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今川家

天野景貫 (アマノカゲツラ)

レベル

45-7

職業

陰陽師

戦闘開始時セリフ

○○○○? また
来たのかよ! 何度だって
倒してやるよ! 雑魚め!

防衛陣

中翼先鋒

構成

名前 職業 レベル 初期付与 特殊技能
天野景貫 陰陽 45 結界 狂風迅雷全体麻痺術法剣吹雪
今川青侍 40 一所懸命
東遠江鍛冶衆 鍛冶 40
駿府薬売り 薬師 40
神部神社弓兵 巫女 40
駿河の下忍 忍者 40
駿河遊行僧 40

特徴詳細

ドロップアイテム

列伝

宮内右衛門尉。小四郎。天野秀藤(藤秀とも伝わる)の子であるが長男ではないようである。生没年は不明。

天野氏は藤原南家の出である工藤氏が伊豆国天野郷に属したのが始まりであり、同地の伊豆に流されていた源頼朝に従い旗揚げ当初よりこれに従い、大功を立てて重用され、多くの領地を得た。
のち承久の乱で長門を与えられたため、頼朝の代より与えられた土地、そして義経追討などで得た領地は、武蔵、上野といった関東から遠江といった海道、美濃、河内といった畿内一円、そして安芸、長門といった中国地方と鎌倉時代においてもすでに多岐にわたる。
室町では北朝と南朝にそれぞれ別れ命脈を保った上、能登や遠江をさらに得る。 天野景貫はこの一帯に広がっていた天野の、室町時代において遠江犬居城を与えられた天野氏の末裔である。この地は交通の要衝として非常に重要である。ただし、犬居が本当にこの天野氏の居城であったのかは不明な点があるとされる。
戦国初期、尾張を拠点として、三河、遠江に勢力を持っていた守護大名斯波と、駿河を拠点とする今川とが対立、天野氏は今川に属し、以後そのまま今川重臣として戦国時代中期にいたる。

景貫がいつ家督を継いだのかは不明である。
彼は戦働きが得意であったようで、1547年におきた三河攻略戦の中において田原本宿の戦にて軍功を上げ、感状を賜ったとされる。このとき遠江の奥山郷もあたえられたようである。
しかし、1560年に今川義元が桶狭間で討ち取られて以来凋落に向い、三河を徳川との争いで失った上、遠江もほぼ陥落する。 北遠江に位置する犬居城を持つ天野氏の位置は、駿河遠江間の街道が通っており、さらに遠江と信濃をもつなぐ要衝であった。
どうやら景貫はこの地を盾に徳川、武田両面に交渉していたようである。
1569年の今川滅亡後、即座に徳川に鞍替え、これに仕えるものの、1571年には武田が来襲。この軍門にあっさりくだり以後徳川攻めの案内役として活躍する。
しかし、武田信玄が死亡した上、1573年の長篠で武田勢が大敗すると次第に形成は織田と徳川に移り、1576年には徳川の攻撃で大敗する。
その後犬居城を離れて再度武田氏に仕えていたが、武田氏が滅亡すると北条氏直に仕えて佐竹氏との攻防戦に加わるが、1590年には北条氏が滅亡。
彼はその後どうなったか良くわかっていない。
また、彼の子孫はほかの天野氏に仕えたり、帰農(農民に戻る)したりで、その後はよくわかっていない。

彼は鎌倉以来の名門の出であり、また今川における重臣でもある。しかし、良くわかっていない人物である。そもそも遠江の天野氏自体の経歴がいまひとつ不明で、本当は居城が犬居城ではなく、その近くにあった山城であるという説すらもある(この説だと犬居城は、後に移ったことになる)。
理由は彼の仕えた家がことごとく滅亡したことによる散逸が原因であろう。滅亡した家の家臣は資料が少ないのは、彼だけに限ったことではない。移った家がことごとく滅亡したのは彼だけではない。戦国時代とはそういうものである。

その他情報

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