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長い年月を経て、落ち着いた色合いに変化した調度品たちの中で、厚みのあるピンク色だけが鮮やかに揺れていた。

「どうぞおあがりください」
「じゃ、お邪魔します」

玄関で俺を出迎えたふみ子さんに先導されるようにして、リビングへ足を踏み入れた俺の視界が真っ先に捉えたのは、バラだ。
卓上に置かれた白くシンプルな花瓶に活けられたその花は、質実とした部屋の中に鮮やかな色どりを加えていた。

「お茶を入れてきますね」

ふみ子さんは、そう言い残すと、キッチンへ姿を消した。
俺が、彼女にこのバラを贈ったのは、だいたい二週間前のことだ。


その日も、今日と同じように、彼女の自宅へ遊びに行く予定だった。
だけど約束より少し早く着いてしまいそうになり、時間を調整するためにたまたま立ち寄ったのが、フラワーショップだった。
そこで見つけたのがこのバラだ。
華やかな印象の強い種にしては幾分落ち着いた色の花びらが気に入って、店員にそのバラを中心に少し葉を加えただけの、シンプルな花束を仕立ててもらった。
購入のきっかけも、女性への花束にバラを選んだことも、実に短絡的だと自分でも思う。
だけど、なんとなくふみ子さんに対しては、そういう単純な行動が赦されると感じている。
それはもちろん、彼女を軽んじているからではない。ただ、彼女に対しては、余計なことを画策する必要がないのだと、むしろそのほうが良いのだと学んだのだ。
その後、インターホンに応じて玄関を開けたふみ子さんは、案の定俺が携えている花束に驚いた様だった。
どうされたんですか、こんな高価なもの受け取れませんよと、ひとしきり彼女お決まりの困惑と遠慮の言葉をぐるぐると聞かされたが、それでも最後には、少し照れた顔で受けとってくれた。
……それからすぐに、店員が綺麗にラッピングした包装があっという間に取り外され、花たちは洗面所の水を張ったタライの中に直行させられたのには、少し諸行無常を感じたけど。

「お待たせしました」

バラを眺めながら先々週のことを思い出しているうちに、ふみ子さんがお盆に急須と湯呑みをのせてリビングに戻ってきた。

「このバラ、俺が以前プレゼントしたものですよね?」
「そうですよ」

お茶請けにと用意された彼女特製のおはぎを口にしながら、目の前の花瓶の花を話題に上らせてみた。
ふみ子さんは少しくすぐったそうに微笑んで、俺の問いを肯定する。

「毎日花瓶のお水を替えていたら、こんなに長持ちしてくれています」

何気なく彼女が口にした台詞のいじらしさに、思わず胸中で頬を緩ませる。相変わらずこの人は、健気というか、律儀というか。
軽い気持ちで送った花に、そこまでわざわざ手間をかけてくれているのは、男冥利につきる話である。

「おや。毎日、花瓶の水を取り替えていてくれてるんですか」

本人はその言葉が暗示する意味には気付いてないんだろうと、わざとおうむ返しに聞き返してみる。
きっといつもみたいに頬を薄く赤らめて、別に良いじゃないですかと唇をとがらせるに違いない。
しかし、俺の予想に反して、彼女の表情は揺らがなかった。

「ええ。だって、神戸さんがくださったお花ですよ?」

雨が降りそうだったので洗濯物をとりこんでおきましたよ、と言うのと全く同じ調子で、ふみ子さんは応えた。
理知的で落ち着いた物腰の彼女がときどき見せる、まるで無垢な少女の様な控えめな大胆さに面食らった俺は、変にどぎまぎしてしまって視線を泳がした。
余計なことを考えないほうがいい、と判っているのに、俺の頭は、勝手にどこかで覚えたバラの花言葉の一つを連想し、いつでも口に出せるような用意までしていた。
花言葉なんてものは一つの種類にいくつもの言葉があるから、いくら文の道に造詣が深いふみ子さんでも、全ては把握していないだろう。
だから、愛の象徴として持て囃されているバラに、こんな言葉があることを、彼女が知っている可能性は低いし、知らないでいてほしいとも思う。

わたしは あなたに ふさわしい。

俺が贈った花の世話、という行為を、毎日の生活の中で選んでくれている彼女の姿は、まるで、その言葉を肯定してくれているように思えてくる、だなんて。
そんな女々しいことを考えてしまうなんて、俺はきっと疲れてるんだろう。ここ数カ月のいざこざを思い、胸中でため息をついた。
無粋なことを口走りそうになる、おはぎで甘くなった口の中に、少し渋い緑茶を流し込んだ。