「アニメの年表2」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

アニメの年表2」(2007/05/28 (月) 22:11:11) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*1966~2007* 1966年 『魔法使いサリー』 世界初の魔女っ子アニメ。 1968年 『巨人の星』 「スポ根」という分野を確立したテレビシリーズ作品。放映は3年間に亘る。 1969年 『サザエさん』 日曜日の夕暮れの代名詞ともなった長寿作品。 『アタックNo.1』 女子向けスポ根アニメの草分け。 『ムーミン』 「世界名作シリーズ」の皮切りとなった作品。ただ企画段階で原作とはかなり雰囲気の違う作品になったため、作者のトーベ・ヤンソンが日本以外では放送しないと言う条件でアニメ化を認めた経緯がある。 1970 『明日のジョー』放映開始(虫プロダクション) 1971 『ルパン三世』テレビ放送開始(東京ムービー) 1972年 『科学忍者隊ガッチャマン』 タツノコプロを代表するヒーローアニメの一つ。 10月4日 『アストロガンガー』放送開始。巨大ロボットの中に人が入って戦うという作品の元祖。 12月3日 『マジンガーZ』放映開始。巨大ロボットアニメシリーズの始まり。 有限会社サンライズスタジオ(現サンライズ)設立。 1973年 『ドラえもん』 長寿作品となったシンエイ動画のシリーズより前のアニメ化(今ほどの完成度ではなかった)。制作は日本テレビ動画。  1974年 カルピス劇場としてアルプスの少女ハイジ放映開始。 『宇宙戦艦ヤマト』 テレビシリーズ放送。後にテレビシリーズを編集した劇場版が公開され一大流行を巻き起こす。 1975年 TVで世界名作劇場シリーズが放送開始。第一作は『フランダースの犬』。 1977年 12月、月1話1時間という特異な形式のアニメ『野球狂の詩』が放送される。 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開、興行収入43億円、配給収入21億円という日本映画史上記録的な大成功を収める。 『アニメージュ』(徳間書店)創刊 1979年 1978年に放映された『銀河鉄道999』が映画化され、配給収入16億円とアニメ作品としては初めて1979年度の邦画年間配給収入第一位を記録する。 テレビ朝日系列で『ドラえもん』が放送開始。 『ルパン三世 カリオストロの城』 宮崎駿のアニメ映画監督としての第一作。 『機動戦士ガンダム』 ガンダムシリーズの第一作。初回放送の視聴率は振るわなかったが、再放送を重ねる内に人気は上がり、映画版が作られた事でその人気は爆発。以降、20年以上に亘ってシリーズ化される。 1980年 3月15日、劇場アニメドラえもん のび太の恐竜が公開される。 1981年 『Dr.スランプ アラレちゃん』が好調なスタートを切る。最高視聴率は36.9%と、社会現象を巻き起こした。香港では、最高視聴率80%を記録した。 『うる星やつら』 同人誌に於いていわゆるエロパロ本が大量に発行された恐らく最初の作品。 『六神合体ゴッドマーズ』 やおい本がそれまでの隠れた存在から、即売会等で一気に一般化する足がかりとなった作品。 1983年 『ダロス』 日本初のOVA。制作:スタジオぴえろ。 1984年 『北斗の拳』 お前はもう死んでいるなど、数々の台詞が流行語になる。 宮崎駿監督の劇場作品『風の谷のナウシカ』が公開される。 『くりいむレモン』等に代表される、成人を対象したOVAアダルトアニメが発売され始める。 1985年 第一回広島国際アニメーションフェスティバル開催。 1986年 スタジオジブリの第一作となる劇場作品『天空の城ラピュタ』が封切られる。監督は宮崎駿。 大人気『Dr.スランプ』を自ら打ち切った鳥山明原作の待望アニメ『ドラゴンボール』がフジテレビで開始。 1988年 『となりのトトロ』『火垂るの墓』 二本立てで上映される。興行的には不振だったが、ビデオ販売が好調で、国民的映画となる。 大友克洋監督の劇場作品『AKIRA』公開。製作費に当時としては異例の10億円を投じた大作で、日本のみならずアメリカでも成功し、その後の日本アニメの海外進出の足がかりを作った。 OVAシリーズとして『機動警察パトレイバー』が始まり、多くの視聴者を獲得する。この作品の成功により、アニメをビデオのみで売るというOVAの手法が商売として成り立つ事が証明されるとともに、それまでまちまちだったOVAの製作・販売形態も1本30分弱・価格は5,000円前後という形に収斂されていく事となる。 