より浅井家に仕えた。
幼少の頃より長刀の使い手として勇名を馳せ、武勇近隣に響くが、二代目・久政とは不和だったようである。六角氏との戦に敗戦した後、久政が家臣達に向かって、
「先代・亮政の時は、伊部、大橋、海赤雨その他の大名分は申すまでもなく敵に幾度向かっても一方打破らずということなく他国までその勇名をとどろかしたるも、今は老いたる所以か、おくれを取りたるもの、今度の軍に江南勢に破らるるは偏に江北の侍も老いたり」
と言い終わらぬ内に赤尾美作守清綱が進み出て荒々しく言った、
「とかく武者と鷹は使い手に依るものにて軍兵のわざにては更になし。大将によるものにて候、今も先代・亮政公ほどの大将ならば我々も古えに気力少しも劣るものにこれ無く候えども、大将が武者の使いようを御存じなき故おくれを取り恥ずかしく候」
と荒言した為、久政も言葉がなかったという。家臣の中には大将に恥辱を与えるとはと非難するものもあったが、大半の浅井家の武将達も久政に対して同様の意見であったようである。
永禄3年頃には宿敵であった六角氏に対して臣従の形をとる久政に愛想を尽かし、初代亮政の再来と将来を嘱望された長政に家督を譲らせようと、久政が鷹狩の隙に本丸に長政を移し、久政を隠居させた人物の中に清綱の名があるのは当然の成り行きであろう。
長政家督相続後は、浅井家顧問格として武者奉行を務め、野良田の合戦には遊軍として参加している。
永禄6年の美濃出陣に際しては斎藤軍を打ち破るも、六角軍が背後の佐和山城を急襲したため、全軍引き返すこととなったが、殿軍に悩む長政に対し、
「今度殿儀御心やすく思し召せ。一刻も早く人数引取給うべし。我等五百の勢を以ってこの役果たし申さん」
と殿軍引き受け、駈けては引き、引いては駈けの絶妙の用兵で、撤退しながら美濃勢を散々に打ち破り、見事に役割を果たしている。
その後、主たる戦に清綱の名は見えないが、これは老齢の為、小谷城守備に当たったからであろう。最後は小谷城落城まで浅井家に忠節を尽くし、長政が赤尾屋敷にて自刃する折も、主君の最後を邪魔させまいと自ら防戦に当たり信長軍に生け捕られた。
後に信長は捕虜となった清綱を呼び寄せ、
「汝は昔より鬼の如く聞こえる者なるが、如何して遅れたるよ」
「兎角老耄の所為、今は何をか申さん只早くいとまたまえかし」
「汝は老人のこと、汝のせがれ新兵衛は助け置き、我取立てて遣わすべし」
「汝、信長にだまされて悪びれまいぞ」
「老いぼれめ、我空言はくとおもうや」
かくて清綱は誅されたが、嫡男・新兵衛は後々まで誉れある武者となったという。
清綱を筆頭に武勇近隣に鳴り響く多くの武将達が、浅井家に最後まで忠節を尽くしたことは、長政が魅力ある大将であったことを示し、また彼等の潔い死が逸話として残り、現代に伝わる事は裏切りや下克上の横行する戦国にも、君臣の忠義の存在を重く伝えるものであろう。
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