「富永直勝」(2007/06/13 (水) 02:57:53) の最新版変更点
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*&ruby(トミナガ ナオカツ){富永直勝}; [#q2c545b5]
**レベル [#y7f938bb]
50-7
**合戦配置 [#c5fe1ec6]
[[北条家]]左中主将
**戦闘開始時台詞 [#c6c06453]
北条家の誇る不敗の陣立!~
五色備の青を司る~
富永直勝がお相手しよう!~
**構成 [#w8f4dc85]
|CENTER:名前|CENTER:職業|CENTER:レベル|CENTER:初期付与|CENTER:使用技|
|CENTER:富永直勝|CENTER:薬|CENTER:50|&color(gray){▲};|CENTER:[[五色備の冷気]]、[[速効活力・弐]]、[[難治撃]]、[[凶風]]|
|CENTER:川越衆精兵|CENTER:侍|CENTER:45||CENTER:|
|CENTER:小田原石工|CENTER:鍛冶|CENTER:45||CENTER:|
|CENTER:伊豆衆闘兵|CENTER:陰陽|CENTER:45||CENTER:|
|CENTER:鶴ヶ岡神官|CENTER:神主|CENTER:45||CENTER:|
|CENTER:風魔中忍|CENTER:忍者|CENTER:45||CENTER:|
|CENTER:修善寺僧|CENTER:僧侶|CENTER:45||CENTER:|
**備考 [#u69f4d1e]
-撃破すると、[[内藤綱秀]]、[[福島勝広]]を弱体化
-[[清水康英]]、[[内藤綱秀]]撃破で弱体化
**ドロップアイテム [#oe5686b8]
-[[五色備えの青胴]]
-[[五色備えの角帽]]
**列伝 [#k4d30163]
富永政直の子。実勝、政家、岩千代、神四郎、四郎左衛門。弥四郎とも伝わる。1509年の生まれ。
富永氏は伊豆の国人で現在の田方郡土肥町にある丸山城を根拠地としていた。~
富永氏は1491年、伊勢宗瑞(北条早雲)の代に軍門に下ったため北条家の中では古参中の古参である。一族では富永山随がもっとも有名(この人物は直勝からみると叔父に当たるという)。またこの一族は水軍的な色も強く持っていたので北条家海賊衆に列せられている(当時は海賊=水軍を指す)。
彼は軍門に下って以来の領地である伊豆西土肥に加え相模西郡飯田など1383貫を知行しており、これは北条家でも一門を除くと最高クラスの知行量である(一門でもあり家中最大の[[北条幻庵]]でさえ約5000貫)。そのため5家老の一人に列せられている(これは父の代からの継続である)。~
北条家の五色備えは5家老がそれぞれ率いており、彼はそれの青を率いていた。
また、彼は小田原衆所領役帳の江戸衆の中にある富永弥四郎と同一人物とされているも確証はいまひとつである。富永弥四郎は江戸城副将格(江戸城代格)でもあった。江戸城は重要地であり、城代には3人が列せられ、他には[[遠山綱景]]といった遠山家と、[[太田康資]]といった太田家が入っている。
里見氏から奪った下総葛西城代に任命される。
1564年の第二次国府台合戦の際に先方を務めるものの討死。彼は江戸城代として入っていたが、同じ位にあった太田康資の寝返りを察知できなかったのに負い目を感じて、北条綱成が率いる本隊よりもかなり先行して江戸川を渡河、そのため里見氏の反撃を受けたという。~
これにより、北条方が当初予定していた、里見と反目していた千葉氏に後ろを付かせる挟撃策は破綻してしまう(ただし、これにより主力を温存できた北条方は、撤退を装って里見氏を油断させるとともに、この両名を討ち取った功で酒を振舞っていた里見陣を奇襲。大勝利を収めた)。
彼自身の資料は北条家重臣でありながら非常に少ない。北条家一般に言えることであるが、滅亡時の混乱が原因であると考えられる。
**その他情報 [#d7789716]
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