1989年 宮崎駿監督の『魔女の宅急便』公開。配給収入22億円と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の記録を抜いてアニメーション映画の歴代一位を記録する。 1990年 『ちびまる子ちゃん』 アニメ本編とともに、B.B.クイーンズが歌うエンディングテーマ「おどるポンポコリン」も人気を博し、紅白でも歌われた。 『勇者エクスカイザー』 長期に渡る「勇者シリーズ」の始まり。 1991年 ケーブルテレビ局向けにアニメを中心とした子供向け番組の配信を行う「キッズステーション」が運営開始。 1992年 『美少女戦士セーラームーン』 美少女アニメが話題に。 宮崎駿監督の『紅の豚』公開。配給収入27億円と二作続けてアニメーション映画の歴代記録を更新する。 『クレヨンしんちゃん』 TV版は下品な内容が好ましくないとされ子供に見せたくないアニメとして親世代からはたびたび槍玉に挙がるが、子供達からの人気は高く現在まで続く長寿アニメとなる。 1994年 ディズニー映画『ライオン・キング』(アメリカ)が大人気を博する。全世界で7億ドル、全米で3億ドルを越える興行収入を記録し、この時点で、全米興行成績ランキングで、『スター・ウォーズ エピソード4』、『E.T.』『ジュラシック・パーク』、『フォレスト・ガンプ』に次ぐ歴代5位となる(全世界では『ジュラシック・パーク』、『スターウォーズ』に次ぐ歴代3位)。 1995年 『新世紀エヴァンゲリオン』 哲学・学術用語の飛び交う難解なストーリーに、多くの若者が熱中し社会現象となる。 『トイ・ストーリー』(アメリカ) 劇場公開作品としての世界初のフルCG作品。興行的にも成功し、この年の最大の人気作となった。 押井守監督の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開される。日本での興行収入は振るわなかったが、後に海外では高い評価を受け、『マトリックス』等の作品に影響を与えた。 1996年 10月3日、深夜枠アニメとしてエルフを狩るモノたちがテレビ東京にて放映される。日本初のオタク向け深夜アニメ。本放送以降、他局も深夜アニメを放送し始める。 デジタルCS放送「パーフェクTV!」(現:スカイパーフェクTV!)開始。 1997年 この年からテレビアニメの本数が増加傾向を示す。それにほぼ呼応する形で萌えアニメが大量に製作され始めるようになる。 4月1日 『ポケットモンスター』 コンピューターゲーム『ポケットモンスター』のアニメ化。 12月16日 「でんのうせんしポリゴン」放送。激しい点滅によるてんかん事件が発生。この事件以降、放送局や作品によってはアニメ作品のOP前やAパートの冒頭等に「テレビを観る時は部屋を明るくして離れて観て下さい」という注意書きが表示される様になる。 『ゲゲゲの鬼太郎 4作目』の途中から、東映アニメーションは、富士写真フイルムがセル画の生産を停止したのを期に、本作品以後彩色等の作業を従来の手作業からコンピュータを用いたデジタルアニメ制作へ移行した。以後、多くのプロダクションがデジタルへの移行を開始する。 宮崎駿監督の『もののけ姫』が配給収入113億円、興行収入193億円となり、1983年公開の『南極物語』を抜いて邦画収入記録を更新、日本映画歴代第一位となる。 アメリカ発のアニメ専門チャンネル「カートゥーンネットワーク」が日本のケーブルテレビ・CSで開局。日本初のアニメ専門チャンネルとなる。 テレビ東京が運営を行うアニメ専門チャンネル「アニメシアターX」がCS放送のディレクTVジャパンで開局。オタクに向けた独特の番組編成や高額な視聴料金で他局との差別化を図る。 1998年 独立UHF放送局、WOWOWノンスクランブル枠と、新しいアニメ放送枠が開拓された。 日本のアニメ専門チャンネル「アニマックス」がケーブルテレビ・CSで開局。出資には大手スタジオが関わる。 4月24日 『ロストユニバース』第4話「ヤシガニ屠る」放送。低質な作画が問題になる。 1999年 3月20日、『ガンドレス』が劇場用アニメとして未完成のまま公開される。 4月1日、『ベターマン』がビスタサイズで放送開始。本作以降、アニメや仮面ライダークウガ等の特撮でビスタサイズが採用されるようになる。 10月18日、『ワイルドアームズTV』が放送される。次回予告の際、次回分のスタッフ名が表示される稀有なアニメ。 東京武蔵野市が吉祥寺アニメワンダーランドの開催を始める。 2000年 『鋼鉄天使くるみ』が世界初の8cm DVDシングルアニメとして発売される。 