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ゆうべ、口づけされる夢をみた。
夢の中の私は、床にしゃがんで泣いていた。
その側に、彼がひざまづき、涙で湿った私の唇にキスをする。
前後の状況こそ覚えてないものの、私の頬に掌をあて、互いの唇を触れ合わせるその動きはとても自然で、夢の中とはいえ少し感心してしまったのだ。



「どうしました、ふみ子さん」

ふいに、厚みのある穏やかな声が耳を打つ。決して大きな声量ではなかったが、日が沈んで久しく、人足も絶えて暗く静まり返った公園に、その声はよく響いた。
夜、二人で一緒にごはんを食べた帰り道。神戸さんから、少し夜風にあたりませんかと誘われて、近場の公園を並んで散歩していた。
ぽつぽつと浮かぶままにやりとりしていた会話が途切れた隙に、ふと思い出した事に集中してしまっていたようだ。
無意識に動かしていた足を反射的に止めて顔を上げると、神戸さんがこちらの表情を覗っていた。
少し遠くにある街灯の白い光に照らされた涼しげな目元に湛えられた微笑みが眩しくて、どきりとしてしまう。

「いえ、ちょっと」

そのまま目を合わせていたら、その切れ長の瞳に胸の高鳴りまで見透かされてしまいそうで、つい視線を外した。
思考に没頭すると外からの刺激に疎くなる癖を、いい加減治さなくては。
心のうちで自戒していても、もちろんそのまま見逃してもらえるはずもなく、神戸さんは笑いながらさらに問うてきた。

「今、何を考えてたんです」
「いや、その……」
「気になるじゃないですか、教えてくださいよ」

言葉を濁してみても、笑みを浮かべたままの追求は止まない。
このままでは神戸さんの“意地悪”の恰好の標的になってしまう、と頭を働かせてみるものの、うまい逃げ道も見つけられない。
変に言い訳して妙に話が拗れるのも嫌だったので、観念して正直に白状することにした。
昨夜見た貴方とキスをする夢を思い出していました、なんて平気な顔して言えるわけはなかったけど、残念ながら私自身そんなに嘘をつくのが得意じゃない。
心中で必死に、ただの夢の話だし、夢の話だし、と言い訳しながら概略を伝えた。それでも、気恥ずかしさは抜けずに、下を向いたままだったけど。

「俺にキスされる夢、ですか」
「……ええ」

視線を足元に落としたまま、並んで言葉を交わす。
目のやり場がなくて、地面に規則正しく敷き詰められた石のタイルを、なんとなく目で辿ってみる。

「こっちとしては、貴女が何故泣いていたのかが知りたいですね」
「覚えてないですよ」
「わかってますけど」

それでも気になるんですよ、と続けた神戸さんの声から、彼がこちらを少し気遣っている様子が伝わって、何だか可笑しくなった。
心配、してくれてるみたいだ。夢の中のことなのに。
そのそぶりに、覚悟していたいつもの“意地悪”はかけらも見受けられない。こっそり、安堵する。

「ところで、」
「はい」

不意に、私の頬にしなやかだけど男性らしく筋張った掌が宛てられる。

「……それ、こんな感じでしたか?」

え、と視線をあげると、文字通り目と鼻の先に神戸さんの整った顔があった。
街灯の光を背にうけて影が落ちたその顔は、まるで作り物めいて美しく、息をのむ。
いつの間に、距離を詰められたのだろう。夢と同じように、目の前の彼もとても自然な動きで唇を近付けてくる。
鼻孔が彼の纏う匂いを拾い、ようやく自分が置かれている状況を認知した心臓が飛び跳ねた。
そして、一拍遅れて、ここは公共の場だという焦りめいた強く冷えた思いがぎゅうと上から締め付けてくる。

「止めてくださいっ」

咄嗟に出た声は、思ったより固く強張ったものになってしまった。
ぶしつけな言葉に彼の気分を害してしまったかと不安が過ぎったけど、神戸さんはいかにも可笑そうにふふっと笑って、冗談ですよ、と言った。
今回の“意地悪”は、時間差、だったらしい……油断した。

「せっかく一緒にいるのに、他事なんか考えてるから」
「う。ご、ごめんなさい」
「はは。まあ、良いですよ。その“他事”すら俺のことだったみたいですから」

くすくす笑いながら、するりと私の頬を撫でるように神戸さんの手が離れてようやく、自分の頬が熱くなっていたのを知る。
ため息をつきそうになっていると、夜風が神戸さんのスーツと私のスカートをさらさらと揺らしていった。

「さて、そろそろ車に戻りましょうか。風も出て来ましたし」
「そうですね」

そういえば、私の夢は、神戸さんをほとんど現実と同じに映していたけど、匂いまでは再現していなかったな。
止まっていた足を再び動かし、彼と並んで歩きながら、私はそんな新しい発見をしてしまっていた。



後日、どこかで手に入れた夢占いの本で「キスの夢は現状の恋に物足りなさを感じている暗示」という知識を仕入れた神戸さんが、改めて私をからかってくるのはまた別の話。

 

  → 話を聞いたのは彼 →