※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

Nobusionary

列伝・解説用語集

このサイトの列伝や解説のなかで使われている言葉の用語集です。わからない言葉が出てきたらお使いください

列伝閲覧時の注意

【こよみ】(名)ほとんどの列伝では西暦表記となっているが、単純換算のため実際には、ずれがある場合がある。たとえば元禄15年は単純換算では1702年だが、赤穂浪士が討ち入りを決行した12月14日は西暦では1703年1月30日となる。

ただし、学術書でもなんでもない列伝では直すと煩雑になる上、有名な日時だと違和感が出る嫌いがあるため、1702年12月14日という形での表記となっている。中途半端という見方もあるが、歴史学者でないかぎりはあまり意識する必要はないと思う。ただし、季節が若干ずれるため、1〜2ヶ月、日時にプラスして考えていただけると、しっくりくると思う。

官職の順位
【】()中流までの官職は上からカミ(守。一等官。長官にあたる)、スケ(介、祐、輔、亮、助。二等官。次官にあたる)、ジョウ(尉。三等官)、サカン(主典。四等官にあたる)の順番であり、これは国主(〜守)などの系列でも、また近衛府といった系列でも同様であった。ただし部署によっては将監(尉にあたる位)など、形が変わることが多々あり、その場合は用語に記しておく。
上流官職
【】()中流までは前述したとおりであるが、上流(主に四位以上と五位にあたるいくつかの官職と六位の蔵人)では、またルールが変わる。五位以上は殿上人となり、爵位、冠を賜る、という言い回しで、それ以下の中流とは別格であった。基本的には大臣、納言という具合であるが、右よりも左のほうが位が上(左遷は中国の言葉)、権〜となっているよりはついていないほうが(基本的には)ほんのわずかに位は高い。

あ行

一門
【いちもん】(名)一門衆とも。いわゆる血族のことであるが、今日言われる血族よりも非常に幅広い範囲をさすことが多い。多くの外戚も一門格を与えられるほか、数代も前に分かれた家系も一門格を与えられる場合がある。
江戸城
【えどじょう】(固名)現在は皇居となっており、江戸時代は徳川将軍の居城となっていた城。戦国時代に太田道灌が築城したとされ、扇谷上杉氏が居城としていたが、家臣の太田氏が寝返った際に城ごと北条に移り、以後北条の重要拠点となる。後期には北条氏政が隠居先とするなど、戦国後期から関東支配の総本山であった。
〜衛門
【〜えもん】(名)〜衛門尉(えもんのじょう)のこと。律令官名においては比較的下位の通名である。古来「ゆげい」と読まれていたがこの時代はえもんと読む。官位でいうところの六〜七位にあたる。又左衛門(これは本当は官職ではない)などがあるが実際に任官している武将はほとんどいない。なお、某便利な2頭身ドラネコとは関係ない。

か行

海賊
【かいぞく】(名)この時代でいう海賊とは現在のように無国籍ではない。多くは大名に仕えており、水軍とほぼ同義語である。大名は彼らの略奪行為をおおむね許可し、彼らは主に瀬戸内で暴れまわったが豊臣期に入ると禁止令により急激に衰退した。
【かみ】(名)律令官制におけるその国の代表のこと。おもに守護大名がつけた通名であるが、実際には多く使われている。尾張守、因幡守など。
【かん】(名)貫高制のことで石高とほぼ同義語であるが、こちらは東国、または古い時期につかわれた指標である。乱暴に換算すると1貫は水田2反分である。なお、家によって基準もまちまちであるため(そのため、別家とくらべてしまうと力関係がおかしくなるため、同家内でのみ比べるのが望ましい)、石高制への換算は非常に困難である。
畿内
【きない】(名)畿内とは、大まかに言うと近江以西、丹波以東辺りのことをさす。天皇家が古来より都を置いていた土地であり、日本の最重要地域であった。戦国時代の幕開けといわれる応仁の乱も、この地域より始まった。
梟雄
【きょうゆう】(名)梟雄とは、主に不義の行いによって力を拡大した人物があだ名されるものである。松永久秀三好長慶、宇喜多直家など、謀殺、暗殺、裏切など、裏の手口で勢力を拡大した人がこう呼ばれる。
軍記物
【ぐんきもの】(名)古来資料には数種類ある。平家物語のような軍記物語、吾妻鏡のような歴史書、そして書状である。軍記物とか軍記物語と呼ばれるものは、大衆に人気を出すための脚色が入る場合が多く、資料では等級が低い。
源氏
【げんじ】(固名)天皇家を祖とする源氏のこと。源頼朝や源義経を排出した清和源氏がもっとも有名(河内源氏、摂津源氏、甲斐源氏など)で、ほかには村上源氏、宇多源氏(近江源氏、つまり六角家の先祖)がそれに次ぐが、他にもいろいろな家があり、いずれも天皇家傍流である。戦国時代において源氏は多いが、藤原、平にくらべると血筋がはっきりしている人が多い(ただし、徳川家といった例外もある)。
国府台合戦
【こうのだいがっせん】(固名)現在の千葉県の国府台にて起きた合戦。1538年のものを第1次、1563年と1564年のものを(一昔前まで混同されていたため)第2時国府台合戦と呼ぶ。一般的には国府台合戦というと後者をさす場合が多く、列伝で出てくるものはほとんどこちらである(なお、第2次国府台合戦は普通1564年のものをさすので、本稿ではこちらを説明する)。