4月26日、『NieA_7』がWOWOWノンスクランブル枠で放送される。放送後はその回が公式サイトで無料配信されるという、日本初のインターネット再放送を行った。 2001年 10月6日、『Sci-Fi HARRY』が日韓同時放映される。 『I-wish you were here-』がネット専用ストーリーアニメとして日本で初めてストリーミング方式で放送される。 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入300億円を記録し、歴代邦画収入記録を二作続けて更新。アメリカでは2002年に劇場公開され、アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。 『フィギュア17 つばさ&ヒカル』の放映開始。1977年の『野球狂の詩』以来久しく無かった月1回1時間枠となる。 アダルトゲームが原作である『らいむいろ戦奇譚』を編成上都合で夕方に放送したサンテレビジョンが、放送倫理・番組向上機構から2度に渡って回答要請を受ける。なお夕方時間帯における新作アニメ番組の放送枠が減っているのは、この件も関係していると見る人もいる。(ちなみにサンテレビでは、本作以外にも『ストラトス・フォー』を夕方時間帯に放送していたが、この件をきっかけに夕方のアニメ枠が全廃されたのはある意味言う間でもない) 三鷹の森ジブリ美術館(正式名称は三鷹市立アニメーション美術館)オープン。美術館の管理運営は財団法人『徳間記念アニメーション文化財団』 東京杉並区で、アニメーションフェスティバルin杉並第一回開催。 2002年 10月、『キディ・グレイド』が放送される。アイキャッチを何人かの著名な漫画家や絵描きが担当するという手法が取られる。 この手法は『うた∽かた』、『月詠』、『ぱにぽにだっしゅ!』等に受け継がれた。 2001年度からアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設される。最初の受賞作となったのは、『シュレック』(アメリカ)。 第一回目の東京国際アニメフェアを東京ビッグサイトで開催。 練馬アニメーションフェスティバル in 大泉を、この年から毎年開催。 日本動画協会設立。経済産業省の呼び掛けによるもので、アニメ制作会社36社が正会員、18社が準会員。 2003年 『ファインディング・ニモ』(アメリカ)が世界的に大成功。全米興行収入は3億ドル、世界興行収入は8億ドルを越え、アメリカ、全世界とも、従来アニメ映画で第一位だった『ライオン・キング』(アメリカ)を抜き、総合としても、この時点で興行成績ランキングのいずれも歴代上位10位に入る。アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。 東映アニメーションギャラリーが練馬区東大泉の本社内にオープン。主に東映作品を展示・紹介。 2004年 ドリームワークスの劇場作品『シュレック2』(アメリカ)が、前年公開の『ファインディング・ニモ』(アメリカ)を越え、アニメ映画歴代第一位となる興行成績を挙げる(この時点で世界歴代7位、全米歴代3位)。しかし、アカデミー賞は『Mr.インクレディブル』に奪われ、シリーズ2作連続での受賞はならず。 日本では、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)といった、アニメ界の巨匠が相次いで劇場作品を発表したが、『ハウルの動く城』以外は興行的に振るわず、成功を収めた『ハウルの動く城』にしても最終的な興行成績は同監督の前作『千と千尋の神隠し』には届かず、やや肩透かしとなった格好。 2005年 フジテレビのノイタミナ枠が開始される。一般女性向け深夜アニメという新たな分野が開拓された。 東京杉並区にアニメーションミュージアム竣工。 吉祥寺アニメワンダーランドの目玉企画の一つ、吉祥寺アニメ映画祭第一回開催。 秋葉原UDXの東京アニメセター等で、東京国際映画祭との共催企画として、アニメを上映したり、声優のイベント等を行う『秋葉原エンタまつり』がスタート。 2006年 『ゲド戦記』公開。 『ブレーブストーリー』公開。 秋葉原UDXに、日本のアニメを内外に発信する情報拠点、東京アニメーションセンター開設。 2007年 『ゲゲゲの鬼太郎』が日本の最多リメイク記録を更新(5回目のアニメ化)。 東京国際映画祭が、アニメ、漫画などの紹介や商談会、ンポジウムなどを催す国際コンテンツ・カーニバルに改称して開催予定。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: