スランプだ。あともう少しで仕上がるというのに、最後のセリフが浮かばない。
彼女は今をときめく超売れっ子作家。デビューしてから15年は経つが、未だ人気は衰えていない。
「はぁ………」
物語はクライマックス、もう少しで完成するのだが、どうしても最後のセリフが思い浮かばない。
「……よし……」
彼女は椅子から立ち上がると、仏壇にある旧友の写真にほほえみ、ジャケットを羽織ると外へと消えていった。
「……4年ぶりかな……」
彼女はスランプになると、いつもその高校に訪れていた。
かつての自分の経験から、話の先を導きだすために。
時刻は4時、授業は終わっていて、中から聞こえるのは部活で汗を流す後輩達の声が中心だった。
「変わってないな……」
彼女は校庭を見回しながら歩いていく。かつての仲間達との生活を思い出しながら。
職員室に行き、来校の報告をする。校内を歩き回っても良いと、彼女の元担任が許可を出した。
『まだ教師でいられたんですね』と彼女が問いかけて激昂したのは、まあどうでもいい話だが……
通い慣れた廊下、彼女の頭に思い出がよぎる。
級友との別れを悲しんでいたあの日から、少しだけ強くなれた、そう感じた。
やってきた場所は3―Bの教室。彼女もかつて、仲間と過ごした場所だ。
中には一人、ノートと格闘している少女がいたが、気にせず教室のドアを開けた。
「あれ? おばさん!!」「まといちゃん、久しぶりだね」
中にいたのは級友の娘、まといであった。薄紫色の長い髪をポニーテールにしている。
彼女がこの『陵桜高校』に来たもうひとつの理由は、まといに会うためだった。
「すっかり大きくなったね」
「最後におばさんと会ってから6年だもん、そりゃ大きくなるよ!」
彼女は小さく笑うと、憂いを含んだ瞳で教室を見回した。
「……おばさん?」
「あ、いや。昔を思い出してたんだ……」
「あ、そっか。おばさん達の教室、ここだったもんね」
おばさん、そう言われると、やはり自分は年をとったのだなと暗い気持ちになった。
同時に、あの出来事も、夢などではなかったのだな、と痛感した。
「……まといちゃん」
「なぁに?」
一呼吸置き、彼女は続けた。
「死ぬ前に、自分にとって大切な人に一言だけ言えるなら、まといちゃんはなんて言う?」
「え? う~ん、そうだなぁ……」
彼女は唇に手を当てて天井を仰いだ後、
「“私が死んでも悲しまないで。”かな?」
「どうして?」
彼女が聞くと、まといは恥ずかしそうに頬を掻きながらこう続けた。
「う~んと……だって、大切に想っている人でしょ? そんな人が悲しんでる姿、見たくないもの。」
まといの顔が笑顔に変わる。その笑顔は、かつての級友のように見えて……
その瞬間、彼女が求めていた言葉がうかんだ。
「まといちゃん、ありがとう!」
「ああ、おばさん!?」
彼女は走る。このお宝を、忘れてしまう前に書き記さなければ……!
「……友達からサイン頼まれてたのに……」
「あ、お母さん。お帰りなさい」
先に帰ってきていたのか、彼女の娘が出迎える。
その声に軽く挨拶した後、直ぐ様書斎へと消えていった。
彼女は早速、原稿に取り掛かる。最後の数行を消し、新たな文字を刻み込んでいく。
『彼女の笑顔を最後に見たのはいつだっただろう、とても久しぶりな気がする。』
どんどん原稿の空白が埋まっていく。ここまでペンがはかどるのは久しぶりだ。
『「どれだけ嘆いても、時は終わらないって、教えてもらったからさ。だから……私はこれから精一杯、笑って過ごすよ」』
最後の一文。それを前に、彼女のペンが止まった。
ゆっくりと目を閉じ、ある人物の笑顔を思い出す。
目に溜まった涙を拭い、彼女は最後の仕事に取り掛かった。
『“そう、そうだよ。それでいいんだ。アンタ達に悲しい顔は似合わないよ。だから、笑っててね。これからもずっと、ずっと……”
誰にも聞こえない、誰が聞くこともない声で呟き、彼女は陽炎のように虚空へと消えていった。』
後日、彼女の最新刊が発売された。
彼女はこれを最後に執筆活動をやめるという事もあり、瞬く間にベストセラーとなった。
不治の病に冒された主人公『柊かがみ』が、卒業旅行という名目で親友四人と妹の六人で旅行に行く。無論、病のことは秘密で。
たくさんの観光スポットを廻り、たくさんの思い出を作った帰り、かがみは全てを友人に打ち明け、倒れた。
そのまま意識を取り戻すこともなく、彼女は亡くなってしまう。
それを嘆いた友人『泉こなた』は、自殺を試みる。
生死の境を彷徨うこなたの前に現れたのは柊かがみその人だった。
彼女は伝える。『生きて』と、『私の分まで、生きのびて』と。
彼女の願いを聞き入れ、こなたは元の世界へと戻って行く、彼女にとって最初で最後の『ノンフィクション』作品。
彼女はあとがきにこう記していた
『タイトルの理由、それは最後の私自身のセリフもありますが、もうひとつ別に理由があります。
私は小説の続きが浮かばなくなった時、陵桜高校に足を運ぶんです。
かつての経験を思い出して、小説に反映させるために。時間旅行と、私は呼んでいました。
恐らく、それも今回で最後……。だから私は、このタイトルを付けたんです。
過去は、どれだけ想っても変わらないのだから……。
『忘れえぬ思い出を胸に ~さよなら、過去への時間旅行~』いかがでしたか?
皆様とまたお会いする事があると信じ、あとがきとさせていただきます。
柊こなた 改め 泉こなた』
書店に置いてある一冊の本。その本を手に取り、一人の女性がパラパラとめくる。
読んでいる本は、彼女と、彼女の妹と、彼女の親友、合計六人の物語。
物語の最後のページで、彼女の手が止まる。
“私の声……ちゃんと届いたんだね……”
彼女は本を置くと小さく微笑み、陽炎のように虚空へと消えていった。
~Fin~
最終更新:2007年11月17日 11:07