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「タクシーの車窓から」(2012/03/18 (日) 14:36:54) の最新版変更点
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<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「では、神戸君。戻りましょうか」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「はい。……タクシー！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">事件が解決し、一段落ついたので署に戻ることにする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">今日は車に乗らずに出ていたので、帰るための足を用意しなければ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">朝から降り続いた雨がようやく上がった湿った空の下で手を振り上げると、早速一台のタクシーが目の前に停まった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">相変わらず、暇な特命係に持ち込まれる事件は後味の悪いものばかりである。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">後味のいい事件っていうのも、それはそれで気味が悪いのだろうけど。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「神戸くん」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「はい？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">停まったタクシーの運転手は、寡黙な男だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">珍しく有線もかかっていない静かな車内で、杉下さんが唐突に話しかけてくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いつも我々は君の車を使っていますが、たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「それはまあ、そうですね」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「それでは君は、タクシーのどこを悪くない、と思うのでしょうか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「……と、いいますと？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">答えようとして、その意図をはかりかねてやや言葉につまる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">この人はこうやって、誰かれ構わず前触れもなく突飛な質問を飛ばしてくることがある。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">それが事件を解決に導くことも少なくはないのだが、この人の思考回路は一体どんな形をしてしまっているかと皮肉げに考えてしまうことも少なくない……例えば、今とか。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「そうですね、神戸君。なにが良いのか、戻るまでに考えてみるのはどうでしょう」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
その意図を聞き返した俺の言葉に答えること無く、杉下さんはにこりと笑った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「お言葉ですが杉下さん、質問の定義が少々曖昧すぎやしませんか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
無視かよ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> （つまり、タクシーの良いところ、か）</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">しばらく窓の外を流れる景色を眺めながら考えてみるが、ろくな答えが浮かばない。<br />
強いて言うなら、こういうような道路状況が悪い日に自分で運転しなくてすむのが楽、といったところだろうか。<br />
しかし、どうも杉下さんの口ぶりだと明らかに違う意図を含んでいそうだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> (……ん？)</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">信号待ちで停まった車外の景色をぼんやり眺めながら考えにふけっていると、向かいの道に何やら見知った姿を見つけた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">片手にたたんだ濡れた傘を持っていたから、彼女も俺たちと同じく何処かから帰る途中なんだろう。<br />
――そう、思っていたら、視界に捉えていた“彼女”はスッ転んだ。見るも見事……もとい、無惨に。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">朝からつい先程まで降り続いた雨で、おそらく歩道にはまだ雨水がたっぷり残っているはず。<br />
距離があるから良くは見えないが、おそらくその服は悲惨な事になっているだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">そこまで把握した途端、ぐいと視界が動き出す。信号が変わったらしい。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">その瞬間、<br /><br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「すいません、運転手さん止めてください！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
思わず大声でそう口にしていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">不審げな顔をした運転手に謝りつつ、俺はタクシーから飛び出した。<br />
歩道橋を駆け渡り、気がついたときには息を切らせて“彼女”の傍に立っていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「はぁっ……ッ……大丈夫、ですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
声をかけられ、不思議そうに降り仰いだ彼女――麻木ふみ子さんは僕を見止める。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">振り返った彼女の服は想像通り悲惨なことになっていたが、その自身の状況を取り繕うより先に、ほくろのある目許を綻ばせて俺へ挨拶をしてくる。<br />
礼儀正しいんだか、マイペースなんだか、よくわからない人だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「神戸さんじゃないですか。こんにちは。どうしたんですか、こんなところで」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「どうした、って……！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
答えようとして、ふと言葉につまる。</span><span style="font-size:larger;">彼女になんと説明すればいいのか。<br />
タクシーで貴女を見かけて、気がついたら走り出してここにいました、なんて説明をしたって怪訝な顔をされるだけだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">急に走って脳に酸素が足りなくなったせいか、うまく頭が回らない自分に対して少し苛立つ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「……っ、その、お洋服。濡れてるじゃないですか」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
とりあえず、相手の服装の状態を指摘する。彼女はそれが話題に出されてようやく、少し恥ずかしそうに弁明する。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「ああ、これ、さっき転んじゃって……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「で、とにかく！ そのままじゃあ風邪を引きますから、……」<br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
回らない頭で苦し紛れに言葉を搾り出していた矢先に、それを遮るように俺の携帯が鳴った。ああ、くそっ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「すみません、電話だ。……はい、もしもし」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">『神戸君。君は急に飛び出して、こちらのタクシーはどうするつもりなんですか？』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
