「赤尾清綱」(2007/06/13 (水) 05:15:53) の最新版変更点
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CENTER:【[[浅井家]]】
*赤尾清綱 [#c3d07c78]
あかお きよつな
**レベル [#ye0f98df]
60:7体
**職業 [#bd8ce347]
薬師
**合戦陣配置 [#p2d63a8e]
[[浅井家]]・本陣四天王
**戦闘開始時台詞 [#o2fcf69e]
浅井家海赤雨三将が一人。
赤尾清綱とはわしのこと!
手加減はせぬぞ!
いくぞ!
鍛えに鍛えた我が将兵よ!
すべては今この時のためぞ!
○○○○だと?
まだわしに勝てぬことが
わからぬのか!
**構成 [#mef0fa83]
|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){名前}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){職種}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){レベル}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){初期付与}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){使用技}|
|>|>|CENTER:|||c
|BGCOLOR(#e6e6fa):赤尾清綱|BGCOLOR(#e6e6fa):懐剣薬|BGCOLOR(#e6e6fa):60|BGCOLOR(#e6e6fa):&color(blue){▲};&color(white){▲}; 再生|BGCOLOR(#e6e6fa):[[武運長久]]、[[速効活力・弐]]、[[活力]]、[[凶風]]、[[凶風・弐]]、[[禁呪]]、[[苦悶の霧]]、[[難治撃]]、[[蘇生・壱]]、急所狙い|
|浅井精兵|一刀侍|55||[[三>三連撃・改]][[〜>四連撃・改]][[五連撃・改]]、[[一所懸命]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[全体看破・弐]]、[[蘇生・壱]]、一刀流、守護術|
|BGCOLOR(#e6e6fa):国友精兵|BGCOLOR(#e6e6fa):連銃鍛|BGCOLOR(#e6e6fa):55|BGCOLOR(#e6e6fa):|BGCOLOR(#e6e6fa):[[三段撃ち]]、[[雨よけ]]、[[陽動]]、[[蘇生・壱]]、守護術|
|殿原衆精鋭|懐剣陰|55|結界|[[光芒・華]]、各属性術・四、[[低速化・参]]、[[暗黒・参]]、[[気合呪霧・壱]]|
|BGCOLOR(#e6e6fa):竹生島神官|BGCOLOR(#e6e6fa):宝剣神主|BGCOLOR(#e6e6fa):55|BGCOLOR(#e6e6fa):反射結界|BGCOLOR(#e6e6fa):[[詠唱の韻・極]]、[[気合の韻・参]]、[[攻撃付与・参]]|
|甲賀中忍|一刀忍|55||各属性遁術・極、[[三>三連撃]][[〜>四連撃]][[五連撃]]、[[奪命三>奪命三連]][[〜>奪命四連]][[五連>奪命五連]]|
|BGCOLOR(#e6e6fa):徳勝寺高僧|BGCOLOR(#e6e6fa):懐剣僧|BGCOLOR(#e6e6fa):55|BGCOLOR(#e6e6fa):反射結界|BGCOLOR(#e6e6fa):[[凍気・参]]〜[[四>凍気・四]]、[[帰依]]、[[霧散]]、急所狙い|
**特徴・詳細 [#qaf4c0e5]
-撃破すると[[浅井久政]]を弱体化
-[[藤堂高虎]]撃破で5体に弱体化
**部隊アイテム [#r34d7c45]
-[[赤尾隊陣羽織]]
**ドロップアイテム [#vbd8ae71]
-[[美作守陣羽織]]
-[[医術・七改]]
