「おはようございまーっス……うおっ!?」
「……フーッ」
登校してきた田村ひよりは、思わず悲鳴をあげた……教室の空気が重い!
誰かの溜め息をつく気配に慌てた彼女は、口を塞いで席を目指した。
「……失礼しまーっス」
「……」
見えない糸を避けるような、オーバーアクションで席につく。
そろっと室内を見渡して、ちらりと見えた光景に、彼女は縮み上がった。
岩崎みなみが、ゆたかの席を睨んだまま、何かブツブツ言っている。
わずかに青ざめた頬が、生来の鋭い顔つきと相まって、異様な迫力を出していた。
食いしばった歯の間から、たまに「うーっ」と唸り声が漏れてくる。
だれかが「ひいっ!」と、小さな悲鳴を上げた。
*
『ねえ、岩崎さん』
その朝、天気の話でもするように、小早川さんは言葉を切り出した。
『くじ引きで旅行を当てたんだ! それで、明日から学校をお休みするの。ごめんね!』
へえ、と私は返事をした。いつから行くの?
『明日から一週間くらい。私と、お姉ちゃんと、おじさんの三人で』
もう一度、へえ、と私は返事をした。
それっきり、その日は普段通りに過ぎていって、ごく普通に朝がきた。
私は普通に家を出て、普通に登校して、普通に出席に答えた。
小早川さんがいない学校は、どんな感じか怖かったけれど、いつもと変わりはしなかった。
……次の日の、お昼休みまでは。
*
無口な私にも、小早川さん以外の友達がいる。
田村さんと、留学生のパティさんだ。
二人ともムードメーカーって感じで、私や小早川さんとは違うタイプだけれど、一緒にお弁当を食べたりしてくれる。
「岩崎さん、小早川さんの具合はどうっスか?」
「ゆたか病気なんでショ? いつ学校これマスカ?」
私が首をかしげていると、パティさんが補足してくれた。
ああ、そうか。二人とも病欠だと思ってるんだ。
私は旅行にいったから、来週まで休みだと説明した。
「へー」
田村さんは何か考えていたが、急に目を輝かせて聞いてきた。
「それって岩崎さん、寂しくないんスか?」
ううん、別に寂しくない。
そう口に出した途端、私は奇妙な違和感を覚えた。
寂しくない。親友がいなくても、普通に過ごしていられる。
ふと、怖くなってきた。
私はもしかして、何か、とんでもない間違いをしているのではないだろうか?
今こうして笑っているのが、ひどいことをしているような……
「あり? い、岩崎さん?」
あ、うん。だいじょうぶ。ありがとう、田村さん。
予鈴が鳴って、私は頭を切り替えた。次は数学の時間だ。がんばろう。
*
それから、私はどうかしてしまったみたい。
いつもボーッとしていて、皆から注意された。
切り替えろ、頭を切り替えろ、と念じてみるけど……効果が無い。
それでも怖ろしいことに、毎日はきちんと過ぎていった。
*
「岩崎さん、おはよー!」
翌週になると、小早川さんは(当たり前だけれど)学校に来た。
元気そうで、心配した体調の崩れもなくて、なのに私は顔を見られなかった。
「あのね、あのね、外国ってすごかったよ! ……?」
小早川さんは、不思議そうに言葉を切る。
まるで私の態度がおかしいとでも言うように。
どうしていいか分からずにいると、誰かが私の背中を叩いた。
「小早川さん! もう、ヤバイかと思ったっスよー!」
「ふぇ? 田村さん、どうしたの?」
「それがね、岩崎さん寂しがって、暗くって……小早川さん帰ってきてくれて良かった!」
……私が……寂しい?
その言葉は当てはまらないような気がする。
私が抱いた感情は、もっとワガママで、冷たい何か。
でも、そう言いだす前に、小早川さんが泣き出した。
「ごっ、ごめんなさぃ……私が岩崎さんに、もっと早く言わなかったから!?」
ちがうよ。ちがうの、そんなんじゃないの。
だから泣かないで、小早川さん。
ハンカチを差し出しながら、私は、胸のつかえがとれた気がしていた。
なんだろう、温かい気持ちが、こみあげてくる。
久々に笑った私に、田村さんが親指を立てて、笑って見せた。
――ありがとう。
俳優みたいなその仕草に、私はあらためて笑って、御礼を言った。
「ほら、学校へ行こう?」
「うん……ごめんね、ごめんねっ」
(完)
最終更新:2007年11月18日 23:44