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勢力

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北条家

初期領有国

 相模武蔵(属国)

初期拠点

 小田原(本国相模)、川越(属国武蔵)

勢力ボーナス

 耐久力+2

〜部隊アイテムの詳細はこちら

布陣(部隊・配置)

敵陣占領後陣営


初期陣営

本陣

小荷駄

門前

北条門番精鋭 ほうじょうもんばんせいえい 60

後詰

  • 右翼
    遠山綱景 とおやま つなかげ Lv55 奉行
    笠原綱信 かさはら つなのぶ Lv50 奉行
  • 中翼
    北条綱成 ほうじょう つなしげ Lv55 奉行
    北条氏繁 ほうじょう うじしげ Lv50 目付
  • 左翼
    北条綱高 ほうじょう つなたか Lv55 目付
    福島勝広 くしま かつひろ Lv50 侍大将

中備

先鋒

敵陣先鋒

敵陣中備

敵陣後詰

留守番

フィールド

参考ページ

北条五代記(歴史)

北条家は伊勢宗瑞を祖とする戦国時代初期に現れた新興勢力である。
そのため鎌倉幕府の執権を務めた北条家とは縁はないとされる。なお家紋の三つ鱗は鎌倉執権家の家紋であり、北条に改めたときに流用したものである。

伊勢宗瑞はもともと浪人であり、その出自は諸説あるものの不明といって良い。有力なのは伊勢の浪人説であるが、確証はまったくといっていいほど無い。
始め今川家に仕えて今川家の内部抗争を抑えるなど功を上げ頭角を現した。その後伊豆足利家の内紛に乗じて伊豆に侵攻、瞬く間に支配する。ただしこのときもあくまで形式は今川家の配下である。
しかしながら徐々に勢力を拡大、伊勢宗瑞の治世の終わりごろにはほぼ完全な独立の状態になる。このときすでに伊豆と相模を領有している。

二代・氏綱の代に北条を名乗り始める。戦国自体というのは無秩序に戦が行われていたわけではなく、戦をおこなったり土地を治めたりするには大義名分が不可欠であった。それがこじつけであろうと有名無実であろうと、である。北条となのったのもこの大義名分を手に入れるためというのが強い。なお、北条早雲の名前はこのころに作られたもので、伊勢宗瑞本人が北条を名乗ったことは無い。
自身を鎌倉幕府執権家であった北条家の子孫であるとして、相模など関八州を治めるという大義名分を立てたのである。また、彼の代に北条家は本拠を韮山から小田原に移す。
さらには扇谷上杉家の居城の江戸城、里見氏の国府台を攻略するなど、武蔵、下総などに着々と版図を広げていった。

三代・氏康の代には関東の重鎮であった上杉家(扇谷上杉家、山内上杉家の両家)と古河公方の足利家を川越夜戦をはじめとする戦で勝利し、さらには川越城に攻撃をかけた扇谷上杉家を撃退して滅亡させた上、山内上杉家にも圧力をかける。
これに屈した山内上杉家当主上杉憲政は越後に逃走、長尾家当主長尾景虎に上杉姓と関東管領職を譲ることとなる。

彼の代には、かつて主君であった今川家と一時対立するも和睦し、甲斐の名門・武田家との婚姻を成立させ、駿三国同盟が成立する。そのため北条家は主に上野、房総などを平定していくことになる。
今ゲームの最初はおおよそこのころである。
なお、この後今川家の没落とそれにともなう武田家今川侵攻でこの同盟は崩壊することとなり、一時期武田家とは敵対、上杉家と同盟を結ぶ。

四代・氏政の代になっても着々と版図を拡大する。なお、彼の代になったときに父の遺言どおり武田家との同盟を回復(上杉家とは破棄)するも、その直後に起こった上杉家のお家騒動で自身の弟・景虎を支援する氏政景勝支持の武田勝頼との関係上、関係が悪化、ついには対峙するまでになる。
なお、彼の花押は武田に似たものであったが、このころから父祖に似たものに変えており、反武田の意思をあらわにする。このころ同時に信長にも接近する。

五代・氏直の代になっても氏政は隠居として実権を握っていた。彼が家督をついでまもなく信長が本能寺で死去、これに乗じて織田家の領地に攻め入っている。
彼の代になってもいまだ領地は増え続けていたのである。
しかし、その後中央では豊臣家の世となる。これには最後まで反抗、1590年の小田原征討で北条家は滅亡する。

一介の浪人から関東の覇者まで上り詰めた、まさに戦国時代を象徴する家であった。

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