「石巻康敬」(2007/06/13 (水) 05:18:52) の最新版変更点
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【[[北条家]]】
*&ruby(イシマキヤスマサ){石巻康敬}; [#e3169d1a]
**レベル [#ua3842c1]
45-7
**構成 [#n9d84d74]
|CENTER:名前|CENTER:種類|CENTER:レベル|CENTER:初期付与|CENTER:使用技|
|CENTER:石巻康敬|CENTER:斧侍|CENTER:45||CENTER:[[一所懸命]]、連撃改系|
|CENTER:浅草寺僧|CENTER:僧|CENTER:40|||
|CENTER:風魔下忍|CENTER:忍者|CENTER:40|||
|CENTER:伊豆衆新兵|CENTER:陰陽師|CENTER:40|||
|CENTER:鶴ヶ岡弓兵|CENTER:神主|CENTER:40|||
|CENTER:武蔵鍛冶|CENTER:鍛冶|CENTER:40|||
|CENTER:武蔵野薬売り|CENTER:薬師|CENTER:40|||
**特徴詳細 [#aacb7ae8]
**ドロップアイテム [#u4d7747f]
[[石割]]
**列伝 [#b0af6b7e]
石巻家貞の子。彦六郎、左馬允、のちに下野守を名乗る。五太夫とも。号は幻庵。生年は1534年とされる。
石巻姓をもつ人物は北条家には数多くおり、彼もその一人である、。石巻氏は三河国八名郡石巻郷を発祥とする一族である。伊勢宗瑞(北条早雲)が今川家に仕えていたころ、今川勢の先陣として三河に出陣した際に仕えたと考えられている。御馬廻衆に列せられ相模西郡飯田や伊豆爍山などに役301貫を知行していたが賦課されていなかったようである。そのためか、各人が個別に知行を持っている。
1579年ごろに兄康保が没すると家督を継ぐ。御馬廻衆に列せられ伊豆奈古屋に80貫を知行していた。~
評定衆や奏者・普請奉行をつとめた官僚であり、これは父、兄から引き続きである。~
小田原征討では、その発端である名胡桃事件([[猪俣邦憲]]が名胡桃城を落城させた事件)の弁明のために1589年に秀吉の下に赴くが、その帰路で駿河国沼津三枚橋城に監禁されてしまう。~
その後1590年に北条氏は滅亡、相模国鎌倉郡中田に蟄居するが、後家康に仕えて同地に知行を与えられ、旗本格として待遇を受けその子孫は幕末まで続くことになる。~
なお、彼の知行地にある中田寺は康敬が開祖とされている。墓も同地にある。
**その他情報 [#y8169bf6]
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