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 仕事から帰宅すると、夜の気温で冷えた郵便受けに見慣れないものが入っていた。
それは少し厚みのある封筒で、薄っぺらいダイレクトメールたちに混じっているからこそ存在が際立っていたが、薄い色の、至ってシンプルな造りだった。
訝しく思いながら手に取ってみると、表に「神戸 尊様」と封筒本体に負けないくらいあっさりとした文体の文字が記されている。
裏をひっくり返してみると、そこには送り主の名前が、「麻木 ふみ子」と、控えめな文字で書かれていた。

 リビングのソファーに腰掛け、ペーパーナイフで封を切る。中に納められていた数枚の便箋は、封筒に負けず劣らずシンプルで落ち着いたデザインだ。
三つ折りにされていたものを広げて目を通すと、恐らく彼女愛用の万年筆で書かれただろう文字が、送り主の性格を反映するようにきちんと畏まっている。
「拝啓」と時候の挨拶で始まり、簡単な近況報告が続き、俺に対して日頃感じている感謝の気持ちと、どうかこれからも宜しくお願いしますという控えめな願い、そして締めの挨拶と「敬具」で終わるという、実に模範的な手紙の文面だった。
同じ都内に住んでいるのにわざわざ手紙にしたためてくるくらいだから、一体どんな用件かと勘繰ったが、どうやら純粋にプライベートな手紙だったようだ。私用で手紙を貰うなんて、何年ぶりだろうか。
改めて封筒を手に取り消印を確認すると、5月23日となっている。当時、署内の廊下を歩いていたら、今日は『恋文の日』だとか何とかと女性署員たちが話しているのが耳に入ってきたことを思い出した。
ラブレターの記念日だなんて、随分洒落た記念日もあったものだとこのときひそかに感心したが、ふみ子さんも俺と同じように5月23日は『恋文の日』だと何処かで知ったのかもしれない。
文の道で身を立てている彼女が、それを聞いて日頃の想いを文字に託そうと考えることは想像に難くないことだ。

(それにしても……)

 ソファーに深く座りなおしながら、改めて手紙を読み返してみたが、これをラブレターというカテゴリーにいれていいのかと少し疑問をもつ。
俺に対するありがたい好意的な想いは感謝の言葉に乗せて十二分に伝わってくるのだが、一般的にラブレターときいて思い浮かぶようなロマンチックな言葉はどこにも見受けられない。
もちろん、恋文の日に書いたからといって、それがラブレターである必要性はないのだけれど。
今度本人に会ったときにでも、俺が想像したようにこれをラブレターのつもりで書いたのかどうか、敢えて確認してみても面白いと思った。
しかしこれでは、恋文というよりも、お中元の品か何かのようだ。

「……ふふっ」

 自分で思い付いた表現があまりにもしっくりきて、つい笑いが漏れた。
そういえばふみ子さんはバレンタインデーのときも、まるでお歳暮のようにチョコレートを作って、例の事件の関係者に配ってくれと俺に頼んできたっけ。
それを考えると、こういう内容のほうが、愛だの恋だの並べ立てているものより、よっぽど彼女らしいといえば、らしい。
手にしているのはただの紙のはずなのに、こうして何度も読み返して送り主へあれこれ思いを巡らせていると、何だか自分の掌が数%程のあの人に触れているように感じてきた。
何だか無性に愛しくなってきて、シワをつけないよう、丁寧に便箋を封筒に戻した。



「ふみ子さん。お手紙、届きましたよ」

 手紙を受け取ってから一週間程経ち、ふみ子さんの家へお邪魔しのは今日の午後のこと。
彼女手作りのお菓子でお茶を貰っているときに、ふと思い出し、そのことを伝えると、机の向こう側に座ろうとしていた彼女は心持ち安心したような笑みを浮かべた。

「そうですか」
「ええ、ありがとうございます」

にこりと笑ってみせたが、意外にもふみ子さんはそれには応じなかった。
そのまま椅子に腰を下ろしてしまってから、少しく逡巡していたようだがそろそろと不思議な問いを切り出してくる。

「……あの」
「はい?」
「それだけ、ですか?」
「? ……ええ」
「……そうですか」

質問の意図を飲み込めず、とっさに頷いてしまうと、注意していないとわからないくらい僅かにではあるが、何となくふみ子さんの声が沈んだようにみえた。
しまったと思い、執り成そうとしたが、その直後すぐに彼女が話題を変えてしまい、その場でフォローすることは出来なかった。手痛い失態だ。
振り返ってみると、やはり考えられる原因は手紙のこと。返事をしなかったのがまずかったのだと見当をつけるのは難しくない。
礼儀にそぐわないことだと薄々思ってはいたが、慣れないツールに対して、扱いがわからず持て余し気味になってしまっているうちに一週間が過ぎてしまっていた。良くないことだな、と己の態度を反省する。
自分の家に帰り、しばらく考えた結果、俺も筆をとることに決めた。本当は彼女のように便箋と封筒を使うべきなのだろうが、こういう機会に恵まれなかったためちゃんとしたものが揃っていない。
日を改めて買いに行くこともできたが、今は一刻も早く返事を書きたかった。事務用の味気無いものよりはと、以前たまたま美術館に足を運んだ折に気に入って購入した絵葉書を使う。
あまりこういった文章を書き慣れていないから不安だったが、いざ書き出してみるとペン先は意外な程さらさらと動いた。
挨拶に始まり、返事が遅くなって申し訳ないという謝罪、彼女に倣って綴った感謝、今度この絵が飾ってある美術館へ共に行こうという提案……書きたいことが次々に浮かんできたが、だらだらと書くのもどうかと思い、適当なところでペンを置いた。
丁寧に宛名を書き、手持ちの切手を貼りながら、手紙を書くということがこんなに面白いとは思わなかったと一人頷く。脳裏に送り主を思い浮かべながらの作業は、プレゼントを用意する前のように胸が騒いだ。

(なるほど、これでは確かにあんな顔をしたくもなるな)

ふみ子さんもこんな風に、俺への手紙を書いたのかと思うと、改めて後悔と自戒の思いが強くなった。
それと同時に思い出す。あの手紙はラブレターなのかとふみ子さんに確認しようという思いつきを、うろたえているうちにすっかり忘れていたことを。
次に会ったときに直接聞いてもいいが、こうして手紙に託すのも良いかもしれない。この葉書に、彼女はきっと返信してくれるだろうから、今度はちゃんと封筒と便箋をつかってまた返事を書こう。
その中で、さりげなく聞いてみたら、彼女は読んだときにどんな顔をして、どんな風な返事を書くのだろう。
想像すると、自然に笑みがこぼれてくる。こんなに「次」が楽しみになることは、今までに無い経験だった。この年になって、こんなにいろんな新しい発見をすることになるとは思わなかったな。
ふみ子さんへの感謝の想いが、さっきペンで葉書に記したときより、強くなる。
明日は早起きして、朝一番にこれを投函しよう。切手を貼り終わった絵葉書を眺めながら、俺は一人でくすくす笑った。