冷静な上司の声が、今の客観的な状況を再確認させてきて、頭を抱えたくなった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">一応まだ仕事中なのに、車を急に飛び出して来てしまった。それも、考えなしに。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「あー…えっと。その、ちょっと色々ありまして」<br /><br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">まったく、今日の俺はどうかしてしまっているようだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">『ともかく、早くその方を連れて戻って来てください。彼女、ご自宅まで送るんでしょう』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
との杉下さんの言に従って、彼女を道端で待ってくれていたタクシーへ連れて戻る。<br />
杉下さんの隣へ自分のコートを着せた彼女を乗せ、俺は助手席に乗り込んだ。<br />
息を整えている間に、杉下さんは彼女に対してうまく取り繕ってくれたらしい。<br />
ようやく後部座席へ注意を払えるようになったときには、彼女が申し訳なさそうに頭を下げていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「すみません、私が転んじゃったばっかりに」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえいえ、こうしてまたお会い出来たのも、何かのご縁でしょう。ねぇ、雁屋さん」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「あっ、あの！ その名前は、ちょっと……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「あぁ、失礼。そうでしたね。僕としたことが、うっかりしていました」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
頭を下げた相手をにこやかにとりなしていた杉下さんの言に、ふみ子さんが顔色を変えた。<br />
やっぱり“本職”のほうはタブーらしい。聡明な杉下さんがそのことを忘れているわけはないのだが、一体どういうつもりだろう。<br />
バックミラーでその表情を伺ってみるが、彼は相変わらずいつもの飄然とした笑顔を浮かべているだけだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「神戸さん、」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
不意に名前を呼ばれて、首を後部座席の方へ向けると、俺の方をまっすぐに見ている彼女と目が合った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「ありがとうございます。助かりました」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえ。たまたま通りがかっただけですから」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「コートまでお借りしちゃって……クリーニングに出してお返ししますね」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえいえ、どうぞお気になさらず」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
そのとき、服の湿った匂いと共に、嗅ぎなれないどこか甘い匂いがふわりと鼻孔を擽った。<br />
言い知れぬむず痒さが俺の胸を襲い、さっきから感じている調子の悪さが増した気がして、また前に向き姿勢をなおす。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">彼女はそのまま隣に座っている杉下さんと文学談義に興じ始めた。<br />
普段なら、相槌を打って自分もそれに参加するのだが、なんとなく気が乗らなかった。<br />
聞き慣れた上司の声と、まだ聞き慣れない女性の声をBGMにそのまま窓の外に視線を移す。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> （たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ）</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">数十分前に聞いた杉下さんの言葉が、ぼんやりと脳裏に響いた。</span></div>
<p> ＝＝＝＝＝＝＝＝</p>
<p> 普段器用に生きている彼が、いざ考えなしに行動しちゃったら、その軌道修正にけっこう苦心しそう、っていう話。<br />
右京さんが名前読んだのはわざと とは、友人の談。</p>
<p> </p>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「では、神戸君。戻りましょうか」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「はい。……タクシー！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">事件が解決し、一段落ついたので署に戻ることにする。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">今日は車に乗らずに出ていたので、帰るための足を用意しなければ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">朝から降り続いた雨がようやく上がった湿った空の下で手を振り上げると、早速一台のタクシーが目の前に停まった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">相変わらず、暇な特命係に持ち込まれる事件は後味の悪いものばかりである。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">後味のいい事件っていうのも、それはそれで気味が悪いんだろうけど。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「神戸くん」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「はい？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">停まったタクシーの運転手は、寡黙な男だった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">珍しく有線もかかっていない静かな車内で、杉下さんが唐突に話しかけてくる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いつも我々は君の車を使っていますが、たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「それはまあ、そうですね」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「それでは君は、タクシーのどこを悪くない、と思うのでしょうか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">唐突に提示された疑問に答えようとして、その意図をはかりかねてやや言葉につまる。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">この人はこうやって、誰かれ構わず前触れもなく突飛な質問を飛ばしてくることがある。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">それが事件を解決に導くことも少なくはないのだが、この人の思考回路は一体どんな形をしてしまっているのかと皮肉混じりに考えてしまうことも少なくない……例えば、今とか。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
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<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><span style="font-size:larger;"><font size="2">「……と、いいますと？」</font></span></span></div>
「そうですね、神戸君。なにが良いのか、戻るまでに考えてみるのはどうでしょう」</div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
その意図を聞き返した俺の言葉に答えること無く、杉下さんはにこりと笑った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「お言葉ですが杉下さん、質問の定義が少々曖昧すぎやしませんか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
無視かよ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> </span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> （つまり、タクシーの良いところ、か）</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">しばらく窓の外を流れる景色を眺めながら考えてみるが、ろくな答えが浮かばない。<br />
強いて言うなら、こういうような道路状況が悪い日に自分で運転しなくてすむのが楽、といったところだろうか。<br />
しかし、どうも杉下さんの口ぶりだと明らかに違う意図を含んでいそうだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> (……ん？)</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">信号待ちで停まった車外の景色をぼんやり眺めながら考えにふけっていると、向かいの道に何やら見知った姿を見つけた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">片手にたたんだ濡れた傘を持っていたから、彼女も俺たちと同じく何処かから帰る途中なんだろう。<br />
