「浅井久政」(2007/06/13 (水) 05:06:52) の最新版変更点
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CENTER:【[[浅井家]]】
*浅井久政 [#z5374d55]
あざい ひさまさ
**レベル [#he3385ab]
65:7体
**職業 [#q57a9b36]
神主
**合戦陣配置 [#w4403838]
[[浅井家]]・本陣軍師
**戦闘開始時台詞 [#le046355]
ふふふ。はっはっは!
わしは帰ってきた!
合戦にわしは帰ってきたぞお!
長政よ。許せ。
父はお主より一足先に逝く。
さぁ、道連れを探すか……。
○○○○?
お主のような若造が合戦に
出てくる時代とはな……。
○○○○!
わしに勝てぬお主が、長政に
勝てるわけがなかろう?
**構成 [#ud10d4ac]
|>|>|CENTER:|||c
|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){名前}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){職種}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){レベル}|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){初期付与}|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){使用技}|
|BGCOLOR(#e6e6fa):浅井久政|BGCOLOR(#e6e6fa):弓神主|BGCOLOR(#e6e6fa):65|BGCOLOR(#e6e6fa):&color(gray){▲}; 反射結界|BGCOLOR(#e6e6fa):[[点破]]、[[狂風]]、[[雷撃・参]]、[[嵐撃・参]]、[[詠唱の韻・極]]、[[防御付与・参]]、[[死の誘い]]、[[蘇生・壱]]|
|&ruby(あざいますらお){浅井益荒男};|一刀侍|60||[[三>三連撃・改]][[〜>四連撃・改]][[五連撃・改]]、[[一所懸命]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[蘇生・壱]]、守護術、反撃術、一刀流|
|BGCOLOR(#e6e6fa):国友精兵|BGCOLOR(#e6e6fa):連銃鍛|BGCOLOR(#e6e6fa):60|CENTER:BGCOLOR(#e6e6fa):|BGCOLOR(#e6e6fa):[[三段撃ち]]、[[狙撃]]、[[雨よけ]]、[[陽動]]、[[仕掛け鎧・弐]]、[[蘇生・壱]]、守護術|
|殿原衆精鋭|懐剣陰|60|結界|各属性術・四、[[呪縛・参]]、[[低速化・参]]、[[暗黒・参]]、陰陽道壱攻撃術、急所狙い|
|BGCOLOR(#e6e6fa):伊吹山山伏|BGCOLOR(#e6e6fa):懐剣薬|BGCOLOR(#e6e6fa):60|BGCOLOR(#e6e6fa):再生|BGCOLOR(#e6e6fa):[[霧散]]、[[蘇生・壱]]、急所狙い|
|&ruby(たなべしきぶのじょう){田辺式部丞};|一刀忍|60||[[三>三連撃]][[〜>四連撃]][[五連撃]]、各種遁|
|BGCOLOR(#e6e6fa):徳勝寺住持|BGCOLOR(#e6e6fa):槍僧|BGCOLOR(#e6e6fa):60|BGCOLOR(#e6e6fa):反射結界|BGCOLOR(#e6e6fa):[[紅蓮・参]]、[[凍気・参]]、[[気合撃・壱]][[〜>気合撃・弐]][[参>気合撃・参]]|
**特徴・詳細 [#e165ed72]
-撃破すると[[浅井長政]]を5体に弱体化
-[[海北綱親]]、[[遠藤直経]]、[[赤尾清綱]]、[[雨森弥兵衛]]撃破で最大5体まで弱体化
-1の点破は後衛に抜けると即死、1の攻撃力は1000程度
**部隊アイテム [#ld414b0a]
-[[近江の長弓]]
**ドロップアイテム [#t1d4bc1a]
-[[久政の長弓]]
**武将列伝 [#ycd4f712]
[[浅井家]]当主。左兵衛尉。下野守。今作では大名である[[浅井長政]]の父。大永6年(1526)生まれの説が有力。
[[浅井氏>浅井家]]は[[北近江>近江]]の3郡を領地としており、[[越前]]の名門である[[朝倉氏>朝倉家]]との長期的な同盟関係によって領域を保っていた。
天文11年(1542)、父亮政の死を受けて家督を次ぐ。以前から[[浅井家]]は[[南近江>近江]]の観音寺城に本拠を構える[[六角氏>六角一族の屋敷]]から圧力を受け続けていた。
~[[六角氏>六角一族の屋敷]]は室町幕府9代将軍・足利義尚、10代・義植らの討伐を失敗させるなど、将軍家とのかかわりが以前より深く、12代・義晴擁立などもあり、中央との関係が非常に深かった。さらには13代・[[義輝>足利義輝]]の擁立にも協力したため、それをたてに[[六角氏>六角一族の屋敷]]は勢力を拡大していた。
久政が家督を継いだのはちょうどそのころであった。彼の治世中、[[浅井家]]は常に[[六角氏>六角一族の屋敷]]からの圧力を受け続け、さらには彼の代になると京極氏からも圧力を受けるようになり、彼はこの圧力に屈してしまい、[[浅井家]]は実質的な[[六角氏>六角一族の屋敷]]傘下になってしまう。~
これに不満を持った家臣団は彼に家督を息子・[[長政>浅井長政]]に譲るように強要、これに押され彼は家督を譲る。つまるところ当主失格とされたのである。永禄3年(1560)のことであった。
彼の業績は領国支配などの確立はしているものの、総じて評価は低い。
天正元年(1573)、[[織田信長]]に反旗を翻していた[[浅井家]]は[[小谷城>小谷]]が落城し滅亡、彼もこれに殉じて自害した。
**情報募集中! [#l94c5932]
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