**武将列伝 [#k2cab739]
孫三郎、美作守と称す。[[浅井家]]三代に仕えた功臣。浅井三将(海赤雨三将)の一人。小谷城内に赤尾曲輪を設ける。父・駿河守が初代・亮政の旗揚げより[[浅井家]]に従っており、清綱も元服時より[[浅井家]]に仕えた。~
幼少の頃より長刀の使い手として勇名を馳せ、武勇近隣に響くが、二代目・[[久政>浅井久政]]とは不和だったようである。[[六角氏>六角一族の屋敷]]との戦に敗戦した後、[[久政>浅井久政]]が家臣達に向かって、~
「先代・亮政の時は、伊部、大橋、海赤雨その他の大名分は申すまでもなく敵に幾度向かっても一方打破らずということなく他国までその勇名をとどろかしたるも、今は老いたる所以か、おくれを取りたるもの、今度の軍に江南勢に破らるるは偏に江北の侍も老いたり」~
と言い終わらぬ内に赤尾美作守清綱が進み出て荒々しく言った、~
「とかく武者と鷹は使い手に依るものにて軍兵のわざにては更になし。大将によるものにて候、今も先代・亮政公ほどの大将ならば我々も古えに気力少しも劣るものにこれ無く候えども、大将が武者の使いようを御存じなき故おくれを取り恥ずかしく候」~
と荒言した為、[[久政>浅井久政]]も言葉がなかったという。家臣の中には大将に恥辱を与えるとはと非難するものもあったが、大半の[[浅井家]]の武将達も[[久政>浅井久政]]に対して同様の意見であったようである。~
永禄3年頃には宿敵であった[[六角氏>六角一族の屋敷]]に対して臣従の形をとる[[久政>浅井久政]]に愛想を尽かし、初代亮政の再来と将来を嘱望された[[長政>浅井長政]]に家督を譲らせようと、[[久政>浅井久政]]が鷹狩の隙に本丸に[[長政>浅井長政]]を移し、[[久政>浅井久政]]を隠居させた人物の中に清綱の名があるのは当然の成り行きであろう。~
[[長政>浅井長政]]家督相続後は、[[浅井家]]顧問格として武者奉行を務め、野良田の合戦には遊軍として参加している。~
永禄6年の[[美濃]]出陣に際しては[[斎藤軍>斎藤家]]を打ち破るも、[[六角軍>六角一族の屋敷]]が背後の佐和山城を急襲したため、全軍引き返すこととなったが、殿軍に悩む[[長政>浅井長政]]に対し、~
「今度殿儀御心やすく思し召せ。一刻も早く人数引取給うべし。我等五百の勢を以ってこの役果たし申さん」~
と殿軍引き受け、駈けては引き、引いては駈けの絶妙の用兵で、撤退しながら[[美濃]]勢を散々に打ち破り、見事に役割を果たしている。~
その後、主たる戦に清綱の名は見えないが、これは老齢の為、[[小谷城>小谷]]守備に当たったからであろう。最後は[[小谷城>小谷]]落城まで[[浅井家]]に忠節を尽くし、[[長政>浅井長政]]が赤尾屋敷にて自刃する折も、主君の最後を邪魔させまいと自ら防戦に当たり[[信長軍>織田家]]に生け捕られた。~
後に[[信長>織田信長]]は捕虜となった清綱を呼び寄せ、~
「汝は昔より鬼の如く聞こえる者なるが、如何して遅れたるよ」~
「兎角老耄の所為、今は何をか申さん只早くいとまたまえかし」~
「汝は老人のこと、汝のせがれ新兵衛は助け置き、我取立てて遣わすべし」~
「汝、[[信長>織田信長]]にだまされて悪びれまいぞ」~
「老いぼれめ、我空言はくとおもうや」~
かくて清綱は誅されたが、嫡男・新兵衛は後々まで誉れある武者となったという。~
清綱を筆頭に武勇近隣に鳴り響く多くの武将達が、[[浅井家]]に最後まで忠節を尽くしたことは、[[長政>浅井長政]]が魅力ある大将であったことを示し、また彼等の潔い死が逸話として残り、現代に伝わる事は裏切りや下克上の横行する戦国にも、君臣の忠義の存在を重く伝えるものであろう。~
**情報募集中! [#e0e751fc]
-赤尾固有技→難治撃(鎧通しで致命傷あり) -- &new{2005-09-21 (水) 12:40:44};
-甲賀中忍→遁術各種 -- &new{2005-09-21 (水) 12:42:43};
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