1563年、太田康資が上杉家への寝返りを画策し失敗すると、上杉謙信は彼と太田資正の救援を房総の大領であった里見氏に要請。里見義堯はこれに応じ嫡男の義弘を総大将とする大軍を派遣し、義弘は国府台城に入った。
1564年のはじめ、北条よりの姿勢をとっていた千葉氏は里見氏の大軍を防ぎきれないとみるや北条に援軍を要請、北条家もこれに応じ大軍を派遣し、江戸城に入る。1月7日に両者は交戦を開始する。北条方は千葉氏との里見軍挟撃を予定していたが遠山綱景富永直勝の二人が本隊よりも先行しすぎて江戸川を渡河、結果壊滅して両名は討ち死に。そのため挟撃は頓挫する。しかし、この勝利にて勝ったと考えた里見軍は酒を振舞ってしまう(出陣が年明けすぐであったため、とそを諸兵が飲む間がなかったという理由もある)。
撤退を装っていた北条軍は8日未明、未だ酒宴の終わらぬ里見陣に対して夜襲を敢行、里見勢は味方の内通もあり壊滅、義弘は命からがら逃げ帰った(ただしこの経緯は1563年のものと混同された可能性が高く、里見軍壊滅は2月18日とする資料もある。どちらにしても軍記類による脚色がひどいため真実は不明である)。その後北条氏は上総まで侵攻、これを落とし上総を手にする。太田両名は反北条国に逃亡。里見氏は上総を失うという結果でこの合戦は終了した。この戦に寄り武蔵によっていた上杉系国人は大黒柱である太田氏が消滅したため自然消滅。武蔵は完全に北条のものとなった。これにより上杉と北条の戦いは上野に、北条と里見の戦いは、武蔵から上総側に大きくめり込むのである。

【こく】(名)石高といわれるものである。その人物の勢力の指標のひとつとなる。なお、1石は180リットルである。
古代豪族
【こだいごうぞく】(名)古来日本には大和政権はなかった。そういった土地にもとより住み着いて、勢力を持っていた一派か、天皇家とともにいずこからかやってきたかした、古い豪族であるが「天皇家傍流ではない」一族をさす。曽我氏や紀氏といった一派と同じように、奈良時代以前の家が戦国まで生き残ったと考えられる。池田氏はこの古代豪族の血を引いている一派であるとかんがえられている
権〜
【ごんの〜】(名)権中納言など。権とは、「正員以外の〜」という意味で、規定人数に含まれないが、その役職についている人となる。戦国時代には権〜という職、つまり員外しか存在しなくなったもの(大納言、中納言等)も存在する

さ行

【じょう】(名)三等官にあたる位。衛門尉や衛門大尉など。戦国ではこれらは衛門と略されることが多かった。尉は五衛府で使われた。
将監
【ショウゲン】(名)尉にあたる階級。左近将監、右近将監など。戦国では多くの武将が名乗っていたが、ほとんど正式任官していないのはすでに通例である。
城代
【じょうだい】(名)城代とは、城主の下にある地位であり、城主が留守の間の政務をとりしきるのが役目である。副城主とも言われる。
庶子
【しょし】(名)嫡流以外の男子をさすことが多い。当時正室の子とそれ以外には、格付けが大きく違う世界であった。基本的に跡目を継ぐ可能性は0に近い。しかし、正室に子が一人もいない、全員討ち死にしたなどの理由で継ぐこともある(豊臣秀頼は側室の子である)。本来的には側室、妾は庶子という保険のために、妻にするのが表向きの理由であるが・・・
庶流
【しょりゅう】(名)?庶子のこと

