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今川家

鵜殿長照 (ウドノナガテル)

撃破で岡部元信が弱体

レベル

60-7

戦闘開始時セリフ

○○?はっはっは!雑兵の名前など覚えておれぬわ!

職業

神主

防衛陣

小荷駄隊

構成

名前 職業 レベル 開始時付与 特徴
鵜殿長照 神主 60 ・結界
今川武者 55
駿河の上忍 忍者 55 奪命五連
駿府蹴鞠隊 陰陽師 55
駿河山伏 薬師 55
駿府繁忙鍛冶 鍛冶 55
善徳寺僧 55 後光

ドロップアイテム

列伝

蔵太郎。藤太郎とも伝わる。鵜殿長持の子。生年は不明。信長の野望では1533年としているが確証は皆無な上、これでは年齢的に少々無理が生じる(彼には子が二人おり、どちらも人質として扱える年齢であったとなれば、この年齢では無理が生じるのである)。
母は今川義元の妹にあたる人物である。

父から引き継いで西郡上ノ郷(神ノ郷、上郷とも。別名鵜殿城、宇土城ともある)城主であったが、父の経歴がいまひとつ不明なため城主であったかは疑問が残る上に確証がいまひとつない(そもそも長照自体が謎の多い人物である)。
今川義元が上洛するさいは尾張大高城を落とす戦功を上げる。その後同城を守っていたが、桶狭間で義元が死亡してしまったために撤退した。

1560年に家康が今川氏が放棄した岡崎城にはいり、実質的に今川に対して反旗を翻すと三河の今川勢力は大きく後退、多くの勢力は徳川についた。
しかし、彼は今川を継いだ今川氏真とは従兄弟の関係であったため、今川に属していた。そのため異父兄弟であった松平清善と、その後ろ盾であった家康と対立する。
余談ではあるが家康の居城である岡崎と彼の居城である上ノ郷は、岡崎からみてちょうど真南にあり、30km程度しか離れていない。そのため、家康にとってもこの地に今川勢がいるのはよろしいことではなかったことは、想像に難くない。
しかし本家であった長照ら以外の鵜殿氏はほとんどが傍観を決め込み、一族からも孤立してしまう。

1562年には家康が今川と断交。これによって鵜殿は対徳川の最前線となり、居城に籠もり家康と戦った。
最初鵜殿勢は堅牢であった城を盾によく守ったが、家康は忍者を投入し城に火を放った。これによって上ノ郷は落城し、長照は討ち死にする。
しかし、一説では長照はつかまり、人質となっていた家康の妻と子供に対する交換条件として今川に引き渡されたとも言われており、定かではない。
また、このときの交換要員となったのは長照の子である氏長と氏次とも言われており定かではない。実際のところこちら2人が有力であると考えられており、長照は討ち死にしたと見られる。

どちらにせよ、この鵜殿を質とすることで、家康が家族を取り戻し、今川の優位性を一気に突き崩したことは事実である。

その他情報

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