――そう、思っていたら、視界に捉えていた“彼女”はスッ転んだ。見るも見事……もとい、無惨に。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">朝からつい先程まで降り続いた雨で、おそらく歩道にはまだ雨水がたっぷり残っているはず。<br />
距離があるから良くは見えないが、おそらくその服は悲惨な事になっているだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">そこまで把握した途端、ぐいと視界が動き出す。信号が、変わったらしい。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">その瞬間、<br /><br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「すいません運転手さん、止めてください！！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
思わず大声でそう口にしていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">不審げな顔をした運転手に謝りつつ、俺はタクシーから飛び出した。<br />
歩道橋を駆け渡り、気がついたときには息を切らせて“彼女”の傍に立っていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「はぁっ……ッ……大丈夫、ですか？」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
声をかけられ、不思議そうに降り仰いだ彼女――麻木ふみ子さんは僕を見止める。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">振り返った彼女の服は想像通り悲惨なことになっていたが、その自身の状況を取り繕うより先に、ほくろのある目許を綻ばせて俺へ挨拶をしてくる。<br />
礼儀正しいんだか、マイペースなんだか、よくわからない人だ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「神戸さんじゃないですか。こんにちは。どうしたんですか、こんなところで」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「どうした、って……！」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
答えようとして、ふと言葉につまる。</span><span style="font-size:larger;">彼女になんと説明すればいいのか。<br />
タクシーで貴女を見かけて、気がついたら走り出してここにいました、なんて説明をしたって怪訝な顔をされるだけだろう。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">急に走って脳に酸素が足りなくなったせいか、うまく頭が回らない自分に対して少し苛立つ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「……っ、その、お洋服。濡れてるじゃないですか」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
とりあえず、相手の服装の状態を指摘する。<br />
彼女はそれが話題に出されてようやく、少し恥ずかしそうに弁明する。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「ああ、これ、さっき転んじゃって……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「で、とにかく！ そのままじゃあ風邪を引きますから、……」<br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
回らない頭で苦し紛れに言葉を搾り出していた矢先に、それを遮るように俺の携帯が鳴った。ああ、くそっ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「すみません、電話だ。……はい、もしもし」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">『神戸君。君は急に飛び出して、こちらのタクシーはどうするつもりなんですか？』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
冷静な上司の声が、今の客観的な状況を再確認させてきて、頭を抱えたくなった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">一応まだ仕事中なのに、車を急に飛び出して来てしまった。それも、考えなしに。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「あー…えっと。その、ちょっと色々ありまして」<br /><br /></span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">まったく、今日の俺はどうかしてしまっているようだ。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"> </div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">『ともかく、早くその方を連れて戻って来てください。彼女、ご自宅まで送るんでしょう』</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
との杉下さんの言に従って、彼女を道端で待ってくれていたタクシーへ連れて戻る。<br />
杉下さんの隣へ自分のコートを着せた彼女を乗せ、俺は助手席に乗り込んだ。<br />
息を整えている間に、杉下さんは彼女に対してうまく取り繕ってくれたらしい。<br />
ようやく後部座席へ注意を払えるようになったときには、彼女が申し訳なさそうに頭を下げていた。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「すみません、私が転んじゃったばっかりに」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえいえ、こうしてまたお会い出来たのも、何かのご縁でしょう。ねぇ、雁屋さん」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「あっ、あの！ その名前は、ちょっと……」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「あぁ、失礼。そうでしたね。僕としたことが、うっかりしていました」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
頭を下げた相手をにこやかにとりなしていた杉下さんの言に、ふみ子さんが顔色を変えた。<br />
やっぱり“本職”のほうはタブーらしい。聡明な杉下さんがそのことを忘れているわけはないのだが、一体どういうつもりだろう。<br />
バックミラーでその表情を伺ってみるが、彼は相変わらずいつもの飄然とした笑顔を浮かべているだけだった。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「神戸さん、」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
不意に名前を呼ばれて、首を後部座席の方へ向けると、俺の方をまっすぐに見ている彼女と目が合った。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
「ありがとうございます。助かりました」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえ。たまたま通りがかっただけですから」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「コートまでお借りしちゃって……クリーニングに出してお返ししますね」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">「いえいえ、どうぞお気になさらず」</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"><br />
そのとき、服の湿った匂いと共に、嗅ぎなれないどこか甘い匂いがふわりと鼻孔を擽った。<br />
言い知れぬむず痒さが俺の胸を襲い、さっきから感じている調子の悪さが増した気がして、また前に向き姿勢をなおす。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">彼女はそのまま隣に座っている杉下さんと文学談義に興じ始めた。<br />
普段なら、相槌を打って自分もそれに参加するのだが、なんとなく気が乗らなかった。<br />
聞き慣れた上司の声と、まだ聞き慣れない女性の声をBGMにそのまま窓の外に視線を移す。</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;"> （たまにはタクシーなんてのも、悪くは無いものですねぇ）</span></div>
<div style="margin:0mm 0mm 0pt;"><span style="font-size:larger;">数十分前に聞いた杉下さんの言葉が、ぼんやりと脳裏に響いた。</span></div>
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<p> 普段器用に生きている彼が、いざ考えなしに行動しちゃったら、その軌道修正にけっこう苦心しそう、っていう話。<br />
右京さんが名前読んだのはわざと とは、友人の談。</p>
