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「では、神戸君。戻りましょうか」
「はい。……タクシー!」
 
事件が解決し、一段落ついたので署に戻ることにする。
今日は車に乗らずに出ていたので、帰るための足を用意しなければ。
朝から降り続いた雨がようやく上がった湿った空の下で手を振り上げると、早速一台のタクシーが目の前に停まった。
相変わらず、暇な特命係に持ち込まれる事件は後味の悪いものばかりである。
後味のいい事件っていうのも、それはそれで気味が悪いんだろうけど。
 
「神戸くん」
「はい?」
 
停まったタクシーの運転手は、寡黙な男だった。
珍しく有線もかかっていない静かな車内で、杉下さんが唐突に話しかけてくる。
 
「いつも我々は君の車を使っていますが、たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ」
「それはまあ、そうですね」
「それでは君は、タクシーのどこを悪くない、と思うのでしょうか?」
 
唐突に提示された疑問に答えようとして、その意図をはかりかねてやや言葉につまる。
この人はこうやって、誰かれ構わず前触れもなく突飛な質問を飛ばしてくることがある。
それが事件を解決に導くことも少なくはないのだが、この人の思考回路は一体どんな形をしてしまっているのかと皮肉混じりに考えてしまうことも少なくない……例えば、今とか。
 
「……と、いいますと?」
「そうですね、神戸君。なにが良いのか、戻るまでに考えてみるのはどうでしょう」

その意図を聞き返した俺の言葉に答えること無く、杉下さんはにこりと笑った。

「お言葉ですが杉下さん、質問の定義が少々曖昧すぎやしませんか?」
「……」

無視かよ。
 
 
 (つまり、タクシーの良いところ、か)
しばらく窓の外を流れる景色を眺めながら考えてみるが、ろくな答えが浮かばない。
強いて言うなら、こういうような道路状況が悪い日に自分で運転しなくてすむのが楽、といったところだろうか。
しかし、どうも杉下さんの口ぶりだと明らかに違う意図を含んでいそうだ。
 (……ん?)
信号待ちで停まった車外の景色をぼんやり眺めながら考えにふけっていると、向かいの道に何やら見知った姿を見つけた。
片手にたたんだ濡れた傘を持っていたから、彼女も俺たちと同じく何処かから帰る途中なんだろう。
――そう、思っていたら、視界に捉えていた“彼女”はスッ転んだ。見るも見事……もとい、無惨に。
朝からつい先程まで降り続いた雨で、おそらく歩道にはまだ雨水がたっぷり残っているはず。
距離があるから良くは見えないが、おそらくその服は悲惨な事になっているだろう。
そこまで把握した途端、ぐいと視界が動き出す。信号が、変わったらしい。
その瞬間、

「すいません運転手さん、止めてください!!」

思わず大声でそう口にしていた。
不審げな顔をした運転手に謝りつつ、俺はタクシーから飛び出した。
歩道橋を駆け渡り、気がついたときには息を切らせて“彼女”の傍に立っていた。

「はぁっ……ッ……大丈夫、ですか?」

声をかけられ、不思議そうに降り仰いだ彼女――麻木ふみ子さんは僕を見止める。
振り返った彼女の服は想像通り悲惨なことになっていたが、その自身の状況を取り繕うより先に、ほくろのある目許を綻ばせて俺へ挨拶をしてくる。
礼儀正しいんだか、マイペースなんだか、よくわからない人だ。

「神戸さんじゃないですか。こんにちは。どうしたんですか、こんなところで」
「どうした、って……!」

答えようとして、ふと言葉につまる。
彼女になんと説明すればいいのか。
タクシーで貴女を見かけて、気がついたら走り出してここにいました、なんて説明をしたって怪訝な顔をされるだけだろう。
急に走って脳に酸素が足りなくなったせいか、うまく頭が回らない自分に対して少し苛立つ。

「……っ、その、お洋服。濡れてるじゃないですか」

とりあえず、相手の服装の状態を指摘する。
彼女はそれが話題に出されてようやく、少し恥ずかしそうに弁明する。

「ああ、これ、さっき転んじゃって……」
「で、とにかく! そのままじゃあ風邪を引きますから、……」

回らない頭で苦し紛れに言葉を搾り出していた矢先に、それを遮るように俺の携帯が鳴った。ああ、くそっ。

「すみません、電話だ。……はい、もしもし」
『神戸君。君は急に飛び出して、こちらのタクシーはどうするつもりなんですか?』

冷静な上司の声が、今の客観的な状況を再確認させてきて、頭を抱えたくなった。
一応まだ仕事中なのに、車を急に飛び出して来てしまった。それも、考えなしに。

「あー…えっと。その、ちょっと色々ありまして」

まったく、今日の俺はどうかしてしまっているようだ。
 
 
『ともかく、早くその方を連れて戻って来てください。彼女、ご自宅まで送るんでしょう』

との杉下さんの言に従って、彼女を道端で待ってくれていたタクシーへ連れて戻る。
杉下さんの隣へ自分のコートを着せた彼女を乗せ、俺は助手席に乗り込んだ。
息を整えている間に、杉下さんは彼女に対してうまく取り繕ってくれたらしい。
ようやく後部座席へ注意を払えるようになったときには、彼女が申し訳なさそうに頭を下げていた。

「すみません、私が転んじゃったばっかりに」
「いえいえ、こうしてまたお会い出来たのも、何かのご縁でしょう。ねぇ、雁屋さん」
「あっ、あの! その名前は、ちょっと……」
「あぁ、失礼。そうでしたね。僕としたことが、うっかりしていました」

頭を下げた相手をにこやかにとりなしていた杉下さんの言に、ふみ子さんが顔色を変えた。
やっぱり“本職”のほうはタブーらしい。聡明な杉下さんがそのことを忘れているわけはないのだが、一体どういうつもりだろう。
バックミラーでその表情を伺ってみるが、彼は相変わらずいつもの飄然とした笑顔を浮かべているだけだった。

「神戸さん、」

不意に名前を呼ばれて、首を後部座席の方へ向けると、俺の方をまっすぐに見ている彼女と目が合った。

「ありがとうございます。助かりました」
「いえ。たまたま通りがかっただけですから」
「コートまでお借りしちゃって……クリーニングに出してお返ししますね」
「いえいえ、どうぞお気になさらず」

そのとき、服の湿った匂いと共に、嗅ぎなれないどこか甘い匂いがふわりと鼻孔を擽った。
言い知れぬむず痒さが俺の胸を襲い、さっきから感じている調子の悪さが増した気がして、また前に向き姿勢をなおす。
彼女はそのまま隣に座っている杉下さんと文学談義に興じ始めた。
普段なら、相槌を打って自分もそれに参加するのだが、なんとなく気が乗らなかった。
聞き慣れた上司の声と、まだ聞き慣れない女性の声をBGMにそのまま窓の外に視線を移す。
 (たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ)
数十分前に聞いた杉下さんの言葉が、ぼんやりと脳裏に響いた。

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 普段器用に生きている彼が、いざ考えなしに行動しちゃったら、その軌道修正にけっこう苦心しそう、っていう話。
右京さんが名前読んだのはわざと とは、友人の談。