?嫡男以外の家系、つまり正室の弟なども含んだ、嫡流以外の家系のこと。

水軍
【すいぐん】(名)水軍とは現在の海軍とはまったく違う。彼らは水軍を指揮する武将の私兵に近く、大名に仕えてはいるものの半ば独立した指揮系統をもっていた。このころ水軍と海賊は同義語である。海に面した大名は彼らをいかに自分の手元に置くかを腐心したのである。豊臣期になると改変が行われ、武将が指揮する水軍が多くなった。
【すけ】(名)律令官制における守護代にあたる官名。多く使われている。上総介、上野介など。ただし、近衛府といった多くの府で守につぐ階級とされていた。その下には尉がつぐため、守、介、尉はほとんどの官職に共通する位でもある。
【せい】(名)姓とは本来「天皇家から賜る」物であり、苗字とは本来的には区別される。明治になって廃止されたが、それまでは姓と苗字を持っている武家が多かった。有名なものは源、平、藤原と橘の四つである。公式文書、書状、名乗りなどは本来こちらを使う。武田信玄は源晴信となのっていたし、徳川家康は源家康と公式文書には署名している。このため、苗字が普段着で、姓は外着であると考えるとわかりやすいと思う。なお、羽柴などは姓ではないが、羽柴姓などという言葉遣いは、現代の意味においては苗字=姓となっているため問題はない。姓名判断などと同じ使い方と考えてほしい。
正室
【せいしつ】(名)正式な妻のこと。基本的には1人の男性には正室は一人しかいない。前田利家のまつ、羽柴秀吉のねね等。彼女らが産んだ男子の長男が、(廃嫡されなければ)嫡男であり、その家を継ぐ可能性が最も高い人物となる。なお、彼女らのほかに、側室、妾という地位の妻がいる。
俗名
【ぞくみょう】(名)法名や号と区別するさいに使われる。いわゆる名である
側室
【そくしつ】(名)当時は一夫多妻制である。側室とは一応妻ではあるが正室の下となり、子の扱いも低くなる。さらに低く扱われる女性は妾と呼ばれる。現代倫理で考えると少々問題があるが、当時は中流階級以上となればむしろ持っていない人が例外的である。

た行

橘氏
【たちばなし】(名)敏達天皇の子孫である葛城王が賜った姓である橘を祖とする一派。源氏、平氏、藤原氏にくらべればはるかに知名度の面で劣るが、実際には源、平、藤原とならぶ代表的な姓の一つである。戦国時代にこの家系を名乗っていた家はいくつかある。この家の出であると名乗っていた代表は、南北朝の英雄である楠木正成である(ただし本当かどうかは不明である)。
嫡男
【ちゃくなん】(名)その家を継ぐ地位にある人のこと。おもに正室の長男である。この時代において長男と嫡男は別であり、側室の子が長男であっても正室の子が嫡男となる。有名なのは織田信長で、かれは三男とされている。
通名
【とおりな】(名)日常使われる名前である。名もあわせて参照。織田信長では上総介がこれにあたる。律令官名や太郎次郎などがある。官名は複数持っている人が多い。

な行

【な】(名)諱(いみな、忌み名)とも言われるもので、いわゆる名前である。織田信長ならば信長がこれにあたる。目上の人、および家族以外は基本的にこれで呼んではいけないという慣わしであった。通常使うのは通名と呼ばれる。書物などでも諱を使うことはほとんどない。
韮山
【にらやま】(固名)戦国初期における北条家の根拠地である韮山城のこと。後に拠点は小田原に移ったが韮山は伊豆方面の最重要拠点として北条滅亡まで存在した。

は行

藤原氏
【ふじわらし】(固名)平安時代栄えた藤原摂関家のことである。藤原道長と子頼道の代に最盛期を迎えた。戦国武将にはこの家の出自とされる家が非常に多いが、井伊氏などの例外を除いてほとんどがまゆつば物の疑いがあり、鵜呑みにしてはいけない。原因は没落後の藤原氏が財政難のために戸籍を売り渡してばら撒いたのも一因である
平氏
【へいし】(固名)桓武天皇を祖とする天皇家傍流のこと。平清盛が有名。戦国時代においてはこの家の出自を名乗っている家は少ない。もっとも名乗っていても藤原氏以上にまゆつばが多いので鵜呑みにしてはいけない。
法名
【ほうみょう】(名)俗名と区別するさいに使われる。主に法名は音読みで読むのが一般的である。俗名と法名が同じ人(三好長慶など)もいる

ま行

三好三人衆
【みよしさんにんしゅう】(固名)三好長逸三好政康岩成友通の三人のこと。いずれも三好の一門である。別名畿内のお騒がせ三人衆。将軍謀殺、信長に対抗するなど戦国中期の畿内で暗躍(?)した。信長にたびたび蹴散らされるもたびたび本拠地である阿波に逃亡してたびたび再度畿内側の拠点である摂津に戻り、たびたび摂津の国人と取り込み、たびたび反乱を起こした三人で、有力者からすれば目の上のたんこぶのような存在であった。しかしその後勢力が衰え、豊臣期にはまともな家臣に戻った。なお、三好政康は真田十勇士の三好清海のモデルとされている。
【めかけ】(名)もっとも地位が低い妻の呼び名であるが、この位では妻とも考えられず、むしろ蔑称に近い(扱いはここでは述べないこととする)。子が男子の場合は妾の子などと蔑まされた。現代倫理で考えればとんでもない話ではあるが、当時あったのだから仕方がない。

や行

ら行

わ行