「北条幻庵」(2007/06/13 (水) 02:30:53) の最新版変更点
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CENTER:【[[北条家]]】
*&ruby(ホウジョウ ゲンアン){北条幻庵}; [#bc216232]
**レベル [#ld01531d]
65:7体
**職業 [#h0b097c3]
僧
**合戦陣配置 [#jfec0102]
[[北条家]]・本陣軍師
**戦闘開始時台詞 [#ub031b83]
……
……
はっ!?敵襲ぞ、出合え!
**構成 [#kf6c56ad]
|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){名前}|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){職種}|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){レベル}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){初期付与}|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){使用技}|
|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):北条幻庵|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):薙刀僧|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):65|BGCOLOR(#bfefdf):&color(gray){▲};|BGCOLOR(#bfefdf):[[早雲の加護]]、[[天部光輪]]、[[天部光輪・弐]]、[[紫電一閃]]、[[僧兵連撃・改]]、[[蘇生・壱]]|
|CENTER:北条氏尭|CENTER:一刀侍|CENTER:60||[[一所懸命・極]]、[[三>三連撃・改]][[〜>四連撃・改]][[五連撃・改]]、沈黙の霧、[[霧散霧消]]、[[大音声]]|
|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):風魔手練れ|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):懐剣二刀忍|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):60|BGCOLOR(#bfefdf):|BGCOLOR(#bfefdf):[[奪命三>奪命三連]][[〜>奪命四連]][[五連>奪命五連]]、[[瞬殺閃]]、[[神力両断・改]]、各遁術・極、[[もっこ]]|
|CENTER:伊豆衆精鋭|CENTER:陰陽|CENTER:60||CENTER:|
|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):箱根山宮司|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):神主|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):60|BGCOLOR(#bfefdf):|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):|
|CENTER:相模鍛冶|CENTER:鉄砲鍛|CENTER:60||CENTER:|
|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):箱根山山伏|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):薬師|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):60|BGCOLOR(#bfefdf):|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):|
**特徴・詳細 [#pda82abe]
-撃破すると[[北条氏康]]を5体に弱体化
-[[北条氏政]]、[[北条氏照]]、[[北条氏規]]、[[北条氏邦]]撃破で5体まで弱体化
-幻庵の天部光輪・弐は破魔光グラ、全体2000〜のダメージ
-氏尭の強さは後陣侍武将クラス
-風魔手練れは回避反撃率が非常に高く、奪命五連で盾侍に3000程度
-準備動作中に高確率で風魔手練れのもっこか瞬殺閃が飛んでくる
**部隊アイテム [#xd623755]
-[[一節切]]
**ドロップアイテム [#t4cad4c3]
-[[長寿の秘本]]
**武将列伝 [#m8b9c1b6]
伊勢新九郎宗瑞(北条早雲)の三男。名は長綱。宗哲。
出生は1493年といわれておりこれが一般であるが1504〜10年ごろという説も存在する。
今ゲームでの北条家当主・[[北条氏康]]は彼の兄・北条氏綱の子であり、[[氏康>北条氏康]]から見ると叔父甥の関係である。~
幼名のころよりすでに寺に入り、1524年に出家して箱根権現別当についたとされているが、俗体のままついたという説もある。なお、出家した場合は名の長綱は法名となる。
1536年、箱根権現別当を辞し、政務に携わり始める。このときは還俗しなかったらしくそのまま長綱と名乗っていた(このときの名を俗名とするならば、1524年には出家していないことになる)。~
その後、幻庵宗哲を名乗る。なお1524年に出家していない説をとると、いつ出家したのかは不明となる。ここは長綱が俗名と法名をかねており、読みが変わっただけと見るのが良いのかもしれない。
彼の知行・5412貫は[[北条家]]最大の知行量である。治めていたのは、[[相模]]中郡及び[[武蔵]]小机一帯であったが、1555〜7年ごろに[[氏康>北条氏康]]の弟であり、自分が後見人を勤めていた氏堯と自分の息子達にこれを相続させるも、長男・三郎、次男・氏信、三男・長順が相次いで死亡してしまう。~
それからしばらくして[[氏康>北条氏康]]の七男で彼の婿養子となっていた氏秀(後の[[上杉景虎]])が[[上杉家]]に養子に行ってしまったので次男・氏信の子、氏隆に相続させている。
彼のエピソードとして有名なのは[[氏康>北条氏康]]の娘・?松院が吉良氏朝に嫁ぐさいに渡した「幻庵おぼへ書」である。
彼の最期は1589年没説が強い。しかしこれは[[北条五代記]]に記されているものであり(これは軍記類の色が強い)、書簡などからは1582年で姿を消している。なお、通説どおりの生没年だと九十七歳没となり、これは当時としては(いまでもかなりのものではあるが)驚異的な長寿である。
彼は父・早雲、兄・氏綱、甥・[[氏康>北条氏康]]、そして[[氏政>北条氏政]]、氏直と[[北条家]]五代すべてにかかわっており、まさに[[北条家]]の屋台骨であった。また、詩や古典にも造詣が深く、当時は田舎の関東において一流の文化人であった。[[北条家]]が滅亡するのは彼の死から一年後、1590年のことであった…
**情報募集中! [#l94c5932]
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