「北条氏康」(2007/06/13 (水) 02:30:53) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
#ref(北条三つ鱗.gif,center)
【[[北条家]]】
*&ruby(ホウジョウウジヤス){北条氏康}; [#bc216232]
**レベル [#c6a6a260]
70:7体
**職業 [#p0b6b373]
侍
**合戦陣配置 [#jfec0102]
[[北条家]]・本陣総大将
**戦闘開始時台詞 [#z2dcf6ee]
我が北条家の印文は虎!
越後と甲斐の龍虎を退けし
関東の虎の力思い知れ!
はっはっは!
わしが北条家当主の氏康!
お主の力見せてみよ!
○○○○と申すのか。
よい面構えじゃ!お主には
虎の一撃を進呈しよう!
○○○○よ、また来たか。
我が北条一門に刃向かった
愚かさにまだ気づかんか!
**構成 [#kf6c56ad]
|>|>|CENTER:|||c
|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){名前}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){職種}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){レベル}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){初期付与}|BGCOLOR(#000000):COLOR(#ffffff){使用技}|
|BGCOLOR(#bfefdf):北条氏康|BGCOLOR(#bfefdf):槍侍|BGCOLOR(#bfefdf):70|BGCOLOR(#bfefdf):|BGCOLOR(#bfefdf):[[三>三連撃・改]][[〜>四連撃・改]][[五連撃・改]]、[[看破]]、[[大音声]]、[[蘇生・壱]]|
|狩野一庵|薙刀僧|65|反射結界|[[後光]]、[[紅蓮・参]]〜[[四>紅蓮・四]]、[[凍気・参]]〜[[四>凍気・四]]、[[高速化・参]]、[[気合撃・壱]][[〜>気合撃・弐]][[参>気合撃・参]]、[[蘇生・壱]]|
|BGCOLOR(#bfefdf):北条氏忠|BGCOLOR(#bfefdf):懐剣一刀忍|BGCOLOR(#bfefdf):65|CENTER:BGCOLOR(#bfefdf):|BGCOLOR(#bfefdf):[[奪命三>奪命三連]][[〜>奪命四連]][[五連>奪命五連]]、[[手裏剣乱射]]、[[看破]]、[[霧散]]、[[蘇生・壱]]|
|太田氏房|懐剣陰|65|結界|各種術・四、[[暗黒・参]]、[[低速化・参]]、[[気合呪霧・壱]]、[[蘇生・壱]]|
|BGCOLOR(#bfefdf):北条氏盛|BGCOLOR(#bfefdf):弓神主|BGCOLOR(#bfefdf):65|BGCOLOR(#bfefdf):反射結界|BGCOLOR(#bfefdf):[[詠唱の韻・極]]、[[防御の韻・参]]、[[子守歌]]|
|石工善衛門|鉄砲鍛|65||[[三段撃ち]]、[[蘇生・壱]]|
|BGCOLOR(#bfefdf):大藤政信|BGCOLOR(#bfefdf):杖薬師|BGCOLOR(#bfefdf):65|BGCOLOR(#bfefdf):再生|BGCOLOR(#bfefdf):[[攻撃呪詛・参]]、[[防御呪詛・参]]、[[禁呪]]、[[蘇生・壱]]|
**特徴・詳細 [#pda82abe]
-[[北条幻庵]]撃破で5体に弱体化
-氏康、氏忠の攻撃は極み鍛冶屋以外即死級ダメージ
-狩野、大藤の通常攻撃は1000前後のダメージ
**部隊アイテム [#sa26f92d]
-[[北条虎印判]]
**ドロップアイテム [#i8606482]
-[[北条五代記]]
**武将列伝 [#m22237ef]
[[後北条家>北条家]]の祖・北条早雲(伊勢新九郎宗瑞)の孫にあたり、[[後北条家>北条家]]の三代目当主。
[[上杉謙信]]、[[武田信玄]]などと互角に渡り合った名将で、特に政治能力に優れていた。
祖父・早雲が築き、父・氏綱が地盤を整えた[[後北条家>北条家]]は三代目・氏康によって完成する。
検地、貨幣整備、伝馬制(公用で使う馬の調達制度)や水運の整備などを行う。
度重なる戦で攻められる事となった居城・[[小田原城>小田原]]を改修し、難攻不落の名城に築き上げた。
[[北条家]]は家訓に民をいたわる様にというような事があり、税金が安く四公六民(四割を国が、六割を民が)という税金高であった。
しかも米のまま納められるのではなく、農民達が納めた米が税金として届くときには貨幣となって届くシステムが成立させていた。
戦場にあっては「氏康の向疵(むこうきず)」と呼ばれ、生涯三十六回の合戦で一度も敵に背を向けず受けた傷は全て身体の前側、すなわち、「向疵」であったと言われている。
そして極めつけは、八万にも昇る軍勢で[[北条綱成]]の篭る[[川越城>川越]]を包囲した山内上杉家連合の軍勢を、わずか十分の一の八千の軍勢で夜襲をかけ撃退するという離れ業。後に「[[川越夜戦>入間川]]」と呼ばれるこの合戦で氏康はその武名を世に知らしめることとなった。~
また武辺だけではなく晩年の勝海舟の語録には、[[小田原]]では江戸時代を経た今でも未だに[[北条家]]の善政の威徳が語られ、敬われているという記録が残っているらしい。
**情報募集中! [#s47d78de]
-窺天魔王からですが『北条五代記』ドロップしました。 -- [[テスト民]] &new{2006-06-20 (火) 13:34:32};
-氏康には術耐性があるもよう。どうやら宇佐美のように術ダメ0といった感じですw -- [[テスト鯖の生足おんみょー]] &new{2006-10-17 (火) 22:02:31};
#comment
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: